いつもの天井、いつもの日常

澤田慎梧

いつもの天井、いつもの日常

 目が覚めると、そこには見慣れた天井があった。

 ――おはよう、僕の部屋の天井。今日は、いつもよりちょっとくすんだ白だね。気のせいかもしれないけど。


 眠気でまだダルい体を引きずるようにして、ベッドから降りる。

 目覚まし時計の針はまだ七時。十分に余裕のある時間だ。

 僕はゆっくりと制服に着替えると、部屋を出てリビングへと向かった。


 途中、妹の部屋のドアが半開きになっているのが見えたので、そっと中を伺うと……何やらアクロバティックな寝姿が目に飛び込んできた。

 妹は、床に膝をついたまま、ベッドにうつ伏せで倒れ込むようにして寝ていた。昨晩、ベッドに入る前に力尽きてそのまま寝てしまったのだろうか?

 風邪をひかないか少し心配だけど、まあいいか。妹だってもう子供じゃないんだ。放っておこう――。


「おはよう」


 リビングに入りながら朝の挨拶をしたけれども、誰の返事もない。

 父さんの姿も母さんの姿も見当たらなかった。もう二人とも、出かけてしまったのだろうか? やけに早いご出勤だな。

 妹が起きてくる気配もないし、仕方ない。朝ごはんは一人で済ませるか。


 何はともあれ、まずはお茶を淹れよう。

 カップに紅茶のティーバッグを入れて、テーブルの上の魔法瓶を手に取る――と、軽い。どうやら空らしい。今朝は誰もお湯を沸かさなかったのかな?

 仕方ないので「自分で沸かすか」とヤカンを手に取り、蛇口から水を注ごうとするが――おかしい。栓をいくら捻っても水が出てこない。

 断水の予定なんて、あったかな?


 どうやら本格的に水が出ないらしいので、お茶を諦める。

 何か冷蔵庫に入ってる飲み物を適当にもらってしまおう。そう考え、冷蔵庫の扉を開けてみると――なにかおかしい。

 そうだ、扉を開けたのに冷蔵室の明かりがつかない。それに冷蔵庫の中が全然涼しくない!

 年季の入った冷蔵庫だから、遂にご臨終かな? 等と思ってから気付いたけど、リビングも何やら薄暗い。よく見れば、照明は全部消えていて、リビングの中を照らしているのは窓から入ってくる陽の光だけだ。壁のスイッチをカチカチいじってみても、うんともすんとも言わない。

 断水だけじゃなく停電まで起こっているのだろうか? いや、もしかすると大規模停電が起こっていてポンプ場が動いてないのか……?


 テレビ……は点かない。当たり前か。何せ電気が止まっているのだ。

 こんな時こそスマホだ――とポケットから取り出してみたけれども、電池が切れているのか、うんともすんとも言わない。どうやら、ちゃんと充電できていなかったらしい。ということは、停電は大分前から起こっていたのかな?


「これ、外はどうなってるんだろう……?」


 なんだか、急に出かけるのが怖くなってきた。

 僕が寝ている間に何か大きな災害が起こって、街がめちゃくちゃになっているんじゃなかろうか?

 学校は休んだ方がいいんじゃないか? それとも、街中に出て様子を見た方がいいのか……?


 そんな事を考えながら首をめぐらしていると――リビングに掛けてある日めくりカレンダーが目に入った。日付は……日曜日! あれ、そもそも学校は休みじゃないか!

 それに気付いた途端、僕の中の「出かける」という選択肢はどんどんと頭の片隅の方に追いやられていった。

 ――うん、なんだか怖いから部屋に引きこもっていよう。

 父さんと母さんの姿が見えないのは気がかりだけど……二人ともいい大人なんだから、大丈夫だろう。


 無責任にもそう結論付けると、僕は一目散に部屋へと舞い戻った。

 途中、妹の部屋の中がちらりと見えたけど、相変わらずアクロバティックな姿勢のまま、まだ寝ているようだった。

 僕も大概だけど、妹には負けるかもな――そんなことを考えながら、ベッドに飛び込み布団にくるまる。

 そのまま二度寝しようと思ったけど、何故だか目はギンギンに冴えていて全く眠気がやってこない。


 仕方ない。漫画でも読んで時間を潰そうか――そう考えた時、玄関の方からドンドンと何かを叩く大きな音が聞こえてきた。

 なんだなんだと耳を澄ますと、どうやら誰かが玄関のドアを叩いているらしかった。誰だろう? 父さんや母さんなら、そんなことはしないだろうし……。


 ――ドンドン! ドンドン! ドンドン!


 音は全く止む気配がない。流石に様子を見に行った方がいいだろう。

 なるべく足音を立てないように部屋を抜け出し、玄関へと向かう。幸い、うちの玄関には覗き穴ドアスコープが付いているので、それで外の様子を窺えるはずだ。


『――さん! 開けてください!』


 玄関に近付くと、ドアを叩いている人間のものらしき声も聞こえてきた。うちの名字を呼んでいるが、そんなものは表札でも見れば分かるので全く当てにはならない。

 しかし――。


『――さん! 警察です! 開けてください』


 ――警察? 確かに今、警察って言ったよな?

 不審に思い、覗き穴から外の様子を窺うと……確かに、ドアを叩いているのは制服姿の警察官だった。それも複数いる。

 警察官以外にも誰かいないかと、更に目を凝らすと……見知った顔を発見した。

 警察官の後ろの方で心配そうな表情をして立っている私服の男――あれは、僕の担任の先生だ。


 ――なんで先生が警察と一緒に僕の家に来るんだろう? 皆目見当がつかない。

 まあ、警察官も本物のようだし、先生も一緒だし。これならドアを開けても構わない、かな?

 正直、外の様子がどうなっているのか知りたい気持ちもあるし。

 やっぱり何か災害が起きたのだろうか? それで、警察が救助に来たのかも。先生は僕が心配で様子を見に来てくれた、とか?

 ……あれ? でも災害の時に救助に来るのはレスキュー隊とか自衛隊だったっけ? うーん、まあ、どちらでもいいか。


 ――僕はそれ以上深く考えず、玄関の鍵を開けてしまった。

 それが、僕の「日常」に終止符を打つことを知らないまま……。



   ***


 ――以下、警察の発表資料より抜粋(■部は個人情報等を含む為、塗りつぶし済)。


 平成三十年■月■日、複数の通報により、市内に住む■■さん家族が一週間も会社や学校へ姿を見せていないことが判明。

 事件性ありと判断した地元警察が■■さん宅へ赴くと、通報者の一人である長男の担任教諭も様子を見に来ていた。「心配で来てしまった」とのこと。

 インターホンを押すが反応なし。仕方なしにドアを叩きながら呼びかけを続けると、宅内から長男が姿を現した。


 長男に招き入れられ、■■さん宅に踏み込んだ警察官達が見たものは、信じられない光景だった。

 ■■夫妻の遺体は寝室に放置されていた。遺体の状況から、死後一週間程度経過していたと見られている。

 死因は鈍器による頭部への打撲。寝ている間に殺害されたものと思われる。


 長女の遺体は自室で発見された。

 死因は同じく頭部への打撲。ただし、家のあちこちで長女の血痕が発見されており、傷を負った後に逃げ惑い、自室へ辿り着いたところで力尽きたものと推測される。


 夫妻及び長女を殺害したのが長男であることは諸々の状況証拠から明らか。

 だが、長男自身に、その詳細及び動機は今以って不明である。


 事件の半年ほど前、長男は体育の授業中に強く頭を打ち、救急搬送された。

 幸いにして命に別状はなかったものの、その日以降、長男は著しい記憶力の低下、つまり記憶障害に悩まされるようになったという。

 同時に判断力の低下も見受けられ、火の消し忘れやシャワーの止め忘れなどの行動が続いていた。その為、■■家では事故を防ぐ為に、度々ガスや水道の元栓を閉め、場合によっては電気のブレーカーも落としていた。


 その後、長男の症状は悪化。遂には、夜寝て朝起きると前日の出来事を全て忘れてしまうようになった。

 言わば、一日ごとに記憶のリセットが行われる状態である。

 長男は自力で日常生活を送ることも難しくなり、家族の介助が必要となった。

 そしてこの頃から、■■夫妻や長女、そして長男自身も会社や学校を休みがちになったという。

 事件が起こったのは、それから約二週間後と思われる。


 長男は現在も病院で治療を続けているが、記憶障害の進行が著しく回復の目処は立っていない――。

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