最終章

燃えよドワーフ

「ここで降ろしてください。ありがとうございます」


 ここまで彼を運んでくれた、旅の荷馬車のあるじに礼を言って、そのエルフは街道の路面に脚をつけた。土色の地味なローブに身を包んでいて、顔立ちはわからない。

 荷馬車のあるじは快活な笑みを浮かべ、


「いえいえ、亜人には親切にしろというのがこの辺りのならわしですからね。うちの祖先も、あの英雄ダー・ヤーケンウッフ様に助けられたという話ですので。まあ、困った時はお互い様ということですよ」


 くすり、とローブ姿のエルフは笑った。そのとき、雲間から顔を出したまばゆい陽光が、ローブの影から覗く、嫌味のない澄んだ笑みを浮かびあがらせた。その口許を見た荷馬車のあるじは何故か動揺し、顔を赤らめて荷馬車の馬に鞭をくれた。

 あっという間に遠くなる馬車の背を見送って、そのローブ姿のエルフはふう、と吐息をついた。さすがに久しぶりの長旅は身体にこたえる。 

 ここまでくれば、もうニーダの町は眼と鼻の先である。ここへくるのも久しぶりである。最後に来訪してから、実に五十年ほどの時間が流れただろうか。

 

 今年でニーダの町が拓かれて二百年目。ある節目の年である。

 ヴァルシパル王都の地下に封印されていたラートーニの像が失せ、地上までの通路に穴が開いていたというから、何が起こったかは明白である。そう、とうとう暗黒神ハーデラが復活する刻なのだ。その一報を携えて、彼はこの町にやってきた。

 市壁に到達し、彼は門衛のドワーフにパスを提示するよう求められた。そのドワーフはパスを返そうとして二度見し、さらにローブ姿のエルフをまじまじと見つめた。その黒い髭に覆われた口許が驚きに開かれている。


「失礼ですが、お顔を確認させてもらってよろしいですか?」


「ああ、これは失礼」


 そのエルフは目深にかぶったローブのフードを外した。とたんに流れおちる銀色の滝のような髪が陽光を反射し、艶やかに輝いた。

 その下で微笑する秀麗な美貌のもちぬしは、この町にいる誰もが識っている。


「こ、これは、生きた伝説リビング・レジェンドと呼ばれるエクセ=リアン様ではありませんか!」


 その声にふりむかぬ民などいない。あっという間に彼をとりかこむ人だかりが出来、握手を求めるもの、神像であるかのように拝むものなど、通行にかなりの混乱をきたした。彼が人ごみから開放されたのは、たっぷり半刻は経過してからである。


「申し訳ありません、つい大声を出して」


「いえ、これもまた運命でしょう」


 そう、彼は運命というものを信じるようになっていた。

 それだけ、これまで、いろいろなことがあったのだ。

 二百年前、ダーたちと一緒に町造りを開始してから、苦難のともなわない日などはなかった、といっていいだろう。

 町造りに協力したいと申し出た多数の冒険者たちとともに領内の開発に取り組んだダーたちは、巣食った魔物どもを駆逐し、樹木を伐採し、農地を開拓し――そうすることで徐々に亜人たちが集まりはじめた。そのなかでも特に、彼の記憶に残っているのが――


「こちらへどうぞ、ご領主のもとまで案内を務めさせていただきます」


 凛々しい声が、彼の思想を中断させた。その甲冑姿の女騎士の顔には、どことなく見覚えがある。もしかしてと前置きして、エクセは彼女の名を問うた。


「はい、私の名前はロアーテミス。スカーテミスの子孫にあたります」


 最初にこの町で結婚式を挙げたのが、スカーテミスとシュロークであった。それまでの苦労を吹き飛ばすように盛大に行われたこの結婚式のらんちき騒ぎを、エクセは昨日のことのように覚えている。彼らが年月とともに去っていっても、こうして血は残っていく。

 エルフは変わらない。それは良くも悪くも。彼らは見送る人であり、新しく産まれた生命を迎えるものでもある。この町の活況は、地底から沸きいずる清冽な泉のほとばしりにも似ている。若い女騎士はいきいきとした若鹿のような足取りでかれを先導する。


 彼は思索にふけらざるを得ない。この町には、あまりにも記憶の残滓が多すぎる。彼は常に見送る側であった。コニン、クロノトール、ルカ。いずれもすでにこの世の人ではない。

 ルカはセンテスの大司祭となり、この国の重鎮として活躍したが、齢70にして他界した。生涯、子供はつくらなかったと聞く。そして――

 城門の前で、ひとりのドワーフが彼を待ち構えていた。

 その勇ましき勇姿は、かつての親友を思い起こさせる。


「お久しぶりです。エクセ様。ここからは、私――コルダ・ヤーケンウッフが案内をつとめます」


「久しぶりです、コルダ。もうすっかり漢の顔になりましたね」


 そういわれて、ごつい顔を赤らめたコルダは、苦笑いとともにエクセの傍らに立った。城内の石階段を上る途中で、母の体調について問うと、


「もう二十年ほど前に、他界いたしました。いまや、わがニルフィン家の歴史について最も詳しい情報をお持ちなのは、エクセ様のみとなってしまいました……」


 ダーとコニンが結婚したのが、もう百と九十年前になる。ニルフィン家の血統を受け継ぐのが彼、コルダである。もっとも、先にダーと結婚したのがクロノトールであるから、彼は正統後継者ではないのだが。

 階段をぬけ、通路を渡り、謁見の間にたどりつくと、そこに重厚で硬質な石造りの椅子がある。そこに座っている男こそ――


「ようこそお越しくださいました。なぜもっと速く――というのは、私のわがままでしょうが」


「いえ、確かにここまで長い間離れることになるとは、私の予想外でした。申し訳ない、ご領主、サンダー・ヤーケンウッフ殿」


「そのように他人行儀な挨拶はやめませぬか。昔のようにサンダーとおよびください」


「ではサンダー、私がここに現れた理由は、見当がついていますね?」


「もちろんです。今年が200年の節目――ついに現れたのですね。奴が」


「そうです、私が何か力になることがあれば――」


「むろんです。この国最大の魔術師である貴方がいなければ何も始まらない。早速重臣たちを呼び集めて軍事会議を――と申したいですが――」


「ですが――?」


「墓参りに行って頂けませぬか。きっと父も、お喜びになると思います」




―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*―*



 エクセはついに怖れていた事態に遭遇するときがきた、と思った。

 千年の長き寿命を生きるエルフ族に対し、ドワーフ族の平均寿命は350歳ほど。そして最後に親友、ダー・ヤーケンウッフと会ったとき、彼はすでに350を越えていた。それからさらに50年もの歳月が経過した。彼は親友の最後に立ち会いたくはなかった。だから適当な理由をこしらえては、この町を遠く離れていたのだ。しかし、最後にはこういう日が来るのだ、とエクセは理解していた。


 サンダーと共に、立派な墓石の前に立った彼は、すっと片膝をつき、両眼を閉じて額に掌をあてた。エルフ式の冥福を祈る礼であった。そこには偉大なる伝説となったドワーフが眠っている。

 エクセ=リアンは、これまで彼と共に歩んだ旅の軌跡を思い返そうとして失敗した。あまりにも記憶の量が多すぎる。

 堰を切ってあふれ出ようとする記憶を止めるように、エクセはおもむろに立ち上がり、天を見上げたまま機械的な声でつぶやいた。


「サンダー。事態は風雲急を告げています。すでに新たなる魔王が選出され、フシャスークは再び戦乱の坩堝と化しているとか。新たなる魔王はきわめて残忍で、捕虜をとらず、捕まえた将兵を片っ端から処刑する残忍さ。すでに、かつての魔王、ヒエン・ササキよりも邪悪なる者として怖れられています。一刻も速く――」


「それはなんとしても斃さねばならぬな」


 おもむろに彼らの背後から、懐かしい声がかけられた。

 だが、そんなはずはない。彼が生きているわけがない。

 ドワーフの平均寿命をはるかに超えて生き永らえる事など、そんな奇跡があるわけが――


「驚いた顔をしておるな。なに、どうやら神を何度も身に宿したせいか、一向にワシの目の前に死神のやつめが現れぬのよ。どうやら、まだまだ神々はこの老体を酷使したいようじゃな」


 ふりかえったエクセの瞳に飛び込んできたものは、かつてとまったく変わらない親友の姿であった。髪も髭もすべて白くなったものの、その双眸に宿る猛々しいまでの炎は、一向に衰えることを知らぬようであった。エクセの両眼から、つうっと透明な雫がしたたり落ちた。


「何にしても、魔王の悪事などこのワシが居るかぎり決して許しておかぬ。さあ。エクセよ、旅の支度をしようではないか」


 そうだ。

 そのドワーフは怒っていた。

 鉄のように熱く、熱く燃えていた。

 



                  ――燃えよドワーフ。

  

                         了。

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燃えよドワーフ!(Enter the Dwarf) チャンスに賭けろ @kouchuu

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