【電源車】虚構の国(その6)~「夏のミラージュ」(1)
【15】
8月11日 火曜日 晴れ
結ヶ咲駅 7・8番線ホームの上り方面(坂ノ浦港行き)寄りに据え付けられた20人掛けのベンチ。白川ゆり子さんと最後に別れた場所はここであった。と言いつつも、今からわずか3~4週間ほど前のことなのだが。
5月の連休明けから7月の夏休み期間に入るまで、もやし君は毎週土曜日には彼女と会合していたのであった。その期間わずか約2ヶ月ほどであったが、これほど充実した時間を過ごしたことは、彼の人生にとってはずいぶんと久しぶりなことのように思われた。しかしながら、そんな蜜月も束の間、今となっては、それらの日々はあたかもすでに遠く過ぎ去った遠い日の夢のように思われたのだった。
……日常の生活に芸術味を加えて生存の楽しさを深くせよ
――永井荷風『妾宅』より 「荷風 随筆集(下)」(岩波文庫)――
もやし君はそのベンチの片隅に腰掛け、岩波文庫の「荷風 随筆集(下)」を眺めるようにして読んでいた。彼は永井荷風の随筆の愛読者で、というのも荷風先生の文章からは己の人生観や生き方について有益な知恵を授けてくれたり擁護してくれそうな記述を何度となく拾うことができたのだった。また作文する時には良いお手本にもなるので、もやし君は永井荷風先生を私淑の師の一人として、あるいは人生の偉大なる教師の一人として、多大なる感謝と敬意の念を抱いていた。
……然れども幸か不幸か、余はなほ…(中略)…清貧と安逸と
――『浮世絵の鑑賞』より――
荷風先生はこんなことも語っておられたのであるが、しかしながら先生は老齢に到った頃には日本政府から文化勲章まで授かった大変に偉いお方なのであった。
それはさておき、結ヶ咲駅の 7・8番線ホームの方に話を戻すと、現在の時刻は朝の7時半を回った頃で、プラットホームには通勤客や中学や高校の部活関係だと思われる少年少女たちのほか、一見して旅行客と分かるような恰好の人たちなど、さまざまな人々の雑踏によってそれなりの賑わいとなっている。7番線と8番線の双方の乗り場には白や黄色の線や案内表記によって明示された号車案内があって、各車両の乗車口付近には待ち行列が形成されていた。ぱっと見た感じでは、どちらかというと旅行客の割合が高そうだ。そろそろ盆休み期間にもなるので、ここには帰省の途中にあるお客さんも少なからずいることだろう。ちなみに7番線のりばは主にK本線の方からやって来て当駅でスイッチバックしてN本線へと向かう長距離を走る特急列車のために使用されていて、8番線のりばは主に坂ノ浦港行きの電車用に充てられている。
念のため、結ヶ咲駅の路線系統についてここに記しておくと、当駅はK本線とN本線の分岐駅となっている。さらにK本線の下り方面では数駅先でC本線が分岐して、上り方面では隣の坂ノ浦駅でS本線が、一方では、N本線の下り方面の3駅先でH線が分岐して、それらの各方面の列車が結ヶ咲駅へと乗り入れてくる。それに加えて当駅は新幹線の停車駅でもあって、JRの路線のほかにも市内線となる都市モノレールの駅まで設置されているという、結ヶ咲駅はそれなりに規模のあるターミナル駅となっているのであった。
N本線の駅が始発という関係から7時30分発の坂ノ浦行きは4番線のりばから出て行った。次の坂ノ浦港行きは7時44分発となる。これは始発の駅がK本線の電車で8番線のりばに発着することになっている。もやし君はこの電車に乗車するつもりだ。
ここで話は変わるけれど、一昨日、昨日は終日ぐずついた曇天だった。さらに午後になると激しい夕立に見舞われたりもして「約束の日となる明日の天気はどうなるものやら……。」と懸念されたのであったが、夜になってから本日の未明までには天気は回復してくれたらしく、そして朝日が昇ってからに到っては、盛夏の候と冠たるにふさわしい紺碧の晴天となった。
もやし君は額に手をかざして、ホームの縁側から真夏の光線で
「この晴天が今日一日もってくれますように!」
7時44分発 坂ノ浦港行きの電車に乗車すると目的地の坂ノ浦港には7時59分に到着することになっている。これでは約束の時間よりも1時間早く現地に到着することになるのだが、しかし、もやし君にとってはこれでいいのだ。
この電車は2両編成と短いものだった。坂ノ浦港行きの電車は4両から8両編成である場合が通常ではあるものの、始発駅と経由する線によっては2両というパターンもあるらしい。C本線とH線方面に乗り入れる列車がそれに該当し、ちなみにH線については非電化路線のため電車ではなく気動車が活躍していた。H線方面からやって来る列車はすべて当駅止まりとなっており、こっちは1・2番線のホームに発着しているようだ。
さて、2両の短い編成の電車が8番線のりばの真ん中あたりの位置に到着すると、ロングシートの座席はほぼ埋まったものの立席が出るほどでもないくらいの混み具合となった。ぱっと見た感じでは、旅行客もそれなりに乗車している様子だ。
結ヶ咲駅から坂ノ浦港駅までは電車で15分、距離にして11㎞ほどの道程となる。この区間の途中駅は坂ノ浦駅のみで、結ヶ咲と坂ノ浦港の両駅からそれぞれ5.5㎞の地点にあった。
ところで、坂ノ浦地区は靴の先のような半島の地形をなしていて、その大半は標高200~500mくらいの小高い山地で占められている。平野部は半島の周縁部に沿って山麓から海岸線に至る100~300mの間にかけて形成されている。結ヶ咲地区の市街地は数キロ四方のまとまった平野部を同心円状に広がっているのに対し、坂ノ浦地区の市街地は半島の山麓から海岸線までの間に堆積した平地に沿って縦長状に発達しているのであった。
結ヶ咲駅を出発した電車は間もなくすると市街地の中心部を後にしながら、複線化されている線路はやがて上り線と下り線とが大きく分かれることとなって、電車が進行するにつれ下り線はだんだんと右手の方へと離れていった。彼がいま乗車している車両の右側の車窓には半島の脊柱をなす小山の連峰が続く。虹ヶ丘公園にあった中央図書館のカフェの外壁窓から遠くに見渡せたあの小高い緑の山々はここでいよいよ接近して臨むかたちとなってくる。また左側の車窓の方に目をやると、そこには海岸線に沿った国道と並行して、気持ちよく晴れた海峡の景色を眺めることができた。
それ以外にも、この区間の車窓は何かと変化に富んでおり、殊に鉄道ファンにとってはなかなか見応えのある興趣あふれる景色を提供してくれるものと思われる。結ヶ咲駅から坂ノ浦駅へと至る5.5㎞までの間は上り線と下り線とが大きく乖離することになるのだが、それら両線の間にまたがって出来た敷地には、国鉄時代に営業していた貨物駅の廃駅(旧東結ヶ咲駅)、JR貨物の所属となるコンテナターミナル駅、さらに同社に所属の坂ノ浦機関区など、比較的規模の大きな鉄道関連の施設が次々と現れてきては、車窓からこれらの様子を窺い知ることができた。
赤や銀色など幾種類かの機関車が配置されている広い機関区を通り過ぎたあたりで上り線は下り線と再び合流する形になった。そして間もなくすると電車は坂ノ浦駅に到着。当駅は3面6線のホームを構えた、そこそこ大きい感じのする駅だ。当駅では少数の地元民らしき客が乗降した。
ここから坂ノ浦港駅までの区間になると線路はさらに海岸線に接近しては海沿いの国道と並走することになる。この路線に沿った海を数百メートルほど隔てた彼方には陸地を望むことができる。このあたりの地勢は海峡をなしており、対岸にある陸地には中都市の人口に相当しそうな市街地の景観が広がっている。
海峡の対岸に発達したこの街は隣県のS市であり、人口25万人を擁する貿易都市・港町だ。漁業や水産加工なども盛んで、その他にも造船業がこの街の地場産業として挙げられる。歴史的に概観すれば、「ここは海運とともに発展してきた街なのだ」と言うことができるだろう。そして、坂ノ浦駅ではS市方面への路線が分岐していて、S駅とは海底トンネルによって結ばれているのであった。
ここでひとつ付け加えておくと、この海底トンネルは1942年(昭和17年)に開通したもので、それまでは坂ノ浦駅はもともとD駅と呼ばれ、今の坂ノ浦港駅が坂ノ浦駅と称していたという。
さて、坂ノ浦駅を発車したあたりから電車は海沿いの埋立地に造られたような国道と並走し、左側の車窓の方に目をやると、青空の下、空色の水面にさざ波の微かに揺れる海峡には中型の貨物船や小型の漁船らしき船舶が往来していた。さらにここから数百メートルほど隔てた対岸に臨むS市の港湾施設や街並みの織りなす景観を興味深く眺めやるうちに、やがて電車は速度を落として行きながらゆっくりと坂ノ浦港駅のプラットホームへと滑り込むのだった。
坂ノ浦港駅構内のホームは2面4線あって頭端式のスタイルをとっている。列車が駅に到着して後方の車両から降車するほど、それだけ改札口までの距離が遠くなる、といった構造になっている。利便性の面では近代的とは言えないものの、しかしこれがまた終着駅(あるいは出発駅)にふさわしい、旅のロマンをかき立てるような風情のある
ここに来て気が付いたのだが、おそらく坂ノ浦駅を発車したあたりから観光はすでに始まっていたのであろう。もやし君がここで興味深く眺めてきた風景も現地の人たちからすれば見慣れた日常の景色ということになるのであろうが、しかし現地で暮らしている人々においても長い間にわたって遠くの地へ離れるみたいなことになれば、それは郷愁を誘う情景となって心の中に現われてくるかもしれない。上京して行った未来のゆり子さんの場合は果たしてどうだろうか?――もやし君はそんなことを想像してみるのだった。
2両編成の電車から降車した人々は改札口と駅舎のある方へと、100mはあるだろうか、ぞろぞろと歩いて行き、また一部の人たちはホームに残って記念撮影したり、またある人たちは一眼レフのカメラやスマホで駅構内の様子を撮影していた。この電車に乗車していた観光客の中には鉄道ファンと思しき人種もまた少なからず含まれているようだ。
ホームを歩きながら駅構内や駅舎の方を見回していると、ホームを覆う屋根や支柱は国鉄時代から変わっていなさそうな旧態依然な形状で、それらの様子からしてすでにレトロな情緒が
「おお、これはたまらん! さっそく駅の構内を探検しないと!」
頭端式ホームの根元の部分へとたどり着いて改札口を抜けると、やや広めの通路らしきエリアを横切ってから駅舎の中へと入って行く。駅舎のコンコースを通り抜けて坂ノ浦港駅の中央口となる場所までやって来た。まずは、この場に立って駅前の様子について見渡すことにしてみよう。
駅の玄関口に立って周囲を概観したところによれば、駅前はまず石畳の敷き詰められた広い広場になっていて、敷地の中央部には噴水の機能が備えられているようだ。横長の長方形をした四角い広場の周縁部にはベンチが適度に配置されている。
次に駅前広場の右手に目をやると、6階建ての象牙色の外壁が煤けた戦前から建っていそうな古風な感じのするビルディングが
一方、広場の先方には4車線ある歩道付きの幹線道路が横方向に走り、道路を渡った場所には、これも戦前から存在していそうな4階建てのビルディングの無骨にして奥床しそうな姿があって、その右隣の敷地と言えば、これがまた庭園付きの西洋風の邸宅らしき物件となっている。こちらは3階建ての木造建築らしく、ドイツやフランスなどのヨーロッパの歴史的な街並みに出てきそうな建築様式のように思える。
駅前広場の左手側はまた4車線ある歩道付きの車道が縦方向に走っていて、四角い広場の左先の頂点にあたる箇所は横方向に走る道路と合流してT字路となっていた。縦筋に走る道路の向側となるエリアでは道路沿いに飲食店が軒を連ねており、いわば片側町のような景観を形成している。飲食店が立ち並ぶさらに向こう側は岸壁エリアとなっていて、駅前広場からすでに海峡の景色を垣間見ることができるのだった。
また坂ノ浦と海峡の対岸にあるS市の間は海底トンネルで連絡しているだけでなく、鼠色をした大きな吊橋も架けられている。駅前広場から海峡の景色の方へと視線をやると、両岸の土地を地上から結んでいるこの吊り橋までもが眺望できた。
駅の中央口からはざっと以上のような景色が概観できるのであった。さて、ここで駅前広場の噴水についての話になるのだが、見たところこの噴水の設備はそこそこ現代的な種類のものと思われる。ここには古典的な噴水広場に見られるような溢れる水を湛える意匠を凝らした構築物などは設置されておらず、地面に直接噴水孔が同心円状に何重かにして張り巡らされていて、噴射した水は噴水の中心に設けられた排水溝へとそのまま流れていく仕組みになっているようだ。また古典的な噴水は水が絶え間なく流れ出ているのに対して、こちらは噴水をさせるか否かを任意に操作することが可能と見て取れる。噴水孔をフルで稼働させればシャンデリアのような華やかな線形を描くことができ、
この広場に設置された噴水はこうした特長を備えており、ちなみにこの駅前広場は「噴水広場」の名称で観光客や市民に広く親しまれているのであった。
今は8時を回った頃で、噴水広場は噴水しておらず、ただの駅前広場となった状態だった。噴水になっている時間は予めプログラムされているのかもしれない。すでに広場では駅舎を背景にして記念撮影をする旅行者らしき姿が若干名ほど見受けられるものの、観光を楽しむにはまだ早い時間帯のためか、駅前は人影もまばらで車道を行き交う車の数も少なく、一帯は比較的にのどかな夏の朝の光景となっていた。
ここから噴水広場の車道側まで歩いて、 こんどは噴水広場を前景に駅舎を正面に見た外観(ファサード)を眺めてみる。
建物の中央部が2階建て・左右の両翼の部分が平屋建てとなっている左右対称をなした西洋風のクラシカルな建築物で、傾斜した屋根には出窓も設けられている。これは「ドーマー窓」と呼ばれるもので、2階建て中央部の屋根に2ヶ所、平屋建て部分の両翼それぞれの屋根に1ヶ所ずつ配置されている。また中央部の屋根の真ん中には2つのドーマー窓の間の下方に位置する形で12進表記の丸時計が設置されていた。
ファサード(正面外観)の全体像を眺め渡した印象については、クリーム色の外壁に深緑色の屋根を冠した
ここで、この建築をさらに特徴づけて、また威厳と風格のある建築物へと演出しているのは、それはきっと2階建てとなった建物中央部の左右両端に配した塔のようにも見える部分によるものだろう。その左右の各々に
ちなみに1階から2階までを連ねて
次は駅舎の中央口の方へと戻って、そこから駅舎の内部や駅構内について見て回ることにしよう。
中央口から駅舎の中へと入って行く。この場を行き交う客はまだ少ない。天井が高く心地のよい空間。コンコースの右側には手前からスターバックスコーヒーの店舗、その隣にオブジェと化したような謎の窓口が並ぶ。復原当時の駅舎1階の部屋割ではスタバはかつての「三等待合室」であり、謎の窓口は「小荷物取扱室」の窓口となっていたようだ。部屋の出入口や窓口の傍らには美術館や博物館などで見受けられそうな案内板が設置されていて、その旨の説明が書かれてあった。
続いてコンコースの左側は手前からまず、みどりの窓口(有人のきっぷ売り場)と観光案内所に使用されている大部屋があって、中に入ると、奥の壁際には金縁の装飾を施した楕円形の大鏡が掛けられ、見ると暖炉らしきものまで設置されていた。その部屋を出た隣には、今度は古風な感じのするきっぷ売り場の窓口がコンコースに斜め向きに張り出した形で3つほど並んでいるが、現在使われているような気配はなく、これらはオブジェと化していた。さらにその隣に進むと現役の自動券売機が2台並んでいた。例の案内板によると、先述の大部屋は復原当時の部屋割では「一・二等待合室」として使用されていたという。戦後になってからは、駅舎の2階にあったレストランが1981年(昭和56年)の閉店になるまでの間ここで営業していた、といったことも書かれてあった。
先ほど素通りしてきた経路について今は丹念に見て回っているところだ。駅舎1階の内部を見学してから改札口側の出入口へとたどり着く。改札口は駅舎から外に出た場所に位置しており、双方を連絡する敷地は道幅の広い自由通路となっている。この通路は駅舎側から庇のように張り出した天窓付きの屋根に覆われていて明るく開放的であった。またこの屋根は、緑色に塗装された金属製の支柱によって組織された骨組みの上に載せられた形になっていて、どこか構造的で重厚な感じがしなくもない。
ここから自由通路をまずは左側の方向へと進んでみることにする。
駅舎の改札口側の出入口を左側に出てからすぐの位置に、この建物の2階へと行くことのできる出入口が設けられてあるのだが、ここは終日開放というわけではなく、その両開き式になっているニス塗りの濃厚な茶色に金色のドアノブが据えられた扉はまだ閉じられていた。扉の横の案内板によると、2階の利用時間は9:30~21:00とのことであった。ここは後ほどユリちゃんと一緒に見て回ることにしよう。
駅舎の2階入口の玄関の向側はコンビニの店舗が営業しており、出入する客の姿はまばらではあるが、それは時間帯によるものだろう。コンビニ店舗の右隣は改札口となっていて、左隣は「旧洗面所」と案内のある建造物があった。かつての坂ノ浦港駅の構内には男女別になった立派な洗面所の棟が存在していたらしく、今はその一部がここに保存されているのであった。一部が保存されることになった洗面所はオブジェ化されることもなく通常の洗面所としての機能を備えてはいるものの、ここを見学する人はいても実際に利用する人というのは果たしてどれくらいいるのだろう? 素朴な疑問ではあるが、それはそうと昭和の頃の国鉄駅にはその規模に応じてそれなりの洗面所が設置されていたものだ。それもいつの間にか次々と姿を消していった。そういった事情を踏まえると、坂ノ浦港駅の場合は「現役の洗面所が今も現存する稀有な駅」と意外な方向へと議論が展開できて面白いかもしれない。ちなみに、旧洗面所のさらに左隣は現代的な多目的トイレとなっていた。
一方、駅舎側については、駅舎の2階入口玄関の左隣は駅長室となっていて、駅舎の建物が尽きた向側には便所の棟が建てられている。男性用と女性用と入口が分かれる手前の場所には「幸運の手水鉢」という設備が据えられており、というかオブジェが展示されてあった。神社で参拝する際に利用する手水鉢のように現役の手水鉢として機能していないわけではないものの、実際には願掛けのお賽銭箱のようにして崇められているようだ。流れる湧水に満たされた鉢の底には1円、5円、10円の小銭が敷き詰められたようになって沈んでいた。案内板によれば、この金属製の鉢は大正3年に建設された当時のもので現在も鋳造時のままの形で残っていて、戦時中に貴金属供出をまぬがれることができたのが名称の由来になっている、ということである。この逸話を人をして喩えたなら、戦争のさなかにあって徴兵をまぬがれることができた、といった解釈になるのだろうか。
駅舎の改札口側にある出入口から自由通路を左側に進んで行ってから駅本屋と離れになった便所の棟までやって来たところで通路は駅構内の外に出て路線バスの停留所やタクシー乗降場となっているロータリーへと連絡するのだった。次はいま来た通路を引き返して、残りの右側半分のエリアを見て回ることにした。
先に触れた「小荷物取扱室」の窓口のオブジェの裏側は駅の待合室になっていて、この場所は自由通路から出入りすることになる。もやし君はここで「当時の小荷物取扱室はざっとこれくらいの広さがあったのか!?」とか考えたりしてみては、ささやかな驚きを覚えたりもした。
部屋の内部は木製のベンチが並ぶ何の変哲もない待合室ではあるが、スタバの店舗すなわち「旧三等待合室」に隣接した側の壁面には畳1畳分をひと回り大きくしたくらいのサイズはありそうな横長な長方形のパネルが掲示されてある。ここには当駅の沿革について明治・大正・昭和・平成の各年号に分けた形で記述されていた。表は縦方向に5列に分割されていて、そのうちの2列を昭和の時代が占めていた。またそれぞれの年号に該当する年表となる各列のトップ部には当時の駅舎の姿を示した写真の印刷物が飾られてある。
年表によれば、現在の駅舎は1914年(大正3年)に竣工したもので2代目となるらしい。坂ノ浦駅は1891年(明治24年)に開業したのであるが、初代駅舎はここから200mほど東側に離れた場所に開設されたという。見出しの印刷画像によれば、明治時代の駅舎は木造平屋建、切妻造、瓦葺といった割合に量産型な建築となっていたようだ。また昭和と平成の各時代には駅舎正面の1階部分に大きな
ところで、この駅舎については、建築家や歴史家のみならず鉄道マニアも早くからその文化財的価値を認識していたことだろう。これも年表によれば、この建築物は1988年(昭和63年)に国の重要文化財の指定を受けたとのこと。日本の鉄道の駅では初めての出来事だったらしい。
待合室内に掲示されてあったパネルの年表から坂ノ浦港駅の歴史に関する大まかな情報を得ることができた。とはいえ、まともに目を通したら、これだけで小一時間は過ごせただろう。
駅の構内をここまで歩いてみて思ったのだが、当駅の随所に見られるレトロな意匠とは裏腹に、この建築物の全体を構成している材料はそれほど年季を経ているとは思えないくらいに小奇麗なようにも思える。復原リニューアルオープンからまだ5年も経っていないということなので、どこか築浅な物件のようにも感じられる。特にこの待合室はそうした印象が強いように思われた。
待合室とつながっている隣の部屋はギャラリーとして使用されているようだ。ここに立ち寄る前に、先に自由通路のこちらの端の様子について見て回ることにする。
通路が行き着く先にはかつて存在した「連絡船のりば」へと至る地下通路の遺構となっていたが、階段を数段ほど降りて行った先にあるトンネルの入口はブロック塀で完全に封鎖されており、その壁面は往年の連絡船の写真が印刷された大きなパネルによって覆い隠されていた。
また地下通路へと入る手前の外壁はかなり年季の入ったコンクリート製のぶ厚い壁となっていて、左側の壁面には郵便ポストの投函口を拡げたような横長な穴が奥の方へと貫通して
自由通路は駅舎の端側に沿った方向に曲がると駅前広場へと抜けられるようになっている。その一隅に鉄骨で組まれた支柱がほんの一部分ではあるが保存されていた。これは先ほど待合室に掲げてあった年表で見た、昭和から平成の時代にかけて存在していたという、駅舎の正面に設置されたあの大きな庇の遺構で、「旧正面上家」と題された説明文が添付されてあった。「上家」と書いて「ひさし」と読むのだそうだ。
リベット打ちで組まれた鉄骨が無骨にして美しく、重厚長大な昭和ストラクチャーの造形美を今に伝える緑色の鉄柱なのであった。
待ち合わせの時間までまだ15分くらいはある。ギャラリーに使われている部屋をざっと見ていくことにしよう。ここは駅舎の端に増築したような建物で、元々は倉庫だったらしい。この小部屋に関する文献的な説明は特になさそうだ。
ギャラリーの室内は当駅に係る歴史的な資料が常設展示されているほか、不定期で絵画や写真等のパネル展示が特設されることもあるようだ。この時は特設の展示会は行われておらず、全体的にがらんとしていて、室内は
展示された資料の内容については、駅本屋の設計図や設計概要が記載された文書、駅構内の平面図、文化財調査の際に記録されたフィールドノート(野帳)、復原改修工事の過程で拾得された出土品などの種類があった。また本駅舎の精巧なミニチュア模型も透明なケースに収められて展示されていた。正面上家が設置されていた時代の姿が再現されていて、これには思わず見惚れてしまった。
さて、ここでもやし君の個人的な趣味の話になって恐縮なのだが、この部屋に展示された資料のうち特に関心を惹いたのは次の3点であった。
①「坂之浦停車場本家{其他}新築設計圖」 (注:圖=図)
②「新築 坂之浦停車場設計概要」
③「坂之浦駅 構内平面圖」
しかしながら、今はこれらの図面や文書の内容をじっくりと鑑賞しているような暇はもはやなかった。なぜなら、ユリちゃんと約束を交わした本日の待ち合わせの時刻がいよいよ到来しようとしているのだ! もやし君はこの時が再び来るのをどんなに待ちわびたことだろう。
「よし、これらはひとまず彼女と会ってからの、それからの話だ。」
もやし君はそのような判断を下すとギャラリーの部屋から退出した。そして改札口の方に目をやった。そこには懐かしくも愛おしい、美しくも可愛らしい姿を見つけることができた。
【習作】もやし君の HAPPY PARTY TRAIN そのだきりん @marronkun
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