第2話 終末の俺
食い物がない、その事実はどんな過酷な環境においても絶対的な恐怖を与えてくれる。
透き通るような青い空、地球を取り巻くように散らばった惑星の破片は出来損ないの土星の輪っかにように地球の周りに伸びて広がっていた。
大気圏に突入することもなく、見事に華々しく散ったその光景はまさにスペクタル、ファンタスティックだと拍手喝采が起きたほどだった。
とはいえ、最初は何が起きたのか理解できず、多くの人は砕け散ったそれをただ呆然と見上げ「彗星が壊れた……?」と口々に呟いた。
軍事作戦は失敗。ありったけのミサイルで撃ち落としても地上への被害は甚大で氷河期がやってくる。そんな専門家たちの意見をあざ笑うが如くまるで魔法のようにあっさりとそれは砕かれ、半数は流れ星となって地上へ、もう半分は宇宙に取り残された。
淡々と彗星の映像を写していたテレビは緊急速報と銘打ち局内に画面を戻し、しかしアナウンサーが軒並み退局していたのか臨時の人が原稿を読み上げていた。
「彗星が突然爆発しました。繰り返します、彗星が突然爆発し、情報が入り次第ーー、」
突然のことに当惑する様は混乱を呼び、ネットでも様々な情報が飛び交い、何が真実見極めるのは非常に困難だった。
米軍の開発した新型ミサイルだとか、衛生上に配備されていた大質量兵器「神の雷」が発射されただとか中には魔法少女の姿を見たなんて書き込みも見受けられた。
真相は不明なまま、政府関係者からの発表を通じて内閣府からの通達、地球の滅亡は回避された。二次被害については後ほど詳しく、冷静に、落ち着いた行動を心がけてください。
何が起きたのかも分からぬままその日は夜を迎え、終末に喜んでた者たちが消沈し、「だから乗せられる方がバカだって言ったんだよ」なんて日常が戻りつつあった。
政府の発表では彗星内の水蒸気ガスがなんらかの影響で発火し、爆発、空中で四散したとの事だったが翌日、翌々日と日を重ねるごとに「本当の理由はなんだったのか」と噂が広まっていった。
やはり超場的な力の作用なのか、それとも人為的なものだったのか。
誰一人とし自然に危機が回避されたなどとは思っておらず、しまいには「神の存在」を崇めるようになっていた。
地上に降り注いだ彗星のカケラは多数の隕石となりあちこちでそれなりの被害を及ぼしたが街が壊滅する程のものはなかった。
それを奉り、中には転売して儲けるものも現れた。
思えば一番平和な時間だった。
滅亡の危機が去り、平穏な日常が戻ってきた。そうやってあの日のことが過去になり始めていた頃、
人が結晶化し始めた。
唐突に、なんの前ぶえもなく突然前を歩いていた人にぶつかったと思ったらその人の腕が折れた。
氷か水晶のように透明な彫刻となったそれは触れた人に感染し、風に乗って世界中を駆け巡った。
終末の訪れだった。
「……っとに……たまにはマシなもん食いたいなー……」
都心部は酷い有様だった。一面を結晶体が多い尽くし、瞬く間に感染は拡大。
未だに地上には多くの人々の「亡骸」が散らばり、生存者を襲い続けている。
そして生き残った人々は少しでも肌を晒さずに完全防備で外に出かけ、結晶体に触れないように助けを待っていた。
来るのどうかわからない助けを。
「カップ麺じゃ栄養偏って病気になるぞっと……」
棚に陳列された商品は手付かずのままだ。一種のパニックは起きたもののそれもじきに収まった。騒ぎ立てる人がいなければ混乱は起きない。
彗星の爆発に消沈し、部屋に篭っていた俺以外の人間は大抵結晶化してしまったようで悲しいかな、生きた人間の姿をここ数週間の間に見ていなかった。
電気は止まり、水道はまだ生きているがいつそれも終わるかわからない。
管理している人がいるとは思えず、いっその事結晶の海にダイブして死んでしまおうかとも思ったが、……こんなとんでも事態に追い込まれてなお、死ぬのは怖かった。
ネットで人が結晶化し、ボロボロと崩れていく映像を何度も見た。痛みは感じていないようだったがその顔は恐怖に引きつり、自分もああはなりたいと思わない。
最初の数日はネットで情報を集めていたが電気が止まってしまえばそれも出来ず、仕方なく篭城生活を始めたものの、限界は案外早くやって来る。
食い物がない、腹が減った。
その生理的な欲求はシンプルであるがゆえに我慢し難く、人間をやめて結晶にでもならない限り解決されはしなさそうだった。
その為、もうすぐ初夏だというのに長袖に身を包み、レインコートを羽織って手袋をつけ、外へと歩み出た。
パリパリと足を踏み出すたびに割れる「人だったもの」、それらを少しでも触れれば自分もそうなってしまうという恐怖がしばらくは付き纏ったものの、人間慣れてしまえばどうということもないようで数日に一回は近所のスーパーに足を伸ばし、インスタント食品を漁っている。
他に人が訪れた形跡もなく、もしかするとこの地域には僕しか生き残っていない可能性もあった。
が、それはそれで奇跡的というか、世紀末だぜやりたい放題してやるぜーっ的なのに出くわさないだけ安心だった。
問題はこの生活がいつまで続けられるか……だけど。
「……ん……」
ふと、商品をストックしておくバックヤードに向かう扉が動いたような気がした。
両開きで、台者でそのまま突撃したら開くようになっているようなアレ。
結晶が入り込んで来ないように出入り口はちゃんと塞いであるし、電気が止まっているのだから風が吹き抜けるってことは万が一にもない。
人か動物か、はたまた未確認生物かーー、……ゴクリと唾を飲み込み懐中電灯の光を向けるとやはり微かに扉が揺れ動いている。キィキィト音を立てて静止しようといているが静まり返った店内ではその音さえも響いてしまっていた。
様子を見に行くべきか真剣に悩んだ。できれば危険なことは避けて通りたい。さっきも言ったけど未確認生物なんかより世紀末ヒャッハーの方が俺としては十二分に怖い。怖すぎる。まず喧嘩っぷしは言わずもがな、これまで人との争いを避けるだけ避けて来た人生だ。避けすぎて人と話せなくなり引きこもるほどだ。
万が一、ヒャッハーじゃなくとも例えそれがフレンドリーに話しかけて来る爽やか野郎だとしても俺はショック死してしまうかもしれない。驚きすぎて。
悩みながらも近所にはスーパーはここしかないし、得体の知れない存在がいるのが分っていて無視もできない。もしそれが理由で部屋からまた出られなくなったら今度は本当に餓死してしまう。
こうして外に出て来ていること自体が自分でも驚きなのだ。両親がいなくなってもう自分の面倒を見てくれる人もいないわけだし……。
「出て来るなよー……何も出て来るなよぉー……?」
我ながら情けないとは思うがガクブル震えながらも扉を押すと案外簡単に開いてくれる。流石文明の利器、ワゴンに乗せた商品を落とさせないように優しく、そっと奥に向かって開いてくれた向こう側は暗闇に包まれていて何も見えない。
「……もしもーし……」
反響する空間に向かって問いかけてみる。もしヒャッハーなら何も考えず襲って来るだろうし、爽やか野郎ならあっはーん?とか言いながら出て来てくれる。そう思ってのことだったけど虚しく沈黙が続くばかりで変化は訪れない。
ってことは犬か猫か……?
しかしあの結晶に触れた動物はみんな感染してしまうらしく、光物が好きなカラスを始めネズミもいなくなっている。個人的には苦手な昆虫も消えてくれて万々歳なのだが、
「なんなんだよもぅ……」
そうなればやはりこの暗闇の中にいるのは同じレインコートなどで身を覆った人間か、結晶体に触れても死なない未確認生物だろう。いや、もしかしてあの結晶体をバラまいた張本人、宇宙人だったらどうしよう……?!
その噂は早い段階からネットで囁かれていた。
これはあの隕石に乗ってやって来た宇宙人たちのテロ行為だと。植物になんの影響もないことから、地球の生物を一掃するために使用された科学兵器なんだと。
ンなバカなって鼻で笑ってたけどマジか、マジで宇宙人なのか……!?
「ふぁゥ!?」
突然後ろで缶の転がる音がして慌てて振り返ると棚の間を微かに影が横切るのが見えた。犬や猫にしては大きすぎた。
心臓はバクンバクンと今にも破裂しそうな音を打ち鳴らしていて「ひ、ひぃー……」顔はひきつりつつも止まることはできずに足だけはジリジリそっちの方へと向かって行く。
棚の向こう側でカランカランとやはり何か音がする。ぐびぐび、ぐびと。
「ぐび……?」
そしてぷはー、なんて声を聞いてしまえば緊張感も一気に和らいだ。というよりも限界に引っ張った糸の両橋をちょいっと摘まれて取り上げられたような感じだ。
可愛らしい、まだ子供の声で、『その子は』飲料水売り場の前にへたり込み、缶コーヒーを掴んでこちらを睨みあげていた。
「ぇ……ェー……?」
人……だよな……?
人……?
ちょっと混乱する頭に混乱、いや混乱……?
「……変質者?」
「ちげーよ!」
お返しとばかりにジロジロと見つめられてた挙げ句猛烈にひかれて突っ込んだ。
「仕方ないだろしないと俺も他の奴らみたいに……、……に……?」
そうだ、それだ。違和感の正体にようやく気がつき思わず言葉が途切れた。
長い銀髪にも見える変な色の髪とか、青色の目とか、そういう外見的な外人さん的な驚きはあるけれど、それ以上にこいつは、この子は、
「……なんでそんな格好で平気なんだ……?」
短パンにヨレヨレのTシャツで、まるで部屋着のまま飛び出して来たかのような、
「つか裸足で……?」
足の裏に、きらきらと光る結晶体。それは足の裏に刺さってこそいないが砂辺を歩いた後みたいにザラザラと裏にこべりついていて、……平気なのか……?
視線を上げた先でツンと、まだ子供みたいな顔の癖に俺を舐め腐った目で見上げる瞳とバッチリ噛み合った。
その子は、結晶体の砂が散乱するスーパーの床を、商品を、素手で触れ、触り、踏み歩いて行く。
「というか、先ほどからジロジロと気持ち悪いのだけど」
「あ……ああ……ごめん……」
「ふんっ」
言うだけいうと棚の、俺が一切手を付けていなかったブラックの缶コーヒーを何本か手に取り、シャツの裾に包みあげ、そのままバックヤードの中へ消えて行く。
扉が閉まる一瞬、これでもかと言わんばかりに睨まれ、明確な拒絶を突きつけられた。
「おいおい……マジかよ……」
ひとり残され途方に暮れてヘタリ込む。
得体の知れない何者かってわけでもなさそうだけど、底が知れないというか意味がわからなすぎて腰が抜けた。
感染しないのか……? 結晶ーー。
あの少女の足の裏から落ち、床に散らばった塩みたいな結晶の粒をぼんやり眺める。
触れてみるか……? いや、それでボロボロ固まっていったら死んでも死に切れないし……。
モヤモヤとしたものを抱えつつバックヤードに気持ちは動いていた。
色々……聞いてみるかな、あの子にーー……。
人と話したいという欲求は微塵も浮かんでこなかった。ここ数週間、誰とも話していなくとも元々家族以外と会話のなかった俺だ、今更話し相手がいなくともそれに関してはなんの不自由もなく、苦痛でもなかった。が、こんな状況で同じように生き延びていて、……しかもあんな軽装でぶらつけるなんて何か秘策があるのかも知れない。
「っつぅー……」
空調も効いていない店内はすでに初夏の熱で蒸し暑く、レインコートの下に重ね着した冬服はもうぐっしょりと汗で濡れに濡れて絞れそうなほどだ。
日本の夏は高温多湿の酷暑だ。電気が止まっている中、エアコンによる楽園生活は期待できない。このまま迎えれば間違いなく干からびるだろう。
即ち、これは生きるための情報収拾なのだ。
あまり気乗りしない自分にあれこれ言い訳を重ねてバックヤードへ向かう。
手土産に目についた棚にあったチョコレートを掴んで、
「…………」
が、ちょっと暑さで溶けていた。それは棚に戻して下の段のガムにする。腹は膨れなくとも珈琲にはガムだろう。なんとなく。
手で押して入ったバックヤードは店内よりも多少なり涼しく感じた。気温的な問題はかわりないはずだからただの気持ち的なものだろう。
あの子の姿を追って懐中電灯を巡らせ、
「いったい何の用だというんだい」
「わっ!!」
突然目の前で発せられた声に飛び上がった。向こうからこっちは見えていて驚かせようとしたんだとしたら性格が悪すぎる。最悪だ。
「び、ビビってないかんな……!!」
「いやいや、それほど信憑性のない発言も珍しいと思うのだが」
子供だ。やっぱり何処からどう見ても子供のようだった。長い銀色の髪、青い目。すぐそこのラックに腰掛け、見下ろすようにしてこちらを見つめていた。世間一般の「子供」っていうイメージからはかけ離れてるけどでろんと襟のところが伸びて覗いている細い肩とか、足とか、いろんなところがまだ成長しきっていない。つまるところやはり子供で、
「まな板だ」
っと、あまりにもしげしげく眺めた結果、思わず心の声が口をついて出た。それほどまでに見事なまな板だった。第二次成長期は家出中だろうか?
「ふむ……喧嘩を売っているのだとすれば僕にも言い返す権利はあるはずだね」
「お?」
まさか会話になるとは思っていなかったので素直に驚く。バカにされたことは理解しているのも意外だった。
得体のしれなさはあるけれど落ち着いて眺めてみればただの人間のようにしか見えず、近づいてくる姿を大人しく眺めるに至る。
目と鼻の先まで近づかれてみればその小ささには小動物的な可愛さも含まれている。つん、と突き出した唇で不満を訴える表情もまた可愛げが、
「見込みがないよりマシだと思うがね」
指先で俺の胸先を小突かれた。
「……ぁ?」
盛大に威嚇する。発言を撤回しろと威圧的に被せるが気にも止める様子はなく、鼻で笑って重ねてきた。
「そんな色気のない格好をしている変質者君の事だ、余程自分のスタイルに自信がないのだろうが一体何を気にしていると言うんだね。この終焉を迎えた世界でっ」
芝居がかった大袈裟な手振りで謳って見せ、くるりとターンを決める。するとその体についていたらしい小さな結晶体は宙を舞い、思わず両手を前に出した。反射的に、その恐怖は理屈ではなく本能的に身についていた。キラキラと舞う氷のかけらのようなそれと、その中心で髪をなびかせて回った少女。思わず身構えた俺。
「……もしかして君は違うのかい?」
「何がだよ……」
女であることは隠していたつもりはない。ただあまり女として振る舞いたくないだけだ。それはコンプレックスとかトラウマとか、そう言うのを抜きにしてただ災害時は性的なものが足かせになることが多いし、有事の際にはやはり女は男に劣るとかそう言う理屈で、……それでも若干の動揺は仕方がなく、それを悟らせ無いように誤魔化しつつ目の前のその子の意図を探った。
「選ばれたどうしだと思っていたのに」
呆れたように呟き、心底残念だとでも言いたげに見上げてくるその顔はぞくりと俺の心臓を引っ掻いた。
「ぁっ……いっ……」
蘇りそうになる感覚を、開いてしまう記憶の蓋を、ぎっと噛み殺して抑え込んで。
「選ばれた同士てなんだよ……?」
首を傾げて見せた。
額から嫌な汗が頬を伝って顎から落ちる。
気にするな、ただの戯言だ。
ぞわぞわと背筋を登ってくる悪寒を無視して目の前の少女に集中する。関係ない、こいつは一切関係ないーー。脳裏に浮かぶ顔を必死に掻きむしって投げ捨てて、
「お前は生き残るべくして生き残ったとでも言うのかよ?」
せいいっぱいの虚勢でもって笑ってやる。もうあいつらはいない、あいつらは全員もれなく粉々だーー。
バクバクと嫌な心臓のリズムに頬を伝い落ちる汗の数。
やっぱり初夏の季節に着込むもんじゃない……このまま夏を迎えたら本当に信じまうーー。
いったい何と向き合ってるのかもわからず、ただ現実には涼しげな部屋着の少女とレインコートをぶくぶくに膨らませた変質者二人。気持ち悪りぃと張り付いたシャツを早く脱ぎたくて、なんでこんなところでこんな奴と話してなきゃいけないんだと今更になって後悔する。そしてそんな後悔すらも見通したように少女は笑顔を浮かべ、告げた。
「世界をこんな風にした同士って意味だよ」
そのときの顔をなんと表現すればいいのか、私にはわからない。
ただ本能的に、この子はやばいと本気で思って本気で逃げ出したいともつれる足で後ろに下がって、
「うへぁっ?!」
盛大に転んだのを覚えている。
見下ろす少女、見上げた私。
汗だか涙だかわからないものを浮かべながら俺はそんな少女を見つめ。
「選ばれたもの『どうし』じゃなくて『同志』って意味か……」
「ぁ」
少女が年相応の驚きを浮かべた顔を最後に気を失った。
暑さによる熱中症だと彼女に聞かされた。
彼女の名前は未來、神田未來。
世界をこんな風にした張本人であり、私以外の唯一の生存者だった。
これは、そんな平々凡々で生き残っていまった『私と』『未來』の終焉に向かう物語だ。
明日地球が滅亡します、最後の1日何して過ごします? 世紀末だヒャッハーしてすごしますか? 葵依幸 @aoi_kou
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