エピローグ ―― 永遠(とわ)の別れ


 2ヶ月後。


「よう、カレン。来たぜ」


 リョウは、墓石に向かって声をかけ、持参した花束を軽く掲げた。


 ここは、アルバートとアリシアの自宅の裏庭。

 彼らの邸宅とも呼べる立派な屋敷は小高い丘の上に建ち、広い裏庭からは自然に囲まれた丘陵地を遥か遠くまで見渡せる。

 カレンの墓はその一角、見晴らしの良いところにあった。


「俺が摘んできた花だ。この辺に花屋がなくてよ。センスがなくてすまんな」


 リョウは、墓の前にしゃがんで花束を置き、話しかけた。

 幅が数十センチほどの薄い石でできた墓標には、カレンの名前と五年前の日付が刻まれている。


「もうちょっと早く来たかったんだがな」


 先日のキースとの一件は、後始末に時間がかかり、結局アリシアに連れられてこの屋敷に来たのが、2ヶ月が過ぎた今日だったのだ。


 アルバートは、まだ報告が残っているということで一人アルティアに留まり、明後日にこの自宅に戻ることになっていた。だが、リョウはそれは表向きで、おそらく、リョウが気兼ねなく墓参りできるよう気を利かせたのだろうと思っていた。


 そして、アリシアも同様に気を遣ってくれたらしい。彼が荷解きしている間に一人で先に墓参りし、それから彼をここまで案内して、自分は邸内に引き取ったのだ。

 今は、リョウ一人だけだ。


 あの後、王国の政府によってリョウの処遇が検討されたが、結局は、旧文明人であることを活かし、旧文明遺跡の調査を手伝うことになった。そして、アルティアをミサイルの脅威から守ったということで、爵位をもらったり叙勲を受けたりして、そこそこの地位に置かれることになった。ただし、彼の素性は公にはしないことになっている。


 その一方で、ロザリアが目覚めた時、リョウを「下僕」と呼んだことから、一時は、ヴェルテ神殿の生ける神使として奉りあげられそうになった。しかし、それはなんとか断ることができた。リョウの意を汲んだアルバートとガイウスが取りなしてくれたのだ。

 

「あれは助かったぜ。毎日、拝まれて生きていくなんざ、俺には向いてないしな」


 苦笑いでカレンに報告する。

 

 ふと周りを見渡すと、初夏のいい陽気である。

 時折、心地よいそよ風が吹く。

 リョウは、心にわだかまっていた思いを口に出した。


「……だけど、伝言が『墓参りに来い』だけなんて、つれねえじゃねえか。もうちょっと他に言うことはなかったのかよ。今でも愛してるとまでは言わなくてもさ。……まあ、元カレへの遺言を旦那に頼むわけだから、大したことは言えなかったんだろうがな」


 そこまで言ってから、リョウは自分で否定する。


「いや、違うか。俺は、お前にとっては何十年も前の恋人にしか過ぎない。墓参りに来いって言われるだけでもありがたいんだよな。そんな大昔の男のことなんて普通は気にしないよな」


 ただ、自分の知っているカレンの性格と二人が離れ離れになった経緯から、たとえ何十年経っても、何か思いを言葉に残すのではないかとは感じていた。そのため、どこか釈然としないのだ。


「……それで思い出したが、男ってのは、別れた女がいつまでも自分のことを愛していると思い込む生き物らしいぜ」


 まさに、自分がそれではないかと、思わず苦笑した。


(やっぱり、割り切れてないんだろうな……)


 それもやむを得ないのかも知れない。彼女には大昔でも、自分にとってはつい2ヶ月前の話なのだ。



 しばらく自分の思いに沈んでいると、リズの遠慮がちな声が聞こえて来た。


『リョウ、邪魔してごめんね。緊急のお知らせがあるのよ』

『どうした?』


 リョウは我に返り、何か深刻なことでも起きたのかと身構える。


『……あのね、BICのホログラム通信が入ってきてるわ。受信する?』

『は? なんだと? 一体誰からだ?』


 実は他にも旧文明人がいたのかと、困惑する。

 だが、リズの返答はさらにそれを上回るものだった。


『発信者はカレンよ』

『なっ……』

『それでね、送信元はお墓の中なのよ』

『ああっ!』


 その瞬間、電気が走ったような感覚が体中に走り、弾かれたように立ち上がった。ようやく全てを察したのだ。


(そうか! あいつは、最初からこのつもりだったんだ!)

 

 リョウの時代では、BICの装着者が亡くなった時、取り外され遺族に渡されることになっていた。だが、この時代では埋葬されるだけだ。つまり、BICは起動したまま墓の中に残る。カレンはそれを知っていて、リョウに墓参りに来るようにだけ言い残したのだ。

 これならいちいち伝言を残す必要がない。BICを通して直接言葉を交わせば済むのだから。


(そういうことだったのか……)


 自分はカレンにとって、どうでもいい存在になったわけではなかった。

 むしろ逆だ。リョウにとって全てが決着するよう配慮してくれたのだ。

 それが分かっただけでも、心に引っかかっていた疑念とわだかまりが消えた。


「……リズ、映してくれ」

 

 知らずに声に出して命じる。

 自分の声が微かに震えているのが分かる。


『了解』


 その瞬間、目の前に現れたのは、まさにカレンその人だった。


「おお……カレン……」


 この時代の、少し上品な衣服に身を包み、にこやかに立っている彼女。

 万感の思いでその姿を見つめる。


 自分にとっては二ヶ月ぶりの彼女は、相変わらず美しく知性的であったが、ただ一つだけ大きく変わった点があった。

 それは、彼女がすでに四十を大きく超えているということだ。

 やはり、そこかしこに年相応の変化が見て取れる。

 だが、リョウにとってそんなことはどうでもよかった。

 もう一度彼女に会ってケリを付けたい。その願いが叶ったのだから。

 目頭が熱くなり視界がぼやけてくる。目を拳で拭った。


「久しぶりね、リョウ」

「ああ」

 

 彼女の声は、相変わらず優しく透き通っていた。

 カレンの目もやや潤んでいる。

 彼女にとっては30年ぶりの再会である。


「あなたは……、変わってないのね」

「まあ、あれから二ヶ月しか経ってないからな。お前は、その……、だいぶん成長したな……」

「あら、年をとったって言いたいの? それはそうだけど……。もう、リョウったら、そんなこと言って」

「いや、すまん。ちょっと、驚いてな……」

「しょうがない人」

「いやあ」


 二人は笑った。

 そのせいか、二人の間にあった緊張感が和らいだ。


 当然ながら、これはカレン本人ではない。BICのAIによるホログラムである。

 だが、BICは脳に接続され、使用者の思考にずっとさられさている。このため、BICのAIは『本人よりも本人らしい』と言われているのだ。それに、伝えるべきことは本人に言い含められているはずだ。

 リョウは、もはやこれが彼女本人かどうかはどうでもよくなっていた。


「ここに来たということは、無事に掘り起こされたのね。よかったわ」

「ああ、目覚めた時は、ぶったまげたがな」


 そして、アルバートの発掘隊に発見され、保護されていたことをかいつまんで説明した。

 カレンは、納得した表情でうなづいた。


「そう。アルバートは私との約束を果たしてくれたのね」

「……すまなかったな。お前が一番辛い時に寝ててよ」


 彼女は静かな微笑みを浮かべながら、首を横に振った。


「いいえ。あなたは何も悪くない。これも運命だったのよ。それに、結局は幸せな一生だったのだから、気に病まないで」

「そうか。そう言ってくれると、気が休まる」

「それに、私こそ、あなたを待つことができなかったのよ。許してくれる?」

 

 リョウは、激しくかぶりを振った。


「とんでもない! 許すもなにも、むしろ3年も待ってくれて感謝してるんだ。というより、もし待っていれば、一人ぼっちで25年も待った挙げ句に俺に会えず、お前のほうが先に亡くなっていたじゃねえか。これでよかったんだよ」

「そう、あなたはそう言ってくれるのね……。ずっと気にしていたから、すこし気が楽になったわ」

「そうか……」

「……」

「……」


 二人の間に沈黙が落ちる。

 話したいこと、聞きたいことは山ほどあるのに、言葉にならない。


「……参ったな。言葉が出ねえよ」

「そうね……」


 ややあって、先に口を開いたのはカレンだった。


「ねえ、あの日、あなたが寝てる間に何があったのか知ってる?」

「ある程度はな。惑星規模の同士討ちで人類が絶滅寸前まで行ったんだろう? だが、それがなぜ起きたのかは結局分からないんだ。お前は知ってるのか?」

「ええ」

「教えてくれないか」


 カレンが面を改めてうなづく。


「……一言で言うと、異星人の攻撃を受けたのよ」

「なんだと? 異星人? 同士討ちじゃなかったのか?」


 リョウは予想もつかぬ事を言われ、思わず聞き返した。

 同士討ちと外部からの攻撃とでは辻褄が合わないのだ。

 だが、その疑念はカレンがあっさり解いてくれた。


「その同士討ちが、異星人の仕組んだことだったの」

「……」

「当時の私も生き残った人も、テロリストか、人類終末論の狂信者によるハッキングを疑ってたわ。でも、その二日後にね、全長40キロメートルの巨大宇宙母艦がいきなり上空に現れて、多数の攻撃機とともに地上を攻撃し始めたの。その時になって、ようやくこの惑星ほしに何が起こったのかが分かったのよ。でも、もう何もかも手遅れだった。もともと科学力に大きな差があった上に、世界の軍事力は壊滅、人口の95パーセントが失われていたのよ。……ただ、彼らの目的は、侵略じゃなくて資源の強奪にあったの。それで、邪魔な先住民である人類を同士討ちで滅ぼし、軍事力を壊滅させてから、姿を現したというわけね。あんな船で恒星間航行ができる科学力を持つのだから、私たちのような文明のコンピューターに侵入するのもわけなかったでしょうし」

「ふーむ。資源というと、石油とか鉄鉱石とかか? まさかな?」

「違うわよ」


 カレンは苦笑した。


「どうやら、地殻とマントルの境界面に、人類が知らなかった未知の鉱物が埋まっていたらしくてね、それを採掘しに来たのよ。上空から地殻に穴を開けて、トラクタビームで吸引するという荒っぽいやり方でね。そのせいでプレートが傷つけられて、各地で地震や、平地なのに火山が隆起したりしたわ。当時は平地だったこのあたりの地形が著しく変わったのもそのせいよ」

「なるほどな……で、そいつらはどうしたんだ?」

「さあ、私がカプセルに入った時はまだいたけど、この時代では伝承にすら記録が残っていないところを見ると、すぐに去ったのではないかしら。もともと、彼らの目的が資源の強奪だっただけなのでしょうから」

「まさに強盗に押入られたようなもんだな……。というか、あれほど人類が望んでいた異星人とのファーストコンタクトが強盗かよ。ひでえ話だな」

「リョウったらまたそんなこと言って」


 彼の例えが面白かったのか、カレンが笑った。その笑顔は、当時のままだとリョウは思った。

 そして、もう一つ確かめたかったことを彼女に問う。


「それで、お前はどうしてたんだ? あの惨劇をよく生きのびたよな」


 基地やロザリアの記憶で見た映像を思い出す。人口数十万のケント市が完全に焦土になっていたのだ。


「ええ。あの日、兄さんを病院に連れて行ったのを覚えてる? 診察を受けたら即入院だったの。それで私は、一度実家に帰って泊まったのよ。すぐ近くだったから」

「そういや、そうだったな」

「それで、次の日の朝、近くの丘をジョギングしていたら、突然大きな爆発がいくつも起こって、街がミサイルで破壊されたのよ。たまたま私は街から離れていたから助かったの」

「そうか……」


 そして、カレンはその後の様子を語った。

 それから二、三ヶ月の間、彼女は、数百人の生存者と一緒に、廃墟となった別の基地に住んでいた。そこは地下施設がほぼ無傷で残っていたのだ。ところが、その基地が異星人の攻撃を受けた。一人、地下倉庫に逃げ込んだ彼女だったが、倉庫は半壊。生き残ったものの、瓦礫の中に閉じ込められてしまったのだ。


「基地は全滅して、もう誰も私を助けてくれるものはいなかった。たとえ、いたとしても、重機がなければ地下の瓦礫に埋もれている私を助ける手段がない。私は絶望したわ。このまま水も食料もなく、死んでいくだけ。その時、倉庫の中にコールドスリープカプセルがあるのを見つけたのよ」

「それで、眠りについたというわけか……。一人で目覚めたのか?」

「ええ、長年の間に隆起した後に土砂崩れがあって、カプセルが露出したのだと思う。一万年も経って最初は驚いたけど、近くの修道院に住まわせてもらったのよ。それから、一ヶ月ぐらいして、ようやくこの時代の生活も慣れて、あなたと兄さんを探し出したというわけよ」

「なるほどなあ」

「ただ、兄さんは……起こした直後に行方不明になったの。どうなったのか結局わからずじまいでね。それだけが心残りよ……」


 そこで悲しげに言葉を切った。


「カレン……」


 リョウは、もともとキースの話は避けるつもりでいたが、隠すことはできないと決めた。


「……実はな、そのことなんだが、俺はキースに会ったんだ」

「えっ」


 カレンが驚きで言葉を失う。おそらく、死んだと思った兄の消息を、目覚めてまもないリョウから聞くとは思っていなかったのだろう。


「お前によけいな心痛をかけたくないから、あまり言いたくなかったんだが……」


 カレンは、悲しげに微笑みながら言った。


「もう私は死んだ身よ、心痛なんて気にしないで。それより真実が知りたいの」

「分かった」


 リョウは、キースがカレンの元から連れ去られた理由から始め、ベルグ卿として基地を探していたことや、リョウと戦って死に基地ごと吹き飛んだこと、そして、その直前にリョウがテレポーターを使ってアリシアを脱出させたことを告げた。


 カレンは、黙ってじっと聞いていたが、彼が話し終わると大きなため息を付いた。


「そう……だったの。そんなことが……。でも、これで長い間の謎が解けたわ」

「俺も同じだ。お前の話を聞いて、おかげでいろいろ納得できたぜ」

「それに、テレポーターが完成したのね……」

「まあ、基地と一緒に吹き飛んだけどな。それに、この時代じゃ大した偉業じゃないみたいだし」


 リョウが肩をすくめると、カレンが苦笑した。


「それは仕方ないわよ。ここではテレポートは珍しくないから。だけど、あの装置が娘の命を救うことになるなんて、当時の私には想像もできなかったわね」

「ああ。時の流れってのは不思議なもんだ。……とはいえ、まさか俺が眠った日にそんなことがあるとはな……」


 それを聞いて、なぜかカレンが楽しそうな微笑みを浮かべた。


「本当に、タイミングとしては最悪だったわね。せっかく、次の日あなたにプロポーズしてもらえるはずだったのに」

「全くだぜ」


 と相槌を打ってから気がついた。


「おい、ちょっと待て、何でそんなことお前が知ってるんだよ?」

「あら、違うの? プロポーズしてくれるはずだったんでしょ」

「い、いや、それは違わないが、なんでそれを知ってるんだ? キースから聞いたのか?」

「あら、兄さんも知ってたのね。違うわよ」

「じゃあどうやって分かったんだ?」


 他の誰にも話さず、念には念を入れ、完璧なサプライズだったはずだ。


 カレンは笑った。


「だって、あの数日前に一緒に食事に行ったの覚えてるかしら? あの時、リョウったら私の指ばかり見てるんですもの。しかも左手の薬指を何度も確認するみたいに。だから、きっと指輪をくれるんだって思ったの。でもサイズを私に直接聞けないから、リズに測らせてるのかなって」

「ぐっ」


 リズに測らせていたことまで見抜かれ、言葉に詰まりながらも反論する。


「で、でも、それだけじゃプロポーズかどうかわからないじゃないか」

「そうね。私もその時は、単に指輪をプレゼントしてくれるだけかなって思ってたんだけど……」

「なら……」


 言い返そうとするリョウをカレンは楽しそうに遮った。


「でもそれから2日後ぐらいからだったかしら。あなた、事あるごとに白衣のポケットに手を入れてもぞもぞしてたじゃない? だから、その指輪をポケットに入れてるのかなって。それだけじゃなくて、私の顔を見るたびに少し緊張していたし、話しかけても上の空だったし、それで、もしかしたらって思ってたのよ。それに、あなたなら、婚約指輪を持ち歩きそうだし」

「じゃあ何か? あの日、俺がBurlington Houseのディナーに誘った時は……」

「ええ。プロポーズされるんだってすぐ分かったわ。単に指輪をくれるだけなら、あんな高級レストランなんて行かないでしょ」

「うう」

「だから私、次の日を楽しみにしてたのよ」

「まいったな、全部お見通しだったのかよ……」


 リョウは、髪をクシャクシャとかき回した。


「もう、そういうところ鈍いんだから」

「言葉もないよ」


 リョウが参ったとばかり両手を上げると、カレンが嬉しそうに微笑んだ。


「ふふ。いいのよ、そこがあなたの長所なのだから。……今も持ってる?」

「ああ。あの日、ポケットに入れたままカプセルに入ったからな」

「見せてもらってもいいかしら」

「もちろん」


 指輪を上着のポケットから取り出し、手のひらに乗せて差し出した。

 カレンが覗き込むようにして、それを見つめた。


「綺麗なサファイアね」

「ああ。お前には似合ってたはずだ」

「……」


 カレンは悲しみと喜びの両方入り混じった表情で、しばらくの間その指輪を見つめた後、顔を上げた。


「……ねえ、もし、あなたがプロポーズしてくれていたら……私がどう返事してたか知りたい?」

「それは……」

「もし気になるなら、教えるわよ」


 リョウは少しの間考え、そして首を横に振った。


「……いや、やめておくよ。目覚めた時はそればかり考えてたが、もう、こうなった以上虚しいだけだからな。それに……」

「そうだったわね。今は、アリシアがいるものね」


 その言葉に、今度は思わず吹きそうになった。


「おいおい、何でそんなこと知ってるんだよ。さすがに洒落にならんぞ」

「別に魔道でもなんでもないわ。種を明かすと、さっき、私に報告しに来てくれたのよ。ね、アリシア?」


 カレンが、リョウの後方に顔を向けて話しかけた。

 振り返ると、そこには呆然と固まっているアリシアが立っていた。


「お母……さん……どうして……」

「ア、アリシア。お前、来てたのか……」

「ご、ごめんなさい。邪魔するつもりはなかったのだけど、窓から人影が見えて、誰だろうって思って……。でも、何で死んだはずのお母さんが……」

「アリシア、これはカレンの……言ってみれば霊魂みたいなものだよ」


 リョウが、わかり易く説明した。

 カレンが、優しく頷きかける。


「大きくなったわね」

「ああ、お母さん、会いたかった……」


 アリシアがカレンのもとに駆け寄った。

 すでに滂沱と涙を流している。カレンもまた、涙声だった。


「立派な女性に成長したのね。お母さん、うれしいわ」

「私、ずっと、お母さんみたいになりたくて……」

「何言ってるの。私よりも立派になって。あなたは私の誇りよ」


 カレンが手を伸ばして、アリシアの頬に当てた。


「お母さん……」


 むろん、単なるホログラム映像であるため、実体はない。

 しかし、アリシアは母の姿を霊魂が具現化したものだと理解しているのか、それを不思議とは思っていないようだった。そして、本当に母に手を当てられているかのように、目を閉じ、自分の手を重ねた。


 アリシアは、カレンが亡くなった時、もっとも多感な年頃だったこともあり、ずっとカレンの死を引きずっていた。しかし、この邂逅でその悲しみが少しずつ癒やされていくのを、リョウは感じた。

 彼と同じように、ようやくアリシアも心にケリを付けられるのだろう。


「あのね。私……、お母さんに、聞きたかったことがあるの……」


 しばらくして、アリシアが目を開けて、カレンに尋ねた。少し緊張しているように見える。


「なにかしら」

「……お母さんは、私がリョウの恋人になっても平気?」


 カレンが柔和に微笑んだ。リョウにはそれは優しい母親の笑顔に見えた。


「もちろんじゃない。彼はあなたにふさわしい人よ。むしろ私としては、安心だわ」

「お母さん……」

「リョウに幸せにしてもらいなさい」

「うん……。ありがとう」


 胸のつかえが下りたのか、安堵の表情で、そして嬉しそうに頷いた。

 そして、リョウを振り返った。


「ねえ、リョウにも、1つお願いがあるんだけど」

「なんだ?」

「さっき、お母さんに見せていた指輪、本当はお母さんにあげるはずだったのよね。それ、私がもらってもいい?」

「え、いいのか? 指輪が欲しいなら、別のを贈ってもいいんだぜ」


 リョウは躊躇した。母親とは言え、別の愛する女性のために買った指輪である。

 だが、アリシアは真剣だった。


「いいの。本当なら、お母さんから私に受け継がれていたはずでしょ。私、その指輪がいいの」

「そりゃ、まあ、お前がそう言うなら構わんが……」

「お母さん、どうかしら?」


 カレンは、不安げな娘に、優しくうなづいた。


「もちろんいいに決まってるじゃない」

「ホント? ありがとう。うれしい」

「それじゃあ、リョウ、アリシアに指輪をつけてあげて」

「ここでか?」

「いいじゃない。予行練習よ」


 茶目っ気たっぷりな目で笑う。

 

「う……」

「お、お母さん……」


 リョウが気恥ずかしくて言葉に詰まると、アリシアも横で真っ赤になってうつむいていた。

 二人とも「何の?」とは聞かなかった。カレンの言い方から明らかだったからだ。

 アリシアが、時々いたずらっ子のような目でとんでもないことを言うのは、まさにカレンの遺伝だと、遅まきながら気がついた。


「ほら、早く」

「わ、わかったよ。なら、やっとくか!」

「そ、そうよね。練習は大切よね!」


 妙な返答をするところを見ると、アリシアも動揺しているらしい。

 二人は、照れながらも向かい合う。

 そして、リョウが指輪を持ちアリシアの左手を取った時、カレンが止めた。


「その前に、リョウ、ちゃんと誓って。アリシアを幸せにしてくれるって」


 リョウは頷いて、アリシアを見つめた。


「ああ、約束するよ。アリシアは必ず俺が幸せにする」

「リョウ……」


 彼女は頬を染めて嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、アリシアは、お母さんに約束して、ずっとリョウのそばにいて支えてあげるって。この時代に一人で生きていくのは大変なんだから」

「うん。約束する。ずっとリョウと一緒に生きていくわ」


 カレンは満足げな笑顔を浮かべて、二人が初々しく照れながら見つめ合うの姿を見ていた。


「ふふ、じゃあ、リョウ、指輪を」

「ああ、何か、照れるな……」

「うん……」


 リョウは、アリシアの左手薬指に指輪を通した。カレンとサイズが同じだったのか、ピッタリと収まった。


「リョウ、ありがとう」


 アリシアは、幸せそうな笑顔で、指輪が光る左手を大事そうに自分の胸に抱きしめるのだった。


「これで、私も安心して天国に行けるわね。最後に二人に会えてよかったわ」


 彼女がそう言うのと、リズの声が聞こえてくるのが同時だった。


『リョウ、もう時間切れよ。BICのエネルギーがなくなるわ』


 ホログラム投影はかなりのエネルギーを消費する。カレンのBICはもともと補給もできない状態で放置されていた。残りのエネルギーを全部使い切るつもりだったのだろう。

 それは同時に、エネルギーを小分けにして何度も現れるつもりがなく、この一度きりにするというカレンの、おそらく生前の意思なのだと察した。


「……もう行くのか?」

「ええ。残念だけど、時間よ」


 その言葉通り、だんだんとカレンの姿が薄くなっていく。


「お母さん……もう、会えないの?」

「そんな悲しい顔をしないで。最後にあなたに会えて私は幸せなんだから。それに、私はずっと天からあなたのことを見守っているわ。それを忘れないでちょうだい」

「うん……」


 アリシアは、涙ぐんではいたが、微笑んでいた。


「アリシア、幸せになりなさい。お父さんにはよろしく言っておいて」

「うん……分かった」

「リョウ、アリシアを頼んだわよ」

「ああ」


 そして、


「リョウ……」


 カレンの口調が、一瞬、アリシアの母としてではなく、当時の彼女に戻ったように聞こえる。


「私、あなたに会えて本当によかった」

「ああ、俺もお前に出会えて幸せだったぜ」

「そう、よかった……元気でね」

「ああ」


 そして、最後に微笑みと「さよなら……」の声を残して、彼女の姿は完全に消えた。


「……」

「……」


 二人は暫くの間、身じろぎもせず、カレンが消えた空間を見つめていた。

 ふと気がつくとアリシアが涙を流している。

 リョウは、肩を抱いた。


「ありがとう、リョウ。少しの間だったけど、お母さんとこんなふうに会えてよかったわ……」


 アリシアは涙を指で拭って微笑んだ。少し吹っ切れたように見える。


「そうだな。俺もだ」


 リョウもまた、全ての気持ちにケリがついた気持ちでいた。


「行くか?」

「ええ」


 リョウはアリシアに手を差し出す。アリシアはすこし照れた顔でその手を握った。

 今もらったばかりの指輪がきらめく。


 そして、二人は手をつなぎながら、屋敷に向かって歩き始めたのだった。












※※※ 作者あとがき ※※※



 なんとか終わりました! 完結です。

 最後までお読みいただいた皆様、誠にありがとうございます。

 しかも、文字数が18万に達したということで、ほぼ2巻分に相当する長い話なのに、最後までついてきていただき、本当に感謝いたします。


 途中、応援♥やコメントなど、大変励みになりました。PVが増えるのを見るだけでも励まされました。ありがとうございます。


 書き終わってホッとはしているのですが、同時に、これからアリシアとリョウに会えなくなるのは、寂しい気持ちでいっぱいであります。

 この二人がどうなるのか見たい気持ちもありますが、たぶん結婚して平穏で幸せな人生を歩むのではないかと思っていまして、そうすると、作品にはしにくいですね(笑)。一応、続編のアイデアはあるので、面白く書けそうなら書いてみたいと思います。


 なお、本作を最後までお読みいただいたみなさまには、もしよろしれば、応援コメントや星など何でも結構ですので、何らかの反応をいだたければ大変ありがたいです。


 それでは、また別の作品でお目にかかれることを祈っております。









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10044年の時間跳躍(タイムリープ) ハル @harugase

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