対立

「幸村様、ただいま戻りました」

「ご苦労でした、佐助」

「軍議のことは残念でしたね」

「……天井裏にいたんですか」

「ええ、忍ですから」

 後藤又兵衛のことを調べに行っていた真田家の忍、佐助は、先日の軍議の時にはもう戻ってきていたらしい。手渡された報告書に、真田幸村はざっと目を通した。

「ふうん、三木城攻めのあと、黒田官兵衛のもとへ……」

 昌幸の策に自分と全く同じ改良を提案したあの軍才は、そこで培われたのだろう。

 朝鮮出兵や関ヶ原など、めざましい戦績が目につく。

「黒田を出奔した理由は不明……ですか」

「はい。黒田長政との喧嘩別れではないかという推測の声は聞こえてきましたが」

「出る杭は打たれるといいます。黒田長政は後藤殿の優秀さが逆に疎ましかったのかもしれませんね。報告、確かに受け取りました」

 佐助の報告書を文机の上の兵法書に挟み、代わりに机に広げられていた紙を手にとった。

「丁度よかった。今、新たな策が練り上がったところです。大助も呼んでください」

 側近と息子に向き合って座った幸村は、二人の前に図形のようなものの書かれた紙を広げた。

「城の南側に、出丸を作ります」

 その紙は、出丸の設計図だった。出丸とは城から張り出した場所に、堀などで仕切って作る防御用の施設のことである。

「大助、私の狙いが分かりますか。秘密は地図にありますよ」

 もう一枚の紙──大坂城周辺の絵図を広げ、大助に問う。

「……佐助、助言」

 こてんと首を傾げたまま固まってしまった大助に、幸村はため息をつきながら助け船を出した。

「大助様、よくご覧ください。大坂城は北に淀川、東に大和川、西は海と、天然の堀に守られていますね?」

 優しい声音で答えを促す。佐助の指が城の南側へ移動した時、大助は父の意図に気づいた。

「わかりました! ゆいいつ平野しかない南に出丸をきずけば、鉄壁の防備がかんせいするんですね!」

「その通りです、よくできました」

 幸村は満足そうに微笑み、息子の頭を撫でた。

「佐助、木材の準備を」

「幸村様、修理殿に話を通さねばならないでしょう」

 佐助がそう制すと、幸村はため息をつき、嫌々といった様子で立ち上がった。

「そうでした。あまり顔を合わせたくありませんけど、行ってきますか」


「城の南側に出丸を作る」

「と、いいますと?」

 主である後藤又兵衛の宣言に、長澤九郎兵衛は首を傾げて説明を乞うた。彼はまだ若い。戦のことは勉強中だ。

 又兵衛は床に大坂城とその周辺が描かれた地図を広げると、淀川、大和川、大坂湾の順に指さした。

「この城は、北、東、西は川や海に守られているが、南にはそれがない。これほど明確な弱点なら敵も分かっているから、必ず南から攻めてくる。それを迎え討つんだ」

「さすが又兵衛殿です! さっそく修理殿に普請の許可を取ってきます」

「待て、九郎兵衛。これは大事なことだから俺が自分で言ってくる」


 幸村が大野治長の部屋に入ろうと、襖に手をかけた瞬間。同じように伸びてきた、筋の浮いた大きな手に触れた。視線を上に向けると、又兵衛の顔がある。

「おや」

「ん」

 二人は同時に襖から手を離した。

「あんたも、修理の奴に策を伝えにきたのか」

「ええ。後藤殿もですか」

 気まずい雰囲気を変えようと、又兵衛が会話を切り出す。

「城の南側に出丸を作ろうと思ってな。普請の許可を取りに来た」

「はあ?」

 途端に、幸村の言葉が怒気を帯びる。彼がここまで露骨に苛つきを露わにしたのは、大坂城に来てから初めてのことだった。

「あそこには私が出丸を作るんですけど」

「はああ? あんた、修理に許可もらったのかよ」

「まだですけど」

「じゃあ、あそこがあんたの場所だとはまだ決まってないじゃねえか」

「大体、貴方は南側を守ることの重要性が分かっているのですか」

「当たり前だろ、あそこは――」

 そのまま、出口の見えない罵り合いに発展した。お互い一歩も譲る気はない。そんな中、幸村が後気を強めて叫んだ。

「私は豊臣家のために、必勝の策を実現できる出丸を作るんです。死ぬために来たような貴方に、あの要所は任せられません!」

 そう言われて、又兵衛は言葉に詰まった。幸村の言葉が少し――いや、かなり、意外だったのだ。

 この戦に勝てる見込みなどない。数で圧倒的に不利なうえ、まだ勝機のあった、討って出る案は淀殿に退けられてしまった。ただ、そんなことは元々死ぬために来た又兵衛には関係ない。出丸のことだって、活躍してから死んでやろうという気持ちで考えたものだ。先日の発言は方便で、てっきり幸村もそうなのだと思っていた。でも違う。

 真田幸村という男は、まだ本気で、豊臣家を勝利に導こうとしていたのだ。豊臣家の恩義に、本気で報いようとしていた。

 一瞬ためらったものの、すぐに気を取り直して口を開こうとする又兵衛。すると、部屋の襖が勢いよく開いた。開ききった襖の縁が壁に当たり、鋭い音をたてる。

「なにを、人の部屋の前で喧嘩しておるか。 外でやれ!」

 部屋から出てきた治長は額に青筋を浮かべている。普段はぼそぼそとした小さな声なのに、この時だけは大坂中に響き渡りそうな大声で幸村と又兵衛を怒鳴りつけた。

 普段おとなしい者が急に怒ると、非常に恐ろしい。勝気な幸村も又兵衛も、治長の剣幕には魂を抜かれたように黙ってしまった。

「お主らが騒ぐから、牢人どもが集まってきたであろうが!」

 二人とも言い合いに夢中で気がつかなかったが、周りには牢人たちがなにごとかと群がっていた。

「話は全て聞こえておった。二人とも、同じ理由で同じ場所に、出丸を作りたいというのだな」

 治長は、いつもの声量に戻して話しはじめる。

「左衛門佐と又兵衛、どちらに南側を任せるか、次の軍議で決めることにする。そもそも出丸を作ってよいかは、御方様が決めることだ」

「あの女に戦のことが分かるかよ。また反対されて終わりだ」

「口を慎め、又兵衛。……だがその通りだな。城の南側に出丸を作るのは儂も賛成だ。許しをいただけるよう、御方様を説得しておく」

「仕方ありませんね……軍議を待ちますか」

 はあ、とわざとらしくため息をつくと、幸村は踵を返した。一度立ち止まってふりかえり、敵意に満ちた目で又兵衛を睨む。

「南側は必ず私がいただきます」

 それだけ言い残すと、足早に自分の部屋へ帰っていった。集まっていた牢人たちも散っていく。

「左衛門佐殿が出丸を?」

「城から離れて外と連絡を取りやすくする気か? やはり東軍の兄と内通しているのか」

「左衛門佐はいまいち信用できん」

「又兵衛殿がやってくれたほうが、我らも安心して戦えるというもの」

 そんな会話が、又兵衛の耳にも届く。何故だか分からないが、無性に腹が立った。


 後日。又兵衛は治長の部屋にいた。部屋の主に、秘密裏に呼び出されたのである。

「又兵衛、出丸のことだが、お主が引き受けてくれぬか」

 又兵衛はいぶかしむように眉を動かした。

「今度の軍議で決めるんじゃなかったのかよ」

「お主と左衛門佐が対立している噂は城中に広まっておる。その中でも優勢なのはやはり『真田は信用ならない』という意見なのだ。出丸という口実で城から離れ、徳川と連携を取ろうとしているのだ、と考える者が多くいる」

 治長は表情を変えぬまま答える。

「左衛門佐が南を勝ち取ってしまったら、城内の空気は悪くなるだろう。そこでだ、又兵衛。南側はお主が使え。儂が御方様に便宜を図る」

 つまりは、先に又兵衛を淀殿に推薦しておいて、さも軍議で決めるように見せかけるということだ。城内の空気が云々と言っているが、治長自身も幸村を疑っているのだろう。

 本当なら喜ばしいことだ。熱望していた城の南側が手に入る。そうすれば、派手に活躍することもできるだろう。それでも、又兵衛の心の中はもやもやしたもので埋めつくされていた。

「嫌だね」

 きっぱりと。腕を組み、軽く鼻を鳴らし、又兵衛は治長の提案を短い言葉で拒絶した。

「な、何故だ」

「真田は内通なんてする奴じゃねえよ」

 にやりと笑い、断言する。

「城の南側は真田に譲る」


 軍議の日。幸村は憂鬱だった。この数日、自分に不信を抱く声は嫌でも耳に入ってきたのだ。

(兄上に罪はありません。やはり私が無名なのがいけないのでしょう)

『お前は有名じゃないからなぁ……儂が行ければいいんだがなぁ……』

 死の床で、必勝の策を自分に託したあとに父がぼやいた台詞が、脳裏によみがえる。

 重たい足取りで大広間に入る。軍議が始まると、早速治長が切り出した。

「先日、後藤又兵衛と真田左衛門佐が同時に城の南側に出丸を作りたいと言ってきた。出丸を作ることは既に御方様から許可をいただいておる。あとは、どちらに南側を任せるか。今日はそれを決める予定だったが、その必要はなくなった」

 治長の発言に、牢人たちがざわめく。

(真田は信用できないから強制的に後藤殿に決定、というところでしょうか)

 心の中で自嘲気味に笑う。

「又兵衛が辞退したので、南側は左衛門佐の担当になった」

「……え?」

 全く予想していなかった言葉に、間抜けた声が漏れた。

「何でだ」

 後ろのほうで、塙団右衛門が叫ぶ。

「左衛門佐は徳川に内通してるんだろう」

 他の牢人たちも、そうだそうだ、と団右衛門につづく。

「又兵衛が積極的に左衛門佐に譲ったのだ。それならば文句あるまい」

 団右衛門の言葉をさえぎり、治長が高らかに宣言した。

 又兵衛は黒田家にいた頃の武勇が知れ渡っている。その又兵衛が任せたとあらば、いくら幸村が無名でも怪しくても、とりあえず納得する。治長の狙い通り、牢人たちはその一言で静かになった。

「てめえ修理、なんでそんなことまで言うんだよ」

 しかし代わりに、当の又兵衛が立ち上がって怒鳴った。

「後藤殿、何故ですか?」

 幸村が見上げてくる。その表情は、本気で分からない、と訴えていた。

「俺には、あんたが内通するとは思えないんだよ」

 ぶっきらぼうにそう言うと、乱暴に腰を下ろす。

「だからせいぜい活躍して、それを証明してやれ、真田」

 そう言って、にやりと笑う。

 目を見開いていた幸村はゆっくりとうつむいた。大きなため息をひとつ落とす。勢いよく顔をあげると、又兵衛に向き直った。

「私が大坂城に来たとき真っ先に突っかかって来たのは貴方だった癖にどういう風の吹きまわしですか? まあ譲ってくださるのならありがたく頂戴しますが。貴方よりも私のほうが良い策を練られるに決まっていますし当然ですけどね」

 早口でまくしたて、ふんっ、と鼻で笑う。

「なんであんたはそういう言い方しかできねえんだ」

 幸村の不遜な態度に、又兵衛が声を荒げる。

「本当のことしか言ってませんけどお?」

 そのまま口喧嘩をはじめてしまった二人に、治長は頭を抱えた。しかし、幸村の様子がいつもと違うことに、気づいた者がいる。

「なあなあ」

 盛親と全登が肩を叩かれてふりかえると、勝永が面白い玩具を見つけた子供のような顔で笑っていた。

「幸村の耳、見てみろよ」

 二人が勝永の指さすほうに視線を向けると、幸村の耳は赤く変色していた。

「もしかして、照れている、のでしょうか?」

「信用されて悪い気のする人はおりますまい。それにしても、真田殿は照れ隠しが不得手とみえる」

「あれじゃ、俺たちを欺いて内通するなんでできなさそうだな」

 わざと大きい声で発された勝永の言葉は、口喧嘩に夢中な幸村本人の耳には届かない。しかし、後ろに並んだ牢人たちはそれを受けて少し考えを改めたようだった。


「期待しておるぞ、左衛門佐」

「ありがたきお言葉です」

 軍議終了後、幸村には秀頼や修理の署名が入った普請許可証が与えられた。

 許可証を受け取った幸村が大広間を出ると、廊下で五人衆と木村重成が待ち受けていた。

「よかったな、幸村。普請のときはおれたちも協力するぜ!」

「神の加護ですね」

 勝永が肩を叩いて激励してくれた。全登は十字架を掲げている。

「幸村殿、この前の軍議のあと、某はあなたを疑ってしまいました。申し訳ありませんでした」

「いいのですよ。わざわざ謝ってくださるなんて、盛親殿は誠実な方ですね」

 大きな身体を縮こまらせて頭を下げる盛親に、にこりと笑って答える。

 又兵衛の巨体も視界に入っていたが、決して目を合わせないようにしていた。身長差があるので、難しいことではない。目の前で盛大に取り乱してしまったあとで、どんな顔をしていいのか分からなかった。

「あ、あの、左衛門佐殿」

 五人衆の後ろから、重成が幸村の前に歩み出た。何事かと五人の視線が重成に集まる。

「先日の討って出る策、此度の出丸、どちらも見事な策でした。どうか、わたくしにも軍略をご教示ください」

 顔を真っ赤にして、俯きがちになりながら弟子入り志願する重成の様子は、その容貌も相まって、意中の殿方に告白する乙女のようだ。幸村は暫く、じっと重成の顔を見上げて思案していた。

「将として無名な私にそこまで言ってくださってありがとうございます、長門守殿。ですが私はこれから出丸の普請に追われ、忙しい身となります。とても貴方に軍略をお教えする時間はとれないかと」

 やっと口を開いた幸村がにこと笑ってそう言うと、重成はしゅんと肩を落とした。

「ですから代わりに、彼に教えを乞うてはいかがでしょう」

 幸村は腕を伸ばすと──又兵衛を掌で示した。急に話の中心に引っ張ってこられた又兵衛は、驚いて幸村のほうを見る。

「先の野戦策でも改良を加えてくださいましたし、出丸を作ろうという考えも私と全く同じでした。それに、私と違って実戦経験が豊富です。師と仰ぐならこちらが適任かと」

「真田っ、なに勝手なこと言ってやがる」

 にこにこしながらすらすらと推薦文句を述べる幸村に、又兵衛が慌てて口を挟む。

「私に出丸を譲ってくださったんですから、お手隙でしょう?」

 表情一つ変えず返されてしまい、何も反論できなくなってしまう。

「というわけで、若い者の勉強意欲に付き合ってやってください」

 重成の身体を又兵衛のほうにぎゅう、と押しつけると、幸村は跳ねるように廊下の向こうへ去っていった。

「それでは私はこれで。木材の工面など、修理殿と相談することも沢山ありますので」

 ひらひらと手を振って、捨て台詞を吐きながら。

「ま、又兵衛殿。よろしくおねがい致します!」

 直角に腰を折って礼をする重成を、又兵衛はげんなりとした表情で見下ろす。

「あいつ……」

 ──文字通り、俺に押しつけやがった。

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敗者たちの夢 ぺぺろんちーの @pepe_1019

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