第8話 珈琲ゼリー
新作のRPGが発売した時、僕は自分で近くの電気屋に買いに行こうと思った。それを夕依に伝えると、ついていくと言った。休日の昼前、近くの郵便局を待ち合わせの目印に設定した。家を出る時、母の目は少し潤んでいて、お小遣いを押し付けてきた。咄嗟に断ろうと思ったけど、長くなりそうだったので小さく礼を言ってありがたく受け取った。スニーカーの紐を緩めに調節して、帽子を深くかぶった。
先に着いて手を振る私服の夕依は、マスクをしていた。特に具合が悪そうな様子もなかったので何も聞かなかった。徒歩15分ほどの距離にある小さな電気屋には、一応新作ソフトも並んでいた。それほど大人気シリーズの作品ではなかったけど、休日だし客が多くて売り切れることも予想していた。しかし、実際は店員を含め視界にちらほら見える程度で助かった。今の時代、殆どの人はネットで購入するのだろう。
ソフトを持ってレジに向かう途中、カメラの売り場を通った。手のひらサイズのデジカメから、持ち上げるのも大変そうな分厚い一眼レフまで並んでいる。あの望遠鏡みたいに長いレンズ越しには、どんな景色が見えるのか、ふと想像した。
「カメラ、欲しいの?」 横で夕依が問う。
「ううん。見ただけ。」
今日はソフトを買いに来ただけだ。それに、カメラなんて僕らが興味だけで買える値段では無かった。
帰り道、夕依はある喫茶店の前で足を止めた。お洒落なカフェが溢れかえる現代には珍しい、入り口の横のショーケースに軽食やスイーツのサンプルが並べてある、レトロな喫茶店だった。彼女はその中のプリンアラモードに釘付けだった。昼に差し掛かるころで、僕も少しお腹がすいていたので寄ることにした。
いらっしゃいませ、と言われ先に進む彼女が選んだのは一番奥のボックス席だった。壁には手書きで禁煙と書かれた張り紙があったが、少し色褪せたベロア生地のソファは微かに煙草の匂いがした。きっと外観の印象通り、年季の入った店なのだろう。
店員がメモを持って注文を聞く。
「クリームソーダとプリンアラモードで。」
え、そんなチョイスある?と先の注文に呆気に取られていると、お連れ様は?と聞かれた。
「あ、えっと、こ、珈琲ゼリーで。」
焦って震えた声が恥ずかしくて俯いた。
かしこまりました。穏やかな口調でそう言って、店員は去っていった。
「ソフト、買えてよかったね。私もそれやりたい。」
「うん。夕依はこういうものの方が気に入ると思うよ。」
「死なないやつ?」
「いや、そりゃあ無茶したら死ぬよ。」
「無茶してるつもりはないんだけどな」
不満げな顔に僕は笑った。
すぐに運ばれてきたスイーツはどれも素朴な見た目で、昼間でも仄暗いレトロな店内と調和を保っていた。珈琲ゼリーはスーパーで売られているカップに入ったものよりも苦くて、生クリームと混ざると特段おいしかった。夕依の頼んだ淡い翠のクリームソーダは、下から沸き上がる泡と、上から溶け落ちるアイスが混ざっていく様子が綺麗だった。
スプーンを口に運んでは、眩しい外を眺める。
数か月前は、今日みたいな日を想像できなかった。
目の前で忙しく口を動かす彼女の真意は分からないけれど、一度だって無理に登校させようとはしなかったし、学校の話だってこちらが聞かなければあまり話さなかった。僕にはそれが心地よかった。学校まで手を引っ張られていたら、きっとその反動で一生部屋から出られなくなっていた。突然現れた彼女が言った「連れ出す」先は、学校よりももっとずっと広い外の世界だったのかもしれない。
実際、僕は恐れながらも外出を克服して、今日ここで珈琲ゼリーを食べ終えたんだ。
ねえプリン、食べない?と遠慮がちに訊く彼女が可笑しかった。注文の時点で、絶対食べきれないと分かってた。銀のカップの端に残ったプリンを掬って口に運ぶ。生クリームの載っていない部分なのに、驚くほど甘かった。
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