眠り続ける森の美女

久里

眠り続ける森の美女

 頬になにか柔らかくてあたたかいものが押し当てられているような感触を覚えた時、永い間まどろみ続けていた姫の意識がゆらりと浮上した。


(ん……?)


「ああ、やっとお目覚めのようですね! 貴方が無事で、本当に良かった!」


 目の前で、なにやらいたく感動している男の声がする。ついでに、鼻をズビビとすする音もした。


(一体、誰? たしか、私はさっきまで糸を紡いでいて……そのうちに、眠ってしまったんだっけ)


 わけも分からないまま、彼女は長い睫毛で音を立てるようにぱちぱちと瞬きを重ねた。段々ぼやけていた視界が鮮明になっていき、目の前の人物の容貌が明らかになった瞬間、姫はハッと息を呑み込んだ。


「ふふ。貴方は驚いている顔まで、本当に愛らしいお方だ」


 目の前の彼が恍惚とした表情でうっとりと自分を見つめてきた時、姫は顔が引き攣りそうになるのを全力でおさこえんだ。


(いやいやいやいや、ちょっと待って……!! 顔と台詞がちぐはぐすぎるんですけど――!!)

 

 そう。


 男は、どう色眼鏡をかけて見ても、到底、器量良しとは言えなかった。 


 感動で潤んでいる瞳は、豆粒みたいに小さい。つぶれ気味な鼻を、みっともなくすすっている。顔も身体も、空気を入れ過ぎた風船みたいにぱんぱんに膨らんでいて、ふっくらとしていて愛らしいの域を軽々と超えていた。


(もしかしてさっきのあたたかい感触は……この人の、)


 ぽってりとした無駄に厚い唇を見た時、背筋にぞくりと悪寒が走った。ふるふると首を横に振りながら、すぐさま思考を停止する。これ以上考えてはダメだと脳が警鐘を鳴らしている。


 姫は、動揺し続ける心をどうにか抑えつけ、目の前の男から視線を外しながらごもごもと言った。


「え、ええと……あなたは、どちら様でしょうか?」


 彼は、ぱあっと小さな瞳をきらきらと輝かせると、よくぞ聞いてくれた! といわんばかりに答えた。


「私は東の隣国カルネッサからやってきた第一王子、ティムと申します。貴方の国が、悪い魔法使いの呪いによって茨に鎖されてしまったという噂を聞きつけて、急いで駆けつけてきました。城の中で眠り続けているという美しい貴方を助けるために――」

 

 姫は慌てながら、ティム王子の言葉を遮るようにして言った。


「あ、あの。私、目覚めたばかりでなにがどうなっているのか全く事情を存じ上げておらず、先程から混乱しっぱなしなのですが……ええと、私は、呪いによって眠っていたのですか?」


 彼は、突如、焦ったように口をはさんできた彼女をきょとんとして見つめ返した後、「貴方は、鈴の音のような透き通った声しているんですね。ああ、なんて可愛らしい」と呟き、いまにもはちきれそうな頬に朱色を差した。


御託ごたくはいいから、さっさと私の質問に答えなさいよ!)


 ティム王子は、着実に苛々を募らせていく姫の様子に全く気付くことなく、にこりと微笑んだ。


「そうか、貴方はずっと眠りについていたから知らないのですね。いかにも仰る通りでして、貴方とこの城の方々は全員、呪いによって、永い間眠りについていたのです」


 彼の説明によって、徐々に、朧気になっていた記憶が浮かび上がってくる。


(そういえば、お父様とお母様から、絶対に糸車には近づかないようにと散々言い聞かされていたわ)


 時を遡ること、百年と数十年ほど前。


 この姫の生誕を祝した祭りが、派手に執り行われた。


 この祝宴には、国に住んでいた魔法使いたちも招いたのだが、王様と王妃様の凡ミスによって一人の魔法使いだけうっかり招待しそびれてしまった。


 運悪くも、唯一、招待状を送らなかった魔女は非常に嫉妬深い女だった。彼女は自分だけ招かれなかった腹いせとして呼ばれてもいない祝祭に乗り込んでいき、この姫に『十五歳の誕生日になったら、糸車の錘に刺さって死ぬ』というなんとも理不尽な呪いをかけて立ち去った。


 蒼褪めて絶望に臥した王様と王妃様にむかって、まだ姫に贈り物をしていなかった魔法使いが、呪いを完全に解消することはできないけれども、和らげることならばできると申し出た。


 その結果、この姫は『十五歳になった時、錘に刺さって死ぬのではなく、百年眠った後、運命の王子様のキスで目覚める』という運命を授かることとなった。


 そして、姫の宿していたこの呪いは本物だった。

 

 そうなると、目の前のこの王子は、意を決して呪われた城まで迎えに来てくれた、『運命の王子様』ということになるのだけれども――


 もう一度、目の前の彼の丸々と太った身体を見やってから、彼女はぶんぶんと首を横に振った。


(ないない! 私の王子様がこんなブサメンだなんて、ありえないわ!! これは、何かの間違いよ!!) 


 ――姫は、訪れてきた運命を粛々と受け入れるような性格ではなかった。


 その時、苦笑いを浮かべる彼女の頭にふと妙案が浮かびあがってきた。


(そうだ! 気に入らないなら、もう一度やり直せばいいんだわ!)


 思い立ったが吉日。


 彼女は、颯爽と横たえていた身を引き起こし、てきぱきとした動作でベッドから足を降ろした。「あれ。どこへ、行かれるのですか?」と狼狽えるティム王子を完全に̪シカトし、部屋の隅に置かれた糸車の前まで来ると、祈るようにそれをじっと見つめた。


 彼女がそれに手を伸ばしたとき、ティム王子は蒼褪めて、声を荒げながら叫んだ。


「姫君! その錘に触れたら、貴方はまた……っ!」


 引き留めようとする彼の忠告を寸分も聞き入れず、姫は躊躇うことなく糸車の錘にその白い手を伸ばす。


「遠路はるばる、ご苦労様。でも、生憎、私の王子は貴方ではないわ」


 その手に錘が刺さって真っ赤な血がぷくりと浮かび上がった瞬間、姫は再び眠りにつき、ティム王子は荒れ狂う茨に追い立てられて城を放りだされたのだった。



 哀れなティム王子が城を放り出されてから、時は刻々と流れ続け、あっというまに百年が経った。


 久方ぶりにあの柔らかな感触が頬に押し付けられた瞬間、姫は、すぐにまた運命の時がやってきたのだと悟った。


 彼女が警戒を滲ませながらゆっくりと瞳を開くと、そこには心配そうにじいっと自分の顔をのぞき込んでいる紛うことなき美青年の姿があった。


(!? ま、眩しい! なんというイケメンなの……!)


 サファイアを嵌め込んだような瞳に、きらきらと輝いて見えるハニーブロンドの髪。スッとしたシャープな輪郭に、高い鼻、引き締まった体つき。どこからどう見ても絵本の中から抜け出してきた王子様そのもので、彼女の胸ははやくもドキドキと高鳴りはじめた。


「ご気分は、いかがでしょうか?」

「あっ……。わ、悪くは、ないです」


 目の前の彼から発せられるあまりのきらきらオーラに圧倒されて口ごもってしまったら、彼は優雅に名乗り出た。


「それは良かった。私は西の隣国シュヴェルンからやってきました第二王子のアレクと申します」


(なんて美しい方なのかしら、この人こそ運命の王子様に違いない! ああ、百年前にやすやすと運命を受け入れたりしなくて本当に本当に良かった……!)


 彼の麗しさに吸い込まれるように見入っていたら、アレク王子は「お目覚めになっていただけて、本当に良かった。大変だったけれど、ここまでやってきた甲斐がありました」と微笑んだ。


「まぁ。そんなに大変だったのですか?」


 姫は頬を薔薇色に染めながら、可愛らしく首を傾げてみせた。百年前、ティム王子が訪れてきた時とは、天と地ほどの差がある対応ぶりである。


 尋ねられたアレク王子も満更ではなさそうに「そうですね」と頷いて、この城に至るまでの道のりを話し始めた。


「実は、この城は危険だから近づかない方が良いとものすごく反対されました。それでも、どうにか貴方がたを助け出したかったので、周囲の反対を押しきって無理にやってきたのです」


 その後、アレク王子は、茨の生い茂る森を抜けてくることがどれほど大変だったかということを情熱的に身振りを駆使して語った。


 呪われた茨に手足をからめとらるたびに、何度も華麗な剣裁きで断ち切ってみせたこと。茨だけでなく、狼や熊にも襲い掛かられ、何度も絶命の危機に瀕したが、日々の鍛錬で鍛え抜いた体幹と剣の腕でどうにか乗り切ったこと云々。


 彼から、ここにたどり着くまでの旅路がいかに危険で、苦難に満ちていて、大変なものであったかということを語りつづけられているうちに、姫の心は次第に冷めていった。


(うーん……実際、すごく大変だったのかもしれないけど、本当にここまで力説するほどの苦難だったのかしら?)


 彼女が怪訝な顔をし始めたことに、アレク王子は全く気付かなかった。熱弁は、留まることを知らずに続いていく。


 三十分近く語り続けた上に、ついに彼が感極まってぽろぽろと涙を零し始めた時には、姫の心のシラケ具合は最高潮ピークに達した。


(いやいや! いくら顔が良くても、自分の武勇伝で感極まって泣くとか無理! ありえないわ!!)


 寝台から身を引き起こし、めそめそと泣き始めた彼の脇を通り抜けて、糸車の目の前に立つ。


「おや。姫君、一体なにを……?」


 ようやく我に返っておろおろし始めたアレク王子を置き去りにするように、彼女はその手を糸車の錘に突き刺した。



 気を取り直して、テイクスリー。


 アレク王子の百年後に現れた南の隣国のユアン王子は、アレク王子ほどの美男子ではなかったけれども、清潔感のある感じの良い人だった。


 きざっぽいことを言ってくるわけでもないし、城に至るまでの道のりがどれほど大変だったかという自慢話もしてこない。今度こそ、三度目の正直かと思われたが――


(うーん、また、会話が途切れちゃったなぁ……。この人、ちょっと無口すぎる。会話は、男がリードするものじゃないの?)


 ――その口数の少ないところが、姫の気には召さなかった。


 彼女は手慣れた様子で立ち上がると、呆然としているユアン王子を取り残して、なんの躊躇いもなく錘に手を突き刺した。



 そうして迎えた、テイクフォー。

 

 ユアン王子の百年後に現れた北の国のデリ王子は、アレク王子に引けを取らない身目麗しさだった。

  

 見た目が良いばかりではなく、会話も上手く、ぽんぽんと話が弾んだ。気の利いた冗談を言うユーモラスさを兼ね備えていながらも、ティム王子やアレク王子のように、決して余計なことは口にしない。口だけではなく、気遣いもエスコートも完璧で、正に、姫が夢に見ていた理想の王子に思われた。


 だが、しかし。


(うーん……ここまで完璧だと、女の子が放っておかなさそう。夫にするには、少しぐらい欠点があったほうが、安心だわ)

 

 彼女は、正に女性の理想を具現化したような王子様の脇を通り抜けると、錘に手を突き刺し、再び城と共に眠りについた。



 そんなことを繰り返し続けている内に、最初に姫が眠りについてから三千年もの時が経った。


 それでも、彼女は未だに、運命の王子様に出逢えていない。

 

(私には、もっともっとふさわしい人がいるはずよ)


 姫は三十人目の王子に背を向けると、昔よりも更に人の粗を探すのが上手くなったことに自分では気づかないまま、理想の王子を夢見て、再び錘にその手を刺した。

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眠り続ける森の美女 久里 @mikanmomo1123

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