部室内レンアイ 番外編
榊あおい
君に恋をする前の物語。
「
高校生活二年目突入の、四月上旬のことだった。
同じクラスで、俺が所属するサッカー部のマネージャー・
「いや、新しい子って……。澪ちゃん、その子大丈夫?」
俺があからさまに嫌そうに表情を歪めると、澪ちゃんは口に手を当てて「ふふっ」と笑った。
「あ、「どうせまた俺のファンなんでしょ」って? もー、浅野くん自信持ちすぎ」
澪ちゃんはバシッと一発俺の背中を叩き、「まー、しょうがないよね。今までの子を見てたら」と、苦笑いをした。
「でも、今回は大丈夫。今年入部する男子の彼女だから。その子なら、浅野くんに騒いだりしないと思うよ」
澪ちゃんのそんな言葉に、自分の眉がピクッと寄ったのが分かった。
今まで、澪ちゃんの他にマネージャーを希望してくる女子といえば、俺の顔が目当ての女子が多かった。
サッカー部は三十人以上の大所帯だというのに、世話をするのは俺のことばかり。
やるべき仕事もせずに、あとは澪ちゃんに全て丸投げ。俺は、そんな女子しか知らない。
『あのさ、俺にばっかりタオルとかドリンクとか持ってこないで、全員にちゃんとやってくれない?』
いつかの、自分の言葉が勝手に脳内で再生される。
『あとさ、いつ洗濯とか掃除してんの? 澪ちゃんがひとりで忙しそうにしてるのしか見た覚えないんだけど。仕事する気ないなら、マネージャーなんかしなくていいよ』
『えー……、浅野くんってそういうこと言うんだ。イメージと違うんだね。言われなくても、もう明日からは来ないから』
これは、何人目のマネージャーとの記憶だったか。大体全員同じだったから、思い出せない。
マネージャーに多くを望んでいるわけじゃない。ただ、ちゃんと部のことを考えて欲しいだけだ。
なのに、それだけのことがここでは難しいらしい。
今度の子は彼氏持ち? そんなの、対象が俺じゃなくなったというだけで、結局は男目当てに違いない。
どうせ同じことが繰り返されるだけだ。
まだ顔も知らない、西川梨子という後輩に対しての印象は、すでに最悪だった。
*
「一年の
程なくして、彼女は入部してきた。グラウンドで部員全員が見守る中、緊張気味に頭を下げる。
いや、初心者って。
同じ一年に彼氏がいるなら、ある程度は知っているだろうし、それはきっと、よくある常套句。
俺はため息をついて、他の皆に合わせて社交辞令で小さく拍手をした。
西川梨子の彼氏は、新入生の
何だそれ。少女漫画か?
確かに澪ちゃんの言った通り、今までの女子のように俺に黄色い声援を送ることはない。それどころか、むしろ何もしていないのにビビられている。
それは俺だけではなく、部員全員に対しても。
まさか、男嫌い? ……というより、男が苦手?
男子の中でまともに話をするのは、知宏だけ。
それでも、彼氏と一緒にいるためなら……ってことか。
ますます気に入らない。
この子だって、今までと同じだ。何も変わりはしない。きっと、知宏のためにしか働かない。
男が苦手なら、尚更。
よこしまな気持ちで入部したマネージャーなんか、必要ない。
どうせ今回も、少しキツいことを言えば、すぐに辞めていくに決まってる。
*
それから一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ち……。
「これ書いたの、梨子ちゃんでしょ」
「は、はい……。初めて書いたんですけど……、何か変でしたか?」
「これ。ドリブルとパスの書き方が逆。ドリブルは、波打った線で書くって教わらなかった?」
「あっ、す、すいません! 今すぐ直します!」
そんな俺の指摘に、彼女はスコアを慌てて受け取り、頭を下げる。
「こら、浅野くん。また梨子ちゃんのこといじめて。ダメでしょ、優しくしなきゃ」
横から、俺たちの間に澪ちゃんが入る。
「ごめんね。梨子ちゃんにスコアはまだ早かったかな? また今日からは私が……」
「い、いいえ! もっと勉強します! 頑張ります!」
意外だった。「私には無理です」とか、「澪先輩に任せる」とか、そう来ると思ったのに。
今までのマネージャーなら、澪ちゃんに言われるまでもなく丸投げだったし、なんだったら今頃はとっくにやめている頃だ。
予想に反して、西川梨子はサッカー部に残り続けた。
相変わらず、俺を筆頭とした男子部員にビクビクしながら。
何を言われても、案外めげずに。
それに、予想外だったことはもうひとつ。彼女は、澪ちゃんの後ろにくっ付いてとてもよく働いた。
部室の掃除、グラウンドの草むしり、洗濯やドリンク作りなど。ボール拾いなんか毎回走っていくほどで。
そして、初日に初心者と言ったことは謙遜でもなんでもなく、言葉の通り、ガチの初心者だったこともすぐに判明した。
彼女は、ボールがゴールポストに入れば点になるという、子供でも知っているような基本中の基本のルール以外、何も知らなかった。
知宏は、中学でもサッカー部だと聞いた。その練習や試合を見ていれば、自然とルールくらいは覚えそうなものなのに。
*
ある日の昼休み。暇を持て余した俺は、図書室へと出向いた。
図書室には、六人掛けの机が複数並んでいる。入口のすぐ近くの机。そこに、彼女はいた。
真剣な顔で、開いた本を睨みつけている。
見ているこちらが痛くなりそうなほどに、ぎゅうっと眉間にシワを寄せて見ているのは、サッカーのルールブック。
「もっと勉強します」と宣言したことは、嘘ではなかったらしい。
「オフサイドトラップ……、え、何それ……」
無意識なのだろうか。静寂に包まれた図書室で、ブツブツとひとりごと。
「オフサイドだって分かんないのに、トラップまであるの? えー、困る……」
その時。図書室の貸し出しカウンターにいる女子生徒にゴホンと咳払いをされ、「ごめんなさい……」と小さく縮こまる姿に、思わず吹き出してしまった。
*
その日の部活の休憩時間。彼女は胸に手を当てて深呼吸をし、部室で部員と雑談しているキャプテンの元へと向かった。
「きゅ、休憩中にすみません……! お、教えて頂きたいところがあって……」
「え? 何? 聞こえない。西川さん、声小さいよ」
「!!」
容赦なく距離を詰めたキャプテンに怯えつつ、身を退こうとはしない。
「す、すみません! お、オフサイドトラップというのは、……どうやるものなんでしょうか?」
そんなこと、知宏に聞けばいいのに。ほら、あいつだって、遠くからふたりを気にしている。
キャプテンが大きな声で説明をし、彼女はそれを一生懸命メモしている。時折、近づく距離に震えながらも。
黒猫のキャラクターが上にちょこんと乗っているボールペンが、文字を走らせるたびに左右に揺れた。
キャプテンが部室からいなくなり、息継ぎをするように深く呼吸をしている彼女のそばで、スコアブックを見つけた。
そういや、こないだはスコアのつけ方間違ってたな。
そう思い、ページを開く。
あれ?
「……梨子ちゃん」
「えっ!? な、なんでしょう……」
彼女は身構えながらも、少々睨みをきかせながら俺に向き合う。
そんな態度の女、今まで見たことないぞ。別にいいけど。
「スコアつけたの、梨子ちゃん? 綺麗で見やすくていいね。間違いもなくなったみたいだし」
まさか、褒められるとは思わなかったのか、目を見開いて俺を見つめてくる。
そして、警戒心でいっぱいだった表情を解くように口角を上げて……。
「本当ですか……っ! ありがとうございます!」
……笑った。
幸せを噛み締めるように、頬に両手を当てて笑顔を見せる姿から、目が離せない。
彼女は俺にペコッと頭を下げて、すぐに部室を出ていった。
睨んできたかと思ったらいきなり笑ったり。男嫌いのくせに、サッカーのためなら自ら近づいてみたり。
……変な子だな。でも……。
今までの子とは、違うかもしれない。
*
部活が終わり、コソコソと知宏が彼女を連れ出したのを見つけた。
ふたりは、いつもどんな会話をしているのか。
そんな、軽い気持ちだった。こっそり聞き耳を立てたのは。
「お前、キャプテンに何言いに行ってたんだよ」
「ちょっとね、サッカーのルールを聞きたくて」
「そんなこと、俺に聞けばいいじゃん。男苦手なくせに無理すんなって。サッカー部に入ったの、半分は俺のせいだろ」
半分? 全部じゃないのか。彼女は知宏のためだけに、ルールも知らないサッカーのことで頑張っているはずで。
改めて思い返すと、なんか……イライラする。
「ありがとう。……でも、大丈夫。知宏が知り合いだからって、知宏だけがサッカー部なわけじゃないんだから、ひとりだけには頼れないよ。引き受けたからには、ちゃんとしないと」
知り合いって。いや、彼氏だろ。案外冷たい言い方するな……。
「まあ、頑張ってくれるのは助かるけど……。あ、でも何かあったら言えよ。浅野先輩にいじめられた時とか。今日も言われてただろ」
自分の名前が出た時だけ、大きく聞こえるのはなぜだろう。
「うん、浅野先輩は正直すごく苦手だけど」
予想通りの返しに、心の中でべーッと真っ赤な舌を出す。
「でも、言ってることは正しいし、サッカーしてるところだけは本当にかっこいいから……、やっぱりエースなんだなって思うよ」
おいおい。彼氏の前でそれ言っていいのか? 知宏、ちょっと不機嫌そうにしてるじゃん。
「……」
意地悪しかした覚えはない。なのに、そんなふうに思われていたのは予想外で、言葉を失った。
俺は、彼女の何が気に入らなかったんだっけ。
『男目当て』、『どうせ働かない』、『すぐやめるに決まってる』?
どれも、違っていたとしたら。
彼女が知宏と楽しそうに笑う姿を見て、その場を離れる。
……それでもやっぱり、気に入らない。
他の奴に、心を奪われているところだけは。
部室内レンアイ 番外編 榊あおい @aoi_sakaki
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