Chapter.2 報告と現状

エレベーターの扉が開いた瞬間、私に何者かが抱きついてきた。


〝何者かが〟と言っても、その正体は分かっているのだが。



はぁ、と溜め息を吐いた後、暫く待ってみたが、それは一向に離れる気配が無い。


「……柚希、そろそろ離して」


遂にしびれを切らしてそう言うと、


「やだ!!


だって輝祈、〝コウコウ〟って言うやつに入ってから、全然来てくれないんだもん!!」


柚希はそう反論し、私はまた溜め息を吐いた。



八重瀬柚希やえせ ゆずき


ふわふわとした栗色の髪に、透き通った、まるで宝石のような琥珀色の瞳。


年齢よりも幼く見えるその顔と同様に、性格も子供っぽく愛嬌がある。


……時にそれを武器にして、欲しい物を手に入れる事もあるが……


まあ、そこを除けば、慎也と正反対とも言えるだろう。



「……そういえば、そうだったわね」


「〝そういえば〟!?


輝祈にとって僕らって、そんな程度の存在なの!?」


目に涙を溜め始めた柚希。


……柚希を泣かせると面倒な事になる。


「...柚希、泣かないで」


そう言っても尚、涙が溜まり続けている柚希。



どうしたものか、と困りながら、眉間に皺を寄せて解決策を考えていると、


「柚希、もう十分なんじゃないか?


そろそろ止めてあげないと、輝祈が可哀想だよ」


突如、今まで黙っていた慎也が口を開いた。



「…………」


「柚希」


「...はーい」


そう言って渋々といった様子で、涙を拭った柚希。



...おかしい。


そんな簡単に、この柚希が諦めるのだろうか。


一度欲しいと思った物は、誰が止めても諦めず、


そして必ずと言っていい程に手に入れてしまう、頑固な柚希が。


それに、〝〟?


という事はつまり……



「全部、仕組まれていた事なのね?」


「ご名答」


「ごめんね、輝祈!


でも、輝祈が全然来てくれなかったから、僕らすごく寂しかったんだよ?


そしたら、路地を通る輝祈の気配を感じたから、慎也と話して、ちょっと虐めてあげようってなって♪」


「はぁ……」


今日一日で、一体何度、溜め息を吐く羽目になるのだろう。



「私も悪かったわ。 本当にごめんなさい」


「うん! じゃあこれからは、たくさん来てね?」


「...ええ」



ニコニコと嬉しそうに笑っている柚希と、


呆れ半分、申し訳なさ半分で気まずい私。


この状態をどうにかしてほしい、と藁をもすがる思いで慎也を見つめると、それに気付き、


「……そろそろ本題に入ろうか」


慎也がそう切り出した。



部屋の中央に設置されている、少し大きめの長方形の机を囲むように、三人で周りの椅子に座った。



先程まで笑顔だった柚希も、真剣な顔つきになり、部屋の中を静寂が包み込んでいる。


その静寂を壊すように、私は静かに話し始めた。



「……数日前、〝あれ〟を学校の敷地内で見つけたの」


〝あれ〟というのは、空に漂っていた黒い物体のことを示している。


二人は、それが何を意味するか瞬時に理解し、


「えっ!?」


「ここ数年間、何も無かったというのに、今更かい?」


柚希と慎也も動揺を隠せずに、そう問うてきた。


私はそれに無言で頷き、更に言葉を続ける。



「そしてその日、私の学級に一人の少女が転校してきたわ」


「...それは、ただ単に、偶然とかでは無いのかい?」


柚希も首がもげそうな程、何度も頷き、同意を示す。


「いいえ、そんなはずは無いわ。


だって彼女が……


私がここに来た理由なのだから」



「……そう。 ……じゃあ取り敢えず、その転校生について、容姿や性格、行動などを一通り聞かせてほしい。


もし気になることでもあるのなら、それも踏まえて」


冷静にそう言った慎也。


しかしまだ、先程のことで動揺しているようだ。


当の本人である慎也も、気付いていないのだろうが、


机の上に置かれている彼の手が、先程から何をするでも無く、ただただ忙しなく動いているのだから。



「...ええ。 なら大まかに説明するわね。


転校生の名前は綾瀬実栗。


漆黒の髪と瞳で、肌が雪のように白くて、整った顔立ちをしていて...世間一般で言う、〝美少女〟というものなのかしら。


休み時間の度に彼女の周りに人だかりができて、色々な質問をされているけれど、


出身地や前の学校について聞くと『遠く』としか答えず、その後、問い続けてもただ微笑むだけ」


そこで一呼吸置いてから、言葉を紡ぎ出す。



「そして彼女が来てから、学校内で色々なことが変わったの。


一つ目は───」


それから私は、全てを二人に話した。


学校の変化や私の疑問など、


そして、私が初めて人間に恐怖心を抱いたことも。


本当に、全て───



二人は最後まで、口を挟むことなく、静かに聞いていた。



話し終えてから二人を見ると、


一度緊張の糸を解くようにふう、と息を吐き、そして再び表情を引き締める。


そして、始めに口を開いたのは柚希だった。



「……輝祈のその恐怖心ってさ、ただ単にその子が苦手なだけの、嫌悪感とは違うんだよね?」


「ええ。 そうだと思うけれど……」


「〝けれど〟ってことは、確証は無いっていうこと?」


「……よく分からないの。


どちらも今まで、感じたことが無いから...」



そう。 正直言うと自分でもよく分からない。


必要最低限、普通の人間とは話さなかったし、


私たちと関係がある人間は、厳しかったりもしたけれど、全員良い人ばかりだった。


だから私は、こんな感情を抱いた事は無いのだ。



「それがただの苦手意識だけならいいけど……


分かっているだろうけど、輝祈の恐怖心という確証が無いならば、僕たちはその子を調べることも見張ることもできない。


たとえ綾瀬実栗という少女が、妖怪や幽霊、もしくは……



...エ二スだったとしても」


慎也がその言葉を口にした瞬間、目の前の二人の顔が瞬時に強張った。


私も彼らと同様に強張っているに違いない。



エ二ス《Anyth》。


anything──〝何でも〟という意味の、この英単語から名前を取ったそのロボットは、


その名の通り、何でもすることが可能なのだ。


例として幾つか挙げるとするならば、


どんなものにでも姿を変えることができ、声色さえも自由自在に操り、


また、ファンタジー要素を踏まえたものでは、空を飛ぶこともできる。


いわば、世界最強の存在と言えるのだ。



そしてエ二スは、人工知能を持つ。


それこそ、某名門大学の受験を、満点で合格できるほどの頭脳を。


それを巧みに駆使できる知能を。


...つまり、もし人間に反逆を図ったならば、


人類は……いや、この世界は、例外など無く、確実に滅ぼされてしまうだろう。



しかし、人間の手によって作られた恩があるためなのか何なのか、


今までどんな要望も受け入れ、文句を言うこともなく遂行してきた。


そう。 〝今まで〟は……



これから綴られる話は、


この不思議な家の地下で、未だに顔を強張らせている私たち三人と、この組織に関わっている人間。


そして、エ二スを作り出した研究所の人間しか知らない、この世界の絶望的な現状である。


゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚ .゚*。:゚


数週間前から、テレビや新聞、雑誌などのマスメディアで話題になっているエ二スは、


現在、幾つかの不具合が発覚したため、研究所内で改良にあたっている。



……というのが、公に伝えられている話。


しかし実際、こんな生易しい現状なんかではない。


日本は……地球は……とんでもない危機に晒されているのだ。



数日前……そう、丁度あの少女──綾瀬実栗が転校してくる前日に、慎也から連絡が入った。


〝重要な話があるらしく、政府の紹介で人間が尋ねてきたからすぐに来てほしい〟と。


路地の奥深くに存在するこの隠れ家へ赴くと、


眼鏡をかけ、白衣に身を包んだ細身の男が、地下にある部屋で柚希と共に待っていた。


いかにも科学者という装いの男は正に顔面蒼白。


今にも卒倒してしまいそうな様子で、ここまで歩いて来ることができたのが不思議な程だ。



私たち三人が何事かと顔を見合わせる中、


男は小さく、けれどはっきりとした口調で話し始める。


『私は研究所でエニスの開発に携わっていた者です。


現在エニスは、不具合の調整のため機能を停止させていると伝えられていますが───』


その先の言葉は誰しもが一瞬、自身の耳を疑ってしまうだろうものだった。



〝エ二スが行方不明になった〟


これは現実なのか。 夢ではないのか、と思ってしまうほどの衝撃に襲われ、言葉を発することができなかった。



男が何度も頭を下げながら帰っていく姿を眺めながらも、上手く状況を飲み込めず、私たちは暫く硬直したままだった。



回想から引き戻されても尚、思考を巡らせ続ける。


人工知能を持つならば、そのくらいのことは起こるだろう、と研究所の人間達も想定していたという。


彼らは伊達に、日々努力を惜しむ事無く、研究を積み重ねているわけではない。


もし敵に回したら、とんでもなく恐ろしい努力の結晶──エ二スを、あっさり逃がしてしまう馬鹿ではない。


しかしエ二スは、研究所の人間達の想定を大幅に上回るほどの知能を、いつの間にか得てしまっていたのだった。



そして起きてしまった悲劇。


何の罪も無い人間──警備員二人の死。


〝何でもできる〟というものを実現させようとしたがために起きた事故。


己の愚かさを悔やんだところで、時すでに遅し。


どうすることもできない研究所の人間達は頭を抱えた。


二つの命を奪った元凶だという事実に、苦しめられた。



せめてもの罪滅ぼしに、苦しみから逃れるために、などという理由で、自殺を図った者も少なくはなかった。


だがそれは、周りの人間達によって阻止された。


更にこの世界から命が失われたところで、何の償いにもならず、


尚且なおかつ、そんな事をすれば、人類を滅亡させる、というエ二スの望みの手助けをしてしまうだけなのだ。



失われて良い命など、この世界には一つも無いのだ。



医療関係の人間達の上層部は、病人の治療をいち早く行い、少しでも多くの命を守ろうと、


理由わけは話さずとも医師達に治療を急がせ、どこも忙しなく動き回っている。


病人だけではない。


これからの未来を担う若き人間達の死など、何よりも恐れられている。


小学校、中学校、高校、更には大学で、〝いじめ〟なんてもののせいで命が失われる事を、何が何でも避けるため、


世界中の職員達には、「いじめがある場合には何が何でも止めさせ、更に絶対にいじめを起こさせず、一人の命も失わせるな」という絶対命令が下されたそうだ。


職員達もまた、理由が分からず戸惑いながらも、一部は確実に行動しているという。

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