転校生 2

「ここが保健室」


 学級代表のサギリが扉の上の『保健室』と書かれたプレートを指して言う。


 今は二時間目と三時間目の間の二〇分休憩の時間だった。雨宮との約束通り、サギリはルナに学校を案内している。


「怪我したり、気分が悪くなったりしたらここに来てね。一人じゃ来れないと思ったら保健委員の子を呼んだら一緒に来てくれると思うよ」

「はーい、わかった!」


 サギリの説明にこのように返すルナ。さっきまで理科室や音楽室を案内していた。そしてこうやってサギリが説明を終えると決まって次にこう言うのだった。


「ちょっと中に入ってみていいかな?」


 サギリは少し迷う。理科室と音楽室は鍵がかかっていたので入ることはできなかった。しかし今目の前の保健室には明かりが点いている。というより普通はいつも誰かいるはずなので、中に入るのは可能のはずだ。ただ何の用事もないのに入っていいものなのかとサギリは考える。


「さっきの部屋入れなかったし、ここぐらいは入ってみたいなあ」


 少し上目遣いで話してくるルナ。ここで断ってがっかりされたら罪悪感が残りそうだった。


「べ、別にいっか。ちゃんと月森さんのこと案内してたって言ったら保健の先生もわかってくれると思うし」

「本当? やった!」


 途端にその場で跳ねて喜びを全身で表現するルナ。尻尾を振って喜んでいる子犬のようだとサギリは思う。


 サギリが扉を開け、続けてルナが中に入る。保健の先生に事情を説明すると先生はルナに自己紹介をする。その後にルナは興味津々に棚に入っている消毒液やベッドを見ていた。どこの学校でも保健室の中は変わらないはずだ。どこにそんなに興味を惹くものがあるのだろうかとサギリはその間ずっと疑問に思っていた。


 一通り見終わってから二人は保健室を後にする。


「ねえ、うちの保健室ってそんなに変わってる?」


 ずっと思っていた疑問をついにサギリは口にする。


「うーん、変わってるっていうか初めて見るものが多くて新鮮っていうか」

「初めて? 保健室が?」

「うん、初めて」


 サギリにとって予想外な返答が返ってくる。だがルナの元気が有り余ってそうな様子を見ていると今まで風邪も引いたことも、大きな怪我もしたこともなさそうな気がする。


 それなら保健室のことを知らなくても仕方ないのかもしれない。と、サギリは自分に言い聞かせる。


 サギリは近くの壁掛け時計を見る。三時間目が始まるまで後五分ほどだった。


「月森さん、もう時間ないよ。教室戻ろう」

「もうそんな時間。じゃあ帰ろう帰ろう!」


 自分たちの教室へ向かうために近くの階段を上がっていく。


「そういえばさっきからずっとわたしのこと『月森さん』って呼んでるでしょ?」

「な、何か悪かったかな?」

「なんか余所余所しいから、『ルナ』って呼んでよ」

「え、ええ、いきなりそんな……」

「じゃあわたしも『サギリちゃん』って呼ぶから、それでいいでしょ?」


 何がいいんだろうかとサギリは思う。だが真剣に真っ直ぐにサギリの目を見て言うルナに絶対こっちは折れないからという気迫を感じる。


「わ、わかった。頑張ってみる」

「やった! じゃあよろしくねサギリちゃん!」


 弾けるような笑顔を見せるルナ。それを見ていると突っ込む気力を失ってしまった。


「ところでさ、わたしの席の前に座ってる子、なんて名前なのかな?」


 そう質問されてサギリは教室の窓側の席順を思い出す。


「日上くんのこと?」

「そうそう! あの子ってどんな子?」

「どんな子って……」


 サギリ自身、ハルキと話したことはほとんどなかった。まずハルキが教室の誰とも話をしようとしないことに加えて、元来の自分の内気な性格もあって必要最低限な、事務的な会話しかしたことがなかった。サギリとしては地味で目立たない、何を考えているのかわからないという印象を抱いていた。


 ただそんなことを直球で言うわけにはいかないので、


「よくわかんない。話したことあんまりないし」


 というふうにはぐらかす。サギリからすればハルキのことはわからないことだらけだったのであながち間違いではないのだが。


「そっかー。やっぱり直接話すしかないか」


 腕を組んで考え込むルナ。


「月森さんは日上くんのことが気になるの?」

「まあね。ちょっと仲良くなってみたいかなって思って」

「え、そうなんだ。なんで?」


 純粋な疑問だった。ルナの性格はこの休み時間で大体わかってきた。内気で吃りがちな自分に対しても常に笑顔を絶やさずに言葉をかけ続けてくれる。これまでの休み時間でも多数の同級生に囲まれながら、嫌な顔一つせず投げかけられる質問に対してすべて答えていた。社交的で自分とは真逆な性格だとサギリは思う。故になぜクラスでも目立たないハルキのことを気にかけるのか。そもそもルナがこの学校に来てからの時間、一度もルナとハルキは言葉を交わしていないはずだ。


「うーん、秘密!」


 またもニコニコ笑顔ではぐらかされる。ルナの笑顔は決して好意的なことを示しているだけではないのかもしれないとサギリは考える。これがルナなりの他人に対する接し方なのだろう。やっぱり自分とは正反対だとサギリは思う。


「ていうか今『月森さん』って言った! 『ルナ』って言うように約束したばっかなのに!」

「あ、ごめんなさい」


 サギリは体を縮こませる。


「あ、いや、全然怒ってるわけじゃないから。確かにいきなり呼んでって言われても難しいよね」


 少し慌てて取り繕うルナ。少し驚き過ぎたかもとサギリは反省する。大きい声を向けられたときに反応が大きくなってしまうのはとにかく怒られないようにしようといい子を演じてきたサギリの癖だった。


「大丈夫だよ。頑張ってみるから。る、ルナちゃん」

「ありがとう。サギリちゃん」


 ちょうどそこで始業のチャイムが鳴り始めた。


「あ、早く戻らないと」

「じゃあ教室にレッツゴー!」


 二人は階段を慌てて駆け上がった。

 

 

 

 同じ二〇分休憩中、ハルキは言われた通り職員室の雨宮の席にまで向かった。そして雨宮とともに屋上まで上がる。この学校の屋上に入るのはハルキにとってこれが初めてだった。


 屋上の風景は至ってシンプルだ。床は灰色のビニール製で上履きでも滑らないように配慮されている。屋上へとつながる階段室の上には給水塔があり、球状のタンクがポツンと立っている。これがこの学校で一番高い位置にあるものだ。四方は緑色の金網のフェンスで囲われていて、万が一登られても外側へ行けないようにするため金網が一定の高さから内側へ反り返っている。


「日上、昨日はあの後誰に会った?」


 屋上に着いてからの雨宮の第一声がそれだった。


「お母さんと姉ちゃんだけ。割と遅かったから直接家に帰った。他には誰にも会ってない」

「じゃあ今日の朝までに誰かと話したか?」

「いや、特に誰とも」


 本当はショウタに詰め寄られたのだが、ろくな返答をしなかったのでノーカウントだろうとハルキは考える。


「やっぱり昨日の女の子は今日の転校生なの? それにあそこにいきなり出てきたのも先生?」


 念の為ハルキは尋ねてみる。


「ああ」


 雨宮はただ一言だけ答える。だがそれだけで十分だった。やはり昨日の夜のことは夢ではなかった。


「だが、ここまで言ったならなんとなくわかるだろうが、昨日のことは誰にも言うなよ」


 お決まりの言葉だなとハルキは思う。あの転校生、月森ルナは普通じゃない。流れ星の正体と思われるあの変な乗り物から現れ、目の前で空中浮遊までしてみせた。そんな情報が広まったら大騒ぎになるに違いない。


「わかったよ先生」


 しかし逆にそう言われてしまえばあの少女の正体について知りたくなるのも仕方がない。何も聞かないよりはマシだろうと直球に質問を投げかけてみる。


「だけど、あの子って一体何者?」

「悪いがお前にも教えられない。秘密だ」

「じゃあ一応どんな人かっていうのは先生は知ってるんだ」

「なんか癪に障る言い方だな」


 まあいいかと雨宮は頭を掻く。口ではこう言っているが特に気にしていない様子だ。


「詳しくは言えないが、とりあえず普通だとこんな街にいるような人間ではない、ということだけは確かだ」


 そうだろうなとハルキは思う。超能力者がこんな近くにいてたまるか。


 すると今度は雨宮から質問を投げかけられる。


「昨日、なんでお前はあそこにいた?」

「え?」

「正直、お前があの場所にいたことがかなりイレギュラーだったんだが」


 イレギュラーとはどういうことだろうとハルキは考えるが、今はヒントが少ない。特に考えても意味がなさそうなので普通に昨日の顛末を話すことにする。


「塾の帰り際に流れ星が見えて、でも流れ星にしてはでかすぎるなと思ってたら海に落ちたように見えて気になって見に行った。そしたらあそこにあの子がいた」

「なるほどな」


 ハルキから聞くなり、雨宮は舌打ちする。


「ったく、誰にも気づかれるわけないだなんて言いやがって。思いっきりバレてるじゃねえか」


 雨宮は独り言のつもりで言ったのだろうが、その言葉は普通にハルキには聞こえていた。ハルキの訝しむ視線に気づき、雨宮は咳払いをする。


「まあとにかく、さっきも言った通り、昨日のことは誰にも言うな。もちろんルナのこともな」


 雨宮がきつい視線を向ける。言えばどうなるかわかっているだろうなという脅しの視線。とても教師が生徒に向けるものではなかった。


 だがハルキは特に物怖じすることもなく頷く。こうなることは予想できていた。それに明らかにこれ以上はルナについて話したくなさそうだった。もう情報を引き出すのは無理だろう。だったら長話の必要もない。


 ちょうどそこで始業のチャイムが鳴る。


「さ、教室帰るぞ」


 雨宮に促され、ハルキは彼に続いて階段室へと向かった。

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