街へ行こう
終業のホームルームが終わり、ハルキはすぐに一階の玄関の靴箱で上履きから下靴へ履き替えていた。ちょうど夏休み前の短縮授業期間に入っていたので、給食とその後の掃除が終わると生徒たちは帰ることになっていた。
「君、日上くんっていうんだね」
後ろから声をかけられたので振り返ると、そこにはあの転校生がいた。
「月森さん?」
何故か語尾が疑問系になってしまった。
「そう、月森ルナ。できるならルナって呼んでほしいな」
「いや、いきなりそんなこと言われても……」
今日初めて(厳密にいえば初めてではないのだが)会った転校生、しかも女子を下の名前で呼ぶのにはかなり抵抗がある。それにもしそう呼んだとしても今度はクラスのいろんな人間に変な噂を立てられそうだ。極力目立たずにいようとしているハルキにとってそれは避けるべきことだった。
「ていうかなんか用? 早く帰りたいんだけど」
「うわっ、すごく嫌そう。ちょっと感じ悪いよ」
余計なお世話だとハルキは思う。実のところルナが自分の苦手とするタイプの人間であるとハルキは決めつけていた。誰に対しても明るく接し、普段のテンションも高め。そういう人間は一緒にいると疲れてくる。自分の姉やクラスのガキ大将であるショウタという実例を見ているだけに、ハルキは極力ルナとは関わらないでおこうと思っていた。それに雨宮の忠告もある。ルナの正体は気になるが、関わらないほうが得策だと考えていた。
「あたし昨日引っ越してきたばかりだから、まだここがどんなところかわかんないんだよね。だから日上くんに案内してもらおうと思って」
昨日のことを知っている自分に対して、よくいけしゃあしゃあとそんなことが言えたもんだとハルキは思うが、あながち表現は間違っていない。少なくともこの街にやってきたのは昨日の夜のことだろう。確かに街を見て回る余裕はなかったはずだ。
だからといってハルキに付き合う義理はない。
「別にオレじゃなくてもいいだろ。委員長とかに頼めばいいじゃん」
委員長とはサギリのことだ。本名よりそっちのほうが有名でむしろ彼女の本名を忘れている生徒もいるかもしれない。そしてその委員長は今日の休憩時間のときにルナの学校案内をしていた。街案内にもうってつけだとハルキは考える。
「サギリちゃんもう帰っちゃったんだよね」
「じゃあ先生に頼んだら?」
昨日のルナと雨宮のやり取りを思い出す。昨日の夜のことを考えれば雨宮のほうがそういう役目に適任なのではないか。
「あの人まだ仕事してるっぽいし、それにあたしのことあんまり外に出したくないみたいだから、頼んでも無理って言われそう」
不満げに口を尖らせるルナ。ハルキは二〇分休憩のときの雨宮とのやり取りを思い出す。「ハルキがあそこにいたことがイレギュラーだった」、「絶対にバレるはずがないと言われた」などの言葉から雨宮はルナの存在が表沙汰になるのを嫌がっている節がある。なら外に連れ出したくないのも理解はできる。それならなぜこの学校に入ってきたのかという疑問は残るのだが。
ただ、だからといってハルキも転校生の案内をしたいわけではなかった。いつもしているゲームのモンスターのレベルが、ちょうどあと少しで最高に達しようとしていたのだ。最高付近まで行くとレベルを一つ上げるだけでもかなり時間がかかる。今日は塾がないのでできるなら晩ごはんの時間まで自分の部屋に引きこもってせっせとレベル上げに勤しみたかった。
「だからって別にオレは関係ないだろ。誰か別の人探して……」
しかしハルキの言葉は途中で遮られ、ルナはハルキの手を掴んで強引に引っ張る。
「じゃ、レッツゴー!」
「ちょ、オレの意見を聞けよオイ!」
しかしどれだけハルキが抵抗しようとしても体に力が入らなかった。いつもより体が軽く、少し浮遊感を感じていた。ルナをよく見てみると教室にいるときにはなかったはずのあの『首飾り』があり、ルナはそれを握っていた。ルナの指の間から青い光が少し漏れ出ている。
ハルキは結局そのまま学校から引きずり出される格好となった。他の生徒たちがほとんどいなかったのが不幸中の幸いだった。もしここにショウタのような生徒がいれば明日の教室には変な噂が流れていたことだろうと考えるとぞっとする。
ここまでされればもう極端にあしらうよりも従ったほうが面倒事にならないだろうと思い、ハルキは諦める。ハルキはとりあえず知っている店にルナを連れて行くことにした。ただ別に観光地というわけでもなく、それにランドセルを背負った小学生なので小粋な喫茶店に入れるわけもなく、学校近くのコンビニや駅前の本屋だったりと遊びに出るというにはあまりにも地味な場所ばかりだった。それにお金を持っていないのでただ店に寄って少し店内を物色して、それから店を出ていくだけだった。なので暑いからと言ってアイスや冷たいジュースなども買うことができず、ハルキからすればただただ疲労感が溜まる一方だった。
しかしルナからすれば全部真新しく見えているようで、例えばコンビニのおにぎり一つにもいちいち説明を求めてきたりと何事にも興味津々といった感じで説明を求めてきた。ハルキからすれば余計に疲れるだけなので無視したかったのだが、とにかくしつこく説明を要求してきたのでそれに逆らうと余計に疲れそうで馬鹿馬鹿しくなり、結局懇切丁寧にコンビニおにぎりについて説明する羽目になった。
そうした中で見えてきたものがある。それはルナが極端に世間に疎いことだった。
ハルキが時々通っているゲーム屋を訪れた際に、それがより顕著に現れた。
「これがゲームかあ」
ルナは宣伝用のビデオを垂れ流しているモニターとゲームソフトのパッケージを交互に見ながら呟く。しかしそれがまるで初めて見たような言い方だったのがハルキの興味を引いた。
「もしかしてゲーム知らない?」
今の御時世、おじいちゃんおばあちゃんならまだしも、小学生でゲームを全く知らないというのはさすがにありえないはずだ。自分で持っていなくとも、友達の家で遊ばせてもらっている子も多いはずだ。もっともハルキには友達がいないので、誰かの家でゲームをしたことなど一度もないのだが。
しかし、ルナは当然といった感じでこう返す。
「うん、やったことないし、見たこともないよ。どんな感じなの?」
言葉に詰まるハルキ。目の前の転校生は一体どんな秘境に住んでいたのだろうか。まさか今どきゲームがどんなものかもわからない小学生がいるとは思わなかった。
ただ質問されたのならちゃんと答えたほうがいいだろうとハルキは考え、近くにあったゲームのパッケージを手に取る。
「これって何?」
ハルキの手にあるパッケージに写っているのは全身が緑の東洋龍のような見た目のモンスターだった。パッケージの隅もそれに合わせてか緑色になっている。
「いろんなモンスターを捕まえて育てるゲーム。他の人と通信ケーブルをつなげてモンスターを戦わせたり、交換したりできる。あ、でもこれはケーブルなくても通信できたんだっけか」
ハルキはこのゲームを買ったときについてきた無線アダプタを思い出す。ただ通信相手がいない今は無用の長物と化しており、勉強机の棚に眠っている。
ルナはハルキからパッケージを受け取り、裏面を見る。
「モンスターってこの後ろに書いてある生き物みたいなもののこと?」
「そう。そこの三匹は最初にもらえるやつで、その中から一匹だけ選べる」
「みんなかわいいなあ。特にこの子!」
ルナは赤いひよこのようなモンスターを指差す。クラスの女子たちにも人気があるモンスターだったはずだ。女子たちがこのモンスターについて話しているところを見たことがある。
だがこのモンスターの最終進化系はこのひよこの面影が全くない長身の格闘家のような見た目になる。それを見た瞬間ルナはどんな反応をするだろうか。少し面白そうではある。
脱線しそうな思考を引き戻し、ハルキは尋ねる。
「このゲーム、アニメとかもやってて結構人気あるんだけど、本当に知らない?」
このゲームを持っていなくても、アニメは見ているという人はとても多い。その人気からこの時期には毎年映画もやっている。テレビを見ていれば自然とその情報が入ってくるはずだ。
「うん、全然」
しかし、ルナは首を横に振った。
少しの沈黙。ハルキは次にどうしようか考える。しかし特に搦め手も思い浮かばなかったので、直球を投げてみようと思う。ハルキの脳裏に昨日宇宙船のような乗り物から現れたルナの姿が思い浮かぶ。
「あのさ……」
「今までどこに住んでたの?」と尋ねようとしたときだった。
「あ、君たち!」
唐突に大きな声をかけられて二人の体がビクつく。
声の方向を向くと、そこにはエプロンをつけ、頭にバンダナを巻いた男性がいた。ここの店員であるという証だ。
「ランドセル背負ってるってことはまだ家に帰ってないな。寄り道したらダメじゃないか」
「ごめんなさい」
ハルキが頭を下げると、店員は聞き分けのある子だと思って安心したのか少し表情を緩める。
「ここに来るんだったら先に家に帰って、お母さんとかお父さんにどこに行くのか言ってから来てよ」
口調も緩くなり、諭すような感じに変わる。
「わかりました」
ハルキがそう言うと、状況がよく飲み込めていなくて呆然としているルナに声をかける。
「帰るぞ」
一言だけいってハルキはルナを置いてさっさと出口へと向かう。
「え、ちょっと!」
ルナは慌ててハルキを追いかけ、その最中に店員の方を振り向く。
「また来ますね!」
その言葉に店員の表情が笑みに変わり、「待ってるよ」と言う。
「置いてくなんてひどいよー」
「あ、ごめん、別にそんなつもりなかったんだけど……」
自分の行動を振り返り、反省するハルキ。確かにあの行動は置いていったと思われてもおかしくないだろう。
「ううん、悪気があったわけじゃないんなら別にいいよ」
ルナの笑顔で罪悪感が少し和らぐ。
「それにしても、なんで寄り道したらダメなんて言ったのかな?」
さっきの店員の言動に疑問を抱いて、ルナは店の方を向いて首を傾げる。
「最近誘拐事件とか結構あるんだ」
「誘拐?」
「そ、全然知らない人に声かけられて、そのまま車の中に入れられて連れ去られるんだ」
殺されたりもしてる、と言いかけてハルキは言葉をギリギリで引っ込める。ここで言うにはあまり好ましくないことだとハルキは思った。
「そうなんだ……」
明らかに落胆したような感じでルナが言う。
――なんでこんなに落ち込んでるんだ?
自分の身やその周辺で起きなければ、こういうことは他人事で済まされるということはハルキは経験則でわかっていた。遠くの街で子供が誘拐されて遺体で見つかったというニュースがあっても、同級生は「怖いよなー」とか「でもここじゃあそんなこと起きないでしょ」などまさに他人事といった感じで真に受けることはなかった。
だが、目の前の少女はまるで自分の身の周りで誰かがそういう目に遭ったというふうに落ち込んでいる。一体何故なのだろうか。
「ま、まあ、そういうこともあるから、こういうのが学校で配られたりしてるんだよ」
ハルキはポケットから卵型の物体を取り出す。透明な青色で、中の機械の基盤が見えている。所謂防犯ブザーというものだ。
「なんなの、これ?」
「ここを押すと……」
卵型の表面のうち、くぼんだ場所にあるスイッチをハルキが押す。
次の瞬間、耳をつんざくような音が大音量で周囲に発せられる。あまりの音にルナは飛び退くほど驚き、耳を手で塞ぐ。
「うるさーい!」
ルナが叫ぶ。それを聞いてハルキがスイッチから指を話すと音が止まる。
「こうやって音を鳴らして、相手を驚かせたり、周りの人に助けてって教えるんだ。ちなみにここの紐を引っ張っても音が鳴る。まあオレは使ったことないんだけど」
使わないほうが本当はいいんだけどなとハルキは心の中で続ける。
「……は治安……って聞い……な」
ルナが何かを呟いたことにハルキは気づく。
「今なんか言った?」
「へ、何も言ってないよ」
全然といったふうにけろっとしているルナ。ハルキも気のせいかと考え、それ以上は追求しない。
それから少し歩いたところで意外な人間と遭遇した。
「あれ、サギリちゃんだ」
その姿を確認するとルナは霧島サギリの方へと駆け寄る。サギリの方も思いがけない相手と遭遇して驚いている様子だった。
ハルキはどうするか迷う。普段全然話さないクラスの学級代表に何と声をかければいいのかわからない。ただぼーっと突っ立っているのも変なのでとりあえずルナの後を追う。
「サギリちゃんはなんでここに?」
「い、今から塾なの」
「塾、って何?」
「勉強するところだけど」
「学校でも勉強して、帰ってからも勉強するんだ。大変だね」
「ま、まあね」
するとハルキに少し疑問が湧く。
「もしかして行ってる塾ってあそこ?」
ハルキが指差した方向、そこにはハルキがいつも通っている塾があった。
「うん、そうだけど」
「オレもあそこに行ってる」
「あ、日上くんも来てたんだ」
記憶にある限りでは初めて名指しで呼ばれた気がする。家族以外からそう呼ばれるのにハルキは少し違和感を感じた。
「オレも初めて霧島さんが通ってるの知った」
『霧島さん』呼びにも違和感があった。
「多分違う曜日なんだね、だから見たこともなかったんだと思う」
なるほどとハルキは思う。この塾は個別指導で、それぞれの生活スタイルに合わせて来る曜日を決めるシステムだった。ハルキとサギリは別々の曜日授業を取っていたのだろう。
「そういえば、なんで月森さんと日上くんが一緒に?」
「あ、また『月森さん』って言った。『ルナ』って呼んでって言ってるのに」
「ああ、ごめん、る、ルナちゃん」
言い直されて満足したのかルナは不満げに尖らせていた口を元に戻す。
「日上くんに街案内してもらってたの」
「『させられた』んだけどな」
ハルキは不満を隠そうともせずに言うがルナはわざとなのか天然なのか意に介さない。
「へえ、街案内……」
一方のサギリは転校生とクラスの日陰者がつながらずに困惑する。ただサギリ自身もハルキのことを他人事には言えないぐらいには日陰者なのだが。
「今度はサギリちゃんとも一緒に遊びたいな」
ルナがいきなりサギリの両手を握る。
「え、う、うん、いいよ」
いきなりのことで恥ずかしくなり、顔が紅潮していく。そしてそれを見られたくないので顔をうつむかせる。
「わ、わたしそろそろ授業始まっちゃうから、これで……」
結局サギリはうつむいたまま逃げるようにして立ち去る。
「じゃあね!」
ルナが手を振ってもサギリは気づかずにさっさと言ってしまった。しかし特にルナはそのことを気にしていないようだった。
「あたしたちもそろそろ行こっか」
ハルキはルナの言葉に頷き、二人はまたぶらぶらと街を歩く。しかしすでに日が沈みかけていたので対してどこにも行けず、夕日が街の建物すべてをオレンジに染め上げているのを見て、二人はタイムアップだと悟った。
「そろそろ時間だね。雨宮からもこれぐらいになったら帰ってこいって言ってたし」
転校してきてすぐにルナは自分のクラスの担任を呼び捨てにしている。ハルキは雨宮から学校の屋上で聞かされた、ルナが只者ではないという話が少し真剣味を帯びた気がした。
そしてちょうどいいタイミングで分かれ道になっていた。ルナによると家はハルキとは真反対の道を行った先らしい。
「今日は案内してくれてありがと! また今度も一緒に行こう!」
家々の隙間から届く夕日の光をバックに、ルナは満面の笑みを浮かべる。
「う、うん……」
その笑顔に見とれてつい頷いてしまう。
「約束だよ! じゃあね!」
ハルキは少しの間ルナの去っていった方向を見ていた。
その日の夜、ハルキは自分の部屋のベッドに寝転がってゲームをしていた。しているのはモンスターのレベル上げ。ルナのせいで予定が大幅に遅れていた。
ただ何故かあまり嫌な感じはしなかった。いろいろ振り回されて迷惑に感じていたのにも関わらず、最後にルナが見せたあの笑顔のせいで不満だとか憤りだとかそういう負の感情がふっと消えるのだ。
――なんでだ?
ハルキは自分のペースを乱されるのが大嫌いだった。だから後先考えずに行動する人間が嫌いで、クラスのガキ大将にしつこくドッジボールに誘われても断り続けてきた。ルナもその典型例のはずだ。なのにルナに振り回されて実際に迷惑だったと感じていて、しかも自分のやりたかったゲームも後回しにさせられた。にもかかわらず、今日ルナと一緒にいたことが悪かったとは思えなかった。
そしてルナとはまた一緒に街を回ることを約束してしまった。さすがに一度した約束を破るのは人としてどうだろうとハルキは自問する。
そしてゲーム機の液晶画面を見る。ルナがゲームの紹介映像を興味津々に見ていたことを思い出す。
――今度はこれ持っていってやろうか
青いビー玉 水谷哲哉 @tetsu6988
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