第6話
旧学術集積都市、そのランドマークとして建てられた大きなビルを、カシミヤは外から眺めていた。
今しがた左手が銃を持ち上げ、引き金を引いたところだった。それはすなわち、自分に向けて銃撃が行われたことを意味している。
「あー、なるほどね」
独り言をつぶやく。それは誰にも聞こえないような小さなものだった。思わず、楽しさがあふれ出てしまったような、そんなつぶやきだった。
左手の銃はビルの最上階付近を狙って狙撃していた。狙撃地点を示す情報が逆算されてカシミヤの携帯液晶端末に流れ込む。
それを黙って操作すると、バベルタワーに向けて全力で走り始めた。
100メートルを10秒程度で走る速度で、2000メートルを200秒で駆け抜ける。それからあとはペースを落とし、秒速7メートルほどのスピードで走った。カシミヤの走力は並の人間のそれではない。
ビルに入る。正面からではなく、ビルの西側に回り込み、窓枠から侵入した。顔の高さほどの位置にある窓枠に、片手をついてジャンプして体を引き寄せ、軽々と飛び越える。
あたりを見回し、なんとなくで動き回る。階段を見つけ、音を立てないよう駆け上る。2階、3階、4階。5階で立ち止まり、朽ちかけの構内図を見る。壁にイラストが貼られた、旧時代の掲示方法だが、こうして無電力でも見ることが出来るのはとてもありがたい。エレベーターホールの位置を探し、向かう。
バベルタワーにはAI制御によるエレベーターが12基、無制御の旧型エレベーターが8基、組まれている。うち、電気が通り作動状態にあるのは4基。無制御型は通電量が少なく済むため、4基が生き残っていたのだ。そしてそれらはすべて1階に止まっている表示が出ていた。少なくとも最後にエレベーターを使った者は1階に停めた。
「私がスナイパーなら」
思考の一端が口からはみ出る。やはり楽しそうだった。高い吹き抜け構造の正十六角形をしたホールにズラリと並ぶエレベーターホールの中心で、1秒間カシミヤは静止した。そして踵を返し、再び階段を昇る。6,7,8階。
8階の大講堂の扉の前で、隻眼の美女は銃を引き抜いた。
ビルの外に出ることはできなかった。タヌキの思考の中で、「外に出る」という選択肢は次々と潰されていった。カシミヤが自分の想定よりも早くバベルタワーに到達したとき。ゲリラ戦が非常に得意と思われるカシミヤに真っ向から挑める策がタヌキにないと悟った時。もう一度距離を取って狙撃をする機会を窺うのは非常に困難だとわかったとき。
タヌキは8階の大講堂、入り口から一番遠い教壇の袖に膝をつき、左右に2つ離れて並んだ大きな入り口を注視している。全部で800人が収容できる巨大な講堂は、ひな壇のように座席を並べ、10本の通路が教壇から入り口を繋いでおり、それぞれの通路は大の大人が3人余裕で横に並べるほどの広さがある。
タヌキから見て向かって右の扉が開いた。ABASを起動する。カシミヤの姿をコンタクトが捉える。引き金を引く。
と同時に、カシミヤも発砲した。左手で持ち上げる銃から射出された弾頭が、タヌキが撃ちだした弾頭を弾く。
「講堂を戦場に選んだのは良い判断」
見かけ通りの綺麗な声だった。派遣軍として戦場を駆け回った人間はよく喉をつぶされていた。大声を必要としない、特殊部隊にいたことがそれからもわかった。
「ありがとよ」
マスク越しのタヌキの返答は成人男性の声で響いた。教壇に落ちていた天井の壁材に身を隠し、愛銃の排莢と装填を行う。
そのタヌキに、カシミヤから唐突な暴露がなされた。
「君のその銃、作ったのはスミスなんだよね」
スミス?あの情報をくれた、スミス?
イタチが紹介してくれたあのスミスのことを言っているのか?
どうしてお前はそんなに親しげにスミスの名前を呼ぶ?
脳に駆け巡るいくつもの疑問が、タヌキの返答を詰まらせる。それに構うことなく、カシミヤは話を続けた。
「私はスミスとただならぬ関係でね、君のことはスミスに少し教えてもらった」
スミスはカシミヤと内通していた。俺の情報は奴に筒抜けだった。だとしたら、この結末はカシミヤにとって、想定の範囲内なのではないか。カシミヤの描くシナリオから、俺は抜け出せるのか?
「といっても、過去の出自くらいだけどね。君がどんなふうに戦いを覚え、どんな武器を使い、どうやって戦うのか、まったく知らないでここに来たんだ」
「とぼけたことを言う。そんなアホな話があるか」
タヌキは内心で毒づく余裕がなくなっているのに気付いた。内心が表に出ている。これはあんまり、良くない兆候だ。
「本当さ。まぁ、私が君なら絶対信じないが」
「その通りだ、よくわかってるじゃねえか」
悠長に話しているカシミヤと自分の構図を思い浮かべ、タヌキは焦っていた。本来殺そうとしている人間と殺されそうになっている人間の間柄はずなのに、今の立場は完全に逆転している。
「君はどうしてお金が必要なの?」
「決まってるだろ、こんなクソみたいな生活、もうゴメンなんだよ。テメェにはわからねえかもしれねえがな」
「そうだね、お金は必要だもんね」
タヌキは内心拍子抜けした。説教を垂れてくる覚悟だった。事実、過去には金目当てに人殺しを行うタヌキのことを人間性の観点から説教してきた者もいた。カシミヤもその類かと思ったのだが。
「じゃあ、どうして君は人を殺すの?」
やはり人間は素晴らしいと思い込んでいるタイプのクソ野郎かもしれない。このカシミヤという女、ニュースに出ていた「夕霧」とは別人なのではないか?
そんな疑問を抱きながら、タヌキは返答した。
「殺さないと金が手に入らねえからだ」
「なるほど、理屈は通ってるね」
カシミヤの言いたいことがいまいちわからない。2つの質問と2つの答えは無限にループする。金が必要だから人を殺す。殺すから金が手に入る。それ以上でもそれ以下でもないシステムにタヌキは組み込まれている。
「じゃあもうひとつ質問」
先ほどからカシミヤの左手に握られた銃の銃口は下を向いている。右手は腰に当てられたり、ボディランゲージに用いられたりと、まるで戦う雰囲気がない。タヌキはそれを知ってか知らずか、律儀に質問に答えてしまう。
「どうしてソーンを殺した?」
先ほどまでの2つの質問とトーンは変わらない。だが、内容は非常に限定的だった。タヌキは直感的に、この質問にカシミヤの真意が紛れていることは感じた。だが、口が止まらない。
「決まってる、アイツは大勢の人間を殺す、悪人だからだよ!」
激しい鼓動に押し出されるように口から飛び出した言葉だが、タヌキは実際にそう思っていた。ソーンのばら撒いた武器が原因で多くの人間が死んだ。ソーンの引き起こした紛争は世界各地で火種を生んだ。
「でも、お金は大切なんだよね」
先ほどの質問。これにタヌキは肯定の返事しか持たない。
「人を殺さないと、お金は手に入らないんだよね」
タヌキはこれにも肯定しかできない。他に方法を知らない。
「じゃあ、君は悪人だ。殺されても、文句は言えないよね?」
タヌキの血の気が最大限に引いた。脳みそから血液が物理的に無くなったように感じる。遮蔽物から覗き見るカシミヤに戦闘の姿勢は一切見られない。だが、目だけはこちらを射抜くように見つめている。おかしい。なぜ目が合う。俺は今、コートの投影機能をいれているんだぞ。
「じゃあ、お前は悪人を生かしておくのか!殺さずに!」
咄嗟に口からでるのは、相手の質問に答える内容ではなかった。支離滅裂で、回答になっていない。タヌキもそれはわかっている。わかっているのだが、もう心臓の音がうるさすぎてそれどころではないのだ。
「人を殺すかどうかの判断基準は、私にとって不都合があるか否か。それだけだ」
エゴの塊。だが、それ故に、タヌキに対して痛烈なまでの正しさとして突き刺さった。
自分にとっての不都合。タヌキはそんなことを考えたこともなかった。依頼されたから殺した。人に殺されるような行いをしてきた標的が悪い。そんな風に漠然と考えていた。そこに自分の意思は介在しない。
悪人だから殺した。でもそれは自分にとってではなく、依頼人にとっての悪人でしかない。
「君が悪人だと思っているソーンは」
カシミヤが近くの机に浅く腰掛けながら話始める。タヌキのことなどお構いなしに。
「孤児院を経営していた。息子を関東の抗争で亡くしてから、20年間ずっと。武器の売買で手にした収益の4割は孤児院の運営に回された。劣悪な環境下の子供たちが集められた。トウキョウ抗争で孤児になった子供を中心に集められた。当時関東にあった孤児院のうち、6割はソーン孤児院に吸収された。国営のものも含まれていた」
カシミヤは訥々と話している。その語り口が、ナチュラルなトーンが、タヌキの鼓膜を震わせ、その振動がそのまま脳を揺さぶっているような、そんな感覚に陥らせた。
「私は、君が自分が救われなかったことから八つ当たりのようにソーンを殺したんじゃないかと思っていた。君の出自は聞いていたからね。でも、その様子じゃ違ったみたいだ」
「でも、俺が調べた限りじゃソーンは」
「人身売買を行っていたって?自分が調べた情報の裏はとっていないと思っていたけど、やっぱりそうだったか」
カシミヤはするりと立ち、音もなく椅子と机の狭いスペースをタヌキから遠ざかるように歩いていく。
「君は自分が撃つために必要な情報を集めていたみたいだけど、ほんとうに『撃つためだけ』だったんだ」
左手に持つ大きな銃。シリンダーが不思議な位置についている。大きさの割に軽いのか、それともカシミヤの膂力が優れているのか。軽々と弄んでいる。
「作戦立案上で必要な情報なら裏を取るべきだ。君の調べた情報は掴まされたものだ。ソーンがばら撒いたトラップの数々。君が捕捉され、追手がやってきたのはそこに原因がある。コンタクトを起動していれば、かならず見つかるように」
詰問するでも説得するでもない、カシミヤの声のトーン。もっともあてはまる表現は、「楽しそう」だった。タヌキのことを、カシミヤは相当に理解している。タヌキはそれを痛感していた。そのタヌキに対して、カシミヤはさらに残酷なセリフを突き刺した。
「私の殺害動機と、君の殺害動機。結局は同じエゴの発露でしかない。私の君の間に差なんてないんだ。それでいて、正義を行使することは出来る?君は私を、何も知らないだろう?」
俺も知らなかった俺の気持ちを、どうして目の前の包帯女は語れる?
「うるせえ、そんなこと、お前に関係ないだろ」
精一杯の答えは震えていた。
その返答を聞いて、カシミヤは数秒間黙っていた。いつの間にか場所を移動していた。今度はもっとタヌキから離れ、講堂の後列の方へ下がっていた。
「まぁ、いいんだ。それはそれ。もうひとつ私は君に質問があるんだけど」
左手の銃を右手に持ち変え、ホルスターに仕舞う。仕舞った動きから流れるように腰に横差しした短刀を引き抜いた。鍔も無く、無機質な黒い柄をした、限りなく直線に近い刃をした刀。切っ先だけが丸みを持っている。刃渡り45㎝の短刀を、右手でバトントワリングのように弄ぶ。手と柄に磁石でも仕込まれているかのような、奇怪な動きだ。
「君、まだ私を殺す気、ある?」
大きく息を吐いて、タヌキが答える。震えていた声は若干落ち着いていた。
「正直言うと、それよりもここから逃げ出したい欲求の方がでかいな」
カシミヤの余裕が恐ろしい。ABASによる射撃が通用しない以上は、イタチや短刀での攻撃しかない。それでは近接戦闘に持ち込まれ、リーチで圧倒的に負けている現状では勝ち目は非常に薄い。コートによる投影の効果で身長を誤認させたとしてもこれは厳しい戦いになることは明白だ。
「ははは。そうか」
楽しそうなカシミヤ。タヌキは少しだけイラッとした。
「だけど、チャンスがあるならアンタをぶっ殺して大金を手に入れようとは思ってるぜ」
4割は虚勢。だが、本当にこの気持ちはまだあった。
「それはいい!私も君のことをもう少し知りたいと思ってたんだ」
徐々にカシミヤが近づいてくる。ABASを切り、エアバーストのみ起動させて愛銃を待機させる。目視による射撃でカシミヤを射抜き、決着をつけるつもりだった。どう考えても過去の2発はABASが逆探知されるなりコンタクトがハックされるなりの妨害によって弾かれているとしか思えない。カシミヤの体まで自動的に動かしているようにも見えたが、それはいまはさほど重要な要素ではない。
やや重心を浮かせ、戦闘態勢を整えたタヌキに対して、カシミヤはとんでもないことを言い出した。今までの楽しそうな調子とはまるで違う、とても「面白がっている」ようなトーンだった。
「ところで、どうしてそんなところにしゃがんでいる?」
は?決まっている。遮蔽物に身を隠して――。
タヌキは自分が隠れる壁材を見た。それが設置する床を見た。一切の傷がない。普通これだけの大きさの壁材が落ちれば、床とて無傷では済まないはず。そして極めつけは、触れない・・・・。
考えるよりも早く脱兎のごとく駆け出し、教壇の反対側へと転がり出る。その動きの中で左手でイタチを抜き、撃った。
「そこにプロジェクションポッドを置いたのは私なんだけどね。こうでもしないと話が出来ないと思ったから」
コンタクトで生み出された幻影に、タヌキは隠れたつもりになっていた。なんという滑稽。
カシミヤはタヌキに向かって駆け出している。右手で逆手に掴んだ短刀を体に隠すようにして、低い体勢でタヌキに突進していく。イタチから放たれた弾丸はまるで見当違いの方向に飛び、ほんの少し講堂の壁に穴を空けた。
カシミヤの方がリーチが長い。右手が振られ、刃が飛んでくる。
タヌキが右手で腰の短刀を抜き、峰をイタチで支えながら、顔の左側面に飛んできた斬撃を受け止める。
その衝撃にタヌキは吹き飛ばされる。
いや違う。吹き飛ばされたかのようにして右に横っ飛びに飛んだのだ。
斬られた衝撃も自分のエネルギーに変えて、カシミヤから一気に距離を取る。
同時に講堂の入り口に向かって駆け出す。
「ほぉー!!」
感心したようなカシミヤの声が背後から聞こえる。
タヌキが飛び込んだ位置はコンタクトポッドが置かれている場所。タヌキの視界には変わらず壁材が落ちているように見えているはずだった。それを認識したうえで飛び込んだのだ。
タヌキの姿はもう見えない。
カシミヤも講堂を飛び出した。
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