明日の黒板
達見ゆう
想いは黒板の彼方へ
「ごめん。私、夏男とは付き合えない」
卒業式が終わった昼下がり。この後に謝恩会が開かれるため、皆が会場へ向かったのを見計らって二人きりになった教室の一角。俺の一世一代の告白は見事に玉砕した。入学式で迷っていた春子を助けて以来、俺達は腐れ縁とも凸凹コンビとも言える付き合いをして、いい感じだと思ったのは俺だけだったのか。
「そっか、ごめん! 気持ちを伝えたかっただけなんだ! 他に好きな男子がいるのか?」
俺は努めて明るく振舞っておどけようとする。ショックを受けていることはバレてはならない。そうだ、俺はハイテンションになってこの全てを受け入れるんだ!
「いや、そうじゃないの」
春子はちょっと困惑したように言う。
「あ、そうか。好きな男子ではなく、女子ってやつか? いや、俺は受け入れるぞ。なんだっけ、LGBTだっけ?」
「いや、そうじゃなくてさ」
「あ、それとも二次元しか愛せないってやつか? 推しは誰だ? 俺、ほら、美大行くからさ、好みのタッチかどうかわからんが、沢山描いてや……」
「人の話を聞けよ」
春子からのハイキックが俺のあごにクリティカルヒットした。目に星が飛んだが、一瞬だけ春子のスカートの中が見えたから良しとする。
「明日から海外行くんだよ! 親の左遷ってやつでさ」
か、海外?
「って、普通に転勤って言えばいいじゃん。わざわざ左遷って言わなくても」
「うっせえな。あんたのバカ聞いてたら、今日だけは女子らしく振舞おうと取り繕うのもバカバカしくなってきた」
結局いつもの調子に戻る。バカなことを言う俺。それに対してバイオレンスに答える春子。それもご褒美として悶える俺。
卒業式くらいドラマみたいな青春の一コマをしたかったが、俺達には無理な話だった。
「海外ってどこさ?」
「イギリス」
イギリスなら左遷ではないのではないか?ロンドンではない田舎都市なんだろうか?
俺の不思議そうな顔を見て、春子が補足説明を入れる。
「正確にはイギリス領のケイマン諸島って言ってカリブ海にあるところ。ほら、聞いたことない? タックスヘイブンと言って、税金がかからないだか格安なところ。そこに税金対策として支社を置いているんだって。実際には郵便私書箱だらけの島なんだとか」
「私書箱を見るだけの簡単なお仕事ですってやつか?」
「そうなんじゃない?」
……そりゃあ、確かに左遷だ。しかし、それでも会社に残る春子パパはある意味大物だな。
「ママもそんなパパが心配みたい。それで、さらにそんな両親が心配な私は健気にもついていくってわけ。あっちでも格闘技を習えるといいんだけどなあ」
春子はシャドウボクシングをしながらも淡々と話す。
「って、お前それでいいのか? 進学とかどうすんだよ? イギリス領でも中南米って治安大丈夫なのかよ?」
「フラれた女の進路まで心配しなくてよろしいっ! それに私にはこの拳とキックがあれば身は守れる! さ、話はここまで! ハイキックのおかわり欲しくなければ早く皆と合流しよう!」
ハイキックのおかわりが欲しいと一瞬だけ思ったが、春子の言う通り謝恩会に合流しないといろいろと勘繰られる。俺達は会場へ向かうことにした。
謝恩会は盛り上がったが、俺はフラれたからか、今一つテンションは上がらなかった。俺の妄想予定では春子と一緒に謝恩会で盛り上がって、手を繋ごうとして春子からパンチをくらいつつ一緒に歩いて帰るつもりだったのだが、現実は甘くない。なんでもあいつは飛行機が明日の朝早く出発だとか言って謝恩会が始まって一時間くらいで中抜けしてしまった。
意気消沈した俺は二次会へ行こうという友達の誘いを断り、かと言って家に帰る気にもならずブラブラして、すっかり日が暮れてしまった学校になんとなく戻っていた。
守衛さんには忘れ物を取りに来たとごまかし、数時間前の敗戦した場所、つまりは教室に戻ってきた。
かつては俺の席だった椅子に腰かけ、教室や窓をぐるっと見渡す。
「この位置から春子を見ていたんだよなあ……」
春子の席は俺の右斜め前。教室の真ん中の列だ。頭の向きは黒板なので、一見真面目に授業を受けているように見えるこの位置が好きだった。黒板なんて全然見ていなかった訳だが。
「つまりは黒板はダシに使われてたわけだな。なんか悪いことしたな」
唐突に黒板に対して罪悪感を持ってしまった。それにフラれたモヤモヤもぶつけたい。
俺は黒板の前に立ち、チョークを使って絵を描き始めた。いわゆる黒板アートってやつだ。美大へ行く前のデモンストレーションとしてもいいかもしれない。
まず、黒板の中央からやや右寄りに春子を描く。ケイマン諸島はスマホで検索したらジャマイカのそばみたいだから、溢れる日差しに爽やかな青空をイメージして描く。きっと暑い国だろうから、春子の服はノースリーブに短パンだ。南国っぽいから周りにはハイビスカスを沢山描けばいいだろう。ケイマンにハイビスカスが咲いているのか知らないけど、いいや。
これは誰かに見せるための絵ではない。黒板への償いと俺の春子への想いをぶつけて昇華させようとしている自己満足の絵だ。
花を描き終えたら、次は左側の部分に着手だ。島というからには海が美しい所だろう。白い砂浜と青い海をイメージして描き始める。時間が無いから白いチョークと黒板の黒の二色だけで海と砂浜を描き分けるのは意外と難しい。
さらに青空。黒板の黒をそのまま使うか、マイルールを破ってここだけ青いチョークを使うか。そうやって悩みながら描いていたからか、描き終えて改めて見ると、バランスが悪いことに気が付いた。
左側の海と砂浜が広すぎて寂しいのだ。やはり時間短縮のためにモノクロにしたのが仇になった。
書き直すには時間が足りない。そうだ、俺が好きな銀色夏生の「君のそばで会おう」の一節を書こう。空と海の部分を少し消し、青いチョークで詩を書き足す。空は結局モノクロにしたから、ここは青チョークにして青空の代わりとする。
いろんなところへ行ってきて
いろんな夢を見ておいで
そして最後に
君のそばで会おう
このフレーズはネットで知ってから本を買い、ぼろぼろになるまで読んだ詩だ。『君に会おう』ではなく、『君のそばで会おう』がまた粋だと思う。そして、作者が同じ名前のナツオというのもまた親近感が湧く。
こうやって書くと俺ってまだ未練があるな。まあ、いいや。なんだか、すっきりした。この絵はきっと守衛さんか、遅くても新学期が始まる前に先生によって消されるだろう。
なんだか晴れ晴れとした気持ちで俺は教室を後にした。
……って終わればかっこよかったのだろうに、俺ってやつは大馬鹿野郎だ。
確かに絵のイメージをつかむためにスマホで検索をした。検索をし過ぎてバッテリーが無くなった。バッテリーを充電するために教室のコンセントに繋げて充電していた。
よりによって、そのまま充電器ごとスマホを教室に忘れるなんて。朝になって目覚ましアラームが鳴らなくて気づいた。
恥を忍んで守衛さんに頭を下げ、またもや教室へ入った。
黒板アートはそのままだ。守衛さんは見ているだろうに消さずに残してくれたようだ。
ふと、アートに少し違和感を感じて、よく見ると詩の下に赤いチョークで言葉が書き足されていた。
「委細承知 世界中の格闘技を極めてくる」
この字は春子の字に似ているような気がする。あいつ、まさかここへ来たのか?
ふと、轟音がして窓を見ると、飛行機雲が空に鮮やかな線を描いていた。
「……よし、世界中の格闘技を受けられる頑丈な体でも作っておくか」
どんな技を繰り出してくるのか、寂しさの中にも俺はゾクゾクと……いや、ワクワクする気持ちが芽生えていた。
明日の黒板 達見ゆう @tatsumi-12
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます