一話/開廷

1-1

 ぱち、ぱち、ぱち。

 教室後方部に整然と並ぶ十のお面。その中の一人、阿多福オタフクの面をつけた女が実に無機質な拍手を鳴らした。

「素晴らしい演説だよ本郷。やはり今年の立会人にお前を指名したのは正解だった」

 阿多福の細長い人差し指がこちらを向く。話には、184センチの恵まれた巨躯だと聞いている。隣の学生服と比べても頭ひとつ高いセーラー服は、十人の中でも特に異様な雰囲気を纏っていた。

 割って入るように、「用意された台本ほんを読むだけなら、誰にでもできる。立会人としての腕が要求されるのはここからだろう」とはピカチュウの弁。

「その通り。しっかり指揮しきを執ってくれたまえ」とはプーさん。

 まだ状況を把握しきれてはいない八人の学級代表を、苦笑混じりに眺める十人の傍聴人。彼らは“公正イジメ委員会”のお歴々である。

 実際問題として――、“みんなで示し合って一人だけをイジメる”などという荒唐無稽なシステムを構築し、維持するには、相当の能力と労力が要求される。彼らは時として詐欺師のごとし話術で人を洗脳し、時としてその腕力で口を塞ぐ。頭脳も、肉体も、精神力も、表の顔の人望も。その有り余る能力を惜しみなくこのシステムのために注力する、天才的人材たちである。

 私は身を引き締める思いで話を続けた。

「それでは選考会議を始める。会議は三十分の自由討論と投開票との繰り返しだ。自由討論では果たして誰がイジメられっ子――ここでは人柱ひとばしらという――になるべきかについて八人で議論してもらい、その後投票。過半数の票を得た者が、今年度の“人柱”となる」

 人柱。

 その遥か昔の愚か者どもは、建造物が天災等によって破壊されないことを神に祈願し、人柱として生きた人間を土中に埋めたり水中に沈めたりしたという。今では到底理解できない風習も、その当時の人々が“真”と信ずればそれは真であったのだろう。この敬愛中学校にあるイジメ政策も、百年後の人間の目に触れることがあれば、やはりそれは理解不能な人身御供ひとみごくうなのかもしれない。だが少なくとも、今の敬愛中学校では“真”である。大切な生徒たちをイジメという“天災”から守るため、ただ一人の人柱が必要なのだ。――そんなことに思いを馳せながら、私は説明を続けた。

「最多得票者の得票数が過半数に届かなかった場合は再度自由討論を行い、三十分後にまた投票。これを、過半数の票を得る者が現れるまで行う。その他、詳しい規則については会議の中で必要に応じて説明する。どうか、どちら様も後悔することのないよう、時間一杯、奇譚のない意見をぶつけ合ってほしい。それではさっそく、第一回討論を開始する」

 そう告げて私は、誰からの反論も質問も待つことなく腕時計のタイマーを起動した。時間は三十分。デジタルの高速回転は既に始まっている。あまりにもあっけなく、賽は投げられた。

 五分、経過した。

 十五分、経過した。

 誰も、なにも言わなかった。意味のあることはなにも。

 八人の選考委員はもちろんのこと、公正委員会の連中も、私も。一切、なにも。誰も、なにも。八人に発言を促すこともなかった。積極的な議論を促すこともなかった。時の流れに身を任せ、まるでそうであることが必然であったかのように、静寂の二十分はあっという間に過ぎ去った。

「なぁ……、これ、マジ?」

 そして、二十五分が経過した頃だった。

 告げられた制限時間の三十分。体内時計がそれを察知したのか、それまでは横目で周囲の様子を窺うしかしなかった男が、ようやく口を開いた。か細く震える、消え入りそうな声色で。

「それは、私に訊いているのか?」

 私は尋ねた。すると男はああ、いや、と歯切れ悪く口を濁らせながら、横の女に目線を逃がした。

 一年一組の学級代表、喜村恵一きむらけいいち知念美穂ちねんみほ。私は彼らの人間性を値踏みした。まず男の方の喜村恵一は、私に睨まれて知念美穂に助けを求めたほどの素晴らしい“頼もしさ”だ。このあとの会議でもさほど発言に力を持つタイプの人間性ではあるまい。ただし、このまま制限時間の三十分が経ってしまうのは具合が悪かろうと、誰よりも先に口を開いた危機管理能力と目敏さについては評価できる。

 一方、相方の知念美穂についてはまだ判断しかねる部分が多い。“華奢”と評すれば美化しすぎな、細すぎるほどに細いその身体に起因する気の弱さが、伏せがちの目つきに現れているような気はする。立候補者が現れず、押し付けられるように学級代表になってしまったクチであろうか。

「もし、私に訊いたのであれば答えよう。我々は“大マジ”だ。ドッキリ企画かなにかだろうと一笑に付すのは自由だが、行動には気を遣った方が身のためだ。離反、造反、告発。逆らう者には人柱に選任されるよりも辛い憂き目が待っていることを保証する」

 それはまったくの詭弁であった。

 この敬愛中学校には、人柱に選ばれることよりも辛い憂き目は、存在しない。

 だがこの詭弁は一種の親心からくるものであった。そもそもこの選考委員の八人には、他の生徒にはない最強の“特権”が与えられている。つまらん反抗心でその特権を無下にすることなどないように、という親切心からくる詭弁であるからして、謀(たばか)られようと恨まれる筋合いはどこにもない。

「まあ、いい。毎年こうなんだ。初回からいきなり活発に議論が交わされる年などまずない。大抵、一様に口をつぐむのが毎年の恒例だ。今のお前らみたいにな。それが分かっていたから、私も後ろの十人も、誰もなにも言わなかったんだ。どうだ? 私の時もそうだったんだが――、どうせ、一発目で人柱が確定することなどありえない。まずは誰もなにも言わずに、いまの第一印象に従って気楽に投票してみるというのは。次回の討論からは、今回の投票結果を元に議論を弾ませてくれればいい」

 意図的に、口調を和らげた。

 アメとムチの緩急が自分より下の者に有効なことなど誰もが知っている。それが、今のような極限の緊張の中であればなおさらだ。鞭の後の飴は甘美の麻薬。露骨になりすぎないように。密かに垂らす。脳を揺らす甘い口調。こうすることで次第に彼らは、私に従順な羊となる。くだらん正義感から抵抗することをやめる。己の良心に蓋をして、羊飼いの鞭に従う羊。

「いずれにしても、もう制限時間の三十分が経とうとしている。今回はこのまま投票に移ろう――」

 そう、この選考会議とは、幾度も討論と投票とを繰り返し、燃え上がるような議論の末に、ようやく判決が下される長丁場の儀式なのだ。八人が八人、示し合わすことなく百五十二人の中から一人を選んで投票する。票が固まるはずがない。第一回目の投票で、人柱が確定するはずがない――。


 第一回投票結果


 中島 香苗 一票

 山口 浩二 一票

 竹川 健人 一票

 三浦 壮太 一票


 稲田 正太郎 四票

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