第一章 思いがけない提案 後編

 明けて翌朝、使用人食堂は朝食のいい匂いで満ち、朝の穏やかな日差しが差し込んでいた。パティの仕事は素晴らしく速く、先ほど受け取ったばかりの深緑のお仕着せに袖を通したジェーンは、新鮮な気持ちになった。

 とても穏やかな朝だ。

 昨夜、盗賊と思しき魔法使いに侵入され、執事バトラーが迎え撃っていたことなど、まるで夢だったかのようだ。まさか、夢だったのだろうか。

「あの、昨日の夜って……」

 ジェーンがそう言うと、何でもないことのようにニコルが言った。

「おー、昨日は派手だったみたいだなぁ」

「え、気づいてたんですか?」

 気づいていたとは思えないくらい、皆平然としている。

「あんなの、いつものことだから。なぁ?」

 パティも頷いた。

「最初は驚くかもしれないけど、大丈夫よ」

 力強くそう言われても、何が大丈夫なのか皆目わからない。

「ちゃんと鍵をかけて、部屋にいれば、危険なことはないから」

 昨日のパティの「非常事態」という言葉は、盗賊の襲撃を指していたのだと気づく。使用人室のドアが堅牢なのも、嵌め殺しの格子窓なのも、おそらくは安全のためなのだ。

「怖く、ないんですか?」

 ジェーンの言葉に、パティは慌てる。

「初日にあんなことがあって、びっくりしたわよね? でも大丈夫よ。このお城にも良いところはあるから。お給料が高いし。それに……あの、えっとね……、うん、とにかくお給料は高いわ」

「給料がいいのは本当だぞ。何年かしたら、小金持ちになれる」

 ニコルが重ねてそう言うが、給金以外のいいところは何も出てこない。

「お前さんはいつも文無しみたいなもんじゃろうが」

 庭師のブルーノが茶々を入れた。小柄だががっしりとした体格で、短く刈り上げた髪とあごひげが凛々しい。老人と言っていい年齢だが、衰えを感じさせない壮健さがあった。

 ジェーンは、使用人食堂の席についてから、一つ不安なことがあった。ジェーンの他に、パティと、ニコルと、ブルーノしかいない。昨日は、他の使用人はすでに自室に戻っているから会えないのだとばかり思っていた。もし、ここにいる四人と、昨日の執事で使用人が全てだとしたら、使用人が少なすぎる。

「本当に、良いところもあるのよ? ……あっ! そう、私子どもがいるんだけどね」

「えっ」

 パティの言葉に驚いて声を上げる。二十代後半であればおかしくはないだろうが、若々しく、スタイルもよいので、子どもがいるとは思いもよらなかった。

「いつもは、街に私の両親が住んでるから面倒見てもらってるんだけど、泊まりがけの休みや、お願いすれば自由時間ももらえるのよ。子どものために貯金もできるし、会いにも行けるし」

「んなこと言って、パティが前に休みとったのいつだよ?」

「しょうがないじゃない、人がいなかったんだから」

 そのやり取りからして、やはり、ここにいる人間で、使用人はほぼ全員のようだ。

 ニコルが、冷める前に食えよとジェーンを促す。言われるままにジェーンはスープを口に運んだ。

「うわ、おいしい」

 肉体労働をする使用人に合わせ、しっかり塩の利いた味付けだが、野菜の甘みにハーブのさわやかな香りが加わっていて、とてもおいしい。スクランブルエッグも口に入れると、こちらは牛乳の入った優しい味わいで、口当たりも柔らかい。

「話すのはいいけど、ちゃんと食えよ。昨日、飯取りに来なかっただろ」

 こくこくと頷いて、食べ進める。朝食といえば残り物やあり合わせがほとんどなのに、ここはかなり豪華だ。

「ジェーンと言ったか、この城に来て驚いたじゃろうが、わしは、ここみたいにでかい家で好きに庭を造れるのを楽しんどる。給料がいいのはまぁ本当だがのう、仕事のやりがいやこの城の良いところは、自分で探していったらいい」

「はい」

 確かに、人の話に耳を傾けるのは大事だが、自分で確かめることをおろそかにしてはいけない。この街は、周囲の噂とは全く違う場所だったのだから。

「まぁ、わしは城のそばの小屋に住んどるから、城に人が入り込んでもあんまり関係なくてな。お前さんの不安もわからんではない」

「何が関係ないだよ。城に忍び込もうとして花壇の花を踏んだ盗賊のことぶん殴って伸したの、一度や二度じゃないだろ?」

 ジェーンが驚いて目を瞬くと、信じていないと思ったのか、ニコルは更に続けた。

「俺もここで働き始めたばっかの頃、花壇の中に珍しいハーブ見つけてさ。摘もうとして中に入ったらぶん殴られて、一週間くらい目の周りにアザ作ったまま働いてたんだぜ?」

「ここの旦那が外国から取り寄せて、わしがやっとの思いで咲かせた花も多い。……それに、お前さんにはあの後で小さいハーブ畑作ってやったじゃろうが」

 ブルーノはきまり悪そうに返す。この城の庭は、見たことのない植物も多かった。海辺と植生が違うのだとばかり思っていたが、ブルーノが手塩にかけて育てたものだったようだ。

「ニコルも料理の腕は確かなんじゃから、店でも持って繁盛させた方がいいだろうに」

「はぁ? 俺にはそんなの無理だって知ってるだろ?」

 確かに、これだけおいしいのだから、決まった給料をもらうより、店を繁盛させた方が稼げるのではと他人ながら思う。パティが困ったような顔でジェーンを見た。

「ニコルはね、ちょっと悪い癖があるのよ」

 その時、食堂のドアが開き、ジョンが入って来た。

「ニコル」

 と言うと、ジョンが小袋を放る。ニコルが片手でキャッチすると、袋から金属質な音がした。

「お金?」

 訝しげにジェーンが尋ねると、ニコルは頷いた。

「俺、賭け事が好きでね。大穴にばっかり賭けるから、自分の店出したところで、博打のカタに取り上げられちまうよ。ちなみにこれは、新入りのメイドが最初の襲撃で逃げ出すかどうか」

 小袋を軽く振って、ニコルが笑う。

「俺は残る方に賭けた。大穴だろ?」

 ということはつまり、

「ジョンは私が逃げる方に賭けたってこと?」

「おかげで大損だ。食事を終えたらすぐ来るように。コーネリアス様がお呼びだ」

 魔法卿まほうきょうが何のために自分を? と疑問は浮かんだが、ジョンが「早く」と急かすので、急いで食事を済ませた。


「ジェーン、改めてよろしく。僕がコーネリアス・エリオット・ブロワ。爵位は子爵。よそでは魔法卿まほうきょうって呼ばれてるみたいだね」

 ジョンに連れられて入ったコーネリアスの私室で、そう挨拶を受けた。執事バトラーやハウスキーパーのような上級使用人であれば別だろうが、直接使用人と口をきく貴族は少ない。

 コーネリアスの部屋の中は、本や書類、干した植物や瓶に詰められた鉱石、一見してなんだかわからない液体が入った瓶、そして金属やガラス製の複雑な機材がいっぱいで、ごちゃごちゃしていた。それらが日光を嫌うのだろう、部屋は北側にあり、格子付きの小さな窓が一つきりだ。本棚に埋もれたようなドアから、続き間の寝室へ移動できるようだった。

 散らかりきった部屋だけを見ると、メイドとしては眉を顰めたくなるが、ゆったりと机を前に座るコーネリアスとともにこの部屋を見ると、不思議と居心地のよい空間に思える。

 見たことのないもので溢れた部屋に、すごく興味をそそられたが、あんまり見渡しては失礼だと思い、注意して視線を定めた。

 ジェーンは膝を折るお辞儀をして、自分も挨拶をした。

「メイドとして雇っていただきました、ジェーンと申します。このお城のために精一杯働かせていただきます」

 昨日は盗賊と相対したという人生初めての状況に動転し、つい名字も名乗ってしまったので、注意深く名前だけを口にする。

「昨日はありがとう。君に聞きたいことがあるんだけど……、あぁ、掛けて」

 と、椅子を促され、いいのだろうかとジョンを見ると、顎で座れと指示してきた。ちょっとムッとしながら腰掛けると、コーネリアスが「ああそうだ」とジョンに話しかけた。

「呼び出して何も出さないんじゃ悪いから、フットマンのピーターにお茶を淹れるように頼んで」

「ピーターはもうおりません」

 ジョンがすました顔で答える。

「今朝部屋を見たところ、こんな置手紙が」

 コーネリアスに紙切れを手渡した。

「もう怖くて働けません、捜さないでください。ピーター。……なるほど、ピーターはどのくらい勤めていたんだっけ?」

「二週間です」

 うーん、と腕を組んで考え込んでからコーネリアスが口を開く。

「彼の家族の住所はわかるだろう。二週間分の給料を届けてあげるように」

「コーネリアス様、お優しすぎます。たった二度の襲撃を経験したくらいで逃げ出した根性の無い使用人に情けをかけるのはお勧めしません。もちろん、コーネリアス様のそういった優しさは美徳ではありますが……」

 普通は一度だって襲撃は受けないと思ったが、口には出さないでおく。それよりも、二週間で二度も賊に入り込まれていることの方が気になった。

「でも、一生懸命働いてくれていたんだから、届けてあげてほしいな」

「コーネリアス様がそうお望みになるのであれば……」

 ジョンは主に対して随分丁寧で優しい態度だ。主人なので当然と言えば当然だが、他の使用人相手の時と態度が違いすぎる。

「いやぁ、人は金のためだけに働くのではないというのは全くもって金言きんげんだね。そんなわけでジェーン、お茶は無しだ。ごめんね」

 構いませんと答えると、コーネリアスはにこにこしてジョンに「いい子が来てよかった」と言っている。子爵は長身で鼻先に小ぶりな眼鏡を引っ掛け、肩にかかるほどの茶色の髪をうなじの辺りでくくっている。瞳も明るい茶色で、顔は整っているのだが、表情のためか、人の好い印象の方が先に立っていた。

「僕の部屋は見ての通りの有様なんだけど、大事な文書も多いから片付けも一苦労でね。読み書きの堪能なメイドを探していたんだ。君は得意だそうだね?」

「……この国の言葉であれば」

「十分だよ。異国語だと思ったら、ジョンに渡せばいいからね」

 ジョンは異国語が読めるということに、ジェーンは驚いていた。よりよい働き先のために異国語を学ぶ使用人もいるが、ジョンの若さで仕事に使えるほど習熟しているのは珍しいだろう。

「それで、質問なんだけどね。……ジェーン、君が、昨日どこまで考えて行動したのか教えてほしいんだ。もしよければ今後の話もしたい」

 考え無しに駆け出して、戦っている場へ行ってしまったことをとがめられているのだろうか。そう思うと胃が縮む。「今後の話」という言葉も不安をあおった。働き始めたばかりで暇を出されれば、紹介状を望むべくもない。そうなれば、住む場所も、次の職に就くことさえ難しくなる。

 コーネリアスが、昨日ガラスの壁を作った陶製の球体を取り出して、ジェーンに見せた。

「これがどういうものか、僕が言ったのは聞いてた?」

「混乱して手近にあったものを投げただけでしょう」

 ジョンは不快そうに、横目でジェーンを見た。それを聞きとがめたコーネリアスは驚いた声を出した。

「混乱して投げた? まさか! スカーフを即席の投石器にしたんだよ? 考えずに出来ることじゃない。もし、考えずに出来るくらい投石の動作が染みついているとしたら、それはそれですごいけれどね」

「何か……どこかで見たのを真似しただけでしょう。第一、外していたじゃありませんか」

「僕が聞きたいのはそこなんだよ。昨日の結果が、この子の意図したものなのかどうか」

 コーネリアスがきらきらした目でジェーンを見つめる。コーネリアスの意図がわからない。やはり、道具を狙いに来たらしき男の前で、どんなものなのか使って見せてしまったのが悪かったのだろうか。

 ジェーンは恐る恐る、コーネリアスの持つ球体を指さした。

「あの、それ……もしかしてとてもお高いんでしょうか? それとも、道具を狙う相手の前で使ってしまったことのお咎めでしょうか。コーネリアス様が四角い枠に反応して膜を張る仕組みとおっしゃったのを聞いて、廊下に壁を作り、侵入者の退路を断てるのではと思い、使ってしまいました。勝手なことをして申し訳ありません。それを壊してしまったことでご迷惑をかけたのなら、何年かかっても働いてお返しします。他に行くところが無いんです。どうか、ここで働かせてください」

 コーネリアスに深く頭を下げる。

 しばらく沈黙が続く。頭を上げられないジェーンが不安になった頃、コーネリアスの声がした。

「なるほど」

 頭を上げて、と言われ、ためらいながら顔を上げる。コーネリアスは笑顔だった。

「あと少し、僕の質問に付き合ってくれるかな? 例えばだけど……」

 コーネリアスは机の上に、正確に言うと机の上に積み重なった書類の更に上に、小ぶりな黒い石と銀色の鉱石を置いた。黒を侵入者、銀色をジョンに見立てているようだ。

「ジョンと盗賊とを一緒に閉じ込めることもできたよね? それをしなかったのはどうして?」

「え、あの、敵を追い詰めすぎると実力以上を出すこともありますし、二人を閉じ込めたときに、確実に侵入者を捕縛できるだけの実力差があるのか、判断できませんでした」

「あ、じゃあ盗賊だけを閉じ込めるのは?」

 コーネリアスが、黒い石の両側に、両手で壁を立てる。壁を二枚作り、盗賊を閉じ込めるべきだったのではと問われ、ジェーンは一瞬ためらったが、正直に答えた。

「あの、コーネリアス様……、それは一番、悪手です」

「えっ?」

 不敬と思われただろうかと不安になったが、口にした言葉は取り消せない。ジェーンは心を決めて、説明した。

「『下見に来た』と言っていたように、侵入者は無事にこの城から逃げることを優先させていました。一番警戒していたのは、逃げる際に無防備な背を討たれることです。そうすると、ジョンと侵入者との間に壁を作ることは、相手にとっては盾にもなりますから、反対側のガラスを砕いて逃げ出したと思います。ジョンがすぐ気づいて追おうとしたとしても、相手にとって好機になったことには、変わりはないかと」

 コーネリアスは目を開いてジェーンを見つめる。やはり気に障ったのかもしれないと、俯いた時だった。

「素晴らしい!」

 今度はジェーンが目を見開いた。

「ジェーン、気に入ったよ! 実はね、襲撃を受けたのは昨日が初めてじゃないんだ」

「コーネリアス様」

 ジョンが、コーネリアスを止めるように声をかける。

「僕はこれ以外にもいろいろと魔法の道具を作っているんだけど、それを狙ってよく盗賊が入り込むんだ。今まではジョン一人に任せていたんだけど」

「コーネリアス様、俺一人で問題ありません」

 ジョンの眉が曇る。コーネリアスは散らかった机の上で、優雅に指を組んだ。

「ジェーン、君もこの城を守るのを手伝ってくれないかな?」

 予想していなかった言葉だった。

 驚いて答えられずにいると、ジョンがジェーンを睨んだ。

「断るように」

「えっ」

「ジョン、ちゃんとジェーンの気持ちも聞かないと。どうかな? もし受けてくれるようなら、メイドの給料とは別にその分の手当をつける。手伝いは一時的にでも、長期的にでも僕は構わない。……あ、もちろん君が戦う必要はないよ。それはジョンの役目だ。ジョンの手助けだとか、効率のいい守り方を考えてくれたら、それでいいんだ。ちょっとした助言をする立場だと思ってもらえればいい」

「お待ちください、コーネリアス様。こんな地味なのにそのような重要な仕事を任せるおつもりですか?」

 地味、と言われジェーンは少しムッとした。容色と仕事は関係ないはずだ。

 コーネリアスも呆れた顔になる。

「君の手助けをしてもらうんだよ? 楽になるんだから、ジョンが反対する理由なんて無いと思うんだけど……」

「一人で十分です」

「そんなこと言ったって、昨日はジェーンがいたからこそ無事だったんじゃないか」

「コーネリアス様」

 ジョンはなおも否定的だった。よほどジェーンの手を借りるのが嫌なのだろう。思えば昨日も名乗るより先に「余計な手出しは慎むように」と言われたのだった。

「コーネリアス様、あなたをお守りするのは俺の仕事です。他の人間の手を借りる必要はありませんし、借りるつもりもありません。まして、昨日来たばかりのこんな……」

 その言葉に何かを思う前に、口が動いていた。

「やります」

 ジョンが思い切り目を見開いたあと渋い顔になり、コーネリアスの方は笑顔になった。

 自分でも、どうしてやると言ったのかよくわからなかった。ジョンの言葉に腹が立ったのかもしれない。

「ありがとう、ジェーン。よろしく頼むよ」

「待ってください、ジェーンはメイドとして雇ったんです」

 ジョンがコーネリアスに食い下がった。

「メイドの仕事をおろそかにはしません。やらせていただきます」

 そう言うと、自分の気持ちがはっきりしてきた、昨日階段を駆け上がったのは、ほとんど反射だったけれど、母ならきっと同じことをしただろう。

「今からでも遅くはない、辞退しろ」

 ジョンが低い声を出す。

「あなたに命令されたくない」

 ジェーンが言い返すと思っていなかったらしい。ジョンは眉根をきつく寄せた。

「俺が執事バトラーだと忘れていないか? 俺の言う通り、断るように。どう考えても荷が重すぎる。盗賊が来た時には部屋にこもって震えているだけで構わない」

 あんまりな言い方に、さすがに怒りを覚えた。荷が重いことは否定しないが、だからといって、できることがあるのに何もせず引きこもっているのは嫌だ。

「あなたこそ、私がメイドだって忘れてない? 私は執事バトラーが監督してる男性使用人じゃない。ハウスキーパーのパティさんの監督下にあるの。あなたの命令は聞かない」

 言い返せなくなったように、ジョンが黙り込む。それでも、一言絞り出すように言った。

「一つだけ、条件をつけさせてください」

「ジェーンも、一つくらいなら構わないよね? 言ってごらん」

 昨日会ったばかりだが、ジョンはジェーンが気に食わないらしい。だが、これから二人でこの城を守るのなら、ジョンに信頼してもらわなくてはいけない。ジェーンは頷いた。

「……メイドの仕事に不足があれば、防衛からは外す。構いませんか、コーネリアス様」

「うん、もちろん、メイドとしての仕事を優先してほしい。ジェーンは出来る範囲でジョンを手伝ってくれたらいいんだ」

 ジョンとコーネリアスの言っていることはどう考えてもずれている気がしたが、ジェーンはかしこまって頷いた。

「精一杯やらせていただきます」

「助かるよ。実は家令とメイドがいっぺんに辞めたばかりでね、ジョンの仕事量が大変なことになってるんだ」

「俺は平気です」

 よほどコーネリアスを守る仕事を人に奪われたくないらしい。ジョンは未だに不服そうだが、ジェーンはもう気にしないことにする。

「あの、辞めたのは、襲撃のせいで……?」

「まさか。辞めた家令は元軍人でね。ジョンに戦闘技術を一からたたき込んだ人だよ。メイドの女性も若いけれど胆の据わったすばらしい女性だった」

 ではどうして辞めたのだろうという疑問が顔に出ていたらしい。コーネリアスが続ける。

「その二人が結婚したんだ。今は二人で国中を回ってる。気に入った土地を見つけて、二人で暮らすそうだよ。素敵なことだと思わないかい?」

 それはとても素敵なことだとジェーンも思うが、ここまで使用人が少ないと、さすがに大変だ。この規模の城なら、数十人の使用人がいるのが普通だ。メイドはジェーンが一人増えたとはいえ、まだ人は少ない。家令の仕事は領地からの収入の管理などで、執事が代行することは珍しくない。しかし、この分だとジョンは男性使用人の仕事はほとんどこなしているのだろう。仕事量がいかに多いかは容易に想像できた。

「人を増やそうと頑張っているんだけど、みんなすぐ辞めてしまうんだ。少しの間だけでも構わないから、頼んだよ」

 家令もフットマンもメイドも増やすからね! とコーネリアスは満面の笑みだが、彼のように武器を持った侵入者を前にして道具の説明が出来るほど胆の太い人間がそういないことを知らないのだろう。人手が増えるという期待は出来なかった。

「ジェーン、何か質問はあるかな?」

 少し考えて、ジェーンは尋ねる。

「ここに盗みに入ってくるのは、魔法使いですか?」

 入ってくるのが魔法使いであれば、守るのはかなり難しい。相手がどんな手を使ってくるか、予想がつかない。

「魔法使いが来たのは昨日が初めてだよ。すごい魔法だったなぁ、盗賊なんて辞めてうちの領内に引っ越して来ればいいのに」

「基本的には、魔法使いは来ないと思っていいんでしょうか?」

「そうだねぇ……いつもはだいたい、一人か二人でワーッと入ってきて、ジョンに叩きのめされてるね」

「少しよろしいですか、」

 ジョンが割って入ってきた。

「確かに昨日は魔法使いだと思わずに油断し、取り逃がしてしまいました。それは俺のミスですし、反省しています。ですが、万全の状態で迎え撃てたら、あんな失態をお見せすることは……」

「万全の状態で迎え撃てなかったのは、仕事が増えて疲れがたまっているせいだろう? せめて家令を新しく雇うまでは、ジェーンに手伝ってもらえばいいじゃないか。それに、昨日は何も盗まれなかったし、僕は失態とは思っていないよ。ただ、昨日の盗賊がまた来るとしたら、瞬間移動が出来る相手に一人で立ち向かうのは難しいんじゃないのかな」

 そうだ、昨日の侵入者はまた来ると言っていた。魔法使いがまた来る可能性は高いのだ。

「あの、相手が魔法使いだとしたら、普通の防衛というか、防犯では、限界がありますよね? 瞬間移動をしたり、火を出したり、人の動きを止めたり、呪ったり、何でもできるんでしょう? であれば、そもそも狙われないための対策を練らないと……」

 ただの盗賊相手なら侵入を想定した対策を立てることは出来るが、相手が魔法を使えるのなら取らなければいけない対策は全く違ってくる。そう思い口にすると、コーネリアスもジョンも、きょとんとした顔をした。

「……ジェーン、もしかして君は、魔法使いについて何も知らない?」

「魔法が、使えるんですよね? おとぎ話のように」

 おかしなことを言っただろうかと思い、そう口にすると、コーネリアスは驚いた顔をした。

「本当に何も知らないんだねぇ」

「この街にはコーネリアス様のご人徳で多く集まっていますが、他所では一度も目にしたことが無いという人間も珍しくはありません。……ただ、そんなに無知で、よく俺の手伝いをすると言えたものだと、俺はその厚顔さに驚いておりますが」

 コーネリアスに話しかけるそぶりでジェーンをこき下ろすジョンに対し、怒りと、無知と言われたことに対する恥ずかしさで、ジェーンの頬にさっと赤みが差す。

「不勉強であることは、申し訳ありません。ただ、普通の人間に対しての防衛策であれば、お役に立てるかと存じます。魔法使い相手であれば、取るべき対策が全く異なってくると思っただけで……」

 知らないことは否定できないので、どんどん語尾が小さくなっていく。コーネリアスは慌てて否定した。

「すまないジェーン、君を馬鹿にしたつもりはないんだ。ただ、魔法使いがどんな人たちかちゃんと知られていないことに驚いたんだ。僕なりに誤解を解こうと色々力を尽くしてきたつもりだったから。……何から言えばいいかな」

 握った拳を口元にあて、上を見て何か考えこんだ後、コーネリアスはジェーンに向かって人差し指を立てた。

「魔法使いが使える魔法は、一人に一つだと思ってくれ」

 一人に一つ、ということは、と考えて、さっき口にしたことがどれだけ的を外していたか思い至り、さらに顔が赤くなった。

 それを見て、コーネリアスがほほ笑む。

「君は察しがいいね」

「申し訳ありません。物語のように、一人で色んなことが出来るんだと思っていました。一人に一つということは、昨日来た盗賊……サルヴァトーレは、瞬間移動の魔法以外は使えないんですね」

 それなら、相手の魔法が何かさえわかっていれば、侵入されても対策の立てようはある。

「その通り。というか、彼みたいな魔法使いはめったにいないよ。あんな魔法を見るのも初めてだし、彼は力が強すぎる」

 例えばね、と言って、コーネリアスが書類に埋もれた机の中から、巻物状になった書類を取り出して広げる。その時に、ばさばさと他の書類が机から落ちて、メイド生活の長いジェーンは拾い上げて整理したくなったが、ジョンがざっとまとめてまた机の上に戻した。

「魔法を使う条件が、どの魔法使いにもあるんだ。うちの領内に、眠り薬や傷薬の効果を高める魔法使いがいるんだけど、彼女は人が作った薬に魔法をかけることはできない。自分で作ることが魔法を使える条件になっている。それに、元々その薬が持つ効果を増幅するだけだ。水の流れを操る魔法使いは、水に触れていないと魔法が使えない。……これは個人差があるけど、魔法の力には制限もあるんだよ。さっきの水の流れを操る魔法使いの場合は、桶一杯の水が限界だし、一日一度しか使えない魔法なんていうのもある」

 そういえば、不思議だったことがある。ジェーンは今の説明にその答えがある気がして、質問してみた。

「瞬間移動ができるのに、昨日の、サルヴァトーレは、窓を割って入ってきましたよね。それに、ぎりぎりの状況になるまで魔法を使わなかった……。彼の魔法にも条件や制限があるんでしょうか?」

「うん、全くの想像だけど、彼は壁やドアの向こうみたいに、区切られた空間への移動ができないんじゃないかな。使える回数も限られているのかもしれない。……それにしたって、すごい魔法だけどね。人ひとり見えないところまで移動するっていうのは、魔法としては破格の力だと言っていい。あんな魔法があるなんて、思ってなかったよ。……あぁ、これも魔法使いの特徴なんだけど、魔法は、魔法使いの体を介さないと使えないものなんだ」

 体を介す、というのがどういうことか、まだ魔法をよく理解できていないジェーンにはピンとこない。

「魔法の力は、魔法使いの体の中に宿っているものなんだ。魔法をかけるには自分の体にある魔力を、魔法をかける対象に伝えなくちゃいけない。だから、何かに触って魔法をかける魔法使いが一番多い。次に多いのが、自分の体に魔法をかけている魔法使いだね。一時的に聴力を上げたり、体を強靭にしたり。……まれに声を聞かせたり、目を見ることで魔法を使える人もいるけど、これは本当に珍しい。魔法使いの数自体が少ない中でも、更に数が少ないから、ほとんどいないと思ってくれていい」

 ジェーンは、転んだ時に膝を癒してくれた子どものことを思い出した。確かに、膝が温かくなったのは触れられている間だけだった。

「ほとんどの魔法使いは、強い力を持たない人たちだ。その上、使うのに条件がある。だから、魔法使いに会っただけで危険なんてことは、基本的に無いんだ」

 ジェーンは頷いた。

 魔法使いは一人に一つの魔法しかなく、使用条件と力の制限がある。

 ほとんどの魔法使いは、魔法をかける対象に触れなければ魔法が使えない。

 そう考えると、空手の相手に関しては、遠距離の攻撃を気にしなくてもいい。体を強靭にする魔法使いなどがいても、単純に手ごわい盗賊が来るのと同じことだ。

 魔法というのがどういうものかわかれば、最初ほど対処に悩まなくてもよくなった。

「通常の対策でも、大丈夫そうですね」

「ジェーン」

 コーネリアスが真剣な顔になった。

「大事な話をするね。魔法使いのことを、最初君が言ったように、何でもできるのだと思っている人はまだ多い。そして、魔法は人を害する力でしかないと思っている人もね。……とても当たり前のことだけど、魔法使いの中にも悪い人間はいる。でもそれは、魔法を持たない人の中に悪い人間がいるのと同じことだ。彼らの多くは、僕たちと同じように、非力で善良な人たちだよ。そして、その多くが偏見や差別に晒されて、この街へ来たんだ。魔法使いがこの城を襲撃する可能性はもちろんある。でも、今僕が言ったことは、覚えておいてほしい。魔法を持っているかどうかは関係ない。一番怖いのは、人の悪意だよ」

 コーネリアスの言葉に、ジェーンは目を伏せた。

 故郷で、ひどい言葉をかけられたこともある。ジェーンが何かしたからではなく、「よそ者の産んだ子」という、ジェーンの人間性にかかわりのないことへの、先入観から来る悪意に耐えながら生きてきた。

 ジェーンも、特別な力より、人の悪意の方がずっと怖い。

「魔法使いを嫌ったり、怖がったりしないでくれ」

 顔を引き締め、固く頷いた。

「決してしません」

 コーネリアスは、ほっとした顔になった。

「あと、何か質問はあるかな?」

「……コーネリアス様の魔法は、どんなものなんですか?」

「え? 僕は魔法使いじゃないよ。僕の道具は、魔法使いに魔法を込めてもらってるだけなんだ」

 コーネリアスは、ずれた眼鏡をかけ直すとガラスを張る球体を例にとった。

「これにもね、いくつも魔法がかかってる。ガラスをきれいに張るために水の流れを操る魔法、それがうまく働くように、石や金属を溶かす魔法でガラスの原料を柔らかく保って……、そうすると今度は溶けていられる温度を保つ魔法が必要になる。あとはその状態を保てる器を作る魔法とか、まぁ色々だね。僕は魔法同士のバランスが崩れないように材料やらなにやらを計算したり、強度を調整したり、……魔法だけじゃなく薬品なんかも使って、ちゃんと作動するように作ってある。僕がしているのは、こんなものを作ってみたいっていう提案と設計だね」

 嬉しそうに説明しながら、複雑な数式がびっしり書き込まれた書付や、試作品の設計図、瓶に入った薬品などを見せてくれた。瓶を取り出した時のジョンの心配そうな表情からして、中に入っているのはかなり危険なものだったらしい。

 製作にかかった時間と手間と費用を思えば、どう考えても職人に頼んでガラスを張り直してもらう方が簡単な気がするが、一度しっかりとレシピを作ってしまえば、あとはそこまで時間をかけずに量産できるのだという。

 ガラスを張るという、便利ではあるが地味な結果に対して、これだけ魔法の技術の粋が込められているとは思わなかった。

「コーネリアス様は天才なんだ」

 ジョンは自分のことのように誇らしげだ。

 作り上げた過程を聞けば、ジェーンもその評価は頷ける。その頭や技術を使えば侵入者の撃退など造作もないように思えるが、それはまた別な頭の使い方なのだろう。

「もう質問はないかな?」

「はい、ありがとうございました」

 街について知りたいこともあったが、それは生活するうえで知っていけばいい。

「では、失礼します」

 立ち上がって礼をすると、コーネリアスがジェーンを引き留めた。

「ジェーン、最後に一つだけ教えて」

 父について尋ねられたらどうしようと思い、一瞬体がすくむ。

「君の教育をしたのは?」

 どきりとしたことを悟られないようにそっと息を吐いてから、正直に答えた。

「母です」

 そうだ、母は毎晩、寝物語のように色々なことを語って聞かせてくれた。あの呪文の様だった母の話が、こんな風に役立つとは思っていなかった。

「そう、すばらしいお母様だ。君がその知識でジョンを助けてくれたら嬉しいな」

 コーネリアスがやさしい声で母を褒めてくれたことが嬉しかった。じわじわと胸が温まる。

「……ありがとうございます」

 この街は、噂に聞いていたようなところではなかった。確かに、魔法使いを集めて、領主はその研究や、実験を行っている。しかし、噂のような悪辣な街ではない。

 ジェーン自身、この街に来るまで、その噂を疑ったことが無かった。街のことだけではない。魔法使いも、話に聞いたことを鵜呑うのみにして、本当はどんな人たちなのか知ろうとしてこなかった。ジェーンをよそ者と呼び、ジェーン自身を知ろうとしてこなかった人たちと同じ偏見が、ジェーンの中にもおそらくあったのだ。無意識に、服の上から形見のペンダントを握っていた。

「あの……」

 先ほどとは違う決意で、コーネリアスとジョンに告げる。

「このお城を、精一杯お守りします」

 コーネリアスはほほ笑んだ。

 ジョンと二人で、部屋を辞した。ジョンがじろりとジェーンを見る。

「メイドの仕事に不足があれば外す。構わないな?」

 ジェーンは、はっきりした強い視線を返す。海を見つめていたあの日と違って、その瞳には小さなきらめきが宿っている。

「それも、ちゃんとやってみせる」

 それだけ言って、使用人階段を駆け下りる。

 急いでいたのではなく、高揚していた。

 最初は勢いで受けてしまったが、母から教わったことを、ここでは生かせるのかもしれない。

 この街の人たちは、ジェーンのことも、母のことも知らない。だからこそ、きっとわかって貰える。

 未婚で子を産んだと、周りから後ろ指をさされながらも、強く生き抜いた女性だった。母が、強く、賢く、愛情深いひとだったことを、母の知識を生かすことで、ジェーンが精一杯生きることで、わかってもらえる。そう思うと、ジェーンは前向きになれた。

 そのためにはまず、メイドとしてジョンに信頼してもらわなくては。



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