Chapter.2 組織と過去
そして、この現状の中で、一人でも多くの命を守るため、私たちの組織を知る者から協力が要請された。
──私たちの組織。
それは、この世界でもごく僅かな、しかもその秘密を受け入れ、決して他言しない人間しか知らない組織。
それは…………
何かしらの特殊能力を持つ人間達の集まり。
正式な名称は付いておらず、この組織を知る者は大抵、〝あれ〟や〝あの者たち〟と呼ぶ。
〝特殊能力を持つ人間〟とは、陰陽師や魔法使い、霊媒師などの術師や、時には半妖や妖怪も含まれる。
そして、先程話している時に付いていたあの口調は、
ここに居る慎也や柚希などの、この組織に関係する人間たちの前で自然と付く、事務的な話し方なのだ。
……ただし、昔からそのような口調だったわけではない。
先にも述べたように、私は本来、語尾に何も付けない性格だ。
〝あの事件〟がきっかけだった。
私の大切な人たち───この組織の人間に関係していた人たちが、
自分達のためにその生涯を終えるという悲劇を、目の当たりにしてしまった時、
無意識のうちに頭を埋め尽くしたものがあった。
それを言葉で表すことは極めて難しいが、例えるならば、あれは……〝後悔〟。
もう私の大切な人たちを、誰一人として犠牲にしたくない。
もう私を守らなくても良いから、消えてほしくない。
その思いが強かったためか、気付いた時には、
決して子供扱いされないような、守られなくても平気だという意味を込めた、大人びた言葉遣いになっていた───
……そして現在、この組織に所属しているのは、僅か三人。
そう……私と慎也と柚希だけなのだ。
嘗ては、世界人口の約五分の一が、特殊能力を持つ人間だった、と云われている。
それも、世界各地に分布しており、各国に一人は必ず居たそうだ。
しかし、〝あの事件〟によって、急激に少なくなってしまった。
──〝あの事件〟
それは、決して拭えぬ歴史と記憶。
それは…………〝魔女狩り〟
中世末期頃にヨーロッパから始まり、大陸を渡ってアメリカへと広がり、最終的には世界中へとその規模は拡大していった。
魔女狩りが始まってしまった原因は、中世の異端審問官達が、
異端運動の衰退後の新しい職場探しの末につくりあげた、単なる嘘のようなものだったそうだ。
ある人間を憎み、恨む人間が、異端審問官に〝あれは魔女だ〟と密告し、
異端審問官──
魔女として逮捕された人間は、処刑の前に全財産を没収されることになっており、
教会側はこの没収した財産を、魔女狩りの経費や、自らの給料に当てていた。
当時は社会的にも不安定な時代で、魔女という名の付いた他人を、不安を解消するための攻撃対象とし、
異端運動が衰退したことにより、積もりに積もった鬱憤晴らしの標的とした。
更には金の出処としていたため、教会の人間達にとっては、まさに一石二鳥...否、一石三鳥だった。
……しかしそんな、教会の人間達にとって夢のような話だった魔女狩りにも、〝滅び〟の時はやってくる。
魔女狩りが衰退し始めたのだ。
何の罪も無い人間達が、恐怖から解放される時が、遂に、やってきたのだ。
教会の人間達にバレないように、影で多くの人間達が歓喜の声をあげた───
……が、しかし、
まるでショーのフィナーレかのように、全世界を揺るがす最大の事件が起きた。
〝最期の魔女狩り〟
世界を変えた一つの歴史として、今でも学習の過程で必ず一度は習う。
しかし、これが起きたのは近代初期頃のため、これを経験した者は、現在は存在しない。
ただ一人…………私を除いて。
゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚
あれは、私が10歳を迎えたばかりの頃だった───
私の家は、小さな診療所だった。
お父様とお母様の二人で経営しており、〝小さな〟と言っても、誰もがその存在を知っていた。
何故なら人間達から、〝どんな病も治す診療所〟と、うたわれていたからである。
たとえ、死を待つしかないと他の病院や診療所で診断を受けたとしても、お父様とお母様はすぐにその病を治してしまうのだ。
それも、ものの数分、患者を眠らせるだけで。
そのため人間達は、この治療法を〝睡眠治療〟と呼んでいた。
医療技術を少しでも進歩させたいと、この睡眠治療の方法を聞きに来る医者が居たが、
どんなに頼み込まれても、これが公開されることは無かった。
否、公開することができなかった、という方が正しい。
何故ならこの治療は…………
〝魔法使い〟だからこそ為せる業なのだから。
代々ひっそりと受け継がれてきた魔法使いの血を世間に知らせることは、先祖への裏切り行為だ。
更に、魔女狩りが盛んなこの時代に公開するなど、自殺行為とも言える。
故に、人間が好きだからこそ診療所を営むお父様とお母様も、
こればかりは人間に手を差し伸べることができなかったのだ。
始めは心を痛めていたお父様とお母様も、だんだん仕方のないことだと思えるようになり、診療所を始めて五年が経つ頃には、大分慣れてきていた。
そして五年が経つ頃──私が10歳を迎えたばかりの頃に、事件は起きた───
『お父様! お母様! 見て!
新しい魔法ができるようになった!』
私は手に、形を自由自在に変えられる小さな炎を乗せながら、お父様とお母様の元へと駆け寄った。
お父様は私を見ると、
『……!? 輝祈!! 今すぐその火を消せ!』
……いきなりそう、声を張り上げた。
その慌てたような、怒っているような形相に驚き、思わず魔法が解ける。
手に乗っていた炎がすっ、と手に吸い込まれるようにして姿を消した。
『……!! ご、ごめんなさぃ……っ』
炎が消えた後も変わらず恐ろしい形相のお父様に、がばっ、と頭を深く下げ謝る。
…………
三人の中に、暫しの沈黙が訪れた。
張りつめた空気が、ピリピリと肌を刺す。
どれほどの間があっただろうか。
『……顔を上げなさい』
沈黙を破ったのは、お父様だった。
お父様のその言葉に、恐る恐る顔を上げる。
すると……
『…………え……?』
思わずそんな声が零れた。
何故ならお父様の形相が、先程と打って変わって、喜びに満ち溢れているようだったから。
『すごいじゃないか輝祈!
流石、私たちの娘だ!』
そう言って、大きな手で頭を撫でてくれるお父様に、頭が混乱して言葉を返すことができない。
すると、今まで黙って私たちを見ていたお母様が、徐に口を開いた。
『えぇ、本当にすごいわよ!
……でもね、輝祈。 それを普通の人間に見せてはいけないことは分かっているだろうけれど……』
一度間を置いて、再び言葉を紡ぐ。
『これからは誰にも───お父様やお母様にも見せないようにして』
『っ!? ……どう、して……?』
そんな事を言うなんて、お父様とお母様は、私を嫌いになってしまったのだろうか?
耳障りで、目障りなだけだから、もう話しかけないでほしいのだろうか?
目頭がじんわりと熱くなり、涙が出そうだと分かった私は、
泣いてこれ以上お父様とお母様に迷惑をかけないように、涙が零れ落ちるのを防ごうと咄嗟に顔を顰めた。
そんな私の様子を見たお母様は、私が何を考えているのか瞬時に悟ったようで、
慌てて私に駆け寄ると、その腕で私を強く抱きしめた。
『あなたの事を嫌いなわけじゃないのよ……?
あなたを嫌いになるなんて有り得ないわ。
魔法を見せてくれるのも、迷惑だなんて思ってない!
どうか、それだけは分かってちょうだい……』
苦しそうに、辛そうに言葉を吐き出すお母様に、その言葉達が嘘だとは到底思えなくて、
私は腕の中で、大きく頷いた。
『……でも、それならどうして……?』
私は小さな声でそう問いかける。
するとお母様は、私の目をじっと見つめ、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
『今、この世界がどのような状況か、分かっているわよね?』
『……うん。 今、この世界は…………
各地で魔女狩りが行われている』
私の答えを聞いたお母様はこくり、と頷き、そして静かに語り始めた。
『魔女の疑いをかけられた人間は、拷問を受けながら、仲間がいないかという問いを投げかけられる。
その人間がそこで口にした名の人間は、同じように拷問を受け、尋問をされ、そして最後には……処刑される。
自分が処されることに不満を持つ人間たちは、自分のまわりの人間の名を次々と挙げていくわ。
それはその地を巻き込み、近隣の地を巻き込み、多くの被害を及ぼす。
つまり、負の連鎖が続いていくの。
……つい先日、この村の一人が魔女狩りの対象になったわ。
平和だったこの村にも、もうじき終わりが訪れる』
〝こんな残酷な現実、本当は子どもに話していいものなんかではないのだけれど……〟お母様は悲しそうに、そう付け足した。
この村にも……魔女狩りの被害が及んだ
その事実に、何も考えられなくなった。
『……もう、こうやって幸せに暮らすことは……できないってこと?』
回らない頭をなんとか動かし、必死に考えて紡ぎ出した言葉は、ひどく、震えていた。
『ええ、そうね……
急にこの診療所を潰せば、教会の人間はきっと怪しむでしょうから、
暫くはここで暮らすけれど……
様子を見て、この地から離れなければいけないと思うわ』
『そん、な……っ』
まだ幼く、魔力の制御が未熟だった私は、
あまり人間と関わることはなかったため、大切な人との別れがあるわけではない。
ただ、この地が気に入っていた。
否、好きだった。
自然豊かで、淀みのない澄んだ空気が広がっていて、空が綺麗なこの地が。
『疑いをかけられたこの村の人間は、きっと今頃、拷問を受けているわ。
この診療所は広く知れ渡っていたから、いずれ教会の人間がやって来るでしょう。
だからお願い、輝祈。
この終わりの見えない魔女狩りの悪夢が消え去るまで、人前で……私たちの前で、
決して魔法を使わないと約束して』
『……はい』
お母様と約束をしてから数日が経ったある日、診療所のドアを乱暴に叩く音がした。
外はまだ日が昇ったばかりで、この時間帯はいつもなら、しんと静まり返っている……はずだった。
外が……村が、騒がしい。
騒音で目を覚まし、ベッドの上に横たわっていた身体を起こす。
耳を澄ませば、どこからか微かに、大勢の人間の叫び声が聞こえた。
嫌な予感がする───否、嫌な予感しかしない。
急いで着替えを済ませてから、両親のいるだろうリビングへと向かえば、
そこには張り詰めた空気と、両親の姿があった。
『……教会の人間が来る。
距離からして、あと数分といったところだ』
透視でドアの外を確認したらしいお父様が言う。
気が付けば、無意識に身体が強張り、両の手のひらを握り締めている自分がいた。
『もう……来てしまったのね』
寂しそうに、名残惜しそうに呟いたお母様。
『私たちの終わりが、こんなにも早いなんて……』
その後に発せられたその言葉に、自身の耳を疑った。
『───え……?』
だが、少し考えれば分かることだった。
現状を理解しているなら、今更驚くことではなかった。
教会の人間が来たということ。
それは拷問と処刑の始まり───つまりは〝死〟を意味するのだ。
『……これから、どうなるの……?』
震える声で二人を見上げる。
『……輝祈、あなたは逃げなさい』
お母様が瞳に強い光を宿らせ、言った。
『え……? お父様と、お母様は……』
『輝祈』
お父様が私の言葉を遮って名前を呼ぶ。
お父様の瞳にも、強く鋭い───決意の光が宿っていた。
『私たちはこれから……
自身の命と引き換えに、人間の歪んだ心と魔女狩りを、終わらせる』
『っ!? そんなっ……
っどうしてお父様とお母様が、犠牲になる必要があるの!?』
叫ぶ私に、お父様は苦しげな表情で続けた。
『実は、輝祈にまだ教えていなかったことがある。
……私たち三人を除いた魔法使いは、もう皆……いなくなってしまったんだ』
『それって……』
まさか……
『教会の人間たちに、殺されてしまったんだ』
私たち以外の魔法使いに会ったのは数回だけ。
しかも、私がまだ物心ついたばかりの頃だった。
けれど、皆強くて、優しかったことは今も覚えている。
そんな人たちが……魔法使いが、いなくなってしまった。
この世界に残っている魔法使いが、私たち三人だけの今、
お父様とお母様までいなくなってしまったら、私は……
『っ……それなら、私も一緒に行く!』
お願いだから、私を……
『お父様とお母様の力になる!』
一人に、しないで……
『お勉強も頑張って、魔力のコントロールもできるようになった。
だからっ……!『駄目だ!!』
お父様の怒鳴り声が空気を震わせた。
『お前はまだ未熟だ。
魔力のコントロールはできても、威力が私たちより遥かにないだろう。
力になど、なれるわけない』
その言葉たちが私の胸を刺した。
心がズキズキと痛む。
それが、事実であることに。
お父様からの言葉であることに……
『あなたっ、いくらなんでも、そこまで酷いことを……』
お母様が止めに入ろうとして、お父様にそう声をかけた。
しかし、お母様の言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
お父様の顔を見て、固まった。
お父様の頬に、いつの間にか伝っていた涙を見て、息を呑んだ。
『……力になど……なっては、いけないんだ……』
愛情の裏返し。
その真実が、私の心を更に痛ませた。
『すまない、輝祈。
これから起こることは、お前を傷つけることになるだろう。
だが、それを受け止め、お前には生きていてほしいんだ。
雛桜家の───魔法使いの、最後の希望となるお前に』
『お父様……』
両親は膝を折ると、私を強く抱きしめた。
最後となるだろう、両親のぬくもり。
いつまでも忘れずにいられるように、私も目一杯に腕を広げ、両親のその背を精一杯抱きしめた。
『輝祈。 私たちは以前、お前の未来を見たことがあるんだ』
二人の腕の中。 唐突にお父様が告げた内容は、〝予知能力によって私の未来を見た〟というものだった。
『え?』
『あなたっ、本人に未来を教えることは、禁じられているでしょう!?』
私の驚きの声に、お母様のその言葉が被せられた。
禁じられている……?
それなら何故、私に話そうとしているの?
規則も約束も、決して破らないお父様が……
『ああ。 破った者は重い罰を課せられる。
だが……
それを禁じていた者も、もういないだろう?』
迫り来る運命と、魔法使いとして生きてきた境遇への、最後の足掻き。
息を呑むお母様にそっと肩を貸すと、お父様は私に未来を語った。
『全てを話すことは、お前の未来をも揺るがせてしまうため、できないのだが……
お前は近い未来で、大切な仲間を手に入れる。
そしていつか、仲間とともに、最強の敵と、その力を交えることになる。
決して臆するな。 最後まで立ち向かえ。
そして運命に───抗え』
〝運命に抗え〟
それが何を意味するのかは分からなかったが、私は大きく頷いた。
顔を上げたお母様が私を見つめる。
その瞳は涙に濡れ、酷く苦しげだった。
お母様が何かを話そうと、口を開いたその時。
───ドンドンドンッ!
まるで全ての終わりを告げるように、荒々しげに診療所のドアが叩かれた。
『とうとう……来たんだな』
お父様が悲しげに呟く。
すると二人は立ち上がり、お母様は一度離れると、一着のローブを手に持ち戻ってきた。
『これは〝力〟を持つ者以外から姿を見えなくする物。
この悲劇が終わるまで、決して脱がないで』
私にそれを着せると、最後にフードを頭に被せられた。
外からは、ドアを叩く音とともに、男の怒鳴り声も聞こえてくる。
『……おい! 居るのは分かっているんだ!
早く開けろ! さもなくば蹴破ってでも侵入するぞ!!』
『っ……時間がない。
輝祈、お前は裏から外へ逃げるんだ』
『はい……』
拳を強く握りしめる。
駆け出そうと、一歩足を踏み出した時。
『───待って、輝祈!』
お母様がそう呼び止めた。
振り返れば、握りしめていた拳を優しく広げられ、何かを手渡された。
手元を見て、渡された物を確認すると、
『っ! これ……お母様たちの結婚指輪……』
それは金色に輝く指輪だった。
『でもっ、これは……『なら、私のも』
困惑する私の手に、同じ装飾の施された銀色の指輪が乗せられる。
『天国へは持って行けないだろうから、輝祈が持っていなさい』
お父様が微笑を浮かべながら言う。
『輝祈、お願いだ』
『っ……はい』
返事をした私の手を、指輪ごと両手で包み込んだお母様は、諭すように言った。
『こんな目に遭ってしまったけれど、どうか、人間を嫌いにならないでちょうだい。
皆、魔女狩りによって、誤った娯楽に取り込まれてしまっただけ。
本当は愛と優しさに溢れているのよ。
……人間は道を踏み外してしまいがちなの。
何が正義か分からなくなって、結果、他人を傷付けてしまう。
だからもし、あなたがそんな人間に出会ったら、救ってあげて』
それはまるで、お母様からの遺言のよう───否、本当に遺言なのだ。
そう思った途端、目頭が熱くなるのを感じた。
けれど、まだ、泣いてはいけない。
最後は……涙で霞む視界など、絶対に嫌だ。
『……っ……はいっ……!』
指輪を握りしめると、私は外へ飛び出した。
もうお父様とお母様は呼び止めなかった。
私も、振り返らなかった───
表の通りへ出た私の目の前には、悲惨な光景が広がっていた。
『……っ!?』
教会の人間達に抵抗したのか、その形跡が至るところに見受けられる。
殆どの家の窓ガラスが割られ、日光を反射させながら地面に散らばっている破片。
〝何か〟が引き摺られたために削れている地面。
蹴破られたのか、金具が破壊され傾いているドア。
そして、家から引き摺り出されても尚、抵抗を続けた痕跡。
幾つかの家の壁に飛び散っている───血飛沫。
昨日までの、私が好きだった町並みは、
何もかもが澄んでいた村は、もうそこには存在しなかった。
『っ……ひどい……』
手で口元を覆えば、我慢しきれずに零れ落ちた涙が手を伝った。
少しの間、愕然と、呆然と。
その場に立ち尽くしていた。
動くことができず、その光景から目を逸らすこともできず。
時間が止まってしまったような感覚に陥る。
けれど、それは本当に、ただの感覚でしかなかった。
私と、そしてこの悪夢のような───悪夢であってほしいと願いたくなるような光景を、取り巻いていた空気が───動いた。
私の耳元を、一陣の風が吹き抜けた。
遠くで聞こえる、多くの人間たちの悲鳴を乗せて……
そして気付く。
全てを───世界を支配するその〝時〟は、この悲惨な現状にも、凄惨な光景にも動じることなどなく、
ただひたすらに、残酷に、刻一刻と───自身のそれを刻んでいるのだ、と。
『……っ、行かな、ければ……』
悲鳴の聞こえてきた方角へと、私は走り出した。
もうすぐ、世界が変わる。
お父様とお母様が、世界を変えてくれる。
だから、向かう先に、どんな残酷な光景が待っていようとも、行かなければ。
命を懸けてまで、世界を守ろうとしているお父様とお母様を、最後の最後まで見送るために。
二人の姿を、決して忘れることがないように、
しっかりと、目に焼き付けるために───
それは広場で、盛大に行われようとしていた。
───数分間、音の流れてきた方向へと、無我夢中で走り続けた。
途中、足がもつれて転び、落ちていたガラス片で足首を切った。
しかし、いくら鮮血が流れようとも、痛みなどは全く気にならず、
ただひたすらに。 この場所に来ることだけを思い、一心不乱に走り続けたのだった。
広場には溢れかえるほどの群衆が集まっており、
群衆の見つめる先である広場の中央には、周囲より数十センチほど高い壇が設けられていた。
〝魔女狩り〟という名のショーが行われる、最悪な
壇上には、木製の太い柱が数十本も立てられている。
火あぶりのためのものだろう。
そして、壇上に一人の男が登った。
群衆を見回した後、男は叫ぶ。
『これより、多くの人間に不幸をもたらした魔女達の、処刑を行う!!』
群衆から歓声があがる。
これから目の前で人間が殺されるというのに、誰もが笑顔で、興奮していて、
『っ、狂っている……!』
狂気に満ちたその姿は、狂信主義の現状を突き付けられるには十分なものだった。
手を拘束され、目隠しをされている人間たちが、次々と壇上へ登らされていく。
今日この場で処刑される受刑者たちだ。
いかにも屈強そうな男達が後に続き、手の拘束を外し、用意されていた柱に受刑者を縛り付けると、最後に目隠しを外した。
受刑者たちは目を開け、周囲を見回すと、その多くは青ざめた顔でカタカタと震えだした。
『私は無実だ! だから助けてくれ!!』
縛り付けられても尚、無実の主張をする者もいた。
しかし群衆は彼の言葉を聞くと、
『この期に及んで見苦しいぞ!』
『そうだ! 早く死んでしまえ!』
そう暴言を吐くことしかしなかった。
それも、愉快そうな表情で。
〝自分が殺されなければ何でも構わない〟
群衆達の心が、そう言っているように聞こえた。
そして受刑者の中には、先程連れ去られたお父様とお母様の姿もあった。
『お父様っ! お母様っ!!』
私の声が届いたのか、一度、目を開けた二人は私の姿を目で捉え、そして───笑った。
悲しそうに、苦しそうに、笑った。
再び目を閉じた二人は、その終わりが来ることを、静かに待っているようだった。
そんな二人を見て、私も声をかけることはしなかった。
涙が再び頬を伝い出す。
どうして、お父様とお母様がこんな目に遭わなければならないのか。
人間のために〝力〟を使ってきたというのに、何故その人間達に殺されなければならないのか。
そんな苦しさと、悔しさが滲んでいる、涙だった。
『では、魔女達に最後の一分間を与える!』
初めに登壇した男が、またもや叫ぶ。
〝最後の一分間〟
処刑される直前、受刑者たちに与えられる自己弁護の時間。
しかしその実態は、命と引き換えに、合法的に多額のお金を巻き上げる、というものだった。
それも、僅かに存在する金持ちが、全財産をはたいてこそ成せるもの。
殆どの人間にとって、それはただの〝死へのカウントダウン〟〝無意味な時間〟
本当に単なる〝最後の一分間〟でしかないのだ。
受刑者たちが一人ずつ、その時間を与えられていく。
泣き叫ぶ者、狂ったように笑い続ける者、教会の人間を非難する者と様々だった。
そして、恰幅の良い男が一人、受刑者から除外された。
富貴な家の生まれで、この辺りでも有名な人間だ。
屈強な男が、縛り付けていた縄を解き、彼を解放する。
すると彼は、壇上の中央へと自ら足を運び───そして、叫んだ。
『わははははっ! 見よ、私は解放された!
所詮この世は財力がものを言うんだ!
いいか、哀れな魔女ども!
この私が見ていてやるから、己の弱さと罪を悔やみながら、苦しみ、藻掻き、死んでゆけ!
そして、ここに集まった下民どもよ!
我らを苦しめた魔女の処刑を、存分に鑑賞するが良い!!』
『おおぉぉぉお!!』
男の叫びに続き、群衆が雄叫びに似た歓声をあげた。
……正気の沙汰ではない。
誰一人として、この残虐な世界に、微塵も疑問を持ってなどいないようだ。
こんな風に、事態をただただ静観していて、怖くないわけではない。
人が人を無闇に、無意味に殺め、それを人が娯楽として眺めているのだ。
しかもその殺められる人間に、決まりなど存在しない。
いつかも分からず、唐突に処刑される。
そんな恐怖と隣り合わせで、怖くないわけがない。
しかし、今はただ、耐えるしかないのだ。
もうすぐ世界は変わる。
だから……大丈夫。
そう思うほかないのだから───
男が壇上から群衆の波の中へと消え、その後も受刑者たちの〝最後の一分間〟が続いた。
そして最後に、お父様とお母様に、その〝刻〟が与えられた。
『最後に……雛桜家を名乗る、この魔女どもは!
〝睡眠治療〟なる妖しい魔術を、多くの人間に施してきた!
今こそ、裁きの時だ!!』
地鳴りの如く、群衆が叫ぶ。
魔術を人間に施してきたことは、嘘ではない。
けれど、その魔術によって、多くの人間が救われたことも確かなのだ。
それなのに……それなのにっ……
魔女狩りの最盛期であろうこの世の中で、魔術を使用するという危険を冒してまで、人間達を救ってきたというのに、
その人間達に殺められなければならないなんて……
最も質の悪い、裏切り行為だ。
恩を仇で返すこの群衆が───人間達が、憎い……憎い、憎い……
『さあ、命乞いでもするか?』
壇上の男が不敵に笑いながら問う。
細められたその目は……人間ではなく、自分よりも下位の存在を見ているようで。
下唇を噛み締め、俯く。
『ふざ、けるな……っ』
私が憎しみと怒りを露にし、そう呟いたその時───
『命乞いなど、致しません』
良く通るお父様の声が、広場中に響き渡った。
我に返り顔を上げれば、柱に縛り付けられたお父様とお母様は……
堂々と、真っ直ぐに───壇上の男を見つめていた。
『命乞いなど致しませんし、あなたがたを憎んだり、恨んだりも致しません。
ですからどうぞ、私達を処刑して下さい』
強い光を宿した瞳で、お母様が言う。
『なっ、何なんだ貴様らは!
死亡志願者か!?』
先程とは逆に、これでもかというほど目を見開き、狼狽えながら男が叫ぶ。
何の罪もなく殺められるにも関わらず、潔くそれを受け入れる姿は、
何も知らぬ傍から見れば、そう見えてしまうのだろう。
しかし、違う。
そんなに単純なことではない。
誰よりも命を重く、深く考えていたお父様とお母様。
潔く捨てるなど、するわけがない。
どれだけの覚悟が必要なのか、私には分からず、想像することすらできない。
けれど、それはとてつもなく、辛く、苦しく、悲しい選択だったに違いない。
そう思うと、胸が叫びたくなるほどに締め付けられた。
罵られても、怒りや悲しみ、そして狂った反応すら示さないお父様とお母様。
男はそれが気に食わなかったようだ。
『……ふんっ、つまらない奴らだ。
まあいい。 処刑を開始しよう』
屈強な男達に指示を出すと、男は壇上の端の方へ掃けた。
『皆のもの、篤と見るがいい!
我々を騙していた魔女どもの死にゆく姿を!!』
またも湧き上がった群衆は、より一層心躍らせ、壇上を見つめた。
誰もが息を呑み、広場は静寂に包まれた。
屈強な男達は、メラメラと燃え盛り、揺らめく炎の灯った松明を持つと、受刑者へと歩み寄る。
『……あーあ、俺もあの役に任命されたかったなぁ』
ぽつり、と。
近くにいた一人の痩せ型の男が呟いた。
『そんなのオレだって、他の奴らだってそうだよ。
諦めて、火がつけられるのを静かに見てようぜ』
その隣にいた小柄な男がそう諭し、再び広場は静まり返った。
〝あの役〟とは、松明を手にしている男達のことを指している。
受刑者の下へ置かれた薪の下へ、種火である松明を差し込み、火をつける───そんな、残酷な仕事。
しかし人々にとって、その仕事は大層名誉ある役とされていた。
そのため、群衆の中でも、ほとんどの人間は、娯楽という楽しみに胸弾ませ、羨望の眼差しで揺れる炎を見つめていた。
薪の下へと、松明が差し込まれる。
少しの間を置いて、炎が薪へと燃え移った。
刹那、群衆の興奮が音となり、声となり───広場に漂う空気を振動させた。
燃え広がった炎は、その勢いを徐々に増していき、恐ろしい業火へと変わる。
メラメラ パチパチッ
助けてくれっ! 本当は無実なんだ!!
熱いっ! 熱い!! ああ゙ぁあぁあぁあ……
薪の爆ぜる音と、受刑者たちの絶叫が───混じり合う。
その不協和音は、聞いているだけで胸苦しくて、息苦しくて。
まるで自分までもが、炎に焼かれているような感覚に陥る。
群衆は、火刑のクライマックスともいえる、その光景に見入っていた。
耐えきれずに、耳を塞ごうと両手を持ち上げた───その時。
突如、目が眩むほどの眩しい光に、広場が包まれた。
目を細めながら、何事かと周囲を見回す。
少しして、目が慣れてきたため、ゆっくりと目を開けると、
開けた視界の先───壇上に、光輝く二つの人影があった。
目を瞑っているその二人は、お父様とお母様だった。
炎は未だ揺らめき続けており、光の中でも、受刑者の身を焦がしているのが見える。
しかしそこに、先程まであった〝もの〟は消えていた。
悲痛な叫び声も、薪の爆ぜる音も……広場に響いていた音が消えていた。
否、おそらく全世界の音が───消えていた。
そして気付く。
いつの間にか、全てのものが動きを止めていた。
揺らめいていた炎は、その尖った先端を天へと伸ばした形で固まり、
周囲にいた群衆も、目を庇うような態勢で、微塵も動く様子がない。
全てのものが、時が───止まっていた。
不思議と耳鳴りさえしない、その空間の中。
お父様がゆっくりと、口を開く。
『……我らは雛桜家の者なり。
我らの命を対価とし、この世界の人間を狂信から覚醒させ、
誤った娯楽に、終わりを告げよ───』
その呪文を詠唱し終わった直後、
お父様とお母様を根源とし、より一層眩しい光が、世界を包み込んだ。
しかし、その光は数秒後には消えていた。
再び目を開けた時には、先程までと同じ広場があった。
先程と、何ら変わりない。
否、一つだけ違うところがあった。
壇上にある、受刑者を縛り付けていた柱が、少なくなっていた。
先程までと比べて、2本減っていた。
ドクン、心臓が嫌な音を立てる。
光が消えた後から、本当は気付いていたこと。
けれど、どうしても認めたくなくて、認めることができなくて。
その核心を、悪足掻きで否定していた。
お父様とお母様が───消えていた。
跡形も無く、まるで、初めから存在していなかったかのように。
『……おや、私たちは、いったい何をしていたんだ……?』
『何言ってるんだ。 処刑を見に来た……んじゃ、ない、か……
え……どうして、そんなことを……?』
動きを止めていた群衆が、動き出す。
時が再び───刻まれ始めた。
皆口々に、何故あんな残酷なものを楽しんでいたのか。 そう呟き、首を傾げている。
ふと、頭の中に一つの記憶が浮かび上がった。
それは昔、魔法に関する本を読んでいた時の記憶。
とある一冊の、一番最後のページに、記されていた言葉。
〝魔法使いが死した時、その魔法使いのことを人間は忘れる。
夢でも決して思い出せないほどに、その記憶は洗い流され、削除される。
それに伴い、その魔法使いが関わった歴史は、全てが作り変えられる。
人間が、何びとたりとも違和感を抱かぬように、辻褄が合わせられる。〟と。
一度、物陰に隠れてローブを脱ぐと、再び群衆の中へ戻り、近くにいた一人の人間に声をかけた。
『あの……すみません』
『はい、何でしょう?』
目の前の彼女がこちらを見る。
意を決して、彼女に問いかけた。
『……この村に、〝睡眠治療〟で有名な診療所は、ありませんか……?』
『睡眠治療? さあ……聞いたことないわね』
頭を、鈍器で殴られたような衝撃に襲われた。
その後、何人かにも聞いてまわったが……答えは同じだった。
その中には、以前、診療所に訪れた人間もいたが、
病のことを聞くと、〝神頼みをしていたら治ったのだ〟と、そう言われた。
あの本に記されていたことは、
紛れもなく、認めざるを得ない───事実だった。
お父様とお母様が成し遂げてきた、治療の痕跡は───〝奇跡〟へと、塗り替えられていた。
魔女狩りは終わった。
お父様とお母様の、〝誰からも忘れ去られる〟という、残酷な死と引き換えに……
物陰で再びローブを羽織ると、今にも零れ落ちそうな涙を堪えて、私は走った。
消えてしまったお父様とお母様が、存在していたという証を求めに。
私が生まれる何年も前から、二人が暮らし続けてきた、あの家へ───
足を止めたその場所で、私は愕然とした。
つい先程まで存在していたはずの我が家が、消えていた。
目をこすり、再び目を開けるの繰り返し、
何度も行ったせいで表れた痛みに耐えながら、もう何度目かも分からずに目を開けてみても、
やはり、目の前の光景は変わらなかった。
近隣の家々は、全く変わっていない。
私が駆け抜けてきた時と変わらず、荒れ果てた状態だ。
けれど、我が家だけが消えている。
初めから存在していなかったかのように、その隙間は狭められ、路地となり、跡形も無く、残骸も無く───
それから私は、嘗て我が家が存在していたはずの路地へ入り込み、その場へ膝から崩れ落ちた。
止めどなく溢れる涙を、拭うこともせずに、
ただひたすらに、体を丸めて、泣き続けた。
残虐な人間。 残忍な魔女狩り。
それは、眩しいほどの光とともに、
静かに、静かに───終わりを告げた。
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