神々と生きる人々

若生竜夜

マイノリティ・レポート

 パルカ山脈の北東、カンチュリンガ。

 茶褐色の大地が広がるこの山岳地帯には、珍しい風習がある。ガンチェ族の火運びである。

 晩秋、聖地から採取した火を男たちが各村に配って回る。

 拳大の黒い鉱石が生むこの火は、ヤクの糞を燃やしたものよりもはるかに強い火力を持ち、氷点下に達する冬の間、家畜を襲うオオカミやトラ、リンクスなどの害獣や疫病を寄せ付けないと信じられている。

 記者は今回、神聖な火の運び手グループの一つであるヤマたちに混じり、行動を共にした。

 ここからは写真とメモを織り交ぜて、この特異な慣習と担い手である男たちの生活、記者の印象に残る光景を紹介していきたい。




 午前四時過ぎ。

 山頂に日が射しはじめる。

 山陰にある村はまだ薄暗い。

 起きだしてすぐにディ(※上写真に写る動物。毛の長い牛の仲間)の乳を搾り、鍋に汲んだ水を炉の火にかける。

 まっ黒な塊の磚茶だんちゃから目分量で茶葉を削り取り、湯に投げ込む。大ざっぱだ。

 沸きあがった茶は漉して岩塩とディのミルク、ディのバターを溶かして飲む。こってりとした癖のある味は最初飲みづらいが、慣れればそれなりにいける。

 ヤマ(※同上写真でディを追っている帽子の男性)たちはこれを赤ん坊のころから飲んでいるという。

 母親の乳を離れて最初に口にするのがこの“ジャ”(※現地の言葉でバター茶を差す)だ。活力の源さ、と濃い髭の中から白い歯をこぼして彼らは笑う。




 午前五時少し前。

 ヤマが出発を早めると言い、男たちの動きがにわかにあわただしくなる。

 今日はタイラクッペ峠を抜けた遠方の村に火を届ける予定だと聞く。車は使えない。徒歩での強行軍である。

 男たちは神聖な火が入ったケースを背負い、携帯食料が入った小袋と水筒を腰にくくりつける。

 記者の腰にもヤマの仲間が同じく水筒と小袋をくくりつけた。

(写真は水筒と小袋の中身。左から順に、竹製の水筒、染め織の小袋、岩塩、ヤクの干し肉。)




 午前五時過ぎ出発。

 見送りの者たちに手を振り返す。

 グループは、リーダーのヤマ、ツェリン、ハクパ、テンジン、それに記者を含めた全部で五名である。記者以外は皆四十代半ばのベテランだ。


 左手に川を見ながら進む。

 乾季(※十月~五月にかけて。当記事取材は十二月末の晩秋に行った)の今は流量も少なく、川底のかなりの部分が露出している。

 埃っぽい。

 穴だらけの荒れた砂利道を彼らは平然と歩いていく。

 この辺りの男たちは普段はシェルパとして働く者が多い。もちろんヤマたちもだ。健脚揃いである。

(二段目写真。登山家と並ぶシェルパたち。)

 記者も黙々と歩く。先だって数日をかけて高地に体を慣らしておいたのだが、それにもかかわらずやや空気が薄いように感じる。



 高木に咲く花が目に付いた。葉の緑とピンクの花弁が入り交じって美しい。

 もっと標高の低い町で夏前に咲いているのを見た覚えがあると言うと、ヤマたちからこの辺りでは秋に咲く花なのだと教えられた。

 記者はサクラだと思ったのだが、海抜四,〇〇〇メートル近くあるこんな高地に生えるものだろうか。

(右上写真。緑の葉と五弁の花の木。)




 午前八時。

 既に日差しがきつい。たとえ氷点下の気温に落ちる冬場であっても、ここでは帽子とサングラスが必須だ。

 崖に突き当たる直前で左に折れた道が川へ下る。

 川原づたいに移動。

 少ししてヤマが休憩だと言う。

 各々がケースを下ろして水と少量の岩塩、干し肉をしゃぶる間に、ツェリンが火が消えていないかケースをあらためてまわる。

 記者が水筒に補充中に、川下で用を足していたテンジンが即興で小用の歌を歌い出し、他の男たちから笑いが漏れる。

(写真。川原でしばしの休憩。日焼けした男たちの白目と歯の白さが際立つ。)



 十五分後出発。

 再び黙々と歩く。

 川から離れて上り坂に入る。




 午前十一時過ぎ。

 一つ目の村の側を通過中。子供たちにまつわりつかれる。

 村の背後にびっしりと作られた棚田が見える。

 全てソバ畑だという。

 十一月(※この地方では晩夏)には斜面をいちめんにソバの花が覆い、広がるピンクの絨毯が壮観だと聞く。

(写真は別の者によって十一月半ばに撮影されたもの。石積みの四角い家屋とその後ろに広がるピンクのソバが咲き乱れる畑の群。)

 村から離れるにつれて、また土と岩がほとんどの茶褐色の風景になる。



 離れた岩の上に灰褐色の影を見つけた。

 オオカミだ。

 距離にして一〇〇メートルほどか。

 こちらをうかがっている様子に緊張する。

 ハクパが記者の肩に手を置いて何事か口にした。訛りの強い彼の現地語がよくわからずに困っていると、ヤマが英語で通訳してくれる。

 火があれば彼が襲ってくることはない。無視しろ。

 皆平然としている。本当だろうか。

 記者はしばらくオオカミが気になりながら歩く。

 他に気を取られて眼を離した隙にオオカミの姿は消えた。




 午後一時近く。

 次の村に到着。休憩。

 村人たちからツァンパとモモの昼食をふるまわれる。

(写真が“ツァンパ“と“モモ”。“ツァンパ“はハダカムギを炒った粉をジャで練った団子。“モモ”はゆで餃子の一種で中に野菜とヤクの肉が入っている。)

 昼食中、ちょっとした問題が起きたと伝えられる。

 この先予定しているタイラクッペ峠中腹のルートが、落石により塞がっているという。

 相談の結果すぐに、さらに上を抜ける迂回ルートを取ると決まる。

 ヤマによれば、これでも順調だという。

 時には道中に思いがけない怪我をすることもある。

 昨秋は別の村へ向かうルートで難所越えの途中、命を落とす者が出た。

 無事に火を届けて生きて帰る。それだけのことが、ここでは思いのほか難しい場合がある。




 午後二時。

 村の人々にお礼を言って出発。

 またも黙々と砂利道を歩く。

 村の近くではどこでもそうだが、道の途中にぼたぼたとヤクの糞が落ちている。歩いていてそれを蹴飛ばしてしまうことはしょっちゅうある。もっとも、乾燥しているおかげで臭いはしない。

 タイラクッペ峠に入る。

 延々と続く上り道だ。

 途中、掲げられたルンタを見る。

(写真。“オボ”と呼ばれる石積みの塚と祈祷旗の一種“ルンタ”。“ルンタ”は風馬旗とも呼ばれ、風に乗る馬の絵が描かれている。)




 午後四時。

 峠頂で休憩。水と岩塩を取る。今度もツェリンが火が消えていないかケースをあらためてまわる。

 ヤマが指さす方角に目指す村が小さく見えた。

(上写真。タイラクッペ峠頂からの眺め。紺碧の空と茶褐色の山並みが広がる。写真右奥に小さく見えているのがヤマたちの目指す村。)

 記者は既に随分くたびれているが、彼らはさほどでもないようである。これが高山での暮らしに慣れた者の余裕か。

(下写真。まだまだ元気いっぱいの男たち。足元に置かれてあるのが大切な火の入ったケース。色とりどりの顔料で神々の種子字が全面にびっしりと描かれている。上部隅の二カ所にある小さな点は空気穴。)

 十分ほどで出発。

 今度はうねうねと下り道が続く。

 茶褐色一辺倒だった景色に遠く緑が混じりはじめる。




 午後六時をまわったあたりでようやく目的の村に到着。

 日が傾きかけていてもまだまだ明るい。

 火の受け渡しは一種の祭りらしい。着飾った村人たちから歓待を受ける。

 独特の節回しで神々への祈りと感謝の節が唱えられる。まるで僧の読経のようだ。

 ケースから取り出された神聖な火が、村の中央に据えられた特別な炉に入る。

(写真。神聖な火が燃える炉と着飾った村の人々。“チャン”と呼ばれるビールに似た酒がふるまわれている。)

 今夜は村に宿泊。復路は明日だ。

(下写真は宿泊させてもらった民家の居間。ガンチェ族の伝統的な家屋では、写真のように居間の壁いちめんに色鮮やかな宗教細密画が描かれる。)




 夜。

 火を届ける日程はどうやって決めているのかとヤマに尋ねた。

 毎年村ごとに縁起がいい日が変わるので、各村と連絡を取り合って決めていると返ってきた。

 昔は遠方の村と連絡を取るには、鳥を飛ばしていたという。

 ヤマが、今はこれが鳥のかわりさ、と傍らにあったひと抱えもある無線機の端を叩く。どこか感傷的に見えるのは記者の錯覚か。

 彼は記者に語った。急速な西洋化、グローバル化と呼ばれる波に飲みこまれて、好むと好まぬとにかかわらず自分たちの生活も変わらざるをえなくなっている。既に村人たちは鳥のかわりに無線機やラジオから情報を得るようになっており、伝統的なバター油の灯火もソーラーパネルで発電される電灯に取ってかわられた。希少な資源を探しにここまでやってくる多国籍企業の者たちが、来年には衛星を使ったテレビチャンネルの開設とインターネットの提供を始める計画もあるという。もはやこの流れは止まらないだろう。ガンチェ族の文化も火の運び手である男たちも、波に飲まれ消えつつある火だ。

(写真。ヤマと無線機。伝統的彩色壁と無骨な鉄と合成樹脂の塊とのミスマッチが物悲しい。)


 十年後はどうなっているか。

 ヤマは火を運ぶケースを振り返った。

 十年後。体力の衰えたヤマたちが火の運び手を退くころには、ガンチェ族の伝統や彼らが運び続けてきた神聖な火はまだ残っているだろうか。

 教えてくれ。あなた方はかつてこれをどう乗り越えてきたのか。我々はこれをどう受け止めていけば良いのか。

 ストレートに問いかける彼に、記者は答えることができなかった。




 この特異な風習がいつごろ始まったかは不明である。

 一説によれば、パルカ山脈の裾をまわり南西部から入った拝火教の一部と、土着の宗教が混ざり合って、現在見られるような形になったのではないかという。

 もっともこの学説は未だ確定したものではない。拝火教徒たちがまわってきたとされる南西部地域には、彼らの痕跡がほとんど見つからないことから、この説を是とするのならば現在発表されているものよりも強固な証拠を新たに発見する必要がある。

 しかし起源を解明する猶予もなく、年々西洋化、グローバル化されていく彼らの間で、火の運び手を担う者が減り続け、伝統がいまや途絶えかけていることは真実残念である。

 記者はここに紹介した写真とメモが、世界の人々に広く彼らの慣習を伝えるとともに、せめて未来に残る記録となるように祈りつつ記事を終えるばかりである。

(写真。消えゆく灯明の火。)


  写真・文:タキグチ ツネハル

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