Chapter.3 悪夢の以後
その夜、夢を見た。
何度も夢で繰り返されては苦しめられた、決して消えぬ記憶を。
あの悪夢の続きを…………
゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚
誰からの記憶からも消された、嘗て我が家が存在した路地で、私は泣き続けていた。
……その人に、話しかけられるまで。
「───お嬢さん、こんなところで泣き崩れて、どうかしたのかい?」
頭上から、男の低い声が降ってきた。
私の他にも、泣いている人間がいたのか。
周りなど気にする余裕は無くて、気付かなかった。
そう思いながら、ゆっくりと顔を上げると、
「…………え……?」
周りに泣いている少女などおらず、男は確かに、私を見つめていた。
──────
「どうして……私が、見えているの?」
男の紺色の瞳に、困惑した表情の自分が映し出される。
ローブのフードを深く被っている状態の私は、普通の人間には見えないはずだ。
「どうしてって、人間なんだから、見えるのは当たり前じゃ……
ああ、君はもしかして……」
男は不思議そうな顔をした後、何か心当たりがあるような口振りをし、そして……
「───君、雛桜家のあの二人の子かい?」
『雛桜』
男は、はっきりとそう言った。
「っ!? ……どうして、覚えているの……?
雛桜を…………お父様と、お母様を……」
『これは〝力〟を持つ者以外から姿を見えなくする物』
不意に、お母様の言葉が脳裏を過ぎった。
〝力〟を持つ者以外から……
つまり、この男は何かしらの術者なのだろう。
姿が見える理由は判明した。
しかし、何故、お父様とお母様を覚えているのか。
あの文献には確かに、記憶から削除されると記されていたというのに……
「……君が得ているその情報は、もしかして、〝───〟という文献に記載されていたものではないかい?」
「そう、だけど……」
「なるほど。 実はね、あの文献は初期の物、つまり、少々古いんだよ。
だから、当時に解明されていなかったものは仮説として記されているし、間違いも多く含まれているんだ。
正しくは、〝人間の記憶から削除される。但し、深く関わった人間を除いて〟なんだよ」
「深く関わった……人間……」
私が繰り返すと、男はにこやかに頷く。
「そう。 つまり、雛桜家と僕の家系は、深い関わりを持っているということさ」
そう口にした後、一度空を見上げた男。
「そろそろ日が落ちる頃だね。
ここにいては冷えるだろうし、詳しい説明をすることも兼ねて、僕の家へ行こう」
お父様とお母様を覚えていたことから、男が嘘をついていないことは分かる。
こくりと頷くと、涙を拭い、ゆっくりと立ち上がった。
「……あ、そうそう。 まだ名乗っていなかったね。
僕は
よろしく頼むよ」
それが、私と王寺家との出会いだった。
──────
広々とした家の中。
二人でテーブルを挟んで向かい合い、椅子に腰かける。
テーブルに置かれた紅茶に一度口を付けると、男───王寺暁人は徐に口を開いた。
「君の話は二人からよく聞かされていたよ。
確か……輝祈、だったかな?」
「うん……はい」
何か大事な話だと悟り、姿勢を正し、口調を改める。
「僕の家系である王寺家と、輝祈の家系である雛桜家は、僕が生まれるよりもずっと前から、とある仕事で繋がっているんだよ」
「とある……仕事?」
「そう。 言うなればそれは……
〝特殊な力を持つ者にしかできない仕事〟かな」
優しげな微笑を浮かべながら、王寺暁人は続ける。
「陰陽師、というものを輝祈は知っているかい?
妖怪退治であったり、占いであったり、呪術であったり……
様々な術───陰陽術によって、人に幸せをもたらし、時には不幸をもたらす。
そんな術者のことを、人はそう呼ぶんだよ」
陰陽師……
頭の中で反芻する。
「そして、魔法使いである雛桜家と、陰陽師である王寺家は、人々を危機から救うための組織を作り上げた。
両家の者は、先代が亡くなると、自身が当主となり、この組織へ加入することになっている」
そこで、一つの疑問が浮かんだ私は、口を開く。
しかし、私が言葉を発する前に、王寺暁人はその疑問に答えた。
「先代が長生きをしたら、次期当主が加入するのは年老いてからになるのでは?
そう思っただろう。
でも、そんな心配は無用なんだよ。
何故なら……この仕事をしている限り、そう長くは生きられない運命だから」
『それほどまでに、危険を伴う仕事なんだ』
先程までの微笑が姿を消し、その寂しげな表情が、そう物語っていた。
どちらかの当主が亡くなり、世代が移り変わる───その繰り返しを、
両家の者は、それぞれ見続けてきたのだろう。
そして、王寺暁人も例外ではなく、お父様とお母様が死にゆく姿を、どこかで見ていたに違いない。
胸が矢に貫かれたような痛みを覚えた。
「……今回の盛大で最悪な魔女狩りはね、一人の老婆によって起きてしまったことなんだ」
「───え?」
唐突に切り出された話に、持ち上げかけていたティーカップを、ガチャッと大きな音を立ててソーサーに落としてしまった。
「村の外れに住む老婆の家は、森に面しており、
更には周辺の家々と距離があったことから、魔女だと疑われた。
容疑をかけられた老婆は、錯乱状態に陥り、知っている村人の名を、次々と揚げていった。
その揚げられた人間もまた、別の人間の名を口にしていく。
……結果、犠牲者はネズミ算式に増えていき、輝祈の両親も揚げられてしまったんだ」
幸い低位置だったため、ティーカップ割れることはなかったが、紅茶の水面がぐらりと揺らぐ。
まるで……今の私の感情のように。
「今の話を聞いて……
輝祈は、人間達の愚かさを恨むかい?」
水面は今も尚、揺らめいている。
そして、私の心もまた、揺らめき続けていた。
「……っ……恨んでいないと言えば、嘘になります。
でも、人間のことを嫌ってはいません。
『誤った娯楽に取り込まれてしまっただけで、本当は愛と優しさに溢れている』と、お母様に言われました。
なので私は……人間を信じたいと思っています。
この組織で、人間を守りたいと、そう思っています」
私の言葉に一瞬、目を見開いた王寺暁人は、ふっと表情を和らげた。
「輝祈は優しい子だね。
あの二人が話していた通りだ」
しかし、その表情はすぐに険しいものへと変わる。
「誤った娯楽───即ち誤楽に、取り込まれてしまった人間達、か……
輝祈。 この組織へ加入するならば、そういった人間達と向き合うことが、嫌でもあるだろう。
そして、死とも隣り合わせになる。
待ち受けている未来は、厳しく辛いものばかりだ。
それを理解しても尚……危険を冒すと分かりながらも、君はこの組織に加入するかい?」
お父様が教えてくれた未来での仲間は、きっとこの組織を意味している。
本人に確認することはもう叶わないけれど、確かな根拠は何も無いけれど───確信があった。
「受け継がれてきたこの家業を、両親の代で途切れさせるわけにはいきません。
それに、迷うことなど何もありません。
道を踏み外してしまいがちな人間を救うと、お父様とお母様に誓いました。
なので私は、この命を懸けて、組織へ加入します」
しっかりと王寺暁人の瞳を見て言い切る。
雛桜家……否、魔法使いの家系は、代々、魔法使い同士がつがいとなり、子孫を繁栄させてきた。
何故ならば、それが血を薄めないための、魔法使いの掟であったからだ。
中には掟を破る一部の例外───即ち、魔法使い以外とつがいになる者も存在したが、
その魔法使いがつがいとなった時、代償として魔力を失った。
魔法使いが私一人となってしまった今、
もし仮に、私が誰かと結ばれたとしても、言うまでもなく、相手は魔法使いではない。
誕生した子どもも、また魔力を持たない人間と結ばれ、間に誕生する子どもの魔力も、薄れたものとなる。
時が経つにつれて、世代が移り変わるにつれて、次第に魔力は薄れていき、そしていつか───途絶えることになる。
つまり、私が死んでしまえば、純血の魔法使いは完全消滅する。
後にせよ、先にせよ、この仕事を請け負う者は存在しなくなるのだ。
そう分かってはいたが、両親の代で家業を途切れさせるのは、
先祖代々、雛桜家が請け負ってきた、
死と隣り合わせの───言うなれば、死へと自ら突き進むような仕事から逃避するのは、
何もすることなく、二人の存在しない世界を生きるのは、
想像しただけでも己自身を許せなく、耐えられなかった。
きっと、王寺暁人もそれを分かっていた。
分かっていたからこそ、私に最後の選択を迫ったのだろう。
最終的な結末は変わらないが、継ぐにせよ、継がないにせよ、後悔の残らないように、と。
……正直、自分の行動一つで人が救われ、もしくは犠牲となる。
そう考えるだけで、自分の行動が、判断が恐ろしい。
私がこの仕事を請け負うことによって、その重大な責任を背負うことになるのなら、逃げてしまいたい。
そう思っている自分が、どこかにいる。
けれど、もし私が何もしなければ、人間達は運命に従い、絶望へと突き落とされる。
そして反対に、私が持つ〝力〟を使えば、運命をほんの僅かにでも変えることができる。
この〝力〟で、誰か一人の運命でも変えることができるならば、
誰か一人でも救うことができるならば、
この仕事で、運命に抗おう。
そう、思ったのだった。
「……そうか。
流石は雛桜家の子だね。
あの二人とよく似ているよ。
その意志の強さも、それを象徴する瞳も」
王寺暁人の藍色の瞳に、私の菖蒲色が溶け込んだ。
「では改めて……
これからよろしく、輝祈」
「はい、こちらこそよろしくお願いします、王寺あき……
……何とお呼びすればいいでしょうか」
脳内と同じく、フルネームで呼ぶという失態に気まずさを感じる。
「ははっ、まさかフルネームだったとは。
そうだなぁ……呼びやすさも兼ねて、〝アキ
〟とでも呼んでよ。
それに、年は違えど仕事仲間なんだし、敬語なんて堅苦しいからいいさ」
気まずかった私に反して、王寺暁人は、さして気にする様子もなく、可笑しそうに笑いながらそう告げた。
敬語でないのなら、どのような言葉遣いが良いのだろうか。
今までどおりの、何の装飾も無い言葉遣いでは、流石に愛想がなく、失礼に値するだろう。
かと言って、子どもの一般的な喋り方など、
力のコントロールに時間がかかったために、人間との接触を極力避けてきた私には分からない。
それならば、どうすれば……
そう考えた時、脳裏に蘇ったものは、つい数時間前の、あの悪夢のような出来事。
私を、人間達を、世界を守るために、命を落としたお父様とお母様。
そして、それと同時に脳裏を過ぎったものは、私のために自身を犠牲にする人が、これ以上現れないでほしい、という〝願い〟。
「……ええ。 分かったわ、アキ」
気が付けば、そう口にしていた。
所詮、母親の真似だろうと、思われるかもしれない。
数年経ってから思えば、
10歳の子どもがそんな言葉遣いをして、ませているとしか、思われなかったかもしれない。
けれど、それでも構わない。
周りにどう思われていようと、私自身の〝願い〟は、気持ちは───変わらないのだから。
それからは、殆ど毎日、仕事を続けてきた。
主な仕事は、妖怪や魔物などの〝邪〟を祓うこと。
たとえ祓う側が減少してしまっても、魔女狩りの被害を受けなかった邪が、減少することはないのだから。
仕事をするにあたって、幾度となく移住を繰り返し、世界各地を巡ってきた。
そして私は、はじめのうち、行く先々で、
救えなかった犠牲者に、その土地の人間との別れに、涙を流していた。
『その地の物に、人に、執着してはならないよ』
数年経ったある時、アキにそう言われた。
厳しい口調ではあったが、その裏には優しさが込められているのを感じた。
悲しみと罪悪感で、いつか私が壊れてしまわないように───
それから私は、土地の人間と、必要以上に干渉しないようにした。
たとえ相手の方から近付いてきたとしても、冷酷に突き放した。
自分自身も、相手も傷付く選択。
それを承知の上で、何度も繰り返した。
何故なら、アキの切実な願いであったから。
そして、どんなに悩んでも、それ以外の解決策は、思いつかなかったから───
程なくして、アキは命を落とした。
強い魔物の討伐中に大怪我を負い、出血多量で亡くなったのだ。
私は悔やんでも悔やみきれなかった。
目の前の魔物との戦闘に必死で、背後まで気を配れなかったことを。
そして、背後から迫り来る魔物から、私を庇って、アキが負傷したことを───
私より、二つ年下だったアキの息子に、その全てを告げた。
そして地に頭を擦り付けて、何度も謝罪した。
彼は一度も、私を責めることはなかった。
『それがお父さんの選んだ道であり、運命だったんだよ』と、優しい声色で言っていた。
アキの死をきっかけに、痛感した。
大人ぶった言葉遣いも、所詮は幼い子どもの付け焼き刃でしかないのだと。
そして、生まれつき病弱だったアキの息子が亡くなる時、彼は再び私に告げた。
「輝祈を命に変えても守ることが、お父さんの意志であり、そして運命だったんだ。
人の人生は、全てが思い通りになることなんてなくて、
運命は時に、人を犠牲にし、絶望の闇へと突き落とすものだから。
いつかこうして尽きてしまう命を、最後に誰かのために使えたのなら、
きっと、それほどまでに幸せなことは無いと僕は思うよ。
僕はお父さんの息子だから、きっとお父さんも同じ思いだったと思うんだ。
確証はないけど、自信はあるよ。
大丈夫。 輝祈が気に病むことなんか……ないん、だ……ょ……」
それから私は、王寺家の世代が何代も代わる様を、傍で見続けてきた。
何年も……何十年も、何百年も───
そしてその中で、この組織に加入した何人もが、私を守るために命を落とした。
その度に、お母様を真似たこの言葉遣いも、修行を重ねて強力になった〝力〟も、
所詮は自分を守れる鎧にはならず、意味などないものだと思い知った。
まるで、私を守るために命を落とすことが、この組織の呪いであるかのようだと、思わずにはいられなかった。
どんなに時が経ち、幕府や政府などの国家機関に、この組織の周囲が固められても、言葉遣いは戻さず、修行もし続けた。
意味の無いことだと分かっている。
人は誰しも、独りで生きてゆくことなどできないのだから。
けれど私は、人々を守るためにも、独りで生きられるようにならなければならないのだ。
何百年もの時を経て考え続けても、強くなる以外に、守られなくなる方法が分からないのだから───
私のために生涯を終える、この組織の人間を見続け、何度この命を捨ててしまいたいと思っただろうか。
魔法使いとは、意識せずとも自身の傷を瞬時に癒す存在。
故に、自殺を図るのは容易いものではないが、しかし、できないわけではない。
けれどいざ、この命を絶とうとすると、最後に脳裏を過ぎるのはいつも、お父様のあの言葉なのだ。
『いつか、仲間とともに、最強の敵と、その力を交えることになる』
その〝いつか〟は、未だ訪れていない。
どんなに苦しかろうと、その最強の敵が現れるまで、私が死ぬことは許されないのだ。
そんな苦しみを抱え、生き永らえること数百年。
凄まじい勢いで燃え盛る、王寺家の家屋の中で、私は最後の陰陽師と───最後の仲間と、出会った。
迫り来る炎と恐怖に蹲る、僅か10歳の少年陰陽師───王寺慎也。
そして、
最後の陰陽師である、慎也が生きているうちに、最強の敵は現れる。
竜闘虎争は、もう間近に迫っている。
゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚
「───ハッ……」
勢いよく起き上がれば、見えた窓の外は、夜明けにはまだ早く、深い闇が広がっていた。
「っ、はあっ……はあっ……」
乱れた呼吸を整えるために、何度も深呼吸を繰り返す。
今のは……夢、か。
長い歳月の中で、今のと同じ夢を、何度見てきただろうか。
そして、私はこの夢を、いつになったら見なくなるのだろうか。
そう思いながら。 漸く落ち着いた呼吸を確認しながら。
首にかかるネックレスに通された、二つのマリッジリングを、ぎゅっと右手で握りしめた。
途端、色違いの二つの指輪が、静かに淡く、光を放ち始める。
この悪夢を見た後や、人間の死を目の当たりにした後など、
私が負の感情に飲まれている時、この指輪はいつであろうと、淡い光を放つのだ。
お父様とお母様の術が、かけられているのか。
或いは、指輪本体が自我を持っているのか。
はたまた、お父様とお母様の心が、そこに宿っているのか。
真相は定かではないが、放たれる光は温かく、優しく───安心感を与えてくれるのだ。
いつしか、負の感情に飲まれた時に握りしめることが、癖になるほどに。
夢で見たように、王寺家以外の陰陽師の家系は徐々に途絶えていき、残っているのは慎也ただ一人。
他の能力者も消滅してしまった現在、〝力〟を交えるその時は、慎也が生きている間に訪れるだろう。
対決は、もうまもなく始まろうとしている───
全てが終わりを告げる時 彩桜 真夢歩 @mayuho0514
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