第5話

***

 タヌキの愛銃には刻印がひとつだけある。

「MTS」という3文字のアルファベットを組み合わせた、ひと文字のロゴのようなもの。

 タヌキはそれを銃のメーカーだと思っていたが、他に同じ刻印を持つ銃を見たことがなかった。

「きっととても小さなメーカーが作ったのだろう」

 そんな風に思っていた。

***


 5時ちょうど。

 タヌキは愛銃をチェックしていた。ABASのスキャニング機能を使い、銃自身にメンテナンスをさせる。出発前に行ったメンテナンスが効いているのか、万全であることをABASは示した。

(夕焼けだ)

 ビルの影が眼下に広がっていく。順光で見下ろせるこの建物は索敵に非常に都合がよい。

 カシミヤの戦うログデータの戦闘は夕方だった。

 ニュース記事には「夕霧」と書かれていた。

 タヌキのなかに一抹の不安と大きな期待が生まれた。背負い直した愛銃の重みを左肩に感じながら、左手の指先がポケットの中の弾丸を弄る。右手の単眼鏡は微動だにしないが、その中で目線は忙しなく動く。

 集中力が高まる。

(カシミヤはきっと、夕方に動く。根拠はないけど、そうとしかもう、思えない)

 感覚が鋭敏になっていく気がする。穴だらけのビルの壁を風が擦っていく音が聞こえる。眼下に広がる退廃世界が、タヌキの心を落ち着かせていく。

(俺なら、東側の大通りは避ける。障害物が少ない。このビルからの遮蔽物も左右にあるにはある。が、瓦礫ばかりで身を隠しにくい。西と南からは来ない。北の通りを使って慎重に近づいてくるのがセオリーだろう。ビルが大量に崩れている。自然に進むだけで身を隠しながら前進できる)

 自分がカシミヤだったなら、相手を倒すために取る手段はいかなるものだろう。カシミヤの人生を追体験するには情報があまりに集まっていない。いまタヌキが出来るのは、現状から見た最善の一手を客観的かつ双方の視点から確認することだった。

(カシミヤは俺がスナイプをメインにしていることを知っているだろうか。もし知らないとするならば、東の通りを車で来る可能性は否定できない。道路の左右に隠れる場所が多い。ゲリラ戦を想定されたら東からもあり得る)

 北か東か。フロアの角に膝をついて、忙しなくきょろきょろと相手の出方を伺う。

(……東は捨てる。もしそこを車両が通ったなら気づける。北に絞る)

 フロアの角から、より北の通りを視認しやすい方に移動した。

 膝をつき、警戒を続ける。5時5分。ふと、左腰に吊ったイタチの事が気になった。

(いざという時はこれがお守りか)

 イタチをホルスターから抜く。こうして改めて眺めてみると、実にタヌキの手に良く馴染むデザインになっている。グリップはギリギリまで細く。親指のかかるくびれが美しい。銃身も細身で、オプションパーツを付けられる余地はほとんどない。削りだしのスライドはつや消しで鈍く輝いている。刻印がひと文字、「甲」と切られている。

(…甲…?)

 その書体に見覚えがあり、タヌキは愛銃を取り出した。「MTS」の組み合わさったロゴと「甲」。ほぼ同一だった。

(そうか。こいつら、兄弟なんだな)

 イタチが銃を作っていたという話は聞かない。エンジニア仲間に銃を自作していた人間がいたのだろう。タヌキはそのイタチの人脈に助けられていたのだ。この3年の殺し屋生活を支えてくれた愛銃も、イタチから贈られたものだった。

(頼むぜ相棒)

 イタチを仕舞い、愛銃を背負いなおす。再び北の通りを注視する。

(この任務が終わったら、愛銃コイツにも名前をつけよう。作り手を探して、モデル名を聞くのもいいな)

 5時20分。タヌキの背中を悪寒が走り抜けた。


***

「テメエじゃでけえスナイパーライフルは扱えねえだろ、これ使え」

 ぶっきらぼうに渡された、ジュラルミン製のガンケースをタヌキが開けると、そこには銃がひとつ鎮座していた。

 吸い込まれるような黒にペイントされた本体。

 拳銃と呼ぶには大きく、ライフルと呼ぶには小さかった。

 角ばったデザインは歪なTの字をしている。

 ストックにはめ込まれているのは、コンピュータとバッテリー。

「変な銃だな」

「まぁな。中折れ式だし。でも3000メートルの狙撃なら必中できるぞ」

「は!?バカ言ってんじゃねえぞ、そんな話が――」

「あるんだよ。まぁとにかく持ってみろ。で、バッテリーを繋いで、銃身下のボタンを――」

***


(…来た!!!!)

 北の通りを見ていたタヌキは、コンタクトが拾った東の方向からのエンジン音を拾った。

(東から来たということは、俺のスナイプを知らない…?)

 狙撃を防ぐというのはそう簡単なことではない。愛銃をはじめ、スナイパーライフルに使われる弾頭は貫通力が非常に高い。3センチ程度の鉄板なら貫ける。より優れた素材をより優れた銃で放つことで、狙撃の有効性は非常に高まっている。

 同時に、狙撃の難しさも格段に高まっているのが現在の状態。一基のドローンを放つだけで、半径250メートル程度の範囲にいる人間を全て把握することが出来るようになってしまった。それにより、技術のない狙撃手は淘汰され、いま残っているのは非常に希少な、凄腕の狙撃手ということだった。

(バギーだ、距離は4700!)

 タヌキは東の通りを眺められる位置へ駆け込み、床に伏せ、単眼鏡を仕舞う。この距離であればコンタクトの視力補正ではっきりとカシミヤの顔を見ることが出来る。

「やっと会えたな、カシミヤ」

 思わず口に出す。床に伏せたまま愛銃を取り出し、弾丸を一発装填した。銃身の下のボタンを押す。ABAS起動。今回はそれだけではない。ストック右側のスイッチを切り替えると、小さな駆動音が聞こえた。ABASが管理する銃の機構の1つが作動し、スイッチ横の吸気口から吸気を行い、ストック内のボンベに空気を圧縮していく。容量としては200mlほどだが、それでもなお、狙撃に置いて絶大な威力を発揮するシステムなのだ。

 カシミヤは3800メートルの地点でバギーから降りた。視認できるのは、両腰の拳銃と、腰に横差しした短刀。黒いフィットしたパンツを茶色の革製ショートブーツの中に仕舞っている。上半身は黒い襟付きのジャケットを着ているが、自衛軍標準装備のものではなかった。私物だろう。そして目を引く左目の包帯。口元の微笑。綺麗な顔立ち。退色した、銀に茶色の混ざった、ショートカットの髪が風に靡いた。

 カシミヤがあたりを見渡し、左耳につけたイヤーギアを軽く触っているのを目視する。

(…通信したのか?応援が来る?)

 カシミヤは右腰の拳銃を抜き、左手に持ち変えてから歩き始めた。大通りの右端に沿って、淡々と近づいてくる。

(だが、応援の前に撃てばいい)

 タヌキは慎重に立ちあがり、右ひざをついた。右脇でストックを挟みこみ、コンタクトとABASが導き出す角度に構える。

(1発、頭を狙う)

 タヌキの視界のカシミヤの眉間にポインタ。

 5時24分。

 カシミヤとの距離3000。

 引き金を引く。必中の距離。

 銃身が2.33㎜、角度を微調整した。

 撃鉄が弾丸の雷管を叩く。

 弾頭が火薬の爆発で前に押し出される。

 押し出された1㎜の隙間に、ボンベから圧縮空気が送り込まれる。

 薬室内の圧力が最大に高められ、弾頭は速度を増す。

 射出された弾頭はまっすぐ飛んでいく。

 空気を引き裂くように。

 そして、カシミヤの眉間を、


 撃ち抜かなかった。


 タヌキの視界で起こったことは到底信じられることではなかった。

 愛銃が空気を吐きだす音を上げている。次発発射にはクールダウンが5分必要だ。ABAS・エア・バーストは弾速を飛躍的に高めるが、薬室内が非常に高温になるうえ、銃身も過熱されるために時間をおかねば通常発砲もできない。

(嘘だろ?)

 引き金を引く瞬間、カシミヤの左手が持ち上がった。その手には、右腿に結わえていた大きな拳銃。

 カシミヤの目線は確かに足元の瓦礫を避けるために下を見ていた。

 タヌキが引き金を引くと、同時にカシミヤの左手も引き金を引いた。

(狙撃を、撃ち落とした?)

 タヌキの視界で、引き金を引かれてから自分の腕が銃を向ける方向を見るカシミヤがいた。

(まずい!!!!目が合った!!!)

 3000メートルもの狙撃となれば、重力や風だけではなく地球の自転までも考慮しなくてはならない。カシミヤが見たのはタヌキのいる位置よりも数メートル下のフロアだった。

 だが、その数メートルの誤差は、タヌキに恐怖心を与えるのには何の影響も及ぼさなかった。

 咄嗟に愛銃を背負い、ABASを切る。広げた装備や備品を全て放置し、フードをかぶりながら走る。コートの投影機能を入れて、エレベーターの下ボタンを押す。地上10階まで20秒で到達する。

(カシミヤは俺のいるビルに走っていた)

 タヌキは自分が最後に見たカシミヤの様子を思い描いていた。確実にビルを目指し、攻撃範囲を絞る動きだった。

(クソ、近接戦闘は苦手だっつうの!)

 内心で毒突く。同時にニヤリと笑いが込み上げてきた。

(まだぼやいていられる。まだ俺は余裕がある、大丈夫)

 10階でエレベーターを降り、ボタンを捜査して1階に無人の籠を降ろした。「まだ狙撃手が上にいる」「協力者が下に降りたかもしれない」という2つのミスリードを狙ったものだった。

(銃の装填だけはできる。ABASは本体バッテリーだけで動かしてあと2発撃てる。投影は切れない、腰のバッテリーは投影に回す)

 いまのタヌキは身長が180㎝程度の大男に見えているはず。それはタヌキが持つアドバンテージのひとつだ。カシミヤの狙撃に失敗してから40秒が過ぎた。世界最速のマラソンランナーでも3キロ走るのに10分かかる。タヌキは少なくとも10分の思考時間を手に入れた。

 壁に背を着き片膝を立て、愛銃を抱えながら思考する。

 相手の裏をかけ。

 心理の裏を突け。

(まずビルに来たら上のフロアを目指すかビル周辺の警戒か。まずは警戒から入る。なぜなら10分あれば狙撃手がその場を離れることは容易だから。ここにいる時点で俺はまずひとつ優位に立てる。次はカシミヤが周辺警戒をしているタイミングを狙う)

 ビルの周りは庭園だった緑地になっており、正面玄関に繋がる石畳の通路以外は荒れ放題に草木が伸びている。狙撃を行うとすれば、正面通路からカシミヤの姿が見えたときだろうか。

(いや待て、それは違う。俺だったら、狙撃手が撃ってきたビルを目指して歩いてったりはしない。罠が仕掛けられてるかもしれない。伏兵がいるかもしれない。複数の要素から、ある程度離れたところから様子を伺う)

 身体能力ではタヌキは大半の標的よりも劣る。思考を止めたら負けだ。終わりだ。頭脳を回せ。動いていない脳の部位に血液を送りこめ。

(10階で降りたのは、間違いだったか…?)

 そしてその思考連鎖において、自分の間違いを考慮せねばならないとき、絶大な恐怖を伴う。

 タヌキはいま、死の危機と闘わねばならなくなっていた。

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