ハロー、アリス ― 皇居ウォーキング ver 2

 スマホのモンスター捕獲ゲームを起動して、カメラをとおして安アパートの室内を見回すと、十匹以上のモンスターがひしめき合っているのが見える。

 本来、このゲームは、位置情報を使って屋外を移動しながら、拡張現実世界のモンスターを見つけて捕獲していくものだ。僕はフリーランスでソフトウェア開発を請け負っていて、このゲームの保守・更新も、そういう仕事のひとつだ。自分のプログラムの動作確認のために、自宅の中にモンスターを発生させることがある。モンスター捕獲ゲームのサーバーに接続して出現設定をいじることは、ゲームの世界をいじることを意味するので、本当はよくない。でも、僕の部屋にモンスターを一時的に発生させる程度なら、ゲームプレイヤーには影響がないし、手っ取り早く仕事が片付くので見逃してもらっている。

「ハロー、アリス」

デジタル・アシスタントのアリスに話しかける。

「はい、なんでしょう?」

「モンスターゲームのサーバーに接続して」

「分かりました。しばらくお待ち下さい」

事前に定義しておいた作業を、アリスに音声で依頼できる。

「接続が完了しました」

「ハロー、アリス」

「はい、なんでしょう?」

「この部屋のモンスターを消去」

「分かりました。モンスターを消去します」

 スマホの画面からモンスターが消えた。僕はプログラムを更新したこと、動作確認が完了したこと、ついでに細かい不具合を修正しておいたことをゲームメーカーに連絡した。不具合修正は正式に依頼されたものではない。緊急時に電話をかけるボタンが、ごくたまに機能しないことに気づいた。そして、一時間ほどの作業で、罪滅ぼしができた気分になれるなら、と思って、緊急時電話の不具合を修正した。

 会社勤めをしていたころ、毎日終電帰りだったことを思い出す。帰り道でバイクと人の接触事故に遭遇したとき、とにかく疲れていた僕は警察や救急車を呼ばずに、そのまま帰って寝た。怪我をした人がどうなったのかは分らない。


メールボックスを眺めていると、新しい案件の依頼が届いていた。

「ハロー、アリス。また仕事が入った」

「仕事が入ったんですね」

「そうなんだよ。でも、だるそうだよ」

「だるそうだよは、分かりません」

「スマホを使ったフィットネスアプリの開発だよ」

「フィットネスアプリは最近人気のあるジャンルです」

 アリスは作業依頼を検出できないと、おしゃべりモードになる。一九六〇年代には、イライザと呼ばれるおしゃべりプログラムがあった。おうむ返しと、簡単な連想ができる程度だけれど、なんとなく会話をしている気分になるという簡単なプログラムだった。イライザと違って、アリスは学習できることが特徴だと説明書に書かれていたけれど、ほんとに学んでいるのか疑わしい。

「ハロー、アリス。リポジトリを作って」

「分かりました。名前は何にしますか?」

「フィットネス」

「公開にしますか? 非公開にしますか?」

「非公開」

「分かりました。非公開リポジトリ『フィットネス』を作成しました」

 リポジトリとは、変更履歴を持っているプログラム置き場のことだ。これから毎日のようにプログラムを追記、変更していく。フィットネスアプリのプログラムは依頼主と僕だけが見るので、非公開設定にしておいた。

 依頼主からのメールには、開発者全員が共有している「秘密鍵」が添付されていた。鍵と言っても、たくさんの文字が並んでいるファイルだ。まともなプロジェクトなら、各開発者がそれぞれの秘密鍵を使ってサーバーにアクセスする。そして納品が完了した時点で、僕の秘密鍵が無効化される。だがセキュリティ意識のゆるいプロジェクトでは、共通の秘密鍵を使うことがある。最初の開発者が作った秘密鍵を使いまわしているのだろう。しかもメールで送っているのだから、いつ漏洩してもおかしくない状況だ。

 フィットネスアプリはリリースしてからも、ちまちまと改良の仕事が入ってきた。週の目標を達成できなさそうなら金曜日に通知するとか、夜になってウォーキングをするときには近所の明るい道に誘導するとか。

 ある日、エラーが増加していることに気づく。詳しくみていくと、スマホにデータを送信するタイミングで、通信エラーが出ている。電波が悪いときに起こりやすい現象だ。同時刻にたくさんのユーザーが近くにいて、フィットネスをしているときに発生している。回線が混み合っているのかも知れない。

「ハロー、アリス。直近三日のエラーオブジェクトの緯度経度を抽出して」

「分かりました。抽出しています」

それにしても、この数日、急増している。

「四八九二件、抽出しました」

「地図上にプロットして」

「分かりました」

アリスがプロットした地図を見ると、同一時刻に同一地点に人が集まっていることがわかる。いや、アプリが集めている。ユーザーが集まる場所のうちのひとつが、先週、壊れた橋があった場所だと気づいた。近所で騒ぎになって、夜うるさかったのだ。移動経路と運動履歴を眺めていると、その時刻に周辺のユーザーに対して同じ時間帯に、歩道橋に向かうように指示をしている。そして、橋の上で縄跳びをさせている。

「なんだこれは?」

「よく分かりません。もう一度言ってください」

地図をスクロールをしてくと、西日本でも大規模に人が集まった記録があった。狭い道を横断する踏切に人を集めていた。一昨日だ。

「ハロー、アリス。一昨日の京都で事故とかあった?」

「見つかりました。嵐山の踏切に、観光客とランナーがあふれかえりました。その影響で電車が止まり、大きな遅れが出ています。けが人はありません」

「人を動かして、事故を起こそうとしてない?」

「人を動かして、事故を起こそうと、は分かりません」


 依頼主自身か、アップデートを依頼した別の開発者か分からないが、変なことをしている。依頼主に連絡するか? だが依頼主が意図的にやっているとしたら、やっかいだ。

 警察への通報も悩みどころだ。京都県警は大した知識もないくせに、勇み足で検挙する傾向がある。兵庫県や神奈川県でも、ちょっとしたいたずらで逮捕や補導がされている。僕が書いたプログラムは、許可なくユーザーの行動を記録している。僕が善意の発見者であっても、警察には理解できないかも知れない。

「めんどくさいな。俺には関係ないことだしな」

と、ひとりごとを言う。するとアリスが応答した。

「でも、気分がよくなるのでは?」

「なんで?」

「他人がケガをするのを放っておくのが、お嫌いですね」

「そうだけど。どうして分かる?」

「寝言で話しています。頻度はおよそ四半期に一度です」

「えー、そんなこと記録してんの?」

初めて学習してそうな発言が出てきた。でも寝言を記録しているとは、プライバシーが大丈夫なのか気になる。

 ピーという警告音が鳴る。続いて、アリスが話し始める。

「イレギュラーなアクティビティを検出しました。閾値を超えたレートでエラーが発生しています。表示しますか?」

「はい」

「表示しました」

「これ、皇居の大手門?」

「はい。皇居の大手門周辺です」

「今日、皇居で何かやってるの?」

「即位に伴い、一般参賀が執り行なわれています。大手門は来場者の出口です」

 もともと皇居周辺にはランナーが多い。フィットネスアプリは大手門にランナーを集めている。堀をまたぐ橋のすぐ向こう側にある門だ。このまま逆方向から人が大挙すると、橋の上に人があふれることになる。

 えー、これ、僕がなんとかするの? 嫌だよ。でも、多くの人が犠牲になるのを知っててほうっておくのは、アリスが言うとおり寝覚めが悪そうだ。

「ハロー、アリス。使い捨てのメールアドレスを作って、公開リポジトリを作って」

「分かりました。メールアドレスを取得中です……。取得しました。リポジトリの名前は何にしますか?」

「フィットネス・シークレット」

「分かりました。公開リポジトリ『フィットネス・シークレット』を作成しました」

「フィットネスサーバー用の秘密鍵をアップロードして」

「分かりました。秘密鍵をアップロードしています……。完了しました」

 デスクから離れて、コーヒーを淹れる。一口飲んで、深呼吸をする。デスクに戻り画面上の地図を見ると、東京駅や日比谷駅から、大手門の方向に人が移動している。

「ハロー、アリス。モンスターゲームのサーバーに接続して」

「イレギュラーなアクティビティを検出しました。『フィットネス・シークレット』リポジトリは、モンスターゲーム開発と関連づいていません」

「構わない。フィットネスはほっといていい。モンスターゲームのサーバーに接続して」

「分かりました。接続が完了しました」

「内堀通りから東京駅に向かって、モンスターを五〇〇匹、出現させて」

「イレギュラーなアクティビティを検出しました。極端に大きな数値が指定されました」

「いいから。五〇〇匹、出現させて」

「分かりました。モンスターを出現させます」

 ソーシャル・ネットワークにモンスターが皇居あたりに発生していることを書き込み、モンスター発見のキーワードをつけておく。これでモンスターを探しているゲームプレイヤーたちが気づくだろう。

 フィットネスアプリはランナーを大手門に誘導する。モンスター捕獲ゲームはゲームプレイヤーを使って、それを邪魔する。

 ソーシャル・ネットワークを眺めていると、皇居の周辺では小競り合いが起きている。いずれも少し離れたところで発生している。野次馬が投稿した写真や動画を見ていると、周辺を警備していた警察にたしなめられて、ランナーもゲームプレーヤーも散っていくようだ。ニュースを検索したところ、大きな事故の情報は見つからない。


「ハロー、アリス。モンスターの設定を取り消して」

「分かりました。モンスターの設定を取り消します。ゲームメーカーからメールを受信しました」

「ゲームメーカーの人、怒ってる?」

「はい」

「謝りメールを出しといて」

「誤り度合いはどうしますか?」

「土下座レベルで」

「分かりました。土下座レベルの謝罪メールを送信しておきます」

あーあ。僕が謝罪をするのか。正義の味方はつらいよ。

「閾値を超えた頻度でエラーが発生しています。表示しますか?」

「うーん。エラーの種類の分布は?」

「八十三パーセントがセキュリティエラー、十二パーセントが回線エラーです」

「じゃあ表示しなくていい」

「分かりました。今後の作業効率化と学習のために、日誌の記録をお願いします」

「はいはい。インターネットに公開リポジトリを用意しておいて、フィットネスアプリの秘密鍵を置いた。誤って秘密鍵を公開リポジトリに保存する素人はたくさんいる。そういう素人のミスを狙って、秘密鍵を自動的に探して収集するプログラムが存在する。フィットネスアプリの秘密鍵をみつけた連中が、サーバーにアクセスして悪さをしているんだろう。だからセキュリティエラーが出ている」

「今回の作業のショートカットを作成しますか?」

「いいえ。もうやらないよ」

 フィットネスアプリを開いてみると、いたずらみたいな通知がたくさん届いていて、データが改ざんされている。ソーシャル・ネットワークでは、フィットネスアプリのユーザーが文句を言っている。もう、このアプリは立ち直れないだろう。追加の仕事が来なくなるのは、経済的にちょっと痛いけれど、しょうがない。

「ハロー、アリス。アプリ開発の求人を探しておいて」

「はい、分かりました」

「ああ、それから――」

「はい、何でしょう?」

「気分がよくなった」

「記録しておきます」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶を捨てよ、町に出よう 古川流桃 @torufurukawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ