うなぎ
フカイ
掌編(読み切り)
あめ蜜色に、るりるりと輝くうなぎを、いただいた。
今日はただ、そのことだけを文章に。
首都高速の走る大通りに面した、一戸建て。
表から見ると、狭い間口。玉石の敷かれた細い戸口。
鰻、という白文字の抜かれた濃紺ののれん。
片手でそれをめくって、引き戸を開ける。
ヒノキの格子がいくつも交差して、ガラガラと戸が開けば、そこからはじまるうなぎとの蜜月。
店内は、とてもモダンなコの字型のオープンキッチン。
それを囲む、白木の清潔なカウンター。
個室に別れた座敷で、うやうやしく、ではなく。
料理人の手際を楽しみながら、うなぎの焼きあがる小一時間を、リラックスして過ごすことが楽しいお店。
カウンターに、つれあいと座って。
割烹着の女性が静かにオーダーを聞いてくれて、キリリと冷えた瓶ビール。
お店の中に流れる、ウィントン・ケリー。ウェス・モンゴメリ。4ビートの、クールでモダンなジャズ音楽。
江戸切子の紋目も鮮やかな瑠璃色のコップ。つれあいと、それにビールを注ぎあい、小さく乾杯。
そしてふたりで、何を話すでもなく。
今週の仕事の話とか。週末の床屋の予約とか。
小さな声で、途切れ途切れな、短い話。
そしてふたりで、キッチンの奥の板前の無駄のない動きを見る。
かまど。
大きな竹のせいろからは、ひっきりなしに湯気があがっている。
蒸されるうなぎ。適切な蒸しが生み出す、うなぎのほっこり。
そして、その蒸し器のとなり。
炭火で焼かれる、うなぎたち。大きな換気扇にどんどん吸い込まれる、ま白な煙。あれこそが、うなぎの脂そのもの。
ときおり板前は、串刺しのうなぎを手にとって、炉辺のとなりの蜜壷へ、どぼりと。
タレの糸引くうなぎをまた、炭火にかざす。
たれた脂とタレがもわりと盛大な煙を出して。
ただよってくる、匂い。香り。甘み、香ばしさ。
喉が鳴る。
やがて、お重を食器棚から出し、大きなガスの釜から、ぴかぴかに輝くお米を盛る。
そして、最後のひとタレをドブづけされたうなぎに、もうひと焼。
そして串を抜いて、お重へ。
お澄ましと、漬物が添えられて、さぁ、お待ちどう。
黒い漆のお膳に、お重とお椀、そして漬物がならんでカウンター越しに供される。
ひさしぶりのうなぎ。
お重をあけると、白い水蒸気がたちのぼり、その一瞬後に、その美しいうなぎが見える。
甘く、香ばしい匂いが顔の前をよぎってゆく。
内側を朱色に塗り込められたお重。
その一面びっしりに、隙間なくうなぎの蒲焼がしかれている。
箸を入れるとうなぎの厚みに驚く。
大体このぐらいだろう、という厚みの1.5倍ぐらいはあろうかという、みっしりとした身を、箸先で切り分ける。
かすかにこげ目ののぞくあめ蜜色の表面の下は、ほっこりとした白い身。
まるで処女の身体のように、清らかに見てとれる。
ゆるやかなその身を箸で切り、下に隠れているご飯ごと、箸の上に乗せる。
そうして、崩さぬように慎重に、ひとくち目をほおばる。
ポロポロと口の中でおどるような、お米のほどよい硬さ。
そして甘いタレに十分浸かった、とろけるようなうなぎ。ひと噛みごとに、ふわふわとした白身にタレとご飯がからみ、深い香りが鼻に抜けてゆく。
ふたくち目を。
甘さは、辛さを隠し持っていることに気づく。
ただ甘いだけではない。
甘みの中のふかいところに、ぴりりとする辛さが隠れている。注意しなくてはわからないほどの奥に。
それが甘さに深みを与えている。
甘さのしつこさを打ち消している。
みくち目。
噛みしめるごとに、うなぎ自体の味わいに気づく。
うなぎを食べると、そのタレと脂の印象の強さに、うなぎ自体の味わいを忘れそうになるけれど。
濃厚な白身、分厚い切り口。魚の中でも格別な味わいの、そのもったりとした風味が、まるで卵かけご飯のように、硬めに炊かれた米とよく絡む。
ほのかな焦げ目がまた、わずかなアクセントをそえる。
よくち目。
骨のかすかな歯ごたえ。タレのよく混ざった米のうまみ。
いつくち目。
忘れていた、山椒を振る。
ちいさな竹筒の容器に入った、和のスパイス。
薫り高い、その小さな刺激。
まったりした味の中に、鋭さをふくめて。
むつくち目。
箸を休めて、ほどよい塩梅の糠漬けの大根。きゅうり。
ななくち目。
もう、お重を持ち上げて。
やくち目。
お澄ましに口をつけて。
澄んだお汁のなかに、肝と三つ葉。たったそれだけ。それが醸す、深い深い味わい。濃いうなぎの味を見事に中和して、気持ちを落ち着かす。
ここのつ。
とお。
慌てないように、と思いながらも箸がとまらない。
何もかも忘れてただ、うなぎの甘さととろりを堪能する。
しまいには。
お重の隅にタレのたまったご飯を集めて、一気にお口へ。
そして残った最後の一切れ。
空になったお重。
お椀と、漬物の小皿。
こころを静めるように、お茶を。
くちびるについたうなぎの脂を、そっとおしぼりでふき取って。
つれあいと大した話もせずに、慌てるように食べてしまった。
何もかも忘れてただ、うなぎを味わった。
あめ蜜色のうなぎとの、真っ白な時間。
そろそろ引き上げ時。
板前さんに、美味しかったと気持ちを伝えて。
安くはないお金を払う。
安くはないけれど、これだけのものを食べられたのだから、ちっとも惜しくはない。
また来ます。
ステーキを食べるぐらいなら、何度でも、うなぎを食べにいきたい。
この、さわやかに端正な、オープンキッチンのカウンターに。
ごちそうさま。
ごちそうさま。
うなぎ フカイ @fukai
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