【10号車】虚構の国(その5)~「完璧世界の思想」

【14】


 7月25日(土) 晴れ

 

 梅雨が明けてからは連日快晴で暑い日が続いた。今年の夏はこの時点ではまだ猛暑というほどでもなく、うだるほどでもなく、また特に蒸し暑いというわけでもなく、からりと晴れて比較的に穏やかな暑さであった。

 この日、もやし君は午後になってから虹が丘公園にやってきた。昼下がりの図書館裏の緑地には、夏の日差しが強く照り付けてはいたが、木陰に避難すればそれなりに暑さをしのぐことはできたし、風が吹けば涼しさを感じることもできた。とはいえ、普通に暑いので広場には行楽で憩う人たちの姿などはなく、遊歩道に散歩の親子連れやその他数名の姿が見られるのみだった。晴天の眩しい陽光のもとで木々の緑はより色濃さを増したかのように鮮やかに映って、そこに夏の色調を感じることができた。人気の少ない静かな公園には蝉の大合唱がよく鳴り響いた。ベンチに腰掛けている人は一人もいない。もやし君はこの場所までやって来ると、次にいったん館内の自習室のほうを覗いてみてから、そしてカフェの方へと足を運んだ。


 昼食はまだだったので、レジカウンターでトマトのサンドイッチとアイスコーヒーのLサイズを注文した。その時レジで応対した店員は物腰が柔らかくて好感の持てる中年の女性で、彼女はもやし君にこう話しかけたのだった。 

「あら、あの可愛らしいお嬢ちゃんは? 今日はお一人なんですか?」

「はい。あの子は、ああ見えて実は高校3年生で、夏休みに入ってから本格的に受験勉強に入ったんですよ。しばらくの間は、ここにも来れそうにないでしょう。」

「あら、それは大変ですね。お嬢ちゃんが無事に合格されるといいですね。」

「ありがとうございます。あの子に伝えておきます。励みになるでしょう。」


 公園のベンチはともかく、自習室にもカフェにも、しらゆりちゃんが先週に予告したとおり、すでに彼女の姿はどこにも見当たらなかった。


 夏季の学休期間に入ると、図書館には子どもたちの姿がひときわ目立つようになった。土曜日だとなおさらかもしれない。カフェに来店する客層については、中高年層や家族連れが割合に多いのが特徴的であったが、この期間になると中高生の友達同士などの姿も増えたようだ。先週までもやし君としらゆりちゃんが談話に興じていた窓ぎわにある丸テーブルの席は、今日は親子連れの先客が座っていて家族団らんの場となっていた。店内は特に混雑している様子でもない。久しぶりに「ぼっち」に戻ってしまったもやし君は、丸テーブル席と窓越しの景色まで一望できる二人掛けの四角いテーブル席に身を置くことにした。

 

「つい先週まで、僕たちはあの窓際の席で二人向き合って談話していたんだ。……」

 そう思うと、もやし君は何だか妙に寂しい気持ちになった。


「さみしくなったら電話していいよ」――あの時、あの席でしらゆりちゃんはもやし君にそのように言ったのだが、彼は彼女に配慮するつもりで、また元来、彼は電話というものについて、かけるのも取るのもあまり好んでやりたがらない性格でもあったので、結局この一週間、彼女に電話をかけるということはなかった。ショートメールを送信するようなこともなかった。一方、彼女から連絡をよこしてくるようなことも特になかった。

 もし、もやし君が現在のようなおっさんの年齢ではなく、もっと若い身空であったなら、しらゆりちゃんとあの日にホームで別れた数時間後には「君の声が聞きたくて居ても立っても居られなくて……」などと言って、そこで電話していたに違いない。もし仮に彼女と恋仲の関係にあった場合だったとしたら、きっと彼女の方からもそうしただろう。しかし今のもやし君は、ひねこびた抑制を利かせることもできる大人となって、しらゆりちゃんとの間柄についても、二人は要は芸術系のサロンのメンバー同士といったところで、毎週土曜日の例会で顔を合わせる時以外の時間は、それぞれお互いの世界に生きていたのだった。

 もやし君は今日はひとりカフェで涼みながら、彼女が不在のさみしさを紛らわすかのように、先週のしらゆりちゃんとの授業について思い返してみた。


 そう言えばあの時、ブッセの詩「山のあなた」は、もやし君の人生遍歴のプロセスにそのまま当てはまってしまったので、そこでもやし君は驚きを隠さずにはいられなかったのだった。彼は自身の人生の遍歴について時系列的な段階を設けて、それぞれに区切ってみることを思いついた。


【第1の段階】

「世俗的な幸福」に対して素朴な憧れを抱いていた頃。


【第2の段階】

 社会人になってから、全く予想すらしていなかった想定外の深刻な孤独感と空虚感にさいなまれ続けた結果、「人生に絶望して潰れてしまった人」になった。


【第3の段階】

 彼の内面からの必然性によって、彼の内に在りながらも彼のものではないような、何やら得体の知れない不思議な力に導かれるようにして、彼の独自研究となる「ニヒリズム研究」が開始された。


【第4の段階】

「ニヒリズム研究」はやがて「イデアと実存の探求」と発展していき、「心の旅」を続けている途上で偶然、この「虚構の国」を発見した。


 もやし君はここでふと、まだ彼が「ニヒリズム研究」の徒であった過去の頃に学ぶこととなった、ニーチェ、キルケゴール、ヤスパースの三名の哲学者がそれぞれ主張した三つの哲学的な概念について思い出したのだった。


(1)「精神の三変化」

 ニーチェ(1844~1900)は彼の代表作『ツァラトゥストラ』の中で、人間の精神は  「駱駝」から「獅子」へ、そして「赤子」の境地へと変化するのだと説いた。

 もやし君は過去に『ツァラトゥストラ』の本文からその要点となる個所を抜粋してノートに記していた。


(2)「実存の三段階」

 この主張はキルケゴール(1813~1855)によって説かれたもので、人間の実存は  「美的実存」から「倫理的実存」へ、そして「宗教的実存」に至るのだという。

 もやし君はキルケゴールの著書については『死に至る病』を読んだだけで、「実存の三段階」が彼のどの作品で登場するのかは知らなかった。ただし西洋哲学の入門書や解説書などでキルケゴールの人物と思想について紹介した時には必ずといっていいほど言及される概念となっている。もやし君はこれについて、白取春彦『この一冊で「哲学」がわかる!』(三笠書房)にある記述をノートに写していた。


(3)ヤスパース:「限界状況」

 これはヤスパース(1883~1969)の実存哲学における最も重要な概念の一つで、『実存解明』の中で語られている。

 もやし君の頭脳でこの難解な著書を読みこなすのは到底不可能なことだったので、

これについてはウィキペディアにある記述を参考にした。


 これらの三つの哲学的な主張の概要については、それぞれ次のとおりであった。


       (1)ニーチェの「精神の三様の変化」について

 ……わたしは君たちに精神の三様の変化について語ろう。すなわち、どのようにして精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、獅子が小児となるかについて述べよう。


 ……畏敬を宿している、強力で、重荷に堪える精神は、数多くの重いものに遭遇する。そしてこの強靭な精神は、重いもの、最も重いものを要求する。

 何が重くて、担うのに骨が折れるか、それをこの重荷に堪える精神はたずねる。そして駱駝のようにひざまずいて、十分に重荷を積まれることを望む。

 最も重いものは何か、英雄たちよ、と、この重荷に堪える精神はたずねる。わたしはそれを自分の身に担って、わたしの強さを喜びたいのだ。


                (中略)

 ……すべてこれらの最も重いことを、重荷に堪える精神は、重荷を負って砂漠へと急ぐ駱駝のように、おのれの身に担う。そうしてかれはかれの砂漠へ急ぐ。

 しかし、孤独の極みの砂漠のなかで、第二の変化が起こる。そのとき精神は獅子となる。精神は自由をわがものにしようとし、自分自身が選んだ砂漠の主になろうとする。

 その砂漠でかれはかれを最後に支配した者を呼び出す。かれはその最後の支配者、かれの神の敵となろうとする。勝利を得ようと、かれはこの巨大な龍と角逐する。

 精神がもはや主と認めず神と呼ぼうとしない巨大な龍とは、何であろうか。「汝なすべし」それがその巨大な龍の名である。しかし獅子の精神は言う、「われ欲す」と。

「汝なすべし」が、その精神の行く手をさえぎっている。金色にきらめく有鱗動物であって、その一枚一枚の鱗に、「汝なすべし」が金色に輝いている。

 千年にわたったもろもろの価値が、それらの鱗に輝いている。それゆえ、あらゆる龍のうちの最も強力なこの龍は言う。「諸事物のあらゆる価値――それはわたしの身に輝いている」と。

「いっさいの価値はすでに創られた。そして創られたいっさいの価値――それはわたしである。まことに、『われ欲す』は、あってはならない」そう龍は言う。


 ……わたしの兄弟たちよ。何のために精神の獅子が必要になるのか。なぜ重荷を担う、諦念と畏敬の念にみちた駱駝では不十分なのか。

 新しい諸価値を創造すること――それはまだ獅子にもできない。しかし新しい創造を目ざして自由をわがものにすること――これは獅子の力でなければできないのだ。

 自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと、わたしの兄弟たちよ、そのためには、獅子が必要なのだ。

 新しい諸価値を立てる権利をみずからのために獲得すること――これは重荷に堪える敬虔な精神にとっては身の毛もよだつ行為である。まことに、それはかれにとっては強奪であり、強奪を常とする猛獣の行うことである。

 精神はかつて、「汝なすべし」を、自分の奉ずる最も神聖なものとして愛していた。いまかれはこの最も神聖なもののなかにも、迷妄と恣意を見いださざるをえない。そして自分が愛していたものからの自由を強奪しなければならない。この強奪のために獅子を必要とするのだ。


 ……しかし思え、わたしの兄弟たちよ。獅子さえ行うことができなかったのに、小児の身で行うことができるものがある。それは何であろう。なぜ強奪する獅子が、さらに小児にならなければならないのだろう。

 小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、始原の運動、「然り」という聖なる発語である。

 そうだ、わたしの兄弟たちよ。創造という遊戯のためには、「然り」という聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。世界を離れて、おのれの世界を獲得する。

 

 ……精神の三様の変化をわたしは君たちに述べた。どのようにして精神が駱駝になり、駱駝が獅子になり、獅子が小児になったかを述べた。

    

    ――ニーチェ 手塚富雄 訳『ツァラトゥストラ』(中央公論新社)より――


 (既存の伝統的な諸価値に対して)従順な「駱駝」の精神は、やがてそれに反抗する「獅子」となり、獅子の過程を経たのち、新たな価値の創造者としての「小児」へと変化していくという、この一連の流れは、古典文献学の学者から在野の哲学者へと転向したニーチェ自身の生涯の遍歴を言い表したようにも思われる。彼は28歳の時に『悲劇の誕生』を発表したものの、このために彼は古典文献学の学会を破門になって、そしてそれが「哲学者ニーチェ」の始まりとなった。

 キルケゴールは19世紀の前半に当時のキリスト教の国教会を徹底的に批判した、その方面での有名人だったと言われている。時系列的にみると、19世紀の後半では今度はニーチェがその役を受け継いだような形になっている。ニーチェは国の教会と対立することはなかったものの、自ら反キリスト者を標榜し、教義と教会を非難していた。たしか『ツァラトゥストラ』の内容というのは実は聖書のパロディなのだと、どこかで読んだことがある。

 また伝記によれば、ニーチェは44歳の時に発狂して55歳で没するまでの間、彼は廃人となって人生を過ごした。哲学者としてのニーチェの業績がそろそろ世にも認められ始めたのは、彼がすでに廃人として余生を送っている頃になってからのことだったという。

 

 さて、もやし君の人生遍歴の【第1の段階】は、ここでいう〈駱駝〉の頃に相当しそうだ。【第2の段階】はなるほど「孤独の極みの砂漠のなか」であり、【第3の段階】になって開始された「ニヒリズム研究」の精神は「自由をわがものにしようと」奮闘する〈獅子〉の精神と重なるところがある。その精神はやがて「イデアと実存の探求」へと発展していった。そこで【第4の段階】に入ることとなった。そしてこれは損得勘定にとらわれない〈小児〉の無垢な情熱を抜きにしてはとうてい到達できるような境地ではないだろう。


       (2)キルケゴールの「三つの実存段階」について

 ……そして、実存の自由を得ている人間がどのように「自己」に目覚めていくかということを、キルケゴールは三つの実存段階として呈示しています。


【美的実存の段階】

 行動や選択の理由が美や快楽になっている段階。

 いわゆる感覚的な生を生きているという状態です。美貌の異性に憧れるのはもちろん、有名になろうとする努力、より多くの金銭を得ようとする努力、物質的に豊かな生活を欲して条件に見合う異性と結婚しようとするのもこの段階です。

 一般にいわれている幸福を目指して努力精進すること、健康維持の追求さえ含まれます。(多くの商品は、人間のこの美的快楽の追求をいちじるしく刺激するものです。)

 しかし、望むことを手中にしたところで、待っているのは深い倦怠です。望むものを手にできない場合は激しい自己嫌悪に襲われます。その挫折感が深まり、絶望に達したときのみ、人間は次の実存段階に進む契機を与えられるのです。


【倫理的実存の段階】

 人間性の精神性に目覚め、倫理的に生きようとする段階。

 高い人格を持つためにこうなるべきであるとされている倫理的な人間像に自分を近づけていこうと行動する段階を指します。これが極まると、自分の無力さに突き当たります。あるいは、自己はほとんど倫理的な完全に近づいているという傲慢の罪に陥ります。

 人間としての限界と無力さに突き当たって絶望の淵に足を滑らせたとき、新しい段階へのステップが始まるのです。


【宗教的実存の段階】

 重なる絶望の果てに、自己を神にあずける段階。

 一般的な場合、自己否定によって、自己の罪を悔い改めます。そして自己の内部に神的存在を受け入れるのですが、両者の実存のギャップのために、自己は再びひどい罪悪感にさいなまれることになります。

 こうして、人間は自分とはあまりにも異質である神の実存を受け入れるようになります。罪ある自己が、神の清澄な実存の前に「単独者」として立たせられるのです。その足を支えるのは、理性を超えた不条理な「信仰」だけです。


※注)キリスト教で「罪」とは、人間が善悪や道徳を判断する「自由」を持っている

   ことを指す。

      

      ――白取春彦『この一冊で「哲学」がわかる!』(三笠書房)より――


 【美的実存の段階】は、もやし君の【第1の段階】にそのまま当てはまる。もやし君は「人間の精神性」には大いに関心を抱いたものの「倫理的に生きよう」とはそれほど考えることはなかったので、【倫理的実存の段階】については【第3の段階】の「ニヒリズム研究」に何か通じるものを感じるといったくらいだろう。しかし「人間としての限界と無力さに突き当たって」の記述には大いに通じ合うものがある。

 【宗教的実存の段階】というのは【美的実存の段階】と【倫理的実存の段階】との両者の弁証法によって到達可能な領域であって、もやし君の人生の【第4の段階】もこれと似たようなものである。たぶん。また、ここの記述――罪ある自己が、神の清澄な実存の前に「単独者」として立たせられるのです。――において、キルケゴールにとっての〈神〉はキリスト教の神のことを指している。もやし君は非キリスト教者ではあるが、彼がこのたび「神の前の単独者」となって体験されたことについては、それほど厳粛なものではなく、なんとも温雅な詩情にあふれたものであった。


 それはさておき、この白鳥先生の著書を初めて読んだ当時は、もやし君がまだ関西の大都市・K市に暮らして「ニヒリズム研究」の捕虜になっていた頃のことだった。K駅の地下街にあった某書店の店頭でこの本を偶然に見かけて、何となくそれを手に取って目次のところをパラパラとめくって見ていたら、「苦しみのどん底で真理の声を聴く」という小見出しが目に留まった。そこはヤスパースについて解説している章であった。もやし君はこの本を持って迷わずレジに直行した。この”出会い買い”は後年になって、もやし君の人生観に大きな影響を与えることになったヤスパースの実存哲学を知るための入口となった。


           (3)ヤスパース「限界状況」

 ……限界状況とは、具体的には、自分はいずれ死ななければならない(死)とか、思い悩むことから逃れられない(苦悩)とか、自分は闘わなければならない(闘争)とか、あるいは、意識的にも無意識的にも罪を犯すことから免れない(罪責、原罪)ということである。

 これらの状況は普通の状況と異なり、変化することがなく、意志や努力によって変えることのできない、人間存在にとって巨大な壁となって立ちふさがる状況であり、人はただそれに衝突し、挫折するほかない。それは時代や民族、あるいはどのような個人にとっても免れることのない点で普遍的である。


 ……限界状況の典型例が「自己の死」である。人は、それに突き当たることによって、各人がそれまで意識していた自己自身の存在に対する確実性の挫折を自覚させられる。

 ヤスパースによれば、人は普段は気晴らしなどにふけることによって、実はすでに前提として限界状況のうちにあるのだということを忘れてしまっているとしている。

 そして、壁に突き当たって挫折する経験は、人をして頼るべきもののない孤独と絶望とに突き落としてしまう。しかし、このように限界状況に直面したときにこそ「実存的まじわり」や「超越者との出会い」によって、人は実存に目覚めるのであると主張した。

                       ――出典:Wikipediaより――


 ヤスパースは彼の著書である『哲学入門』の中で、このようにも語っていた。


 ……人間が挫折をどのように経験するかということは、その人間を決定する要点であります。

                 (中略)

 ……人間が自己の挫折をどのように経験するかということが、その人間がいかなるものとなるかということを立証するのであります。


 ――ヤスパース 草薙正夫訳『哲学入門』(新潮文庫)「第二講 哲学の根源」――

 

 さて、もやし君が「ニヒリズム研究」すなわち「真理探求」の旅を開始した頃は、いわゆる「自分探し」というのがブームになっていたようにも思う。あれはたしか2000年代のことだったはずだ。その当時は「スピリチュアル」というのもブームになっていた。もやし君が「心の旅」と呼んだ真理探求の旅もまた「自己の探求」の要素を多分に含んだものだったが、彼はここで「メタフィジックス」(形而上学けいじじょうがく)の方向へと目覚めていった。そして彼が形而上学の訓練を実践することによって辿り着いた境地というのが、ありふれた絶望の果てに体験された「超越者との出会い」であり、そして「実存的交わり」を通じて紡ぎだされる「重たいものが底の方へと沈んでいった後の上澄み」のような世界なのであった。


 それからさらに、もやし君は小説『デミアン』の中で、デミアンがシンクレールに「意志の力と自己実現の可能性」のような内容を語った場面を思い出した。


 ……つまり人は自由な意志を持ってはいないんだ。牧師さんはそれを持ってるようにふるまってはいるけれど。ほかの人も自分の欲することを考えることはできない。ぼくにもぼくの欲することをほかの人に考えさせることはできない。しかし、だれかをよく観察することはできる。そうすると、その人が考えていることや感じていることを、かなり精確に言えることは珍しくない。そうすると、その人がつぎの瞬間になにをするだろうかということも、たいていあらかじめわかる。それはごく簡単なことだ。みんなが知らないだけだ。むろんそれには練習がいる。

 ……たとえば、チョウ類の中のある蛾に、雄より雌がずっと少ないのがある。チョウ類は動物と同じようにして繁殖する。つまり雄が雌をはらませ、雌が卵を産む。さてきみがこの蛾の雌を一匹持っているとすると――自然科学者によってたびたび実験されたことだが――夜その雌のところに雄が飛んで来る。しかも数時間もかかるところを! 数時間もかかるところだよ、きみ! 幾キロも離れていても雄はみんな、その辺にいるただ一匹の雌をかぎつける! その説明が試みられているが、それは困難だ。一種の嗅覚か、あるいはなにかそんなものにちがいない。よい猟犬が目につかない足跡を見つけて追及することができるようなものだ。わかるかい? 

 ……そうしたことなんだが、そういうことは自然界にはいっぱいある。そしてそれはだれにも説明できない。だが、ところでね、その蛾にしても、雌が雄と同じようにひんぱんにいたら、鋭敏な鼻を持ちはしないだろう。そういう鼻を持ってるのは、訓練したからにほかならないんだ。動物、あるいは人間も、彼の全注意と全意志をある一定の物事に向けるとすると、同じようになれるんだ。それだけのことだ。


                 (中略)

 ……たとえば、さっきのような蛾がその意志を星かあるいはそのほかのどこかに向けようと欲したとすると、そんなことはできないだろう。ただ――蛾はそんなことはまったく試みはしない。蛾はただ、自分にとって意味と価値のあること、自分にとって必要なこと、絶対に手に入れねばならないことを、求めるだけだ。そういう場合にこそ、信じられないようなこともうまくいくのだ――蛾は、ほかのどんな動物も持たない、不可思議な第六感を発揮する! 

 ……われわれ人間はたしかにいっそう多くの活動の余地を持っている。動物よりも多くの興味を持っている。しかしわれわれだってかなり狭い範囲に束縛されていて、それを越えて出ることはできない。ぼくはなるほどしかじかのことを空想することはできる。自分はどうしても北極に行きたいんだ、というようなことを頭に描くことはできる。しかし、実行したり、十分に強く欲したりすることのできるのは、その願いが完全にぼく自身のうちにある場合、実際にぼくというものが完全にその願いに満たされている場合に限るのだ。そういう場合になってきて、きみが自分の内から命令されることを試みる段取りになれば、きみは自分の意志をよい馬のように駆使することができる。

        ――ヘルマン・ヘッセ 高橋健二 訳『デミアン』(新潮文庫)――


 もやし君は形而上学の訓練を積んできた末に偶然「虚構の国」を発見して、その国(街)の住人である通称”しらゆりちゃん”こと白川ゆり子さんと出会った。――この引用文に登場してくる雄の蛾のことが彼にはずいぶんと親しみ深いものに思われた。そしてデミアンが語った次の箇所の言葉について少し考えを巡らせた。


 ――ぼくはなるほどしかじかのことを空想することはできる。自分はどうしても北極に行きたいんだ、というようなことを頭に描くことはできる。しかし、のだ。


「なるほど、そうなのか。……」

 もやし君はかつての人生経験を顧みては、これには何となく納得のいく気がした。しかしそうは言っても、今のもやし君にとっての「完全に僕自身のうちにある願い」「完全に僕というものを満たしている願い」というのは、いったい何なのだろう!?


 例えば「自分が望む相手と恋がしたい」「自分の仕事が世に認められる」など――これは漠然とはしているものの、正直で率直な本音とも言えそうだ。ただし表面的で皮相的な感じもしなくない。

 しかし現実世界の方では、もやし君のこうした願望をいつでも無慈悲に何の造作もなく打ち砕く準備ができている。彼はそのことを怖れている。もしそんな事態に陥ることになったとしても、そこから立ち上がれる、這い上がれるだけの強さがほしい。

 そして、これまで繰り返し述べてきたことではあるが、彼の人生最大の関心事というのは、つまりのところ「イデアと実存」の探求、「真・善・美」の探求、「自分がそのために生き、そのために死ねるような真理」の探求なのだった。そのために彼は自由を求め、平和を願う者でもあった。

 そんな彼の精神には、とある楽曲の中で歌われていた一つのフレーズが通り過ぎてゆく。それは彼が「完璧世界」を意志した理由を端的に示していた。


        ……完璧で純粋なセカイなら叶いそう

                 心の奥底に眠る願いたちが

        

        ――黒澤ダイヤ(CV.小宮有紗) from Aqours「Perfect SEKAI」―― 

            作詞:畑 亜貴 作曲:杉山勝彦 , ulala 編曲:ulala


 今思い返せば、特に大学受験の時と就職活動の時は「人生を幸福なものにしたい」「成功者の人生を送りたい」という願いが本当に強かった。当時の彼のその想いは、今では信じられないくらいに強烈なものであったように思う。彼が10代の終わりから20代前半にかけてのことだ。

 もやし君の世俗的な幸福主義の願望がどういうわけか行き詰まってしまい、30歳になって彼が独自に「ニヒリズム研究」を開始した時、今度は「この虚しさをどうにかしたい!」という思いが人生を棒に振ってしまうくらいまでに悲痛で切実なものとなっていた。

 やがて「ニヒリズム研究」の徒から「イデアと実存」の探求者となった彼は、彼の「真・善・美」の探求、「自分がそのために生き、そのために死ねるような真理」の探求が彼の人生最大の関心事となっていった。 

 こうした一連の出来事というのは実のところ、彼がこれまでの己の人生の中で最も心当たりのある「完全に僕自身のうちにある願い」あるいは「完全に僕というものを満たしている願い」だったのではないか? 彼にはそのように思われた。

 

 また、こうした遍歴を踏まえなければ、彼はあの「虚構の国」まで辿り着くことはなかっただろうし、その国(街)の住人であるしらゆりちゃんとも出会うことはなかっただろう。そしてよくよく考えてみると、これらの各々の出来事はすべて有機的に繋がっているようにも思えてくる。彼はこうした一連の流れに対して何か「運命」のようなものを感じずにはいられなかった。「運命」形成のプロセス――仮にそういうものがあるとすれば、もしかすると、つまりはこういうことなのかもしれない。


 とはいえ、いい意味でも悪い意味でも、もやし君は結局のところ、もやし君にしかなれなかった。「自分が自分自身になる」ということについて全く無知むち蒙昧もうまいなために性格が腐ってしまうというようなことは今の彼には克服されていたようだが、しかし己の身の程について一旦悟ってしまうと、それはそれで何だかもの悲しい寂しいものを感じてしまう。

 そんな中、儚い諦めと切ない覚悟の中にあった彼に対して、しらゆりちゃんは彼に「人生を愛すること、世界を愛すること」を教えてくれたのだった。

 彼女は今になって思えば、彼の「イデアと実存」の探求、「真・善・美」の探求、そして「自分がそのために生き、そのために死ねるような真理」の探求を、彼の良きパートナーとなって手助けしてくれた。


 もやし君はこれまでの自身の人生の遍歴をいろいろと思い返しているうちに、彼のとりとめのない連想は、次は未来を素朴に夢見ていた少年だった頃へと移ろうとしていた。しかしここで「未来」という単語に触発されたのか、彼の脳裏には、つい最近に親しむことになったとあるビジュアルが、彼の少年時代の思い出と同調するようにして立ち現れた。 

 そのビジュアルというのは、現在のもやし君が今最もお気に入りのとある女性声優アイドルグループが近日中に公演を予定しているライブツアーのキービジュアルのことで、それは二次元のキャラクターが登場しているイラストであった。その映像の世界観というのは、色彩的にはざっくり言うと、濃紺の背景にメンバーのキャラクターたちが描かれ、そこに銀の線などを加えていったような感じで、宇宙的・未来的にして神秘的なムードに満ちていた。そしてメンバーたちの衣装もラメ入りのメタリックなブルーをメインに白、黒、銀色などの寒色系でまとまって、彼女たちにはスペースシップのクルーのようなイメージがあった。

 このキービジュアルについて、もやし君の脳内には、どういうわけか「キャプテンフューチャー」というワードが関連付けられていた。

 ここで解説しておくと、『キャプテンフューチャー』は1978年の秋から1979年の年末にかけてNHK総合で放映されていたテレビアニメ作品であるが、原作は1940年代に発表されたSF小説で、エドモント・ハミルトンという人によって描かれたスペースオペラである。それがなぜか1970年代になって、しかも日本でアニメ化されることになったのだった。1978年には『スターウォーズ』の第一作目が日本で公開されて、当時の日本の庶民の娯楽や流行はSFブームに沸いていたような記憶がある。こうした社会現象を背景に『キャプテンフューチャー』は日本人の手によってアニメ化されることになったのだろうか。

 ちょうどこの頃、もやし君は小学3~4年生の児童であった。当時の彼は『スターウォーズ』には大変に興味を示しては執心していたものの、『キャプテンフューチャー』については、当時の彼が購読していた月刊の子ども向け雑誌「テレビマガジン」の誌上で知るのみだった。とはいえ、彼の興味とは関係なしに、NHKによる長編のテレビアニメ第二弾となった『キャプテンフューチャー』(ちなみに第一弾は『未来少年コナン』)は視聴者にはなかなか好評だったようで、日本国内のみならず海外のテレビ局でも放映されていたそうだ。

 さて、もやし君がこの和製のアニメ版『キャプテンフューチャー』の良さを再発見することになるのは、リアルタイムの放送からさらに40年以上もの歳月を経た後になってのことだった。それは先にも述べた「現在のもやし君が今最もお気に入りの、とある女性声優アイドルグループが近日中に公演を予定しているライブツアー」を話題にした記事を彼が作成していた時に、彼の単なる思いつきからこの『キャプテンフューチャー』をネタに取り入れたことがきっかけとなった。

 YouTubeで東映の公式がテレビアニメ『キャプテンフューチャー』の第1話を公開していた。いざそれを視聴してみると「オープニングテーマ曲とエンディングテーマ曲が何だかとてつもなく美しくないか!?」 なぜか今頃になってから、そのことがもやし君の関心を異様なまでに惹きつけた。


   ……子供の頃は 空を飛べたよ

     草に寝ころび 心の翼ひろげ

     どこへだって 行けたぼくだった

   ……君を愛した時 忘れてた翼が

     もう一度 夢の空

     飛ぶことを教えた


   ……男は誰も 夢の舟乗り

     少年の日のあこがれ 死ぬ時まで

     忘れずに 抱いてるものだよ

   ……君の愛があれば つめたい闇の中

     おそれずに くぐりぬけ

     明日へ行けるだろう


  ――テレビアニメ「キャプテンフューチャー」OP主題歌:「夢の舟乗り」――

   作詞:山川啓介 作曲・編曲:大野雄二 歌:ヒデ夕樹/タケカワユキヒデ


   ……君がいつか あの町まで

     行くことがあったなら

     ポプラ通りの 小さな家

     たずねてほしい

     そこに今も やさしい目の

     むすめが住んでいたら

     あいつは とても元気と

     それだけ伝えて来てほしい

  

   ……木綿の服を なびかせて

     よく笑う あの

     今では大人の恋をして

     ぼくを忘れたろうか

     ポプラ通り そこはいつも

     夢が帰るところ

     時が流れ去っても あの日の

     ぼくがいる ふるさと


   ……ポプラ通り そこはいつも

     夢が帰るところ

     遠く離れるほど 近くなる

     戻れない ふるさと


――テレビアニメ「キャプテンフューチャー」ED主題歌:「ポプラ通りの家」――

         作詞:山川啓介 作曲・編曲:大野雄二 歌:ピーカブー


「これらの楽曲には、何やら妙に懐かしく温かい感情を覚えずにはいられない。この気持ちはいったい何だろう!? なぜだなぜだ?」


 今のもやし君にとって、これらの楽曲の歌詞に登場する「君」や「あの娘」という言葉の対象はもう、しらゆりちゃん以外には考えられなかった。そのように思うと、得も言われぬほどに何だかとても愛おしい。

 もっとも、しらゆりちゃんは小柄でおっとりとした可愛らしい少女なのであるが、しかし、もやし君にとって彼女の存在は、その本質というのはデミアンであったり、あるいはキャプテンフューチャーなのであった。

 余談ながら、”キャプテンフューチャー”を名乗る主人公のカーティス・ニュートン及び彼の相棒である”フューチャーメン”と呼ばれる3人組の彼らが搭乗する宇宙船の愛称は「コメット号」なのであった。もやし君の連想はさらに続いた。


「コメット号、……コメット、……彗星、……彗星2号!」


 しらゆりちゃんについての回想が彼の「彗星2号」の思い出と連絡が取れた時、

彼はここで先週に彼女から授かった授業の中にあった「プルーストの美学」のことを思い出したのだった。


 ――プルーストによれば人生上のいろいろな価値はそれに憧れているときと、それを回想しているとき、つまりある距離を置いたときに一番美しいのだが、芸術とは

いわばそうした距離を置いて人生を見ることを可能にする装置のようなものなのだ。


         ――『人と思想127 プルースト』(石木 隆治著、清水書院)――


「自分の中にある憧れと郷愁がともに見つめている場所。自分の人生の中で、自分の世界の中でも最も美しい、完璧で純粋な領域……あの子はいつもその場所に立っている!」――彼がそのような確信を得た時、ここでもやし君はしらゆりちゃんに対する憧れを再び強くした。


「今の自分にとってはすでに郷愁となってしまった、もはや二度とは戻れない遠い日の懐かしい思い出も、あの子と一緒にいると〈今・ここ〉の生きた物語としてよみがえるようだった。少年だった頃の自分にとっては、きっと憧れのお姉さん的な存在になってくれたことだろう。そうだ、君は僕の愛、僕の夢、僕の希望、僕の情熱。」

 もやし君の内側から、ふとそんなセリフが出てきた時、ここでキルケゴールのある言葉が思い起こされた。――「信仰は人間のうちにある最高の情熱である」


 しらゆりちゃんは、いわゆる美少女であったが、それでいて気さくな気の置けない人柄の女の子でもあった。もやし君の年齢や容姿とは関係なしに彼女は彼のよき友、よき隣人となってくれた。それとともに、彼女は彼にとっての神聖なる存在であり、信仰の対象でもあった。彼にとっての彼女の存在というのは、結局のところ、実際のところは、むしろ後者の性格の方がより本質的だったと言ってよいかもしれない。


「あの子は人間の女の子の姿をしてはいたが、実を言えば、精霊、妖精、天使、女神といった、いわゆる超越的な存在者だったのかもしれない。……超越者との出会い、そして実存的交わり。」


 もやし君は今日このカフェにやって来て、もの憂げな思いから連想の遊戯を開始したのであった。しかしそれも「超越者との出会い、実存的交わり」――この言葉までたどり着いた頃には、しばらくの間、彼の心をすっかり支配していた彼女の不在から来るもの寂しさも、ある程度はましな状態へと回復してきたようだ。


「今読みかけの本も、今日中には読み終わりそうだ。先週のあの時のことだったか、君の瞳の謎も、今日には解けるかもしれない!」

 ここで彼はささやかな希望の光が差してきたのを感じ取ったのか、彼は遅めの昼食を済ませると、自習室の方に向かって歩き出した。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


8月1日(土) くもり


 いつの頃からだっただろう。もやし君は就寝中に過去にもみたことのあるような夢を再度みることがある。この日の未明は久しぶりにその夢をみた。夢から覚めれば涙のあと。その朝は何とも寂し気な余韻が後を引いた。


 夢の内容はおよそこのようなものだ。

 場所となるのは、大都市の中心部にあるアーケード商店街などの繁華な市街地で、もやし君はそこで女の子と一緒に歩いている。彼女とはいい感じに打ち解け合って、そろそろ二人の間に恋が始まろうとしている。そんな幸福な予感に満ちている。しかし彼女と一緒に歩いている途中で、不意に彼女の姿を見失ってしまう。つい今しがたまで隣にいたはずなのに。……彼は彼女の突然の失踪におののきながら、人混みの中、彼女を探し出そうと不安と焦りでいっぱいになる。そうやっているうちにこれが夢であることに気付いて、何ともすっきりしない気持ちで目が覚めるのだった。


 これはおそらく悪夢の類に入るのだろう。もやし君は茫然ぼうぜんとして、しらゆりちゃんと結ヶ咲の繁華街を一緒に歩いた時のことを思い返した。あれは幸福な夢だった。


 先週はしらゆりちゃんがついに不在となったことから、もやし君はそのさみしさを紛らわそうと努め、彼女から授かった最後の授業ことを思い返しつつ、そこからまた己の人生の遍歴をも振り返ってみたのであった。

 もやし君はしらゆりちゃんと共有する時間を何度か過ごしているうちに彼女から神性や聖性を感じ取っては感化されてきた。彼女から超自然的実在の姿を垣間見たかのような、そうした瞬間も少なからずあった。だからだろうか、彼の「イデアと実存」の探求、神秘的哲学的真理の探究は、精霊や妖精といったスピリチュアルな存在者にも関心を抱くようになっていった。彼は最近になって今から100年ほど昔にイギリスで物議を醸したという「コティングリー妖精事件」のことを知ると、これがまた彼の関心を大いに惹いたのだった。

 この事件の概要についてはウィキペディアでも記事になっているので、その内容をここに引用しておこう。


 ……コティングリー妖精事件(コティングリーようせいじけん、英語: The Case of the Cottingley Fairies)は、イギリスのブラッドフォード近くのコティングリー村に住む2人の従姉妹フランシス・グリフィス(Frances Griffiths、1907年9月4日 - 1986年7月11日)とエルシー・ライト(Elsie Wright、1901年7月10日 - 1988年4月)が撮ったという妖精の写真の真偽をめぐって起きた論争や騒動のことをいう。この写真は2人による捏造であった。


 [概要]

 ……1917年7月、妖精がフランシスと一緒にいる写真をエルシーが撮った。彼女たちは妖精が踊っている様子が写っている写真を、1917年から1920年の間に全部で5枚撮影した。写真に写った妖精は、小さい人の姿で、1920年代の髪型をし、非常に薄いガウンをはおり、背中には大きな羽があった。 1枚の写真にはノームが写っていた。そのノームは身長12インチ(約30cm)ぐらいで、エリザベス朝時代の格好をして、背中には羽があった。


 ……この写真がどのように撮られたかというと、妖精の光の当たり具合が他の部分と異なっていることから、妖精の形をした平らな紙の切り抜きが使われたと説明されている。また、周囲の背景や人物が、シャッターが下りる瞬間わずかに動くために輪郭がぼやけるのに比べ、妖精の輪郭が明瞭であることから、妖精はシャッターが下りる間も静止している、すなわち作り物ではないかという指摘が当時からあった。その後、当時出回っていた子供向けの絵本(Princess Mary's Gift Book、1915年発行)の中に、写真とそっくりのポーズをした妖精の絵が掲載されているのも発見された。この絵を模写して切り抜き、帽子止めのピンで固定していたことを、高齢者となった少女たちは告白した。しかし5枚目の写真は、死ぬまで本物だと言い張ったという。その当時は、多くの人が妖精の実在する証拠としてこの写真を見た。その中には、シャーロック・ホームズ・シリーズの作者として有名なアーサー・コナン・ドイルもいた[1]。


 [脚注]

[1] コナン・ドイルの娘によれば、「父はこの事件を完全に信用していたのではな

 く、二人の少女達が嘘をつき続けているという事が信じられなかった」とのことで

 ある。 - 河村幹夫『ドイルとホームズを「探偵」する』日経プレミアシリーズ、

 2009年、166-168頁

                     ――出典:Wikipediaより――


 この件について、他の関連記事で読んだ内容などから補足しておくと、エルシーとフランシスはいとこ同士の関係で、事件の舞台となるコティングリー村にはエルシーと彼女の家族の住居があった。妖精写真が撮影された年となる1917年に、フランシスと彼女の母親が南アフリカからイギリスに戻ってきた。フランシスの父親は軍人で、この時はフランスで従軍していた。エルシーの母親ポリーとフランシスの母親アニーは姉妹の関係にあって、この縁で、この母娘はエルシーの家でいっしょに暮らすこととなった。

 1917年の当時――ヨーロッパは第一次世界大戦の最中であった――、16歳になるエルシーと9歳になるフランシスは、庭の低地を流れるコティングリー渓谷の小川の傍で毎日遊んでいたという。二人はそこで「妖精の姿を見た」と母親たちに話したものの、大人たちは信じてくれない。二人が「妖精は本当にいる」と言い張るので、「それほど言うのなら、このカメラで妖精の写真をとってごらん!」ということで、エルシーの父親は旧式のカメラを持ってきて設定を済ませてから、娘たちに使い方を教えると、そのカメラ貸し与えた。エルシーとフランシスは森の中で戯れる妖精たちを撮影することとなった。

 

   ――参考:「コティングリー妖精写真の謎を追う!」- なんでも保管庫2――


 二人の少女たちの手によって妖精写真が捏造ねつぞうされるまでの経緯については、ざっとこのようなものだったらしい。その無邪気な遊戯はやがて当時のイギリスを代表的する著名人まで動かしてしまうほどの大きな論争へと発展し、後世の人々の語り草となった。2017年には事件発生から100周年を迎え、日本でも記念イベントが催されることとなった。

 これはこれで興味深い話ではあるが、それにしても、エルシーとフランシスの二人がコティングリー村の森や渓谷で遊んでいるうちに、彼女たちはいったいどのような深い体験を得たのか? もやし君の関心はむしろその点にあった。


 そこには身体のすみずみまで霊気で満たされるような神秘的な体験があったのだろうか? 彼女たちの「心の目」で見た世界、「芸術の目」で見た世界には妖精たちが存在していた。その体験は時の経過とともに抽象化・昇華されて、将来になって彼女たちにとってのイデア(真実在)と成り得たのだろうか? 

 ここで二人が獲得したかもしれない世界観について、もやし君なりに思いを巡らせてみた。彼女たちの初の妖精写真となった「フランシスと妖精たち」というモノクロ写真の画像を見ていると、どうしたことか、彼の心象風景にはカニ25の彗星2号が20時50分ごろに古びた造りのY駅を通過する時の情景が現れた。少年時代の彼はあの寝台特急に言い知れぬほどのロマンを覚えたものだった。そうだった。あの頃の彼はあの夜行のブルートレインに青い鳥を見ていたような気にすらなっていたのだった。彼があの時に獲得した世界観は、それからの彼を未来へと導き、彼が栄光と挫折、歓喜と苦悩のさまざまな経験を積み重ねることになって、遠い歳月を経た後になっても消え失せてしまうことはなかったし、たとえ色褪せてしまうことがあったとしても、時として鮮明によみがえることもあった。もう何十年も昔の話なのに。……そして、これらの出来事はきっと、彼がしらゆりちゃんと出会うための最高の準備にもなったはずだ。これらの出来事は互いに関係し合っている!

「コティングリー妖精事件」の話からどういうわけか、そんな方向に思考を展開してしまうもやし君なのであった。やはり彼はこの時にもずっと、しらゆりちゃんのことが恋しくて仕方ないのだろう。それは俗にいう恋の病とは似て非なる性質のものではあったが、それでも彼にとって悩ましいものであることに違いはなかった。

 それはさておき、こうした一連のことを考えていると、もやし君には、エルシーとフランシスの二人がずいぶんと親しい人たちのように思われた。


 ところで、もやし君の現実世界はいつまでたっても相変わらず何ともパッとしない全く冴えないものであったが、その一方で、あの妖精事件の首謀者となったエルシーさんとフランシスさんに対して心底共感できそうな彼にとっては、偶然にもこの「虚構の国」にやって来たこと、そして、アメイジングパワー(驚くべき不思議な力)の持ち主である、白川ゆり子という少女にめぐり会えたことが、自分でも全く予期し得ない想定外の幸福な出来事のように思われた。しかしながら、もやし君がしらゆりちゃんと出会ったことについては「事実」の確認を取ることはできない。というのも、それらはすべて彼の「真実の世界」での話なのだから。


 現実世界では単に現象しているだけの空虚な生命に過ぎなかった彼ではあったが、虚構の世界では、彼には確かな生命が宿っていた。現実世界には厳然たる「事実」が最も雄弁なものとして存在していて、そこでは「真実」は虚偽のものとして覆い隠されている。客観的な「事実」が嘘をつくということは確かに有り得ないだろう。だからといって、そこに「真実」が存在し得るのかどうかは、今の彼にとっては、それはもはや疑わしいものとなっていた。

 「イデア」(真実在)という虚構が存在しなければ、現実の外界を取り巻いている全ての存在はたちまちリアリティーを喪失してしまい、現実の方がかえって嘘っぽく、よそよそしいものとして感じられるようになってしまうのではないか?

 ――彼は自らの人生の中で、そういったことを何度となく体験してきたのだった。


 現実世界において快楽をもたらすものの一切が結局は刹那的で麻薬的な作用でしかないことを、また、この現実を根底で支えているのは実はある種の虚構なのであって、その虚構というのもまた、それまでの現実を踏まえた上で要請されたものであって、――この「現実と虚構」の関係性――現在の彼には、そういったことについても一応の心得が出来ていたのだった。そしてまた人間にとっての「文化」という事象の真髄は、おそらくここで述べたことの中に求められるだろう。


 当たり前のことではあるが、理念や理想、夢や希望のない人生は、やはり空虚で殺伐としているものだ。夢や理想を持った人生は、明日は今日よりもそれらに近付く可能性も開けてくるとも言えるのだが、逆に、それらを見失った人生というのは結局のところ、明日は今日よりも単に死に近付いているだけで、しかもそれは厳然たる事実なのであって、それは現実の人生において、唯一絶対の確実に到来する未来なのであった。それ以外の未来というのは、結局のところ、すべて虚構なのである。

 さて、ここで「死」が唯一の絶対に確実な未来であるとはいえ、われわれはこの事実に対して単に受動的ニヒリズムの態度で以って何もなす術もなく、全く何の抵抗もなしに、このような事態を素直に受け入れるなどということが、ニヒリズムを完全に克服してしまった「超人」などには到底なりきれるはずもない、ごく平凡な普通一般の人間たちに果たして出来うるだろうか?

 生きていること自体には、なるほど何の意味もないのかもしれない。にもかかわらず、人間は「生きる意味」や「生きがい」を求める動物でもある。そういったことを踏まえつつ持論を語れば、「生命の真理」の究極型については、これはむしろ人間の客観的な現実を超越した次元に求められるべきなのではないか?


 さらに言えば、虚構は虚構でも、彼の内面において「理念にまで昇華された虚構」といったレベルになってくると、今度はそれは彼の現実・客観的世界の見方・見え方を規定する基準となる、いわゆる「メタ現実」となって、そうなると、結果として、それは彼にとっての現実の一部に(それも彼の内面でかなり重要な位置を占めるものとして)、つまりそういうことになってしまうのではないか!?


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 それはそうと、もやし君が先月から読み続けていた時間概念と客観的世界に関する哲学的な小難しいエッセイのことであるが、これも最近になってようやく読み終えたところだった。それは中島義道という哲学者の『明るいニヒリズム』(PHP文庫)という文庫本で、本書の趣旨は「時間」概念を徹底的に懐疑することによって「客観的世界」の在り方を根本から問い直す、というところにあるようだ。

 中島先生は「客観的世界がなければ、どんなにラクだろう」と子供の頃から考えておられたようで、また哲学する目的を「客観的世界を解体すること」に据えていると、同書の中で語っていた。

 先生はここで「客観的世界は実在しているように見えて、実はそれは仮象にすぎない」と主張して、ヘーゲルの時間論(時間の空間化、時間と空間の混同)に対する批判から始まって、マクタガートの「時間非存在論」やカントの観念論などを持ち出しながら議論を展開していく。  

 また同書によると、先生は「人は死んだら無に帰する」と考えている立場の人らしく、「イデア」に対しては否定的な見解を示しているように思われた。先生の「客観的世界は仮象にすぎない」という主張は、そういう立場の人たちにとっての死に対する不安を和らげるには都合がよさそうだとも思われる。しかし先生の主張はそれだけにとどまらず、虚構の世界の存在を信じている人たちにとっても魅力的な仮説だと、もやし君はそのように考えたのだった。

   

 ここで一旦、このエッセイの話題から逸れることになるのだが、19世紀後半に「背後世界の存在が現実の生を貶めている」としてキリスト教道徳を批判したのは、ニーチェであった。

 昔の日本社会もそうであったが、人口ピラミッドがきれいな富士山型を描いているような社会では、現代の日本の社会などと比べると出生率も高い代わりに乳児死亡率の方も高く、また医療の技術や福祉の制度も十分に発達していないため、人間というものが比較的に呆気なく死んでしまう、何とも儚い社会なのであった。

 そういった社会では宗教というものが民衆の生活に深く根付いていて、死後の世界も自明のものとして信じられて、それが儚い無念の人々に対する救済となった。現実世界に生起するやるせない事態は現代の日本の社会などとは比べものにならないくらいに多かっただろうことが想像される。このような社会では宗教を通じて虚構の世界も広く庶民の心へと浸透していたものと思われる。


 20世紀になると、科学技術の進歩や物質文明の急激な発展、個人の尊重や基本的自由権といった人権意識の高揚などが推進力となって「虚構の世界に対する現実世界の優越」がわれわれにとっていよいよ自明なものとなった。もっとも、これも工業先進諸国に限った話だと言えるのかもしれない。たぶんそうだろう。

 特に科学の進歩はそれまで迷信に苦しめられた人々を救済することとなって、また伝統や慣習の束縛から人々を解放する役割を担うことにもなった。科学的に証明できるものかどうかが正義と真実の判断基準となるような傾向すらあった。民衆が科学に信頼を寄せる一方で、宗教は民衆に対してかつての影響力を失うことになった。


 ところが、1970年代あたりになって「モノの豊かさよりも心の豊かさ」とか言われだすようになって、1980年代後半の日本社会がバブル経済に浮かれていた頃には「本当の豊かさとは何か?」などと問われるまでに至った。またこのことに並行して新興宗教ブームが起こって社会現象となっていた。一見したところ表面的には華やかそうに見える社会も、一皮めくれば実に様々な社会問題が横たわっていたのだ。

 そのような過程を経て「虚構の世界に対する現実世界の優越」の自明性も、勘の鋭い人たちにとっては次第に怪しいものとなってきたのではないだろうか? 意味や価値に関わる問題は科学では取り扱えないのだ。人生観にまつわる神経症は投薬治療だけで快癒に向かうことはできない。

 現実世界の実情というのは、「幸福」というのは大変に聞こえはいいものの、これは消費社会においては国民総シャブ漬けになったような状態でもあるので、考えようによっては、シャブ抜きに伴う苦痛を出来るだけ先延ばしにしようと、国民の総力を挙げて、われわれは日々そのような愚行にせっせといそしんでいるのである。そういった捉え方もできるだろう。とりあえず、人としてやってはいけないことさえやらなければ、基本的に人間は自由だと思う。もやし君の価値観によれば、そういうことである。


 それはさておき、中島先生の「客観的世界は仮象にすぎない」とする主張は「虚構の世界に対する現実世界の優越」に修正を加えるのに有効なものと考えられる。確実に実在しているかのように映る現実世界も、根源的にはもっと不安定なもので、やはりそれも根源的には仮象にすぎない。


 もやし君がこうした話題に対して興味を示すのも、実際のところ彼の実感として、例えば、10年前の自分と比べると現在の自分というのは、現実世界に対する絶望の度合いがさらに進行しているようで、現実世界に対するリアリティーが以前にも増して感じられなくなってきた。――それにもかかわらず、人生に対しては現実世界ほど絶望しているというわけでもなく、――これは何とも奇妙にして神妙不可思議なパラドックスではないか。

 なるほど、われわれ人間というものは、現実世界の内に存在していて、特に身体については現実世界に完全に支配されており、それは疑いえない事実なのではあるが、しかし人間存在にとっての「世界」というのは、どうも現実世界の内側だけへと閉じ込められたものではないらしい。

 現実世界とは人間存在にとっては、結局のところ、いわばこれは閉じられた不自由な世界で、この閉塞性と不自由さゆえに、人間存在はこのような拘束から解放された理想の世界すなわち虚構の世界を要請する。そしてこの虚構の世界が、ある意味においては空虚で殺伐としているとも言える、思うに任せぬ現実世界を生きる人間たちに(内面的な)救済を与える。

 虚構の世界は、それが白魔術的に作用すれば、現実世界に絶望している人々に対して夢と希望を持ち続ける力を授けてくれる。超越的な、あるいは神の視点に立てば、例えば、リア充と非リア充の違いというのも結局のところ、どんぐりの背比べくらいでしかないのかもしれない。ちっちゃい人間になっちゃあダメだ。もっとスケールの大きな人間にならなければ。……もやし君はそのような考えを巡らせているうちに、やがて一つの結論へと達したのであった。


 「現実世界」と「虚構の世界」は――少なくとも理念的には――等価である。


 ステレオタイプの障壁を取り払った、現実世界から虚構の世界までをフラットに見渡すことのできる風通しの良い、新しい世界。――もやし君が辿り着くことになった「虚構の国」は、そうした地平に存在していた。


 ところで、現実世界には、虚構の世界を創造したり演じたり、いわゆる「虚業」を仕事としている人たちが存在している。こういった人たちの存在が、この主張に真実味を与えてくれる。そして、ここが最も肝心なところなのだが、この主張が世に流通してくれると、福祉国家が掲げる「最大多数の最大幸福」の理念の増進にさらに寄与してくれるものと考えられる。つまりは、非リア充たちにとって「世界」がもっと親しみのあるものへと変革されていくことになるのだ。例えばこんな感じに。


(事例1)

 「リア充」と「非リア充」は――少なくとも理念的には――等価である。

(事例2)

 「リア友」と「心の友」は――少なくとも理念的には――等価である。

(事例3)

 「リアル嫁」と「脳内嫁」は――少なくとも理念的には――等価である。


 中島義道の『明るいニヒリズム』という哲学的なエッセイは、もやし君にとっては大変に読みごたえがあって有益になるところが多かった。少々長くなるが、参考までに本書のクライマックスだと思われる部分を引用しておこう。このステップを踏まえることによって、もやし君が先に得た結論はさらに精錬されたものへと仕上がっていくことになるはずだ。


 ……過去や未来が観念にすぎないこと(未来は観念とすら言えないほど希薄なものであるが)はわかりやすい。では、現在も観念にすぎないのか? あえてそう言い切ってしまうのが、物理学的世界像である。 

 しかし、われわれは現在の二重の相を知っている。過去の場合と異なって、われわれは二重の現在を「生きて」いる。いかに時間が経過しようとも、私はその時間がいつも〈いま〉であることを知っている。この知は客観的時間に関する知とはまったく別のものである。あえて記述すれば、何ごとかが絶えず湧き出し、それが絶えず消えていく場面、それが〈いま〉なのだ。

                (中略)

 ……〈いま〉が神秘であるのは、私があらゆる客観的な時間理解より以前に根源的に〈いま〉を理解しているからではなく、むしろ私があらゆる客観的な時間を理解した後にも、〈いま〉はそれから「はみ出る」からなのだ。

                (中略)

 ……カントに代表される観念論(超越論的観念論)にとって、世界は「観念の総体」であるが、「観念の総体」は(空間的なイメージで)閉じられているわけではない。そうではなくて、観念論は〈いま〉において限界に直面するのだ。観念論は〈いま〉でさえ観念に仕立て上げてしまう。観念論の「うち」でわれわれの理解している〈いま〉は〈いま〉という観念にほかならない。

 だがナマの本来的な〈いま〉は観念論の枠組みが崩れるところ、むしろ観念としてどうしても取り込めないところである。それは刻々と新しいことが生じている場であり、同時に消えている場であり、光を感じ、音を感じ、さまざまなものに触れる感じがし、味わいがし、臭いのする場である。


 ……この〈いま〉を決定するものとは何であろう? 新しい〈いま〉はどこから来るのであるか? もちろん、「どこ」からも来ない。「どこ」とは場所であり、未来は場所ではないからである。

 では、「どこ」からとも言えず、台風のように電車のように運動して「来る」のでもないのに、刻々と新しい〈いま〉が湧き出すとはいかなることなのか?

 これは、これ以上説明できない端的な事実、フッサールの言葉を借りれば、「原事実」と呼ぶほかないであろう。

 刻々と新しい〈いま〉が湧き出すことが、きわめて不思議な感がするのは、科学的に説明できないからにすぎない。大森は「それは万有引力が距離の二乗に反比例することに何の理由もなくただ事実そうである」(『時間と自我』)と言っているが、この意味で「原事実」なのである。


 ……〈いま〉とは絶対的に新しいものの湧き出しであり、それは絶えず湧き出しながら、刻々と凝固していく。われわれはそれを記号化=空間化=過去化し、観念の「うち」に位置づける。〈いま〉とはそれ自体として対象的なあり方ではないが、それ自体をそのまま生け捕りにはできず、それが一つの観念として位置づけられることをもって、振り返って「いま」という意味を得るだけのものである。 

                (中略)

 ……さまざまな哲学者は、世界が消えゆき湧き出す時としてのこのナマの〈いま〉に気づいていた。

「生の哲学(Lebensphilosophie)」はその典型であろう。ディルタイがその始祖の位置を占め、ベルクソンあるいはニーチェやファイヒンガー、さらにはライプニッツやホワイトヘッドも入れていいかもしれない。

 これは先に(第2章で)検討したように、「観念の総体としての客観的世界」すなわちわれわれ人間的主観が意味付与した世界こそ「実在」とみなす立場(「構成主義」と言いかえてもいい)に対して、記号化され観念化される以前の世界こそ実在とみなす立場である。ここに開かれる実在は「生(Leben)」と呼ばれる。彼らが「生」という言葉を使う背景には、(デカルトからフッサールまでえんえんと続くのだが)実在するもののモデルを数理的・物理学的対象に求めることに反発し、むしろそれを生命体に求めることによる。


 ……しかし、根源的領域を「生」と限定した瞬間に、それもまた観念に記号になってしまうであろう。この危険を最も自覚していた哲学者がベルクソンである。ベルクソンは、生命を根源的領域とみなすには、それが根源的な〈いま〉と直結していることを示さねばならないと考えた。つまり、根源的領域を隠蔽する最大のものは時間の空間化、すなわち〈いま〉という時、すでにない時、まだない時の根源的差異性を忘却して、ただ時間という名の空間上に位置するそれぞれの点を可能な現在とみなしてしまうことなのだ。

 こうした死んだ点としての現在ではなく、生きた〈いま〉を取り戻さねば、いくら「生」という実相を強調しても、われわれを待ち伏せしている空間化・記号化という根強い誘惑から逃れることはできないであろう。

 しかも、その場合、ただ〈いま〉に特別な名前を与えて特権化すればいいわけではない。〈いま〉を「純粋持続」と呼んだとたんに、ふたたび〈いま〉はその概念の示す一般的な何か、対象的な何かになってしまうのだ。では、いかにすべきか?

 哲学が言語を使う限り、いかに斬新な概念を導入しようと、たちまちのうちに固定され疑似物体化されることを避けることはできない。ベルクソンはそのことを熟知していた。よって、彼は折に触れてそれが観念化された〈いま〉ではない、と語り続けることを選んだのである。


                 (中略)

 ……湧き出し消えてゆく原事実であり、意味を付与しつつある〈いま〉をすでに意味が固まった一つの客観的世界にはめ込むことはできないのである。一方で、〈いま〉が湧き出し消えゆくことに着目すれば、われわれは永遠にこの〈いま〉から抜け出ることはできない。これのみが実在なのであるから、客観的世界は幻想に等しいものとなるであろう。他方で、〈いま〉が湧き出し消えゆくことを無視すれば、整合的な客観的世界は構築されるが、それは根源的事実としての〈いま〉やこの「私」の体験するすべてのことをはじめとして、膨大なものが排除されることになってしまうであろう。

           ――中島義道『明るいニヒリズム』(PHP文庫)より――


 もやし君はこの箇所を一読してみて、率直に次のような感想を抱いたのだった。

「ここに書かれてある内容は、おそらく自分が探求している真理と大変に相性が良いように思われる。端的に言ってしまえば、唯一の実在と呼べるのが〈生命〉すなわち〈いのち〉なのであって、あとはぜんぶ観念にすぎない!――そうだ。ベリナイス、ベリナイス、ベリナイス! なんて素晴らしいんだ!」


 ちなみに、本書でいう「客観的世界」というのは「現実世界」から魂を抜き取ったものくらいに考えておけばよいだろう。もやし君の理解によれば、とりあえずそういうもので良いらしい。そして魂は、言い換えれば「いのち」は、「現実世界」にも「虚構の世界」にも行き交うことのできる唯一の実在。なお、ここでの人間存在は「心・身」二元論ではなく、「心・身・命」の三元論の立場をとる。もやし君はここまで来て、彼の「完璧世界」に関する議論について、一つの命題に収束するまで内容を煮詰めることができたものと確信した。


  「いのち」の立場にたてば、「現実世界」も「虚構の世界」も等しく観念。


「未来」は観念、「過去」も観念。そして「現在」については、観念以前の湧き出し消えゆくナマの〈いま〉と、観念としての〈いま〉という、二重の〈いま〉に区別される。「ナマの〈いま〉」というものについて、もやし君なりにイメージしてみる。彼はここでショーペンハウエルの「生の盲目的意志」という言葉を思い出した。また「二重の〈いま〉」に対しては「意志と表象としての世界」という言葉が当てはまるように思われた。

 それにしても、もやし君がこの哲学的なエッセイの文庫本を一通り読み終えてから真っ先に思い出されたのは、しらゆりちゃんと最後に会ったあの日のこと、結ヶ咲駅のホームでの出来事のことだった。

 ――そうだ、あの瞬間に我を忘れて見ることなしに見ることになった彼女の瞳には「ナマの本来的な〈いま〉」があった。それが単なる錯覚だったにすぎないにせよ、このことは、自分という存在、つまりは閉塞的な動物的個我としての有限で儚い自己という存在、それが彼女という存在を通じて、あのどうにも名状しがたい神秘的な何かへと触れることになった。そしてそこには、どういうわけか不思議な安心感があった。言い換えるなら、このことはつまり、何か永遠なる「大きないのち」とでもいったような目には見えない大きな力によって、この自分という「小さないのち」が解放された瞬間だったのかもしれない。安心立命の境地へと到るための鍵が彼女の瞳には宿っていたのだ! 

 このことに関してさらに付け加えると、身体は現実世界の束縛から自由になることはできない。死ぬまで現実に縛り付けられたままだ。身体は虚構の世界を直接に体験することはできない。しかし精神については、こっちの方は虚構の世界の住人になることもできる。しかしこれも「いのち」という実在を前提にしての話だ。世界の全体に「いのち」がすみずみまで行き渡っていれば、現実世界のみならず虚構の世界にも生命は宿る。もやし君がこれまでに実践してきた形而上学の訓練は言い換えるなら、それは観念の育成でもあった。観念の育成は世界の豊穣を開く鍵となる。

 もやし君が求めている真理というのは、おそらくこういうところにあるのだろう。彼の真理探求の旅が行き着く場所、あるいは彼の真理が始まる場所へと導くために、しらゆりちゃんは彼の前へと現われた。そして彼が親しみやすい形に咀嚼そしゃくしては、この真理について考えさせた。

 もやし君はこのような考えに至ったところで、我覚えずして、ひと言そっとつぶやいたのだった。「色即是空。空即是色。……」


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


 この日のもやし君は、先週と同じく午後になってから虹が丘公園へとやって来て、図書館のカフェで昼食をとった。だけど今日はこの後は図書館の自習室には寄らずに市街地のネットカフェに行って、そこでずっとパソコンの前に座っていようと思う。

そのような予定を立てていた。

 カフェで昼食を済ませてからそのまましばらくの間くつろいでいると、彼の携帯にメールが届いた。送信者を見てみると、しらゆりちゃんだ。彼女からメールを受け取ったのは初めてだ。もやし君はここで思わずつぶやいてしまった。「やったぜ!」


 ――もやし君、元気してる? それにしても暑いね! 最後に会った次の日から、あたしは東京の芸大目指して猛特訓の日々でしたが、家庭教師の先生が来週から一週間ほど仕事で海外に飛ばされることになって、あたしもここらで一息入れたいところです。久しぶりに会いたいな。 8月11日(火) 午前9時 坂ノ浦港駅まで来てくれてもいいかな? もやし君はこの日は盆休みの最中だったよね。待ち合わせの時刻は早めに設定したけど、ちゃんと起きれる? この日は、あたしが晩ごはんをごちそうしてあげるよ。予定の方は大丈夫?


 彼女から初めて受け取ったメールは思いのほか長文であった。ここで簡単な返事をよこすのは何だか忍びない。もやし君はそのような気がした。


 ――お忙しい中、わざわざ長文のメールをありがとう。こっちは特に変わったことはないかな。しらゆりちゃんが元気そうで何よりです。君が晩ごはんをごちそうしてくれるとは! 8月11日は一日まるごと予定を空けときます。いいともー! 今から会えるのをとても楽しみにしています。


 もやし君はここまで本文を入力したところで送信ボタンを押そうとしたが、ここで何か突然に思い出したのか、さらにもう一文を付け加えた。

 

 ――久しぶりに君の声が聞きたいんだけど、ちょっと電話してもいいかな?

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