五人衆結成

 豊臣秀頼は、なぜ牢人たちを全国から集めたのか。

 理由は単純だ。戦のためである。天下人となった徳川家康が、大坂城の豊臣家に宣戦布告をしてきたのだ。彼は己の天下を盤石にするため、かつての天下人、秀吉の血脈を完全に断とうと考えた。そこで、秀頼の行動に難癖をつけて大義名分を得ると、自分に従う大名たちの軍勢を引き連れて大坂へ進軍を開始した。

 秀頼はこれに対し、全国の武士たちに大坂城へ馳せ参じるよう求めた。しかし、大名たちは家康を敵にするのを恐れて誰も豊臣家に味方しなかったのだ。結果、大坂城に集まってきたのは、生活に困窮した牢人たちだけだった。

 牢人とは、どこの武家にも仕えていない武士である。つまり、職が無いということだ。その日を生きるのも精一杯の者も多かった。大坂城に来れば衣食住を得ることができるし、豊臣家が勝てば立身出世もありうる。

 そういうわけで、家康率いる日ノ本じゅうの大名たち対秀頼率いる牢人たちの、戦いの火蓋がこの大坂で切って落とされようとしていたのであった。


「なんであんなことしたんですか、又兵衛どの」

 後藤又兵衛とその家臣たちに充てがわれた大坂城の一室で、長澤九郎兵衛は主に苦言を呈していた。あんなこととは、先日、又兵衛が真田左衛門佐幸村に突っかかったことだ。

「あんな風に挑発するなんて。これから一緒に戦っていくのに、険悪になったらどうするんです」

 九郎兵衛が最初に幸村の話題を振ったときはどうでもよさそうだったのに、本人が現れた途端、又兵衛は幸村のもとに飛んでいってしまった。

「そんなに左衛門佐どのが気になりますか」

「気になる? そんなんじゃねえよ」

 己が小姓の問いに、又兵衛はにやりと笑って答える。

「生意気そうな表情つらしてやがるから、脅しつけてやったのさ。涼しい顔で言い返してくるとは。真田左衛門佐、面白い奴だ」

 くっく、と楽しそうに笑う主に、九郎兵衛はそれ以上なにも言えなかった。


佐助さすけ、いますか」

「ここに」

 誰もいない廊下でぴたりと立ち止まった幸村は、どこへともなく声をかけた。それに答え音もなく現れたのは、真田家に仕える忍、佐助だ。佐助は諜報活動を担う優秀な忍であると同時に、幸村の側近でもある。又兵衛と衝突したときも、彼は天井裏に潜んで主を見守っていたのだった。

「この間の男--なんといいましたか……そう、後藤殿。彼について調べなさい」

「承知。しかし、なにゆえにございますか」

 幸村は顎に指をあて、佐助の問いに対する答えを探しているようだった。しばらく考えると、黒目がちな瞳を細めて口を開いた。

「別に。あんな態度の大きい男は会ったことがありませんから、一体どんな人間なのか、少し興味があるだけです」

「左様でしたか」

 佐助は小さく笑うと、再び音もなく幸村の前から姿を消した。


「おや、貴方は掃部かもん殿ではありませんか」

「真田殿。よかった、来てくださったのですな」

 幸村は佐助が去ったあと、明石全登あかしてるずみ、通称掃部に出会った。全登は元々、豊臣政権で五大老として活躍した宇喜多秀家の家臣である。実は、九度山まではるばるやってきて、幸村に秀頼の意思を伝え参陣を乞うたのは、この全登であった。

「秀吉様の恩に報いるためですから」

「ともに徳川を討ち滅ぼし、天下を豊臣家の手に取り返しましょうぞ」

 そう言って、全登は胸に提げた十字架を掲げた。

「掃部殿は切支丹きりしたんでしたか」

「ええ。徳川家は基督きりすと教を禁止しており、多くの信者が苦しんでおります。秀頼様はこの戦に勝った暁には、切支丹を保護するとお約束くださいました。信者たちのためにも、負けるわけにはいきますまい」

「お互い、自らの望みのために精一杯戦いましょう」

 幸村がそう言って笑みを浮かべると、にわかに全登が顔を曇らせた。

「そのことなのですが――そう簡単にはいかぬようです。大坂城で力を持っているのは秀頼様やその母君――淀殿よどどのと、その二人に昔から仕えている家臣や女中たちで、我ら牢人は雇われているに過ぎませぬ。彼らの中には公家の出身者もたくさんいますし、武家の者もほとんど公家のようなものです。自尊心が高く、牢人を快く思わない者も多くおりましょう」

 これはある意味、秀吉が関白になるという形で天下を統一した弊害ともいえる。大坂城では公家のような生活様式が取り入れられ、公家の女中や使用人だった者が入り、質実剛健な武士の在り方から離れて久しかった。

「真田殿はあの安房守殿の御子息。きっとよい策をお持ちでしょうが、彼らが素直に聞き入れるでしょうか」

「それは困りましたね」

 せっかく危険な橋を渡って配流先から脱出してきたのに、思うように戦えないようなことになっては目もあてられない。幸村は顎に指をあてて考えこんだ。

「こういうのはどうでしょう。牢人衆の代表として、数人を選ぶのです。牢人衆の合意という形ならば、上にこちらの意見が通りやすいのでは」

 一人の意見より、大衆の総意だ。

「それならば、少しでも影響力のある者がいたほうがいいでしょうな。そういう意味では、真田殿は決定ですね。お父上とともに徳川の軍勢を二度も退けた実績があります」

「掃部殿にもお願いしたいです。宇喜多殿は豊臣家の中で重要な位置におりましたから、その元家臣ともなれば彼らも無視できないでしょう」

「恐れ入ります」

 二人は他にも協力してくれそうな有力な牢人をそれぞれ探すことにし、一刻後に全登の部屋に集合ということなった。

「しかし誰を誘ったものか……私は十四年間も世間から切り離された生活を送っていたので、情報が無いのです」

「いい方を存じております。元大名ですぞ」


 牢人とは基本的に、主家を持たない武士のことだが、例外がある。主家、つまり大名家でありながら牢人になってしまった者も、中にはいる。

 長宗我部盛親ちょうそかべもりちか

 土佐の大名で、一度は四国統一を果たした長宗我部元親の四男である。関ヶ原で西軍についたことで改易--所領を没収され、牢人になった。長宗我部家を再興できるかもしれないという一縷の望みに懸け、かつての家臣たちとともに大坂城にやってきたのだ。

「はあ……」

 そんな彼は、長宗我部家の部屋の中で一人盛大にため息をついていた。盛親は又兵衛と幸村の衝突を、たまたま目の当たりにしていたのだ。

「幸村殿と又兵衛殿--怖い人たちだったなあ」

 思い出し、ぷるりと身を震わせる。心根が優しく、大きな体に反して気の小さい男なのだ。

 彼らとは関わらないようにしよう。

 そう心に決めた盛親だったが、その決意はすぐに打ち砕かれることになる。

「長宗我部殿、おられますか」

「は、はい。今開けます」

 廊下のほうから呼ばれ、それに応じて盛親は襖を開けた。

「貴方が長宗我部盛親殿ですね。はじめまして、真田左衛門佐幸村です」

 襖の向こうには、関わるまいと決めたばかりの相手が、にこにこ笑って立っていたのだった。

 幸村はずかずかと盛親の部屋に入ると、床にどっかりと腰を下ろした。

「幸村殿……それがしになんの御用で?」

 ひきつった笑顔でなんとか声を発する。嫌な予感が胸の内を占拠していた。

「貴方に、牢人のまとめ役の一人になってもらいたいのです」

 幸村は、先ほど全登と話し合ったことを盛親に説明する。

「貴方は元大名ですし、影響力はかなり大きいと思います。いかがでしょうか」

 ずいっ、と身を乗り出し、盛親の目を見据える。

「……申し訳ありませんが」

「何故です」

 拒絶の言葉を言わせまいとするように、食い気味に問う。

「某は長宗我部家再興のためにここにいます。家臣たち全員の命運を背負っているのです。秀頼様や淀君に目をつけられるような悪目立ちはしたくありません」

 盛親がうつむきがちにしどろもどろ答えると、幸村は口元に浮かべた笑みをいっそう深めた。

「それならば尚更。まとめ役として大活躍すれば、土佐の一国くらい、気前よくくれるんじゃありませんか」

「そ、れは」

 戸惑いはあったが、幸村の言うことは尤もだと思えた。むしろ、目立たないように行動していては、活躍が認められず思うように恩賞をもらえないかもしれない。

「……分かりました。この長宗我部盛親、微力ながらご協力いたします」

 盛親の答えに、幸村はにっこりと笑った。


 全登の部屋には十字架の祭壇など、切支丹らしい調度が置かれ、ちょっとした教会のようになっていた。その祭壇の前には、部屋の主の他に二人の男が座っていた。そのうちの一人を、幸村は渋い顔で見下ろす。相手の男も苦々しげに、全登に苦言を呈す。

「明石……こいつがいるなんて聞いてないぞ」

 その男とは、幸村があまりいい印象を抱いていない、後藤又兵衛であった。

「おや、お二人はもうお知り合いでありましたか」

「そのような親しいものではありませんよ」

 幸村がやれやれ、といった調子で言う。

「あんた、早速出しゃばってるようだな」

「貴方こそ、目立ちたくて掃部殿の呼びかけに飛びついたんですかあ?」

「この野郎っ……!」

 火花を散らす二人を無視し、全登は幸村の後ろで大きな体を縮こませている男に話しかける。

「おお、盛親殿。ご承知いただけましたか」

「全登殿、お久しぶりです」

 盛親は幸村の後ろからひょこりと顔を覗かせ、全登に会釈をした。

 又兵衛と幸村はまだ睨み合っている。彼らが円満に顔を合わせる方法はないのだろうか。今にも又兵衛の手が出そうになったその時、その肩をぽんぽんと叩く者があった。もう一人の、細身だが筋肉質な男である。

「又兵衛、その辺にしておけ」

「毛利……」

「これから一緒に牢人たちをまとめていくんだろ。そのおれたちが仲間割れしてどうする」

 毛利、と呼ばれたその男の言うことは全くの正論だった。引っ込みがつかなかった又兵衛も、流石に頭を冷やす。

「貴方は?」

 幸村は見たことのない顔に首をかしげた。

「おれは毛利豊前守勝永もうりぶぜんのかみかつなが。よろしくな、幸村」

 勝永は元豊前の大名で、関ヶ原で改易されてからは長宗我部家のあとに土佐に入った山内家で過ごしていた。豊臣家の恩に報いるため、また、戦で活躍できる最後の機会だと思ったため、大坂に来たのだという。盛親同様に元大名ということで、全登は彼をまとめ役に誘ったのだった。

「それでは、みなさん。我ら牢人が精一杯戦うため、よろしくお願いしますよ」

 真田幸村。後藤又兵衛。毛利勝永。長宗我部盛親。明石全登。

 ここに、大坂牢人五人衆が誕生した。

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