第7話

 タヌキはビルから一気に逃げ出した。二階の窓枠から飛び出し、瓦礫の山の上に飛び乗ってそのままバベル・タワーの敷地から出た。

(逃げ切れるか…?)

 講堂で生み出したカシミヤとの距離はせいぜい20メートルといったところだった。この距離をタヌキは保ったままタワーから出られたとは思っていない。カシミヤの素早さはハッキリ言って異常だった。

(我ながらよく抜刀できた。左手も添えてなかったら首が飛んでたかもしれない)

 走りながら背筋を凍らせる。一瞬で飛んできたカシミヤの姿が残像のように目に浮かぶ。

 タヌキが走るのは2車線道路の名残がある道。旧学術集積都市の施設同士を結ぶ道路は格子状に張り巡らされているが、タヌキがいるのはそのうちの一本。北へ向かって走っていた。時折後方を確認しながらの逃走であり、カシミヤの姿が見えないことが安心できる要素のひとつだった。

(俺が北に逃げたことはカシミヤもわかっているはず。敢えてまっすぐ走っていたんだからな)

 後ろを見て、カシミヤがいないことを確認すると、右手に見えた崩れた建物だったものに素早く隠れた。

(ここで2分やり過ごす。それからバベル・タワーを迂回しながら南へ進む。まずはカシミヤとの間合いを取りたい)

 コンタクト内のタイマーを見る。25秒経過。

(単純な手だが、やらないよりマシ。向こうが俺の手の内を知らない以上、俺の作戦立案能力を必要以上に高く見積もる可能性はある)

 自分でこう思考はしている。このように思考しないと自分が動けなくなることをタヌキはよく知っている。だがもう既にタヌキはカシミヤとの読み合いに負けている。講堂に逃げ込むことは読み切られていた。カシミヤがタヌキを読み間違う可能性を信じるのは、路傍の石ころに3億の価値がつくのを信じるようなものだった。

 1分経過。

 外の世界に物音は聞こえない。時折聞こえてくる漏電の音と、鳥のさえずり、そして金属のきしむ音がBGMだった。自分の息遣いすらも殺し、なるべくゆっくり呼吸を行うタヌキは、いま完全に瓦礫と同化していた。

 無限にも永遠にも感じた1分30秒。遠くの方で足音が聞こえた。

(カシミヤのブーツ、の音…)

 タヌキはコートの投影を切った。バッテリーとコートも脱ぎ、その場に置いた。ガスマスクも外した。これでタヌキは小柄な14歳の少女になる。そしてその代償・・として、幾ばくかの俊敏性を手にする。

(さっきの切り結んだ感覚だと、カシミヤはパワーもスピードも段違いどころか棲む星が違うくらいに差がある)

 吹っ飛ばされたのは本当だった。自分で横に飛んだのもあったが、それでも体が押し戻される衝撃はすさまじいものだった。両肩がいまだにずきずきと違和感が残っている。

(アイツに勝てるとすれば、反射神経…)

 ひとつの動きを組み立てる。愛銃での射撃、イタチでの射撃、短刀での斬撃という3つの攻撃を立て続けに、異なる角度からぶつけることでカシミヤに揺さぶりをかける。愛銃は1発撃てば装填に時間を要する。

(イタチと短刀でなんとかするしかない)

 イタチのマガジンを換装する。ただの拳銃の見た目で、愛銃のようなギミックは何もない。だが、ここまで何発か撃ってきてわかったことがいくつかあった。ひとつは安定性。自動式の銃であり、最初の1発を手動で装填すればそれ以降は引き金を引くだけで発砲・排莢・装填が行われるタイプだが、その動きが抜群にスムーズだった。余計なノイズがほとんどしない。撃つと気持ちがいいほどだった。鉄板に磁石を貼り付けるように、一切の無駄のない発射プロセス。

(13発あるんだ。1発だけでいいから当たってくれよ)

 グリップ越しに弾丸に念を送り込む。ナンセンスとは思っている。そんな行為に意味はない。だが、やらずにはいられない。

 1分55秒。立ち上がったタヌキはあたりを見回す。敵影は無し。耳を澄ますが、人間の立てる音は聞こえない。

 建物から飛び出す。

 バベル・タワーに向かって走りだし、

 すぐに止まった。


「やぁ」


 カシミヤが立っている。

(なんで俺がわかる!?)

 投影はもうない。カシミヤの前に表れたのは、180㎝を優に超える大男ではなく、小柄な14歳の少女。同じ武装を持っているとはいえ、あまりに迷いが無さすぎる。いや、それよりも。

カシミヤの左手が拳銃を握っている。右腰のものではなく、左腰の。

(イタチと、同じ、銃…?)

 細部は異なっているのだろうが、30m先のカシミヤの手に握られた銃をタヌキの視力はハッキリと捉えていた。まぎれもなく同系、同モデルだった。

 タヌキも左手のイタチを構える。一瞬早くカシミヤの方が発砲した。銃口の向きと人差し指の動きから発砲の狙いとタイミングを図り、左に飛んで危機回避する。

 右脇で抱えていた愛銃を腰だめのまま放つ。講堂からセットアップされたままになっていたエアバーストが作動。

 加速した弾頭がカシミヤの左を抜けていく。タヌキは愛銃を投げ捨て、そのまま短刀を抜刀した。

 カシミヤは抜刀した。だが、拳銃をホルスターにしまった。

 今度は順手に構えたカシミヤが走りこんでくる。左側に回り込まれるようなコ―ス。

 タヌキは体をねじりながらイタチを撃つ。

 撃った瞬間にカシミヤは右に2歩分跳ねている。弾は当たらない。

 ほぼ正面から袈裟斬りが下りてくる。タヌキはねじっていた体を戻す反動で短刀を逆袈裟に振り切る。

 金属音。鍔迫り合いを諦めているタヌキは、接触の瞬間に腕の力を抜いた。右腕が後方に押し流される。体を低く沈める。右肩が悲鳴をあげそうだ。

 カシミヤの斬撃の衝撃がタヌキの体を時計回りに回す。左足を軸にくるりと一回転した。そのままの勢いで右手の短刀をぶん回す。そこにカシミヤはいなかった。跳び退いたのかと錯覚したタヌキは咄嗟にイタチを構える。

 その行動が間違いだと気付いたのは、視界に夕空が映ってからだった。

 カシミヤはジャンプで1メートルほど飛び上がりタヌキの斬撃を避けると、そのまま空中でタヌキの頭を蹴飛ばしたのだ。

 タヌキの意識が一瞬途切れた。

 すぐに立ち上がるも、頭がはっきりしない。脳震盪だった。

「いまの君じゃ私には勝てないよ」

 トン、と肩を押され、地面に尻もちをつく。いつの間にか、短刀もイタチも手から零れていた。

「今何歳?」

 突然質問された。

(こいつ、おしゃべりが好きだな)

 そんなことを思う。右手をさりげなく動かして、短刀を掴む。イタチはつかめなかったが、それは仕方ないと割り切った。

「14歳」

 質問に正直に答える。実際のところ、カシミヤは何歳なんだろう。そんなに年上には見えない。が、40歳だと言われたら納得してしまいそうな、そんな雰囲気がある。体の重心をほんの少しだけ後ろに傾ける。

「ふーん。そっか」

 なにを納得したのだろう、カシミヤは敵前とは思えないほどリラックスしている。腕を組み、右手を顎に当てている。左手には銃が握られているが、銃口はてんで正面を向いてはいない。

 いまだ。

 曲がっていた足で思い切り地面を蹴飛ばす。下半身が持ち上がる。後転の要領で後ろに距離を取り、カシミヤを見る。まだ先ほどの場所に立っている。

(このまま戦えば確実に俺は負ける)

 だが。タヌキにもプライドがある。アリィ・スナイパー路地裏の狙撃手としての、小さな、だが譲れないものが。

(一矢報いてやりたい)


 

 講堂での問答でタヌキは「自分が撃てる理由を持ち合わせていない」ことを悟らされた。

 

 金のために人を殺し続けることはタヌキにはできなかった。

 

 理由がなくては引き金を引けなかった。


「金が欲しい」という思いだけでは指は動かなかった。

 

 これは純粋なタヌキのエゴ。

 

 自分がやってきたこと、その正当性を主張することはタヌキにはもう出来なかった。悪人と断じて13人を殺した。かかる火の粉は払わねばならぬと何人もの刺客を返り討ちにした。それでも、プライドを抱く権利は、タヌキにだってある。

「ハッ!!!」

 短い気合と共に突進する。カシミヤは半身で徒手の構え。銃は左手が握っている。そこにタヌキはまっすぐ向かっていく。

 カシミヤの間合いに入った瞬間に半歩バックステップを踏んだ。

 カシミヤが反応し、右のジャブが出かかる。

 その手に反応したタヌキがカシミヤの右側に踏み出す。カシミヤは左足を引いて右手でガードを取る。

 さらにタヌキは切り返す。右足を大きく右に出し、がら空きのカシミヤの心臓めがけて右手の短刀を突きだす。

(獲ったッ!)

 タヌキの確信はほんの一瞬。その一瞬だけ、カシミヤの口許から笑みが消えていた。

 短刀が心臓を貫いたと思った。だが、カシミヤは上体を反らすだけで避けきっていた。つんのめったタヌキを、カシミヤは背後から容赦なく蹴飛ばした。

 地面を滑るタヌキは、短刀も放り出してしまっていた。

「これが……、『夕霧』……」

 ニュースで見かけた、花魁のような名前が口からこぼれた。大の字で地面に横たわり、夕空をぼんやりと眺める。

 圧倒的なパワー。スピード。そしてフィジカルとメンタルの高レベルでのバランス。常に笑みを浮かべ、飄々と語っているのに、攻撃は鈍らず、加速は鋭い。

 先ほどの強襲で、タヌキの右足首は痛みを覚えていた。突きを繰り出す瞬間までにかかった負荷が炎症を引き起こしていた。

「まだ私と戦う気、ある?」

 顔を覗きこまれた。カシミヤの退色した髪が夕焼けに染まり、凄絶な輝きをたたえている。

「俺は絶対に勝てない相手と勝負するような根性のあるタイプじゃない」

 それを聞いて、カシミヤはニッと笑う。伸ばされた右手を掴んで、タヌキは起き上がった。

「よし。じゃあ私の言うことを聞け」

「そんな約束、してないだろ」

 タヌキは短刀を拾いにカシミヤに背を向けた。拾い上げ、納刀して振り向くと、カシミヤが愛銃とイタチを差し出していた。

「敗者にそんな口を利く権利はないんだよ、いつの時代も」

 何目線かわからない発言。

(ああ、こいつはこういう風にしゃべるのが素なんだな)

 不思議とそれがわかった。武器も持たず、戦う気配を一切纏わず、警戒も解いているカシミヤには、不思議と会話を続けたくなる魅力があった。それをごまかすように、タヌキは敢えてぶっきらぼうに答えた。

「要求ってなんだよ」

 イタチと愛銃を受け取り、それぞれ所定の位置に戻す。イタチは左腰。愛銃はストラップで斜め掛け。

「私は今、まぁ色々と仕事をしてるんだけど、手が必要なんだ。具体的には、すばしっこい子が必要なんだよね」

 すばしっこい。否定はしないが、剣を交えた相手に対する評価がそれだけなのはどうなのだろう。タヌキは若干憮然とした。

「手伝ってくれるなら、正規国民権も申請できる。ほぼ確実に受理されると思うけど、どう?」

 

 正規国民権。国家の法治から外された関東以北は、群立する都市国家のような「街」がそれぞれ市民を有する。外地人アウターが市民権を得るには、「街にとって有益な存在であることを示す」必要があり、その多くはカネだった。関東以西、秋津の国の法治下にある国民は「正規国民」「国民」と呼ばれ、国家の庇護をうけることが出来る。その安心感は市民の比ではない。バックボーンである国家が消滅するまで庇護は続き、さらに幸いなことにこの国は現状、他国に滅ぼされるような憂慮は背負っていない。しかし、カネを積むだけでは正規国民権を後から取得することは非常に難しく、「街」のトップにある者でも正規国民権を持つ者はほとんどいない。審査条件が異常に厳しいためだ。

 

 そんな、タヌキが喉から手が出るほど欲しかった、「生きる保証を得る」という権利を、仕事を手伝うだけでもらえると?

 普通なら信じられない。

 だが、カシミヤの言葉には、信じるに値する何かがあった。


「わかった。世話になる」


 「最後の任務」が終わった。

 この後、この「任務」を巡る後処理でごたつき、タヌキは逃げるように関東を出て、首都・キョウトに赴くことになるのだが、それはまた別の話。



「アリィ・スナイパー」 完

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アリィ・スナイパー のんぐら @r_krn_

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