夜を渡る船
里内和也
夜を渡る船
私は腰を下ろし、自室から持ってきたラジオを
『雲一つない、晴れた夜空が広がってます。みなさん、いかがお過ごしでしょうか? こんな日は、ゆっくり月を眺めていらっしゃる方もいるかもしれませんね』
スピーカーから流れる女性の声は、やや低めの落ち着いたトーンで、この静かな夜を少しも乱すことがない。ただ一つ、私の胸の奥にだけ、小さくさざ波が立った。
『はるか昔から多くの人に愛されている月には、別の呼び方がいくつかあります。例えば、「たま」の「うさぎ」と書いて「
月ではうさぎが
『他には、「月の船」なんていうのもあります。夜空を海に見立て、月はその
あれは船なのか。いったい、どこを目指して進んでいるんだろう。宝の眠る島か、まだ見ぬ異国か、それとも――愛しい人の元か。
『では……にぴったりな曲…おかけしましょう』
不意に雑音が混じり始めた。私はラジオを手に取り、アンテナをいっぱいまで伸ばした。本体の数倍もの長さにすらりと伸びたアンテナは、月明かりを受け止めて輝き、どこか釣り
夜空という海に釣り糸を垂れ、君の乗る船を引き寄せられたら。
そんなはかない願いを込めて、私はアンテナを天へ向ける。その先にあるのは――月の船。
『あなたにはもう、会えないと言ったはずですよ』
心臓が、とくんと一つ脈打った。
私という個人に、語りかけるはずがない。「あなた」ではなく、「みなさん」のはずだろう?
ラジオからはジャズのバラード曲が流れ始めた。何事もなかったかのように。
突き放されたなどと感じるのは、私の錯覚に過ぎない。そう己に言い聞かせても、胸がちくりと痛んだ。
私はアンテナを元の長さに縮めて、スイッチを切った。カチッという音が、夜空に響いた。
ラジオを片手に立ち上がり、庭に背を向けると、背後からの光で足元に影ができていることに気づいた。心が引き寄せられかけたが、もう振り返りはしなかった。
縁側から家の中へ、歩を進める。月の船は今もきっと、夜空を渡り続けている。
夜を渡る船 里内和也 @kazuyasatouchi
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