第4話
タヌキがバベル・タワーに陣を構えた同刻。
「あーあ。タヌキちゃんったらやる気になっちゃったよ。ビビって手を引いてくれるかと思ったのに」
とある場所で、1人のエンジニアがぼやいた。そしてそれは独り言ではなく、音声通信として他方に繋がっている。
『スミスが送ってくれたタヌキの生い立ちを見たけど、超面白いね、この子』
「でしょー。ぜったいアンタが好きになると思ったわ」
楽しそうな調子で会話する2人の声。スミスと呼ばれたエンジニアは、通信を交わしながら手元は作業を行っている。ばらばらの拳銃を組み立てているようだった。
『でも、そうかー。私と相対したいのか。うーむ。どうしようかな』
「会いにいってあげればいいじゃん。向こうは銃を構えてるけどね。あはははっ」
実に楽しそうにスミスは笑い声をあげた。グリップに銃身がはめ込まれる。その感触に納得がいかないのか、つけたり外したり油を差したりを繰り返した。
『そうなんだけどね。でもやっぱり、人の殺意に覚悟を以て向き合うのはなんというか、面倒くさい』
「かーッ。言うねえ、さすがだわ」
かちりと銃身がハマる。ニヤリと笑い、スライド部分を差し込んだ。
『私が例えば、そうだな、キミを殺そうとしたとして』
「物騒なたとえだなぁ。殺そうとしたとして?」
弾倉を差し込み、スライドを一度引っ張る。これでこの拳銃は引き金を11回引くだけで11発の弾丸を発射できる。
『私に会おうと考えるかい?』
「考えないだろうねえ」
弾倉を外し、スライド部分を外すと、スミスはそのスライドをレーザープリンタにセッティングした。
『そうだろう。考えない。そこの根底にあるのは相手の殺意への恐怖や畏怖なんかじゃないぞ。つまり――』
「あー、はいはい、わかったわかった」
相手の話を面倒くさそうに打ち切ると、プリンタのスイッチを入れた。「甲」の文字がスライドに刻印されている。
『な?めんどくさいだろ?』
通信越しにドヤ顔が浮かんできたスミスは、ひとつ反撃を試みた。
「じゃあ、殺すつもりで顔合わせてきたら?『夕霧』なら簡単でしょ、そのくらい」
む、とふくれる顔が今度は想像できた。スミスは満足げに、プリンタから仕上がった銃を取り出した。
『でもまぁ、そうだなぁ。みすみす見逃すにはもったいないくらい、タヌキには興味が湧いたよ』
通信が終わる。
スミスは、「甲亜企及」と刻印された、偽物の銃を丁寧に箱に詰めると、鍵をかけた。
「はぁー。さて、どうなることやら」
ひとり呟く。スミスはにっこり笑っている。まだ顔も見たことのないタヌキに思いを馳せつつ、旧友のカシミヤがせめて手加減してくれるように軽く祈った。
***
太陽が、描く弧の頂点にたどり着いた。
タヌキは単眼鏡を取り出し、辺りを警戒している。主に北側を中心に、カシミヤを探す。
スミスから「カシミヤは拠点にいる」というメッセージを受け取ってからまだ数時間と経っていないが、タヌキはそれでも気を休めることはできなかった。
(できれば早く出てきてくれ。そろそろ遠征も限界に近い)
圧縮パックの着替えは全て着てしまった。昨晩の野宿の際に燃やした。
(食糧もあと2日…タチカワで補給が出来ない以上、あと1日でダメなら帰るしかない)
タヌキの拠点はここから南だが、移動に金を積んだとしても1日見積もらなくてはならない。もっとも、根本的な理由は食糧ではなく、もう少し別の理由があった。
(タチカワのアホどもが俺に懸賞金を賭けやがった)
あと1日と半日の間はカシミヤに集中できるというのがタヌキの見立てだった。旧学術集積都市には捜索の手はなかなか及ばない。コンタクトが断絶するからだ。この世界に生きる人々は、コンタクトとの遮断を極端に嫌う。タヌキもコンタクトは生命線だと考えているが、外地人アウターの強みとして多少の電波的孤立は日常に起こる生活をしてきた。森を抜け旧学術集積都市を駆け抜ける間に起こる数十分単位の電波障害など問題にもならない。
(生体反応はない)
すぐ南側に森が広がっているが、大きな生物は棲んでいない。牛や羊がいたこともあったが、外地人が殺して食べた。生息数が多いわけではなかったため、一瞬で獲り尽くされた。人間が立ち入ってくればすぐにわかる。音を立てるものほとんどなく、鳥の鳴き声が聞こえる程度で、虫の音もほとんど聞こえてこない。エンジン音などがすれば見るまでもない。有機コンクリートはよく音を反響させる。ここには無限と呼べるほど有機コンクリートは転がっている。
タヌキは自分のコンタクトの通信強度を高めるため、携帯電波増幅装置を作動させ、装置の半径5m以内に必ず端末を置くようにして周辺警戒を続けていた。
(俺のこの行動は、どこまでカシミヤに把握されているんだろう)
止められない思考の中で、タヌキは己の行いとその結果を洗いなおす。同時に、カシミヤの人格を辿る。
(見知らぬ小娘に命を狙われていると判断すれば、警告、あるいは脅しで通信に介入するのは在りうる。ただし問題はその手段だ。イヤーギアには俺が依頼主に渡した子機からでないと通常は通信できない。電波的にイヤーギアの変動する変則的な周波数に電波ジャックみたいな真似をするだろうか?そこまでの評価を俺に下しているだろうか?)
イヤーギアへの通信介入。タヌキの心臓を掴みあげるには十分な効果があった。それでタヌキを引き下がらせるほどの効果はなかったが、それでも心理的に優位に立つには十分すぎる。
(そのジャック以降の俺への無反応も気になる。俺は相手にされていないのではないか?実際には向こうは機械的にジャックを行って機械音声を流し込んできた線はやっぱり濃い。今思いついたが、AIによる単純演算の繰り返しによってあらゆる周波数にジャックをしかけることはできるんじゃないのか?)
可能性を考える。カシミヤが自分を捕捉してはいないのではないか。そんな話は聞いたことがないが、AIを使った単純演算の集積であらゆる周波数にアジャストできる音声の作成は不可能ではないだろうと思えた。さらに。
(そもそもあの音声自体は俺の位置情報が溢れたあとだった。一度ローブを脱いでいるから目撃情報は途絶えているはず。衛星に捕捉されていたとしても、迂回路を取った上にコンタクトも切った…)
そこまで考えて、ひとつのひらめきがタヌキに訪れた。
(そうか、情報屋か。情報屋の依頼がキーになって、あの音声は飛んでくるんだ。ということは、カシミヤは俺の情報は掴めていても位置はつかめていない…?)
驚いたことに、このタヌキの推測は正解だった。「情報屋にカシミヤについての情報を依頼したタヌキという暗殺者がいる」という報告がカシミヤには来ていたが、実際にはその程度だった。カシミヤ殺害依頼や情報提供を求める依頼は相当数あり、それは自動的にAIによるプログラムでブロックをかけていた。それを乗り越えた依頼を察知した場合、再びAIが仕事をして、電波ジャックによって音声を叩きつけるのだ。タヌキは情報屋プールに「包帯を巻いた女探し」を依頼していたが、そこで1人、タヌキにメッセージを送ってきた情報屋だけが正しく「カシミヤ」を掴んだのだった。
(となれば、カシミヤは俺を探している可能性はある。拠点から動く可能性はある。いや、動き回っているだろう。俺に機械音声を送りつけてから3日経ってる。その間に俺は何度かコンタクトを切ったし、ローブもかぶっていない。向こうは俺のことを捕捉できていない…!)
確信に至る。
カシミヤの戦闘スタイルはトリッキーだが、おおむね15メートル以内の近距離が得意なのだと推察される。14人の私兵を殺したログデータを見てもそれは明らかであり、タヌキのような長距離戦を意識した情報収集は行わない。
(であれば、俺の端末の電波増幅を拾ってこっちに来る可能性は非常に高い…!)
タヌキは勝機に目を輝かせる。こんなにワクワクするのは久しぶりだ。
(あんな化け物を、倒せる。奴は俺に気付いただろう。だが、地の利と武器の利を俺は持っている!)
この日。
5月13日の午後5時24分。
ふたりは出会った。
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