わたしのおきにいり

フカイ

掌編(読み切り)






 雨の降る月曜日。


 夫も子どもも出かけてしまった後、掃除も皿洗いも終わってしまってからは一体何をすればいいのだっけ、とよく判らなくなる。

 こういうときに悲しいことを考えると、とめどもなくほろほろと悲しい気持ちに捉われてしまうので、それは避けるべき。

 したがって、こういう日は薫り高い紅茶を丁寧に淹れてから、窓辺に座って美味しいものたちのことを考えることにする。

 足元に猫がいたり、犬がいたりするとよい。

 風のない、しずかな雨の日ならなおよい。





 白身魚の塩焼き。


 ふくふくとした身に箸を入れて、白い湯気が立ち上るのがよい。付け合わせに添えられた芽生姜はじかみの紅もきれい。ヒレに盛った飾り塩の白い結晶と、キツネ色にこげた皮のやさしいコントラスト。



 まあぼ豆腐。


 夏の暑いさかりに食べるのがよい。いくつかの香辛料のせいで、くちびるで辛い、口の中で辛い、喉で辛い、飲みこんだあと辛いと、辛さのいくつものバリエーションがあるのが楽しい。友だちと汗をぬぐいながら食べるとよい。豆腐の甘みが程よい避難場所になって、次の辛さに立ち向かえるのがよい。



 子牛のカツレツ。


 気取って「ウィーン風子牛のヒレ肉ヴィーナー・シュニッツェル」などと言ってみたりして。ビール瓶で肉をトントン叩くのがよい。ときどき身体がを起した際には、これを出してもらえると助かる。うれしい。質のよいラードで薄く揚げるのがいい。たっぷりの生野菜がいっしょだとよい。



 ムール貝のワイン蒸し。


 オランダを旅して覚えたこの料理。東京でもとっても美味しく出してくれる店を確保している。黒い貝殻とオレンジ色の身の鮮やかなコントラスト。だけど本当は身ではなく、そこから出るエキスでできたスープが美味。濃厚で、口から鼻へ抜けてゆく、芳醇な北海の味。パンをちぎって、そのスープに漬けて食べるのがよい。重めの赤ワインもまたよい。



 ぶどう。


 触ると指の指紋がつくような、鮮度のよいマスカットがよい。皮をむくと、果汁と甘い匂いが強く漂うのがよい。大振りな透けた緑色の身をお口にほおばり、お口の中がいっぱいになるのもよい。種のあたりの果肉が酸っぱいのもまたよい。



 焼きプリン。


 白い陶器のうつわのなかに入ったプリン。冷蔵庫から出して、常温のカラメルソースをかけて。そのカラメルをガスバーナーの青い炎でぶわんぶわんあぶるのがよい。カラメルがカリカリのパリパリになって、そこにおさじをつきたてて、カラメルの幕をやぶってやわらかなプリンに到達するのがよい。





 このようなお気に入りのものたちに囲まれている限り、わたしは元気にやっていける。

 夫のデキゴコロでのウワキも、子どものクラスの先生がどうしようもなく若く幼いのも、どれも鷹揚おうように受け止めよう。

 おなかが空いていては誰もよき人になれないのだ。

 皆、腹いっぱい食べなさい、と駅前の人並みに向かって、選挙カーの上から言ってみたいと、常々思っている。


 窓の外の雨はやんで、夕暮れのさわやかな夏空が広がっていれば、それに越したことはない。




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