とある夜の出来事

「プッハー! この一杯の為に生きてるわ!」

「……相変わらずね、姉さん」


 金曜の夜。行きつけの「バーなのか居酒屋なのか判断に悩む」場末のバーのカウンターで、あたしと姉さんはいつも通りにお酒を楽しんでいた。

 姉さんは「駆けつけ一杯」を飲み干すと、バーテンさんに早々おかわりを要求した。

 ――ちなみに、姉さんが飲んでいたのはビールや焼酎ではなく、ドライ・マティーニだ。それを水のようにガッパガッパと飲み干していくのだから、バーテンのおじさんも苦笑いしている。


 あたしは姉さんと違ってあまりお酒に強くないので、特別に甘くしてもらったダイキリをチビチビと消費していた。

 姉さんからは「お子様」呼ばわりされるけど、はっきり言って心外だった。酔いつぶれた姉さんを家まで運ぶのは、あたしの役目なんだ。あたしが酔いつぶれる訳にはいかない。


「で? 最近どーよ?」


 姉さんが、アラサーになってもなお端正なその美貌を寄せて尋ねてくる。

 この人、黙っていればまだまだ十分に美人なんだけど、中身の方はここ数年ですっかりオヤジになってしまったので、やっぱりモテないのだ。


「『どーよ』って、何が?」

「何がって、男に決まってるでしょ! オ・ト・コ! いい人いないの!?」

「……そんなの、姉さんがよく知ってるでしょ? 一緒に暮らしてるんだし、あたしが仕事以外で姉さんを置いて出掛けたこと、ある?」


 あたしと姉さんは、就職してしばらく経った頃から二人暮らしを始めていた。

 「親元を離れれば何かが変わるかも知れない。けれども一人暮らしは不安だ」と考えた末での同居生活だったけど……むしろ実家で暮らしていた頃よりも悪化したかもしれない。

 特に酷いのは、姉さんのあたしへの依存具合だった。

 姉さんは家事全般をそつなくこなせる方だけど、事あるごとにあたしに甘え、家事を押し付けてきていた。一応、姉さんの方が稼ぎが良いから家賃を多く分担している、という大義名分もあるんだけど……どうにもまだ「お姫様扱い」から抜けきれていないらしい。


「職場にいい人いないの? 新入社員の若い子とかさー! ユー酔い潰して食っちゃえよ!」

「……店のスタッフは殆どあたしより年上のお姉さま方だし、男といえば再雇用のおじさまか、妻子持ちのマネージャーくらいのものよ、姉さん。社員はあたしと店長だけ。店長はほら、あれでしょう?」

「あー、あのビヤ樽みたいな彼ね……。うん、あれは無いわー」


 あたしが働く店の店長は同年代の独身なので、確かに狙い目だったのだけど……姉さんが言った通りビヤ樽みたいな体型で間違ってもイケメンではないし、何よりナントカというアイドルグループの熱烈な追っかけなので、一般の女には全く興味が無いらしい。

 店長としては優秀なんだけど、ね。残念。


「そういう姉さんの方はどうなのよ? アパレル系なんて、オシャレ男も多いんじゃないの?」

「ウチ? ウチはダメダメ! 若い子はみんなバイトだし離職率高いし。仲良くなる前に居なくなっちゃうって!」


 そう言ってガハハと笑う姉さん。なるほど、確かに出会いの場としてはあまりよろしくない職場らしいけど……きっと原因はそれだけじゃないんだろうな。

 あたしは姉さんが職場で色々とやらかしていることを察したが、あえて何も言わなかった。優しい妹だもの。


「ってことはアンタ、今フリーなのよね?」

「今どころかずっとフリーですが、それがなにか?」

「ちょっとさぁ……おっ、噂をすれば影、だわ! ――あっちのイケメン二人と、頑張ってお近付きになってみない?」


 姉さんが声を潜めながら店の入口の方を指差す。そちらを見やると、なるほど、確かにちょうどイケメン二人が店に入ってきたところだった。私達と同年代くらいに見えるけど……なんかモテそうな雰囲気だ。あれにチャレンジするなんて、我が姉は恐れを知らないな……。


「姉さん。あんなイケメン、女がいるに決まってるでしょ?」

「チッチッチ、甘いな妹よ。観察力不足だよワトソンくん! あの人達、しょっちゅうこの店に来てるけど、一度も女連れだったこと無いのよ!」

「え、そうなの?」


 あたしは全く見覚えが無いけど――そっと様子をうかがうと……確かに、バーテンのおじさんとも何やらフランクに話している。明らかに常連の雰囲気だった。


「あんた、昔から周りをあんまり見てないよねー。フロア係としては凄い優秀なのに」

「う、うるさいなぁ! あたしのことは今はいいでしょ? で、お近付きにって言うけどどうするの? バーテンさんに頼んで『あちらのお客様からです』とか言ってカクテル奢るとかするの?」

「それが問題なのよね。はたしてどうやって接触したものやら――」


 なんと、我が姉はノープランでイケメンをナンパしようとしていたらしい。

 あたしと違って観察力はあるけど、計画性はゼロ……ま、昔からそうなんだけどね。

 姉さんとあたしは、双子のくせに全く似てないのだ。容姿も、性格も、得意分野も全然違う。男の趣味だって違う。


 ――もしあたし達が二人ではなく一人の人間として生まれていたら、もう少しマシな女になれたのだろうか? そんな益体もないことを考えた、その時だった。


「――あの、隣、いいですか?」


 それは、痺れるような激渋ボイスだった。

 思わず声の主の方を見やると(きっとあたしはまぬけな顔をしていただろう)、なんとそこには例のイケメン二人組がいた。

 明らかに体育会系の出身と分かるようなガッチリした体型と、裏表のなさそうな爽やかな笑顔が眩しいイケメンその一。

 背は高いけれども線は細く、どこか中性的で蠱惑的な微笑みをたたえた魔性のイケメンその二。

 こうやって近くで見てみると、二人とも本当にイケメンとしか言いようがない。激渋ボイスの持ち主は、どうやら爽やかイケメンの方らしかった。


「え……あ、ああ! どうぞどうぞ!」


 姉さんが突然のことにテンパりながらも席をすすめる。何せ、狙おうとしていた獲物が先んじてこちらに近寄ってきたのだ。そりゃあ動揺もするだろう。私なんて声すら出せなかったんだから、テンパリつつも応対できた分、姉さんの方が立派だった。

 そのまま、爽やかイケメンはウォッカ・マティーニを、魔性のイケメンはピンク・ダイキリをバーテンさんに頼む。……あらやだ、あたし達と同じようなカクテルを頼むなんて、もしかしてこれは……もしかする?

 姉さんが二人に目を付けていたように、イケメン達もあたしと姉さんに……?

 ドキドキしながら彼らの次の言葉を待っていると、今度は魔性のイケメンの方がおもむろに口を開いた。こちらは少年みたいに透き通るような美声だ。


「――実は僕ら、お二人とは以前からお話したいと思っていたんです」

「え!? 私達と……ですか?」

「ええ。その、マスターからちょっとだけお二人の話を伺っていて……」


 「マスター」というのはバーテンさんのことだ。あたし達はただ単に「バーテンさん」と呼んでいるけど、実際にはこの店のマスターだったりする。

 というかバーテンさん、イケメン二人にあたし達の何を話したの!?


「お二人は二卵性の双子の姉妹なんだとか。実は俺達も双子なんですよ!」

「……ええっ!?」


 爽やかイケメンの言葉に、あたしが思わず叫ぶ。だって、二人とも全然似てない! いや、似てない双子という意味ではあたしと姉さんもそうなんだけど……。


 ――その後、イケメン兄弟は簡単に彼らの「今までのあらすじ」を話してくれた。

 小さな頃から「天使のように可愛い双子」として周りの人間にチヤホヤされて育ったこと。

 そうやって「王子」のように甘やかされてきたものだから、ある時を境に人間関係が――特に異性との関係がうまく行かなくなってしまったこと等など――。

 ……驚いたことに、彼らの「今までのあらすじ」は、あたし達とそっくりだったのだ。


「マスターから、俺達の人生とお二人の人生がよく似ている、と聞いて、前から是非お話したいと思っていたんです」

「確かに……私も他人事とは思えません」


 そう言えば、以前に姉さんがベロンベロンに酔っ払って、バーテンさんにあたし達の「今まで」を話したことがあった。もしかすると、イケメン兄弟も同じような感じでバーテンさんに「今まで」のことを話していたのかもしれない。

 ……もちろん、バーテンさんとこのイケメン兄弟が良からぬことを考えていて、あたし達の興味を引く為に作り話をしている、という可能性もある。姉さんはすっかり信じ込んでいるけど……あたしは少し警戒しておくことにした。


 その後も、姉さんと爽やかイケメン――双子のお兄さんの方を中心に会話が盛り上がった。

 二人は様々な少年少女時代のエピソードを話しては、「あるある」と頷きあい、時にそれをあたしと魔性のイケメン――弟さんで補足する、なんて光景が延々と続き、気付けば数時間が経っていた。

 警戒していたあたしがバカに見えるくらい、和やかな雰囲気だった。打ち解けてきたところで酔い潰しにかかる……くらいしてくるかとも思ったけど、どうやらその気配もない。あたしの取り越し苦労だったのかな?


「――ああ、本当に他人とは思えない! まるで僕と兄さんがもう一人いるみたいだ!」

「……あたしもそう思います」


 いつの間にか姉さんの隣にお兄さん、あたしの隣に弟さんという配置になりそれぞれに会話しつつも、話題はまだ尽きなかった。

 でも、流石にもう深夜と呼べる時間だ。バーテンさんも先程から時計を気にし出している。そろそろ引き上げた方が良いかも知れない。

 姉さんやイケメン兄弟もそんな雰囲気を読み取ったのか、誰からともなく「今晩はこの辺りにしましょうか」とようやく席を立った。


 会計を済ませ店を出ると、駅前の小さな歓楽街は既に眠りについていた。人の姿は殆どなく、少し離れたところにあるコンビニの明かりがどこか寂しげに映る。


「今日は楽しかったです。佐藤さん、また今晩みたいに一緒に飲みませんか?」

「いいですね! 私達は金曜の夜には決まってこの店に来てるので、気軽に声をかけてくださいね!」


 そんな言葉を交わしてガッチリと握手する姉さんとお兄さん。

 あたしと弟さんは、そんな二人のことを微笑ましく見守る。

 その後、「途中まで送る」という兄弟の申し出を丁重に断り、あたし達はようやく家路についた。


「あー、楽しかった! あんなふうに他の人と楽しくおしゃべりしたの、もしかしたら初めてかも!」

「だね。あたしも……弟さんとは何か波長が合う感じだった。姉さん、お兄さんと凄くいい感じだったじゃない? これは……いけるんじゃないの?」


 ようやく姉さんに春が来るのでは? と思い、話を向けたのだけど……姉さんは何故か物凄く不思議そうな顔をして首を傾げていた。あれ、あたし何かおかしなこと言ったかな?


「あれ、あんた弟ちゃんから聞いてないの?」

「聞いてないって……何を?」


 あたしの答えを聞くと、姉さんは「あちゃー」という顔をしながらボリボリと頭をかき……しばしの沈黙の後、ようやく切り出した。


「あの兄弟ね、私達と本当によく似てるんだけど……一つだけ決定的に違う部分があったのよ」

「決定的に違う部分……?」


 はて、弟さんとの会話ではそんなものは感じなかったけど……一体なんだろう?


「あの二人もね、大学生の時くらいから私達と同じような理由で異性関係に悩んでたんだって。でもね、社会人になって二人暮らしを始めてから、自分達がとんでもない勘違いをしてたことに気付いたらしいの」

「勘違いって……何に気付いたの?」

「……うーんとね。あの二人は、思春期の時は確かに女の子が恋愛対象だったんだけど……大人になってからふと気付いちゃったのよ、『自分達の恋愛感情は性別を問わない』って」

「――えっ」


 ――あまりにも……予想外の言葉が……出てきた。


「一応、女の子もだから、同性愛者ホモセクシャルじゃなくて両性愛者バイセクシャルってやつなんだろうね。でも今は女の子より男の方がいいんだって! しかもそれに気付いたきっかけがね、二人暮らしを始めてしばらくしてから、部屋でふざけていちゃついてる時に――」

「ストップ! ごめん、ちょっとそれ以上はあんまり聞きたくない!」


 ――姉さんの言葉を遮りながらも、私はもう理解してしまっていた。

 つまりあのイケメン兄弟は、その、兄弟でしまった結果、自分達本来の性的指向に気付いた、と……?

 ちょっと……知りたく……無かった……。


「でも、あのお兄さん、よく姉さんにカミングアウトしたね? 最近はLGBT? とかよく聞くようになったけど、それでも兄弟でってのはちょっとアレでしょう?」

「ああ、それね。それはね、簡単なことだよワトソンくん。お兄さんね、私達も同類だと思っていたみたい」

「……はい?」

「うん、だから私とあんたも、そういう関係だと思ったみたいよ?」

「……うげー」


 確かに、あたしと姉さんは仲が良いほうだろう。お互いにボディタッチも多い。そういう冗談を言われたこともある。

 でもそれは姉妹として当たり前のスキンシップであって――。


「――なんならさ、本当になってみる? そういうカンケイに」

「え……?」


 気付くと、姉さんがあたしの顎を指でクイッと手前に引いていた。すぐ近くに、姉さんのやけに赤い唇が見える。

 呆気にとられたあたしは指一本動かせない。あたしのその様子を見てとった姉さんは、満足げな微笑みを浮かべるとゆっくりと顔を近づけてきて――。


「なーんて! 冗談冗談。大丈夫だよ、私はそっちのケないから」

「……ちょ、ちょっと姉さん!!」

「ワ~逃げろ~!」


 ぱっと指を離すと、姉さんはいたずらがバレた少年のような笑顔を浮かべながら、一足先にあたし達の済むマンションの方へと駆けていった。

 あたしはそれを、ちょっと怒りながら追う。

 大人になってから幾度と無く繰り返している光景だ。でも――。


『本当にやめてよね……姉さん。ちょっとその気になっちゃったじゃない!』


 あたしは初めて感じた胸の高鳴りを必死に抑えていた。

 危ない危ない。禁断の扉を開くところだった――。

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とある姉妹の狂想曲 澤田慎梧 @sumigoro

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