新作発売記念書き下ろしSS 「魔法卿城の侵入者」
調度品の壺にはたきをかけて、ジェーンは
――掃除は上から下にね。
亡き母の教えを思い出す。
――ここを攻略すると思いなさい。地形をよく見て、埃が敵だとしたら、簡単に一掃できるところに集めてから、一気に片付けるの。
母はそんなことも言っていた。思い出して、ジェーンはわずかに苦笑する。そのままでは役に立たないような戦略めいた知識は、ここでは驚くほど役に立った。
主に誤解を含んだ悪評で名高い魔法卿コーネリアスの城には、彼の作る魔法道具を狙って、盗賊がよく入り込む。
ジェーンはそんな城でメイドとして働き始め、母から譲り受けた知識を使い、剣技に優れた執事のジョンとともにこの城を守ってきた。
内鍵や罠など、ジェーンの働きもあり、以前よりも城には侵入されにくくなったと言える。
――しばらく、お城に盗賊が入り込んでない。
ジェーンは掃除をしながら「ふう」と満足げなため息をついた。
そんな、夕方の一息つこうかという時間を、聞き慣れた声が裂いた。
「盗賊だ‼」
声はコック長のニコルのものだ。ジェーンは埃を落としていたはたきを放り出して駆け出した。
――どうして? どこから? 侵入の音はしなかった。
今ジェーンがいるのは最上階、ニコルの声は下から聞こえたように思う。彼の仕事場である厨房も、彼の私室も下の階だ。
この城に押し入ろうとするもので、下階から忍び込む人間は少ない。彼らの目的である魔法道具は城の最上階、コーネリアスの私室にある。外とつながるドアが
「ジョン! 被害はない?」
主階段の方に見えた人影に声をかける。レイピアを片手にしたジョンがいた。プラチナの髪に、緑の瞳、貴族めいた美々しい容姿の彼は、その剣技で今まで魔法卿城に入り込んだ盗賊たちを返り討ちにしてきた。だからこそ、侵入者は少しでもジョンと鉢合わせる危険を減らそうと、コーネリアスの私室に近い上階の窓から入り込もうとする。
「あぁ、何も
頷いてジョンの後ろについて走った。三歩進んで、ジェーンの眉根が寄る。
――おかしい。
ジョンは、ジェーンが侵入者を自ら追いかけることを好まない。彼の足手まといになるからだ。ジェーン自身もそれはわかっているから、ジョンが切り結ぶような場面でわざわざ前に出ることはしない。今は侵入者が目の前にいるわけではない、が。
――あのジョンが「ついてこい」?
疑問に思いながらも、彼とともに階段を駆け下りる。途中で、袋のような覆面を被った太り気味の侵入者が、階段を下りてきた二人を確かめる様に目に留め、更に階段を駆け下りる。体型のわりに驚くほど身軽だ。
「ジョン、変だよあの人。おびき寄せて何かするつもりかもしれない」
すぐにでも逃げ出したいはずなのに、後ろをあえて確認するなんておかしい。まるで二人が来るのを待っていたかのようだ。
「大丈夫だ。俺がついてる。たぶん、階段を下りたら、どこかの部屋に入って時間を稼ぐつもりだ」
「この階段を下りたら目の前に玄関があるのに、どこかの部屋に入って時間を稼ぐの?」
ジョンはぐっと黙り込んだが、「ほら、もう一階だ」と言い、またしても二人を待っていたかのような侵入者を指さした。侵入者は食堂に逃げ込んで、律義にドアを閉める。
おかしい。ジェーンはさらに疑念を深める。わざわざ待っていたかのような侵入者の態度、いつもは敵を制圧するまで決して気を抜かないジョンがこんな風によくしゃべること。何もかもおかしい。そもそも、食堂のすぐ傍には玄関があるのだ。食堂に入るより、そのまま外に逃げた方がいいに決まっている。そう思いながらも食堂へと歩みを進める。
――訓練、みたいなものなのかな。
侵入者が来た時に、ジェーンがどれだけ動けるかを抜き打ちで試しているのかもしれない。侵入者の動きはおかしかったが、万に一つ、本物という可能性もある。
食堂の前のドアで、二人は立ち止まった。
「ジェーン、中に盗賊がいる。開けてみろ」
ジェーンは驚いて目を見開いた。いつもわずかでも危険な場面にジェーンが近づくと怒るジョンが、人を守るためなら自分の怪我さえ厭わないようなジョンが、盗賊の待ち構える部屋にジェーンを促している。
「ジョン、何で侵入者はそこの玄関から出ないで、食堂に入ったの?」
ジェーンの言葉に、ジョンがわかりやすいほど狼狽する。
「は? いや、玄関は内鍵がついてるから出にくいと思ったんじゃないのか? 食堂は厨房側にもドアがあるから、そこから逃げるつもりかもしれない」
うつむきがちに自信なさそうに口にされるが、いつもとあまりに違うその態度に、ジェーンの眉尻が知らず下がる。コーネリアスも
ジェーンは一つ息をつくとジョンの緑色の瞳を見上げた。
「ねぇ、ジョン。目の前の玄関に見向きもしないでわざわざ部屋に入るってことは、部屋の中で不意をつける場所に隠れて、反撃するつもりかもしれないって、私は思うんだけど」
静かになるまで隠れおおせる場合もあるだろうが、侵入者は食堂に入る所を二人に見られているので、それは当てはまらない。
「それに、食堂側に出口があるって知ってるような侵入者なら、この城の内部を熟知してることになる。そんなひとが食堂で何をしてるかわからないのに、丸腰の私が先に入ったら、人質に取られてジョンに迷惑がかかるかもしれない」
ジョンは不機嫌に口を結んで黙り込む。
「これが、もしお城に盗賊が入った時の訓練みたいなものなのはわかってるけど、でも、訓練だからこそ、ちゃんとやりたいの。せめて中の状況を
ねぇ、まだかしら? シーッ、聞こえてしまうぞ。
ドア越しにかすかに聞こえた声にジェーンは安心して肩を落とした。この城に危険が迫っているわけではなく、ジェーンの予測通り、これは誰かが盗賊に扮しているだけだ。
ジョンはわずかに耳元を赤く染め、困ったような少し怒ったような顔でジェーンを見た。
「いいから開けろよ」
焦りのにじんだ声に急かされる。彼は怒ったり感情が高ぶったりすると、少し口調が荒くなる。
反論は聞かないという頑なな態度のジョンに圧されて、ジェーンはため息をついてノブに手をかける。ドアを開いた、その瞬間、
「おめでとう!」
ハウスキーパーのパティの声とともに、目の前に鮮やかな花が散る。軽やかに花びらが舞いながら落ちていく。
「パティさん……?」
メイドであるジェーンの監督役に当たるパティは、笑顔で小さな手かごからきれいな花びらを振りまいていた。
覆面を被った太った侵入者もジェーンに「おめでとう」と声をかける。聞き慣れた声だった。
「ニコル!?」
袋状の覆面を外すと、ニコルの赤い髪が晒された。「あちぃ」と言いながら上着を脱ぐ。体形でニコルだと気づかれないように、着込んでごまかしていたらしい。体形以上に動きが俊敏だったわけだ。
食堂では庭師のブルーノが白髪混じりの頭を掻き、長身のコーネリアスが奥に立ってニコニコしながらジェーンを見ていた。
しかし、おめでとうとはなんだろう、とジョンを見上げると、気づいていないのか? と視線で問われた。コーネリアスがこちらに歩み寄ってきて小ぶりな眼鏡をかけ直し、とてもやさしい声で告げた。
「今日は、君の誕生日だろう? ささやかだけど、パーティーをしようと思ったんだ」
普段はコーネリアスか彼の来客しか使わない食堂は花で飾られ、食卓には、六人分の食器が用意されていた。コーネリアスと、ここで働くみんなの分だ。
ジェーンの心の中で、何か温かいものがふわっと吹きあがった。じっとしていられないような心地でジョンを見上げると、ジョンは少し照れたようにむすっとしてから、わずかに笑んで、
「16歳、おめでとう」
と言った。
「プレゼントよ、ジェーン」
パティが笑顔でジェーンの胸に布のようなものを押し当てる。
「サイズはよさそうね」
淡いブルーグレイの生地でできたドレスだった。紺のプリーツと白いレースで縁取られ、ところどころに薄い桃色のリボンが飾られている。パティが手ずから仕立ててくれたのだろう。
「これから料理を仕上げるから、その間に着替えてこいよ」
ニコルの言葉で、今日はパティもお仕着せを着ていないことに気づく。
「ジョンも着替えたらどうかな」
コーネリアスに言われてジョンはきょとんとする。ジョンに歩み寄ったコーネリアスが何事か耳打ちすると、ジョンは赤くなった。
「俺は……別にその……」
「いいから着替えておいでよ。せっかくジェーンに……あっ、ジェーン、今のは何でもないからね!」
笑顔のコーネリアスをよそに、渋い表情をしたジョンはついと背を向けて食堂を出ていった。ジェーンもパティに連れられるまま着替えに向かう。自室でパティの仕立ててくれたドレスに身を包み、葉っぱの形の石が付いた母の形見のペンダントと、水晶の髪飾りを付ける。どちらも、ジェーンにとってとても、大切なものだ。
――こんな風に、誕生日を迎えられるなんて思ってなかった。
自分でも誕生日の事は忘れていたくらいだ。今、こうしてみんなに祝ってもらえて、ジェーンの胸はずっと、いつもより速く、強く、脈打ち続けていた。
食堂に戻ると、いつもの執事服より幾分華やかな装いのジョンがいた。ジョンとジェーンはしばし互いに見つめ合った後、わずかに頬を染めて互いに目を逸らした。
コーネリアスは一人満足げにうんうんと頷くと、皆を席へと促した。
全員で食卓を囲み、ニコルの作った夕食を食べる。
「こんなんがプレゼントで悪いけど、金が無いからなぁ」
と言ったニコルに「またカードでスッたのか」とブルーノが茶々を入れる。そのブルーノはコーネリアスと連名で、薔薇の精油を贈ってくれた。
夕食はとてもおいしい。豪華なものだけでなく、普段のジェーンの好物も並んでいた。
胸が騒ぐような、それでいて締め付けられるような感じがして、ジェーンは口元を結んでぎゅっと目を閉じた。「おい、どうした?」とジョンの慌てた声が耳に届く。
「このソース、辛かったか?」
「ドレス、苦しい?」
「花の匂いがきつかったか?」
みんなの声にぶんぶんと首を横に振る。
ただ、嬉しかったのだ。嬉しくて、嬉しくて、うまく言葉にできなかった。
「…………あの、嬉しくて、それで」
母が亡くなる前、故郷で暮らしていたころは、他人というのは遠くて、どこか怖いものだった。
一度言葉を切ったジェーンは、皆に視線を向ける。
「……ありがとう、ございます」
そう言った瞬間、眼尻に涙が滲んだけれど、みんな見ない振りをしてくれた。
食事の途中、上の方からガチャンと音がした。コーネリアスが視線を上げて目を輝かせる。
「今度はなんだい? まだなにかあったかな」
ジョンが素早く立ち上がり、わずかに眉を寄せ主に返事をした。
「……これは、本物の侵入者です」
ジェーンも素早く立ち上がる。
「コーネリアス様、お部屋の施錠は?」
「してるよ」
盗賊が狙う魔法道具の多くは、コーネリアスの私室にある。
「ジョンは主階段から上がって。私は使用人階段から行く」
ジョンの視線がきつくなる。
「危ないからジェーンは来るな」
「階段の罠を使えるようにするだけ」
「それが終わったらすぐに部屋に戻れ」
「わかってる」
使用人階段は人の通りが多いので、いつもは罠を使えないようにしてあるが、侵入者の逃げ道になりうる場所は、少し手を入れるだけで罠が使えるように準備をしていた。
「状況が落ち着くまで、コーネリアス様も地下の使用人部屋で鍵をかけて待っていて下さい。ニコル、皆をお願い」
「了解」
ニコルはにやっと笑って、みんなそれぞれ動き始める。ジョンとジェーンは頷き合って、それぞれ別のドアから飛び出した。
◆
それから少しして、侵入者はジョンの手によって
人を呼び、街の牢へと引き渡した後、ジェーンは割れた二階の窓ガラスの掃除をしていた。
そこに、箒を持ったジョンがやってきた。
「俺がやる」
ジェーンは首を横に振る。
「掃除は私の仕事だし、もうすぐ終わるから」
ジョンは「いいから」とジェーンを下がらせようとする。
「大丈夫、私がするから」
そう言うと、ジョンは目を逸らして少し俯いた。
「誕生日だろ。少しくらい、休め」
数度瞬きしてから、ジェーンはジョンに笑いかける。ジョンはわかりにくいが、とても優しい。
「誕生日、台無しになったな」
心なしかしょんぼりとしたジョンが、ちらりとジェーンに目をやった。
「ううん、すごく、嬉しかったよ」
ジョンが、軽く目を伏せて、頭をがしがしと掻いた。
「…………ジェーンの、欲しいもの、とか、わからなくて、だな。その、プレゼントとか」
「そんなのいいのに」
だって、ジョンがこうしてジェーンを気遣ってくれたことや、「おめでとう」と言ってくれただけで、十分すぎるほどうれしいのだ。
ジョンが難しい表情で口元を歪める。
彼が不機嫌に見える時は、大概が照れているのだ。ジョンが、ジェーンの手にぎこちなく自分の手を伸ばし、ぎゅっと握った。
「こんなので、埋め合わせになるか、わからないんだが、その欲しいものもわからないし、……だからな」
ジェーンは少し頬を染めて、ジョンの言葉の続きを待った。
「一緒に、買いに行かないか。今度、街に…………二人で」
ジェーンはそっと頷いた。
「ありがとう」
照れて俯いたジョンの手を握り返すと、ジョンはわずかに顔を上げてジェーンを見た。
――全然、台無しになったなんて思ってない。
ジョンの顔を見ていたら、ジェーンは自然と笑みがこぼれていた。ジョンもつられたように、少し笑ってくれる。
「ジョン、ありがとう。最高の誕生日だよ」
魔法卿城の優しい嘘 銀の執事と緋の名前 和知杏佳/角川ビーンズ文庫 @beans
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