軍議

 最初の軍議が近づいた頃、真田幸村、後藤又兵衛、毛利勝永、長宗我部盛親、明石全登の大坂五人衆は、全登の部屋に集まって秀頼に披露する策をまとめることにした。牢人たちにも策を募ったが、五人に一任するということだった。

 部屋の隅に鎮座する聖母像が、輪になって座る五人を見つめる。

「此度の軍議で秀頼様に申し上げる策ですが……私に任せていただけませんか」

 そう切り出した幸村に、又兵衛はあからさまに嫌そうな声で異を唱えた。

「あんたは何様だ」

「幸村殿、皆で話し合って決めるのではなかったんですか?」

 盛親も怪訝な顔をする。

「まあ、そういきりたたずに」

 大げさに「どうどう」と馬を宥めるような仕草をする幸村。その態度が又兵衛の神経を逆なでしていることに気づいていないのか、あるいは分かっていてわざとやっているのか。

「この策は、父が、豊臣と徳川の間に戦が起こった際に使うようにと遺したものです」

 その台詞に、五人を取り囲む空気がひきしまった。

 真田幸村の、父親の策。つまりは、徳川の軍勢を二度も撃退した、真田昌幸の策。

 愚策なわけがなかった。

「ど、どんな策なんだ?」

 勝永の声が期待に震える。幸村はにっこりと笑みを浮かべると、懐から紙の束を取りだした。


 幸村の持ってきた昌幸の策を使うことで五人衆は合意し、その旨を淀殿の乳兄弟で豊臣家中で大きな権力を持つ、大野修理治長おおのしゅりはるながに伝えに行くことになった。軍議は主に治長の進行するらしいので、話を円滑に進めるためだ。

「まとめた策は左衛門佐が説明するのだな。よかろう」

 治長は線が細く目つきの悪い、神経質そうな男だ。

「ええ。私の考えた策が基礎になっており、それを皆で改良しましたので」

 実際は昌幸が考えたものをほぼそのまま使うだけだか。豊臣家の信用を勝ち取り牢人たちへの心象をよくするため、報告に多少の嘘を混ぜておく。

「修理殿、お取り込み中でございますか」

 襖が少しだけ開き、青年がおずおずと顔を覗かせた。大きな瞳と桜色の唇が印象的で、可憐な少女のようだ。身につけているものは上等で、身分の高さをうかがわせる。

「長門か。構わん、入れ」

 長門、と呼ばれた青年は上品な仕草で襖を閉めて部屋に入ると、治長に書状を差し出した。

「兵糧の現在の蓄えと、今後の調達の計画にございます。ご確認を」

「うむ」

 治長が眉間に皺を寄せて書状に目を通しはじめると、手持ち無沙汰になった長門は五人衆のほうを向いた。

「貴方たちは……牢人の代表者の皆様でございますね!」

 長門は目をきらきらと輝かせる。

「皆様のことは修理殿から聞き及んでおります。皆様、若輩たるわたくしでも、一度は聞いたことがある名だたる方ばかりで……申し遅れました。私は木村長門守重成きむらながとのかみしげなり。秀頼様の乳兄弟で、側近く使えております者。私も秀頼様も武人としては未熟なれば、皆様のお力添えを賜りたく存じます」

 長門--重成は、はきはきと自己紹介をし、花のような笑顔を見せる。その表情には、五人への尊敬の念が満ち満ちていた。

「長門、牢人どもにそのような丁寧な態度は必要ない。我らは豊臣家の家臣。そやつらを統べる側だ」

 書状から顔を上げた治長がそんな風に重成を諌める。又兵衛が小さな声で「いいご身分で」と呟いた。重成は眉尻を下げて不満そうにするが、反論はしなかった。


 軍議の日がやってきた。軍議の場となる大広間は、かつて秀吉が関白として客人に謁見していた場所だ。上座には、当代の関白――秀頼が胸を張って座っている。

 若干二十三歳の秀頼は、精悍な顔つきの好青年だった。大柄な体格は、関白の威厳を感じさせる。

「本来、牢人であるお主らが秀頼様に謁見するなどありえないが、秀頼様が直接話を聞きたいとの仰せゆえ、謁見が許された。ありがたく思え」

 治長がそう切り出し、軍議がはじまった。

「では、左衛門佐。お主の策とやらを聞かせてもらおうか」

 牢人たちの先頭に並んだ五人衆の中から進み出た幸村は、秀頼の目の前に大坂城の絵図を広げた。

「まず、秀頼様には天王寺まで馬を進めていただきます。それにより兵たちの士気を上げ、京と大坂を繋ぐ山崎、大和路、徳川方の拠点となる伏見城を押さえ機内を制圧します。そうしたら、東から機内に入る経路の宇治、瀬田に兵を進め、この橋を落とし、徳川方を足止めします。そうしているうちに、豊臣方が有利と判断した西国の大名たちの中から寝返りが出るでしょう」

 駒を動かしながら、すらすらと策を述べる。

「このような野戦を展開し、味方を増やせば、豊臣家の勝利は確実です」

「ふむ……よいとは思うが、籠城では駄目なのか。この難攻不落の大坂城ならば、籠城で十分に勝機はあると思うが」

 そこで、初めて秀頼が口を開いた。まだあどけなさの残る声音だ。

「確かに大坂城は籠城すれば日ノ本一です。ですが、籠城というのは援軍が期待できるときの時間稼ぎにするものです。このような援軍が望めない戦では、敵方の寝返りを促したほうが、勝機があります」

「ふむ、なるほど」

 又兵衛は幸村の背中を見つめ、口の端を吊り上げる。


 ――あの安房守のせがれ、やはり只者ではなかった。

 幸村が五人衆に昌幸の策を伝えたときのことである。昌幸直筆の兵法書を片手に絵図の上で駒を動かす幸村の説明に、四人とも真剣に耳を傾けていた。一通り聞き終わったところで、又兵衛が口を開いた。

『だがよ、真田。ここの軍はこう動いたほうがいいんじゃないか?』

 やはり素晴らしい策だったが、一箇所だけ気になる点があった。そこで、又兵衛は真田昌幸に対しておこがましいかと思いつつ、指摘してみたのだ。絵図の上に指をすべらせ、思いついた軍の進路を示した。

 すると、幸村は不思議そうに又兵衛の顔を覗きこんできた。

『驚きました。私も全く同じことを考えていたのです』

 幸村は嬉しそうに、絵図の上の駒を又兵衛が言った通りに動かした。

『これで……』

『完璧です』

 二人は顔を見合わせ、不敵な笑みを交わした。


 --この策ならば徳川を撃退できる。豊臣家の者たちも文句ないだろう--

「ならぬ」

 ぴしゃりと、女性の声が言い放った。大広間はしんと静まり返る。声の主は、秀頼の左斜め下に座る初老の女性――秀頼の実母、淀殿だった。

「しかし母上、左衛門佐の策は素晴らしいです」

 秀頼は困惑した様子で母親を見つめる。

「この堅牢な城があるのに、何故わざわざ危険な外に出なければならぬのじゃ」

 ――この婆、話聞いてなかったのか?

 又兵衛は内心激しく舌打ちした。

「御方様、先ほど申し上げた通り、籠城というのは――」

 語気にはわずかな苛立ちが含まれていたが、幸村はつとめて冷静に、秀頼にした説明を繰り返す。しかし淀殿は聞く耳を持たなかった。

「そんなことはどうでもよい。野戦などして、秀頼が怪我でもしたらどうしてくれるのじゃ」

 つまりは、我が子を傷つけたくないらしい。

「秀頼。討ってでるなど、母は許しませんよ」

 古今東西、息子は母親に頭が上がらないものだ。

「……分かりました。野戦は無しにします」

「そんな……!」

「そもそも」

 反論しようとした幸村を、淀殿が睨みつける。

「左衛門佐、そなたの実兄は徳川についておろう。そなたが兄を使って徳川に通じていないと、言い切れるのか」

 淀殿の言葉に、大広間がざわついた。

「そうだ。左衛門佐の兄は関ヶ原のときから徳川についている真田伊豆守信之じゃねえか」

 そう言ったのは、大きな声の牢人、ばん団右衛門だんえもん直之なおゆきだ。彼は秀吉のもとで七本槍として名を馳せた武士の一人、加藤嘉明の家臣だった。色々あって牢人になり、大坂城にやってきた。

「野戦を展開するのも、兄貴と連携を図るためか」

 そう呟いたのは治長の弟、大野おおの主馬しゅめ治房はるふさ。此度の戦において惣大将を任されており、兄ほどではないにしても豊臣家の有力者の一人だ。

 牢人たちの間に、幸村に対する疑惑の念が広がっていく。

「とにかく、そなたたちがなんと言おうとも、籠城以外は有り得ぬ。籠城で、徳川を追い払う策を考えよ」

 言い捨てると淀殿は立ち上がり、大広間をあとにした。

 淀殿が退室したあとの重い沈黙を破ったのは秀頼だ。心底申し訳なさそうに眉尻を下げている。

「みんな、母上がすまなかった。だが、母上の気持ちも分かるのだ。母上は幼き頃に両親を戦で失い、余を産む前、子供を一人亡くしておる」

 淀殿の父は織田信長に討たれ、母親は二人目の夫が秀吉との戦に敗れた際、運命を共にした。さらに、秀吉との第一子はわずか三歳で病死している。淀殿にはもう、秀頼しかいないのだ。

「だから、母上は余を失うのが何より怖いのだろう。すまぬが、母上が安心できる策を考えてやってはくれぬか」

「秀頼様、牢人どもに頭を下げるなど……!」

 治長は驚いて声をあげた。

「ともかく、御方様の意向だ。今回の策は反故とする。徳川の動向を探っているところなので、次の軍議は未定だ。策のある者は、各自私に伝えるように。解散!」

 牢人たちに向かって治長が言い放ち、一回目の軍議は終了した。


「又兵衛」

 勝永に肩を叩かれ、又兵衛は我に返った。淀殿に対するあまりの怒りに座ったまま黙り込んでいたらしい。気がつくと大広間にいた人はほとんどいなくなっており、勝永、盛親、全登が又兵衛を取り囲んでいた。

「真田、真田はどうした」

「幸村殿ならもう出ていかれましたぞ」

 全登が出口のほうを指差す。

「又兵衛殿、あの、幸村殿を信用してもいいのでしょうか? 彼は……」

 出口に駆けていこうとする又兵衛を背後から呼び止め、盛親がおずおずと問うた。勝永と全登もそれを受け、気まずそうにあらぬ方向に目をやる。

「それは自分で考えることだな」

 それだけ答えると、今度こそ大広間から出ていった。

 散り散りなっていく牢人たちの中から、又兵衛はなんとか小さい人影を見つけだす。

「真田」

 肩を掴むと、僅かに眉をひそめた不機嫌そうな顔がこちらを向いた。

「さっきのは、あんたのせいじゃないと思うぜ。策は完璧だった。だから」

「励ましなら要りません。あの策が間違っていないことは、私が一番分かっていますから」

 冷たく返されてしまった。最初こそいけ好かないと思ったが、先日の作戦会議のこともあって、又兵衛は幸村に歩み寄ろうと思いはじめていたのだが。相手には、そのつもりがさらさらないらしい。

 ぽたり。

 突然、板張りの床に水滴が落ちたような音がした。よく見ると、床に赤い液体が垂れている。

 ――血だ。

 出どころを捜すと、それが幸村の左拳であることが分かった。

「あんた、血が出てるぞ」

 左腕を掴んで患部を確認する。拳を握りしめすぎて、伸びた爪が掌に深く食い込んでいた。

「ちょっ……離してください。このくらい何でもありませんから」

 幸村は手を振りほどこうとしたが、己の腕をしっかり掴んだ又兵衛の手はびくともしない。

「何でもなくない。さらし巻いてやるからこっち来い」

 又兵衛は細い腕を掴んだまま、幸村を自室に引きずっていった。


「又兵衛どの、おかえりなさ……左衛門佐どの?」

 部屋で又兵衛の帰りを待っていた九郎兵衛は、主人が真田左衛門佐を連れて帰ってきたことに驚いた。

「真田が怪我してな。九郎兵衛、さらしと、濡らした手ぬぐいを用意してくれ」

「は、はい」

「必要ないと言っているでしょう」

「いいから座ってろ」

 なおも帰ろうとする幸村を無理やり座らせ、九郎兵衛が持ってきたさらしと手ぬぐいを受け取る。

「真田の者に、こいつがここにいると伝えてきてくれ」

「わかりました」

 九郎兵衛を行かせると、又兵衛は強引に幸村の手をとって、手当をはじめた。

「やっぱり悔しかったんじゃねえか」

 爪と掌の血を丁寧に拭ってやりながら、にやにやと笑う。

「悔しくないわけありません。あれは病床の父が、最期に私に託してくれた策だったんです」

 手当てをされることが屈辱なのか、本音を暴かれたのが気に入らないのか。幸村は先ほどよりもさらに不機嫌そうに言った。

「……あんたの兄貴が徳川にいるってのは、本当なのか」

 おもむろに、又兵衛が尋ねる。

「それは本当のことです。兄は家康の養女を娶っていますから、関ヶ原の時から私や父と離れて徳川についています」

 しゅるしゅると手にさらしが巻かれていき、幸村はくすぐったそうに身をよじった。

「ですが、私が兄を介して徳川と内通するなんてことは有り得ません。私は秀吉様にとても良くしていただいた恩を返すためにここにいるのです。家康の間者になど、なるものですか」

「そうかい、殊勝なことだな」

 又兵衛は、からからと揶揄するように笑う。

「貴方は違うのですか。何のためにこの大坂城にやってきたのです」

 その態度に腹が立ったのか、むっとした様子の幸村が問うた。

「決まってるだろ。死ぬためさ」

 なんてことない、といった様子で、又兵衛はそう返す。

「黒田家を出奔してから、元の主――黒田長政が邪魔してきて、他の大名家にもいられなくなった。今の俺は、武士として生きていくことが許されない」

 他の大名家に根回しをして、相手を仕官できなくする。奉公構ほうこうがまえと呼ばれるものだ。

「武士として生きられないなら、武士として死ぬしかない。その機会も、この戦が最後だろうな」

 又兵衛の視線は、既に死を見据えているように見えた。

 さらしを巻き終わると、短刀で爪を切る。

「そこまでしなくても……」

「こんなに伸ばしてるから手に刺さるんだろ。そっちの手も出せ」

 彼が満足するまでは離してもらえないだろうと判断し、しぶしぶ右手を出す。そちらの掌にもくっきりと爪の跡がついていた。

「しかし、ちとまずいかもしれんな」

 懐紙の上に切った爪を落としながら、又兵衛が呟く。

「あの女、戦のことなんぞなにも分からん癖に口出ししやがって」

 淀殿のことだ。関白の母という彼女の地位は絶大だった。彼女の意向で、どんな決定事項も覆る。まさに鶴の一声だ。

「あそこまで強情な方とは思いませんでした」

 幸村もため息をついて同意する。

「豊臣家の命運は尽きたかもな」

 又兵衛が諦めたように言うと、幸村は急に神妙な面持ちになった。

「後藤殿、真田家の家紋を知っていますか」

「あ? なんだ急に」

「真田家の家紋は六文銭です。六文銭は、三途の川の渡し賃を表している。つまり、いつでも死ぬ覚悟ができているということです。ですが、死に急ぐという意味ではありません。最期の時まで、死を恐れず、諦めずに戦い抜く。その覚悟を、この家紋は表しているのです」

 又兵衛の目を見据え、不敵な笑みを浮かべる。

「だから私も、諦めずに次の策を練りますよ。御方様が反対するなら、納得していただくまで献策し続ければいい」

 又兵衛もそれを聞いて、にやりと笑った。

 全ての手の爪を切り終わり、懐紙を片づけていると、襖の向こうからはしゃぐような少年の声が二つ聞こえてきた。

「又兵衛どの、ただいま戻りました」

「父上、おけがは大丈夫ですか」

 九郎兵衛の後ろから現れたのは、九郎兵衛より少し背の低い少年だった。どことなく幸村に似た、愛らしい顔立ちをしている。

大助だいすけ

 幸村に大助、と呼ばれた少年は彼に駆け寄った。

「後藤殿、これは私の長男です」

「大助ともうします。父がおせわになりました」

 又兵衛のほうを向き、ぺこりと礼儀正しく頭を下げる。

「それでは後藤殿、また軍議で」

 幸村は軽く会釈をすると、大助を連れて部屋を出た。

「またね、大助」

「う、うん。九郎兵衛、またね」

 笑顔で手を振り合う少年たちを、大人二人は目を丸くして見つめていた。

「真田のせがれと気があったのか」

 真田親子が帰っていくと、又兵衛は己が小姓にそう問いかけた。

「はい。大助は僕より少し年下で、話しやすいです。ここには他に年の近い者はおりませんし」

 それを聞いて、又兵衛はずきり、と胸が痛むのを感じた。

 --そうだ、九郎兵衛はまだ子供だ。俺は平穏に暮らすはずの子供を、勝ち目のない戦に巻き込んでしまったんじゃないか。


「あの小姓と仲良くなったのですね、大助」

「はい。九郎兵衛はぼくより年上で、いろんなことを知っているんです。今まで友達がいなかったから、九郎兵衛とはなすのはとても楽しいです」

 無垢な笑顔でそう言ってくる息子の顔を、幸村は直視できなかった。

 --大助に友達がいないのは、九度山で生まれて、今まで外に出たことがなかったから。つまりは私のせいだ。あまつさえ今度は、死ぬかもしれない戦に巻き込まれて。哀れな子だ。

 二人は真田家にあてがわれた部屋に戻ってきた。

「大助、もう寝なさい。戦が本格化してくれば、ゆっくり眠れる保証はありません。寝られる時に寝ておくのです」

「はい。おやすみなさい、父上」

 大助が奥の部屋に消えると、幸村はさっそく文机に向かい、大坂城の絵図を広げる。

「さて、今度は私が一から策を考えなくては」

 考えごとをするときの癖で、左手を顎に添える。手に巻かれたさらしから、又兵衛の部屋の匂いがした。幸村は顔をしかめると、顎に添える手を右手に替えた。

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