敗者たちの夢

ぺぺろんちーの

序章

 努力は必ず報われるとは限らない。目標は必ず達成できるとは限らない。そんなことになったら、この乱世は天下人が乱立する更なる混沌となっていただろう。

 望みを叶えられる人間は、そうでない人間に比べると、遥かに少ない。

 では「そうでない人間」――目的を果たせなかった者は。

 戦に敗れた者は。天下を逃した者は。燃えさかる炎に包まれた城の中、自らの腹に刃を突き立てるしかなくなった者は。志半ばに終わってしまったと、なにも成さずに挫けてしまったと、後悔しながら生きるしかないのか。悔いを残して、未練を抱えて死ぬしかないのか。

 敗者が、失敗者が、自分の人生に誇りを持つには、どうすればいいのだろう。


 既に秋も深まった、慶長十九年の十月上旬。冷気の立ち込める大坂の中心に、日ノ本一の堅牢さを誇る大坂城がそびえていた。かつての天下人、豊臣秀吉の、栄華の証。しかし、天下が徳川家康の手に渡った関ヶ原の戦いから、既に十数年が経過している。豪奢で壮麗な造りは昔のままだが、今となっては、大坂城は豊臣家の権力が下火になってしまった悲壮感を漂わせていた。

 大坂城の廊下では、大勢の男たちが冷たい板張りの床に腰を下ろしていた。身体が薄汚れている者、身に着けている物がみすぼらしい者、言葉が粗野な者。ここにいる者たちは、どの家にも仕えていない武士――牢人だった。その牢人たちの中に、ひときわ体の大きい男がいる。

 後藤又兵衛基次ごとうまたべえもとつぐ

 豊臣秀吉の軍師、黒田官兵衛孝高とその息子長政に仕えていた武士だ。黒田家の主要な戦に多く出陣し、関ヶ原の戦いでも活躍した。しかし、主君長政との不仲が原因で八年前に黒田家を出奔し、牢人になった。あてもなく各地を彷徨っていたところ、秀吉の息子、豊臣秀頼から要請を受け、大坂城にやってきたのだ。

「又兵衛どの」

 少年の高い声に呼ばれ、振り返る。そこには又兵衛の小姓、長澤九郎兵衛ながさわくろべえが立っていた。

「どうした」

真田左衛門佐さなださえもんのすけどのが入城したそうです」

「左衛門佐? 真田は安房守あわのかみじゃなかったか」

 真田安房守昌幸まさゆきといえば、天正十三年と慶長五年の二度に渡り、信州の上田城で徳川の軍勢を退けた名将だ。

「安房守どのの次男だそうです。真田左衛門佐信繁のぶしげどの」

 聞かない名だ。父親があれだけ有名であるから、その影に隠れてしまっていたのだろう。

「みな、あの安房守の息子はどのような将か、と噂していますよ」

「へえ、そうかい」

 欠伸交じりに返事をする。その時、廊下の曲がり角から走ってきた牢人が大きい声で叫んだ。

「安房守のせがれがこっちに来るぞ」

 牢人たちの視線がそちらに集まる。又兵衛と九郎兵衛も反射的に目を向けた。軽い足音が聞こえてきて、真田左衛門佐が姿を現した。

 小柄な男だ。又兵衛の肩にも届かないだろう。年は四十二、三歳に見える。額には古い刀傷があった。その傷さえなければ完璧だと思うほどに、整った顔をしている。

「あれが安房守の次男か」

「その割には迫力がないな」

「あんまり大したことなさそうだ」

 皆がそれぞれ思ったことを言い合う中を、左衛門佐は聞こえていないかのように涼しげな顔で通り過ぎる。その足が、はたと止まった。

「あれ、又兵衛どの?」

 それまで自分の傍らにいた又兵衛が左衛門佐の目の前に立ちふさがっていることに気がついて、九郎兵衛は素っ頓狂な声をあげた。

「よう」

 又兵衛はまるで町で友人に出くわしたかのような挨拶を、初対面の左衛門佐に向かってする。そういう男なのだ。

「はい」

 不審そうに眉根を寄せた左衛門佐だったが、あまり気にしていないように短く答える。

「俺は後藤又兵衛基次。元黒田家家臣だ」

「それはそれは、はじめまして」

「あんた、真田安房守の息子なんだってな。安房守はどうした。一緒に来ていないのか」

「父なら死にました。三年前に」

「そうか」

 遠巻きに左衛門佐の様子を窺っていた牢人たちは、又兵衛の行動にざわつきはじめた。そんなことはお構いなしに、又兵衛は更に質問をぶつける。

「俺は真田左衛門佐信繁なんて名は初めて聞いた。あんたは今までどこで何をやってたんだ」

「関ヶ原の戦の後、父と一緒に流罪になったので、配流先の紀伊国九度山村で蟄居していました。秀頼様からのお招きで、村を脱出してきた次第です」

 真田親子は関ヶ原の際、豊臣方についた。そのため、他の豊臣方についた者たちの例に漏れず、徳川家から処罰を受けていた。

「ふーん」

 じろり、と目の前の小柄な男を睨む又兵衛。身長差のせいで、頭頂部と額の傷がよく見えた。

「今までろくな武功もない奴が、今更出しゃばって調子に乗るなよ。この戦で活躍するのは俺だ」

 六尺を超える大男に睨まれたにもかかわらず、左衛門佐は涼しげな態度を崩さない。口元には不敵な笑みすら浮かべている。

「そうですか。まあせいぜい私に手柄を横取りされないように頑張ってくださいね」

 ふふ、と笑いながら、又兵衛の挑発に挑発で返す。

 九郎兵衛は廊下の隅ではらはらしながら二人を見つめていた。左衛門佐と己が主はかなり相性が悪いと、いち早く察知したのだ。このままでは喧嘩になるかもしれない。そう思って、止めに入ろうと立ち上がった瞬間。

 又兵衛が、廊下じゅうに響き渡るような大声で笑いだした。予想外の展開に、九郎兵衛は棒立ちになったまま固まってしまう。

「言うじゃねえか」

 くっくっ、と笑う又兵衛に、左衛門佐も先ほどと同じ不敵な笑みを返す。

「それとですね」

「あん?」

「私の名は信繁ではありません。此度の戦に参加するにあたって、改名しました」

 左衛門佐は、又兵衛に相対しつつも、周りの牢人たちにも聞こえるように、よく通る声で堂々と名乗る。

「私は真田左衛門佐幸村ゆきむら。よろしくお願いします、後藤殿」

 そう言って、真田信繁――改め真田幸村は、にこりと笑ってみせたのだった。

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