鳥は還る

 これはレポートではない。ただ、私が残しておきたいと思った、ごく個人的な覚書きのようなものである。

 だれに見せるものでもない。しいていえば、未来の私へ残すためのものだ。

 それ故に、私は思考の流れるまま、ままにこれを書きつづる。



 パルカ山脈の北東、カンチュリンガ。茶褐色の大地が広がるかの地方では、かつて〈ツィ〉と呼ばれる鳥が飼われていたという。

 ツィは、背は青灰、くちばしの先がかがやくように赤く、遠目にはまるで火をくわえて飛ぶように見える、中型の鳥だ。彼らはその姿から火を護るといわれ、オスはつがいのメスがいる場所へ必ず戻る習性と、人に馴れやすい性質によって、山間に散る村落同士が連絡を取り合うために常用されてきた。

 ツィを使うのは主に火を運ぶ男たちである。山の民ガンチェ族の護り手。神聖な火を村々の炉に送りとどける、ほこり高い男たち。

 ペンバはそのうちのひとり、ヤマの息子だ。取材当時は、たしか十かそこらだったはずである。ヤクの乾いたフン――燃料となるそれを拾うのは子どもたちの仕事である――を集めるあい間に、人なつこく私にじゃれつきにきていたものだ。

 やさしい目をした少年だった。彼は、父親に習ったという英語を、たどたどしいながら操り、私と会話した。ヤマがあまり話したがらなかった鳥のことも、子どもである彼にわかる範囲でではあったが、話してくれたのだ。


 人に馴れたツィがいたのは、ペンバが五才になるころまで。誕生日から半月ほど経つまでだった。

 それまでペンバは、ヤマの腕にとまるつがいのツィに、ゴゾと呼ぶ干した木の実をよく与えていたという。

 ツィは成鳥を捕まえて馴らすのが通例だが、ガンチェの男たちは、幼いわが子をかわいがるような感覚で彼らをいつくしむ。キョトキョトと首を回すツィと、ゴゾを載せた手のひらを差しだすペンバを、ヤマはいつも目をほそめて笑って見たそうだ。

 しるし紐をほどき、最後のつがいを野に返したあと、ヤマがなにもない空をひとり見上げていたことも、ペンバから聞いた。

 ――我々はこれをどう受け止めていけば良いのか。

 私が答えることのできなかった問いを、ヤマはこの時もじっと考えていたのだろうか。ほこり高い男の内心は、想像するしかない。


 ワンルームのキッチンで、缶ビールとわずかなつまみだけを腹にしまった冷蔵庫が、ブツブツとうなった。シンク脇のコーヒーメーカーでは、日付が変わる前に保温したコーヒーが、煮詰まって泥水になりかけている。

 窓の外、群青に染まった道を、車が一台、東へと走り去っていった。モニター端のデジタル時計が、ちょうど数字を切り替える。〇五:〇〇。十月末の日本。日の出までは、一時間弱ある。

 私は今、自宅でPCモニターの光に照らされながらイスに腰かけ、一通の手紙を開いている。かつて取材に訪れた先、カンチュリンガから、気付で社に届いた国際郵便である。

 端のすれた封筒には、いくつもの中継を経てきたしるしに、複数のスタンプが押されてある。長い長い旅路は、ありのままの世界が決して狭くなったわけではないと訴えるようだ。

 Webでのやりとりが日常になった現在においても、時折こうしたアナログの手段で、遠く隔てられた土地から報せが舞いこむ。理由はさまざまだが、たいていは私のメールアドレスを知らないか、インターネット自体が普及していないせいだ。

 手元の手紙に関しては前者である。彼らは私個人の住所も、メールアドレスも知らない。

 差出人はヤマではなく、十五になったペンバだった。半年ほど前に、ふた月ほど英語学校で学び、つづり方を習得したのだという。

 近況を伝える彼の英文はたどたどしく、かつてを思い出させる。私は頬をゆるめ、心をはばたかせて、懐かしい記憶の景色をまなうらにたどる。

 昨秋、初めてペンバは火の納まるケースを背負い、私が歩いたのと同じルートを踏破したのだそうだ。

 やはり、リーダーはヤマだ。他にツェリン、テンジン、それから、若手のツァムジュー……。

 ハクパは既に一線を退いている。二年前の夏、シェルパとして働いていた折に事故に遭って、右の脚に後遺症が残ったのだという。

 代わりにメンバーとして加わったのが、ペンバよりも三つ年上のツァムジューという青年だ。たしか、ペンバの従兄にあたる。はきはきとした物言いのやんちゃな子どもだったと記憶しているが、あの性格は成長しても変わっていないだろうか。

 村は随分と変化したらしい。

 村の中までポンプで水をくみ上げる水道が敷かれ、谷川まで水を汲みに下りずとも済むようになった。

 畑の一角を潰して建った簡易診療所には、駐在する商社の者たちのために、数キロ離れた下の町から、月に一、二度、医師も上ってくる。

 衛星を使ったインターネットとともに、携帯電話が通じるようになったおかげで、無線機すらも過去のものとなったそうだ。

 便利になりました、とペンバは言う。

『ポンプ用に発電機動かすガソリン、高くて時々苦しい、ありますけど、村は豊かになった思います。便利になるの、ぼくたち、うれしいことです』

 でも、とペンバは続ける。

『村のひと、火にあまり強い尊敬、しなくなりました。ぼく、それすごく寂しいです。運び手、かなしい。だから』

 タキグチさん、と手紙は呼びかけた。

『鳥が、還ります』

『火をつなぐ鳥、ぼくたち、また飼います』

 失われるばかりの伝統に危機感を覚えた彼らは、村々と交渉し、火をとどける日程の調整にのみは鳥を――ツィを使うと取り決めたのだという。そのために、炉に火を入れることを、祭りとして観光化する計画も立てた。

『ヤマ、最初おこりました。火を運ぶ、見せものちがう。けど、いまはなっとくしてる。みな協力します』

 私はもう一度手紙を読み返した。

『鳥が、還ります』

『火をつなぐ鳥、ぼくたち、また飼います』

 文字がにじむのは、年のせいだろうか。なに、かまうものか。感傷が過ぎても、読んで笑うのは私だけだ。

 ガンチェ族の背骨アイデンティティ、一度は消えかけた火は、再びつながれてゆく。

 形を変え、やがて意味も変わるとしても、何かが残り、きっと、次へとつながれてゆくに違いないとペンバたちは信じて、選び取ったのだ。

 PCデスク脇のシェードを引きあげれば、先ぶれの旭光が窓越しにまぶしく目を射る。

 私は立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを取り出して、タブを引いた。押し込められていた気体が、鬱屈を吐きだして軽やかに逃れでる。

 乾杯――。

 遠き地に生きる民へ。若者たちへ。私が答えられなかった問いに、ひとつの答えを示したことへ、敬意を表そう。

 私はスケジュールを調整し、彼らの火を、火をつなぐ鳥を見に、かの地へ旅立とうと思う。この目で見、この足で地を踏みしめて、新たな記事レポートも書くつもりだ。

 鳥は、還る。

 還ってくる。

 混ざりあい、新たに生まれなおしながら。

 鳥は、

 ガンチェの火は、

 なん度でも還り続けるのだ。



  ― 了 ―



関連作品:『雨林に生きる人々』(同世界観・同主人公・別地域) https://kakuyomu.jp/works/1177354054887868135

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神々と生きる人々 若生竜夜 @kusfune

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