Chapter.3 相次ぐ事件
嫌なことや悪いことは
立て続けに起きることが多い。
たとえ初めに
そんな意思が無かろうとも
状況が悪化し
更に悪い結末へと繋がっていく。
そんなことが起こるのが
この世界であり
食い止めることなど
ほぼ不可能に等しい。
……しかし、もし
それが可能ならば
人間はどんな手を使ってでも
絶望を振り払い
運命に、抗う。
゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚
「──、……き……輝祈!!」
「……!! っ!?」
はっと我に返ると、柚希が眉を八の字にして顔を近付けていた。
「大丈夫!? 輝祈───泣いてるよ?」
「……え?」
慌てて頬を触ると、私は確かに泣いていて、
指先がじわりと、涙で濡れた。
「長いこと意識が飛んでいたようだけど、何かあったのかい?」
慎也も柚希の横で、心配そうな顔をしている。
「……いいえ、何でもないわ。
心配しないで。
ただちょっと……昔のことを、思い出していただけよ」
自身の首にかかっている〝それ〟を、ギュッと握り締めた。
二つの指輪が通された、銀色に輝くチェーンネックレスを───
「……綾瀬実栗という少女について。
これは少々、厄介なことになるかもしれないね。
すまないけど、話を戻させてもらうよ」
慎也がそう切り出した。
柚希は一度、こちらを心配げに見ると、表情をすぐに引き締め、慎也の方を見た。
右手で涙を強く拭い、私も頷く。
「綾瀬実栗と関わった……いや、綾瀬実栗を呼び出した生徒は、その全員が自主退学を申し出ている……
もしそれが、ただの退学であれば、まだ良いけど、もしかしたら事件に通じているかもしれない。
輝祈は、そう考えているのかな?」
「ええ……」
「もし、それが事件へと通じているとすると、そうのんびりはしていられないね」
穏やかな口調だが、その中には焦りの色が見えた。
「輝祈には引き続き、あの学校での調査をお願いするよ。
綾瀬実栗を呼び出し、自主退学をした生徒があまりにも増え、学校が警察へ捜査を依頼した場合、
又は、綾瀬実栗自身が、何か大きな動きを見せた場合には、接触を図ってもらいたい」
「……分かったわ」
ギュッと両手を握り締め、下唇を噛む。
すぐに動けないことに、もどかしさと悔しさを感じながら。
「……輝祈の思っていることも分かるよ。
でも、知っての通り、僕達は正式な要請をもらってからじゃないと捜査に踏み入ることはできない」
「僕らの存在を知っている、警視総監直々のお願いを貰ってからじゃないと、ね」
慎也の言葉に、柚希がそう付け足した。
この組織を知る、数少ない人間のうちの一人である警視総監は、
その地位に相応しく、威厳に満ち溢れている。
だが、それと同時に、深い優しさをも兼ね備えている。
家族へ向ける愛情と、同等と言っても過言ではないほどの優しさを、誰に対しても持っている……そんな人だ。
故に彼は、自身が許可を下してからでないと、この組織の出動を決して許さない。
必要最低限、必要最小限、この組織の存在が、人々に広まらないようにするために。
私達を、守るために───
「柚希は僕と、輝祈の学校の周囲の見回りを兼ねた聞き込みをしよう」
「うん、分かった」
「輝祈の近くにいられるんだね」そう続けた柚希はとても嬉しそうで、私も嬉しくなる。
「それじゃあ、また何かあったら、ここに来て報告するように」
「ええ。 それじゃあ」
席を立ち、一度、片手をひらりと振ると、再びエレベーターに乗り込んだ。
綾瀬実栗の、どんなに些細な言動も、見落とさないようにと、心に決めながら───
ウィーンと、エレベーターが上へ向かう機械的な音がする。
その音が止まったと同時に、エレベーターの扉を見つめていた慎也は、柚希へと視線を移した。
「柚希はどう感じた?」
「うーん…………はっきりと断言はできないんだけどね?
輝祈、この件に関して思い詰めてるみたい。
恐怖で怯弱になってる気を感じたよ。
それに、昔のことを思い出したっていうのは……」
「きっと、ご両親が亡くなられた時の───魔女狩りの時のことを、何かの拍子に思い出してしまったんだろう」
柚希がそっと目を伏せる。
「……輝祈は近いうちに、きっと夢を見る。
〝最後の魔女狩り〟という、過去の悪夢を……」
そして、悔しそうな表情を浮かべながら柚希が続ける。
「それでも輝祈は、やっぱり僕らには話さないんだろうね、そのことを。
何度も思い出しては傷付いて、
誰に相談するでもなく、自分の中に溜め込んでいく。
今まで何度、それを繰り返して来たんだろう……」
「幾度となく悪夢を繰り返し見てきたこと、
輝祈は必死に隠し通しているみたいだから、僕たちができることは無いけれど……」
〝どうか、心を壊してしまわないで〟
二人はそう、強く願った。
゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚
あれから数日が経った。
その後も、綾瀬実栗を呼び出して、自主退学を申し出た生徒は増え続けており、現在では、その数19人。
学校側が警察へ捜査を依頼することは未だ無い。
しかし……何故……?
こんなにも多くの生徒が、ある日を境に自主退学し出したというのに、何故、動かない?
事態は急を要するかもしれないというのに、職員は何をのんびりしているのだろうか。
早く……早く……
どんどん気持ちが急く。
何か悪いことが、起きるその前に……
「───輝祈っ!!」
「きゃっ!?」
いきなり大声で名前を呼ばれ、更には強く両肩に手を置かれたために、
滅多に出さないような甲高い悲鳴を上げた。
驚きながらも勢いよく振り返れば、そこには怪訝そうに眉根を寄せた未來の姿が。
「……あ、ごめん……こんな近距離で悲鳴上げたりして」
すると何故か、未來は口をへの字に歪め、より不快感を露にした。
「え……ごめん、そんなに耳障りだっ……」
「私が怒ってるのは悲鳴のことじゃないよ!」
私の言葉を遮って告げられたその言葉に、今度は私が眉根を寄せた。
ならば何故、怒っているのだろう。
何か気に障るようなことを、言ってしまったのだろうか?
或いは、してしまったのだろうか?
……否、今こうして肩を掴まれるまで、未來は怒ってなどいなかった。
今朝会って挨拶をした時も、授業の合間の休み時間に、話をしていた時も……
つい先程まで、いつも通り、人当たりの良い笑みを浮かべていたはずだ。
今朝からのことをもう一度振り返っても、その答えは出ない。
ならば、何故……?
「それなら、どうして……?」
暫く考えた挙句の果てに出た問いに、未來は大きな溜め息を吐いた。
人には吐くなと言っていたくせに……
「私が怒ってるのはね……
輝祈が何かを悩んでいるのに、私に何も相談してくれないこと!」
「……え?」
未來が怒気を含んだ声で言う。
言われた私は、驚きの声を上げて固まった。
悩んでいることに、気付いていたのか、と。
これまで通り、普通に振る舞っていたと思っていたのに。
隠しきれて、いなかったのか。
いつの間にか、この甘ったるい世界に慣れて、子どもの頃のようになってしまっていたのか、と。
「どうして、それを……」
「気付いてないとでも思ったの?
輝祈は、いっつもポーカーフェイスだけどさ、伊達に何年も、一緒にいたわけじゃないんだからね?」
それから少しの間を置いて、
「たまには私に頼ってよ。
秘密主義な輝祈のことだから、私に話せないこともあると思う。
でも、全く頼られないのは、ちょっと寂しいからさ」
『輝祈はもう少し、周りに頼っても良いと思うよ』
慎也や柚希に、何度も言われた言葉だった。
あの組織と関係のある人間にも、何度か言われたことがあった。
けれどこうして、仕事の中で関わった、何の力も持たない人間に言われたのは、初めてだ。
私の変化に気付けるようになるくらい長い間、私はこの子と共に、日々を過ごしていたのだと、実感した。
じわり、と何故か目頭が熱くなる。
涙が今にも溢れ出しそうになり、ぐっと堪えた。
しかし、それは溢れ出す〝何か〟の感情に、勝つことはできず、
ほろり、と瞳から零れ落ちた。
「っ!……ごめんっ……」
いきなり泣き出したりして、余計に心配をかけてしまう。
本当は違うというのに、もしかしたら、自分の言動のせいだと、未來が思ってしまうかもしれない。
そう思って涙を拭っても、それは止まることを知らず、
何度拭おうとも、堰を切ったように次から次へと溢れ出す。
すると、スッ……と未來の手が、私の顔へと伸ばされた。
その指先が頬に触れた途端、先程までのことが嘘のように、涙がピタリと静止する。
頬に流れていた涙の雫を優しく拭うと、未來は小さく首を振った。
「……違うよ、輝祈」
「…………え?」
「こういう時はね?
〝ごめん〟より、〝ありがとう〟の方が嬉しいんだよ」
「……うん……ありがとう」
未來の言葉に一瞬驚いたが、その一言を言い直せば、未來は更に嬉しそうに笑みを深めた。
「だからね?
輝祈のことだから、皆の知らないところで、無理も無茶もいっぱいしてると思う。
けど、一人で溜め込み過ぎないで。
そんなことすると、いつか輝祈が耐えきれなくなって壊れちゃうよ。
私の知らない、輝祈の大切な人にでもいい。
辛い時、苦しい時、悲しい時、寂しい時……
誰にでも構わないから、誰かに頼って」
ひとつひとつの言葉が、スッと胸に溶け込んでいく。
ああ……とても温かい。
それは、外側から伝わってくるような温かさではなく、内側から溢れ出すような温かさ。
その正体は今まで分からなかったが、ずっと感じていたい、そう思わせるような感情。
「……うん」
「よしっ、じゃあ約束!」
そう言って差し出された小指に、自身のそれを絡めた。
涙が何故、溢れたのかは分からない。
けれど確かに、胸は温かくて。
そして、その温かさが心地よくて。
聞き馴染みのある、指切りの歌を聞きながら、目の前で歌う彼女を見て、自然と顔が綻んだ。
───溢れ出す、何か優しく、温かく……どこか懐かしい、感情。
顔が自然と綻ぶような感情。
それが、両親が亡くなって以来失われていた、〝喜び〟や〝嬉しさ〟だということを、
この地に来る前までの私は、知らなかった───
゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚
「ねえ知ってる?
隣のクラスに、すっごいイケメンな転校生が来たんだってー!!」
「もちろん知ってるよ!
私さっき廊下で顔見たんだけど、なんかもう〝The 王子様〟って感じで、超カッコ良かった!」
「なんでも、入学して約2時間でファンクラブが作られて、その1時間後には会員が100人を軽く上回ったとか」
「きゃー! まぢで!? やばっ!
早く見たい見たい!!
今日のお昼休み、隣のクラス行こー!」
今までとは対照的に、今度は女子が色めき立つ。
授業の合間の休み時間、一人、自分の席で空を見上げながら、噂好きな女子生徒達の会話を聞いていた。
転校生、か……
世界が危機に晒されているにも関わらず、それを知らない人間達は、本当に呑気だ。
〝The 王子様〟
その単語に少し引っかかった。
いや……気のせいだろう。
彼がここに来る理由は、無いはずなのだから。
王子様、なんて例え方は、きっと今の学生にとって在りきたりなのだ。
そうして、浮かび上がった一人の人間を、すぐに脳内から追い払った。
まさか、私の勘が的中するとは、思いもせずに……
゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚
昼休み、丁度、昼食を食べ終えた私の元へ、とある人から電話があった。
『学校の裏門に来てほしい』
電話の向こうの相手は、そう一言告げると、すぐにプツリッと通話を終了させた。
そんなに急用なのだろうか。
一緒に昼食を食べていた未來に、用事がある、と告げると、私はすぐに裏門へと向かった。
そして、辿り着いた先───人気のない裏門の前で、
私は驚きのあまり、忙しなく動いていた足をピタリと止めた。
急に止まったため、前のめりだった姿勢のせいで危うく転びそうになったが、なんとか持ちこたえる。
そして、少し息を整えると、目の前に立つ彼に言った。
「…………
どうして慎也が、私の学校の制服を着ているの」
目の前の彼───慎也が、ニコリを笑いかけてくる。
「僕もこの学校に入学することにしたんだよ」
「どうして?
だってあなたは、とっくに高校の勉強なんて終わらせているじゃない」
そう、慎也はアメリカの飛び級制度によって、僅か2年間───16歳にして、某名門大学を卒業しているのだ。
故に彼は、この若さにして学校に通わず、常にあの家にいる……否、いた。
「ああ、そうだよ。
でも、今度は日本語で学ぼうかなと思っ……」
「ふざけないで。
冗談は結構よ。 本当の理由を話しなさい」
「ははっ、ごめんごめん。
ジョークはここまでだから」
そう言った慎也は笑みをサッと消し、表情を引き締めた。
「本当の理由はね、
僕も、この学校の警備───いや、綾瀬実栗の監視をするからだよ」
告げられた内容に目を見開く。
「……私一人では、力不足だというの?
……私では、不甲斐ないというの!?」
気付けば、叫んでいた。
今まで頑張って築いてきたものと費やした時間は全て、無駄だったというのだろうか。
「違う、輝祈は十分強いよ」
慎也が静かに否定する。
「ただこれは、輝祈を守るためでもあるんだ。
僕たちを知る、警視総監と自衛隊長が決定したことだよ。
勿論、僕の意志でもあるし、柚希の願いでもある。
拒否権は無いよ」
〝守る〟なんて、言わないで……
〝誰にも守られることなく、逆に誰かを守れるように〟
そう心の中で、ずっと誓ってきた。
けれど、言葉遣いや能力などは、意味を成さなくて、
『輝祈を、皆を、何があっても守る』
そう、何度も言われた。
そして、私と関わった人間は……私を守ると言った人間は───
皆、戦いの中で亡くなっていった。
戦いの最中、私を守るために、自らの命を投げ出した。
こうして、警視総監や自衛隊長に言われるのは初めてで、
今まで積み上げてきたものが、全て崩れていくようだった。
進む先が、真っ暗になったようだった。
誰もが、その命を私のせいで落とす。
暗に、そう告げられているようだった。
「……ねぇ、慎也……」
発した声は、とてもか細いものだった。
慎也は静かに、私の言葉に耳を傾けている。
「……綾瀬実栗の監視という任務は認めるわ。
警視総監や自衛隊長の指示では仕方がないもの。
けれど、私のことは守らないで。
お願いだから……それだけは約束して……」
「……うん、分かった」
私の心情を読み取ってなのか、慎也は明るく了承した。
「───さて、昼休みもそろそろ終わる頃だね。
教室へ戻ろうか」
慎也がゆったりとした足取りで歩き出す。
丁度横を通った時、私も踵を返し、隣に並んで歩き出した。
「あーあ、教室へ戻ったら、また大勢に囲まれるんだろうなぁ。
ねえ輝祈。 どうして人間は、新しいものに手を伸ばしたがるんだろうね?」
空気を変えようとしてくれているのだろう。
慎也は困っているような、そして、ふざけるような口調で言った。
その質問にクスリと笑みが漏れる。
「あら、慎也は違うの?」
「いいや、僕も同じ種族だから、全くの別ものとは言わないよ。
僕が得意とする勉強だって、その〝人間〟の〝好奇心〟からできているものだからね。
でもさ、転校生だからといっても、ある程度のことは把握しているんだから、少しくらいは一人の時間が欲しいな」
やれやれ、と溜め息を吐く慎也を見て思う。
彼がこの学校に来た理由が、たとえ仕事のためであるとしても、
世界を揺るがす危機の魔の手が、刻一刻と忍び寄っているとしても、
この平穏な時間が、ずっと続いていてほしい、と───
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