後編



 ボードに腹ばいになって湾の上を行くのは、不思議な気分だ。

 とても低い位置から見上げる世界。すこしでも波が立てば、たちまち周囲は海と空しか見えなくなる。

 これが有名なサーフビーチなら、砂浜から颯爽と沖に出て行くのだろうけれど、この街ではこうして、波止場から沖合いに泳ぎ出ることになる。

 港の外れにある、沖の浅場。南側に一級河川を持つこの湾の複雑な海流が作り出した砂州をぼくは目指している。大きな川から流れ出た土砂は、湾の海流に運ばれ、その一点に徐々に堆積する。そしてそこは、陸から離れた砂州となる。砂州はいつか、陸とつながり半島を形成したりするのだろうが、ある程度以上に砂が溜まると、大潮の日の湾の海流にすべて押し流されてしまうため、ここはいつまでたっても陸続きになることはない。干潮時には水深30センチほどになる、見えない砂の島だ。

 その見えない砂の島はしかし、知る人ぞ知る、サーフパラダイスだ。


 ぼくを含めたこの街の波乗り連中は、暇さえあれば天気情報を聴いている。主に、ラジオとインターネットから。ぼくがバイト先の「クーガーズ」で仕事をしながら流しているのも、実はこの為だ。客の多くをしめる船乗り達は、これからの彼らの航海のために店が気を効かせてくれていると思っているようだが。

 南太平洋で発生した低気圧が生む暴風雨は、その海面をひどく波立たせる。その荒れた海面は、円周上に周囲の海へそのエネルギーを放射する。まるでたらいの中心に小石を落とすように。長く、広く、浅い周期の波となったそのうねりのエネルギーは、海面から海面へとゆっくりとではあるが確実に伝達される。南太平洋から3000マイル。そのうねりは、果てない太平洋を渡り、この日本のこの街にも届く。

 うねりは、大洋を渡る間はその周波が長く浅いため、例えば船に乗っていても明確にそれを意識することは難しい。それぐらいにおだやかでゆっくりとした波だからだ。しかしその低く長い周波のため、エネルギーはかなり遠くまで旅をすることができる。

 太平洋を越え、日本の大陸棚に乗ったうねりは、その力をより明確に現すこととなる。大陸棚に乗り上げたそのパワーは、水中のどこへゆくこともできずただ、水上へ伸びるしかない。つまり、はっきりとした波の形を取って出現するのだ。

 から、へと姿を変えたそのエネルギー。

 それは、陸地へ近づくにつれ、徐々に狭まってくる海底との距離に反比例するように、海水を押し上げる形に作用してゆく。そしてその勢いを増して、海岸に近づいてくる。そしてこの湾に入り、湾内のすべての岸辺に対して、波としてぶつかり、その長旅を終える。

 しかし、ぼくが向かっているこの砂州だけは、事情が違う。

 そのうねりのパワーは波乗りに最も適した長く高い波へと変化するのだ。川の流れが運んだ小石が海底に堆積し、その硬い底に乗り上げたエネルギーが力強く空へと隆起するからだ。

 二日前のラジオで言っていたソロモン海域での暴風雨が作り出したそのエネルギーは、いよいよ大波となってわが町にも押し寄せるというわけだ。


 目指す海域に到達した。

 目視して、山の上の電波塔と街中のドームの避雷針が縦に重なる位置が、この「見えない島」のあるべき方向だ。顔を左右に振って、それぞれの目標物を確かめる。この三点測量で、ぼくは正しい位置を探ってゆく。

 すると、既に何人かの仲間が波間に浮かんでいるのを発見する。馬鹿ばかりだ。ぼくはボードの上でひとり、苦笑する。平日の朝だというのに、こんな沖合いまで漕ぎ出してきていやがる。

 互いの邪魔にならない位置に自分とボードを導いて、ぼくらは「その時」を待つ。


 ―――この波を待つ間の静かな時間が大好きだ。

 たった一枚のボードの上に座って、上手に身体をバランスさせながら、言葉もなく時を過ごす。


 かつて、クーガーは自分の出自を尋ねられてこう言った。

「―――納屋を焼いちまったんだ。戻るところなんて、どこにもありはしないさ」

「納屋を焼く」というのがどんな意味を持つのかは良くわからない。けれど、その戻るところのない寂寥感は、なんとなく理解できる。ぼくの納屋はきっと、この「その時待ち」の時間なんだと思う。

 学校へ行く。街で友だちと遊ぶ。家で母親と過ごし(ウチは母子家庭だ)、そしてクーガーズでのバイト。どれも自分にとってたいせつ時間ではある。が、それらはすべて、この波乗りの瞬間のために存在しているように思う。教室で教科書を開いて勉強をすることはたいせつだろう。また、何人かの親しい友だちと馬鹿話をすることだって素敵なことだ。しかし、すべてはかりそめの時間のように思えることがある。歯車みたいな世界につかの間、さよならする。それはそんな時間だ。ほんとうの自分がいる、ほんとうの時間の流れる場所。ぶれていたぼく自身が、とした海上の静けさの中で、輪郭のくっきりした本当のぼくに整合する。


 3000マイル。

 訪れたことさえない、米軍の英語放送で流れる南太平洋の島々。そこを吹き荒れる嵐。そして生まれる波。地球の表面を渡ってくる、そのエネルギー。そしてこのぼくがすることは、ただ、その全地球的グローバルな規模で行われる自然現象に、たった一枚のボードで向かってゆくことだ。向かっていき、そして、それに乗る。何も生み出さない。単なる遊び。しかし、それは確実に何かを身体に残す。日本近海で発生した波とは明らかに質の違うその波にライドするとき、ぼくの魂は地球とエンゲージし、その脈動の中に取り込まれる。

 例えようもなく美しく広がる波。それをなんとか無事に乗り終えて、砂州にたどり着いたとき、たった一回のライドでさえ、胸がドキドキしてたまらなくなる。


 耳を澄ませば、遠い街のノイズが聞こえてくる。

 そして背後に大型貨物船。四千トンクラスの、外洋航路型だ。

 この港で積荷のボーキサイトをあらかた下してしまい、身軽になったその船は、球状船首を半分ほど水上に出した状態で、内湾を出、増速し始めている。


 やがて、その大型船舶が行ってしまった時、沖合いの海面がのっそりと盛り上がるのを見つけた。

 誰もが目を見合わせ、その時が来たことを知る。ひとり、またひとりとボードをこぎ、やってくる波のタイミングを探る。テイクオフに最適な場所を確保するため、すこしずつ、自分の位置を変えてゆく。

 心臓が高鳴りはじめ、すべての音が消える。ぼくは、視覚と、バランス感覚だけの存在となる。

 遠くで盛り上がった海面。

 そして自分のいる海面がぐっと下がるのを感じる。自分の下にある海水が、沖の波にその圧倒的な水量を吸われているのだ。そして世界は海だらけとなる。後方に見えていた水平線や船舶はすべて姿を消し、大きな波の壁が押し寄せてくる。

 すりあがったその巨大な波の壁に後ろから飲まれるように引きずり上げられ、さっきまで自分がいた海面を垂直に見下ろす。

 両手で激しく海面をこぎ、ぼくとボードは勢いをもって下降を始める。


 はじめよう、バディ。

 パーティーの時間だ。






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