皇居ウォーキング

 スマホのモンスター捕獲ゲームを起動する。位置情報を使って、実際に移動しながら、拡張現実世界のモンスターを見つけて、捕獲するゲームアプリだ。今、このワンルームをスマホのカメラを通して眺めると、たくさんのモンスターがうろついている。ベッドから、のそのそと上半身だけ起こして、モンスターを捕獲する。ひととおりやって、モンスター大漁の自慢をソーシャル・ネットワークに投稿する。

 枕元に置いたノートパソコンを開き、モンスターゲームのサーバーに接続する。さっき自室にモンスターがたくさん現れたのは、サーバーに侵入して、データを操作したからだ。ほとんどの侵入者はユーザーの個人情報を盗み出すのが目的で、防衛側も、そちらに注力している。だからモンスターの出現データをちょっと、いじるくらいなら、監視も甘い。モンスター出現位置の設定をもとに戻し、侵入した痕跡を消して、サーバーから切断する。

 さっきソーシャル・ネットワークに、モンスター自慢を投稿したけれど、誰も反応しない。何人かフォロワーがいるけれど、やりとりをすることはない。キーワードを検索するだけだ。人とつながっているというよりは、話題につながっている。スマホを置いて、寝返りをうつと、視線の先に玄関のドアが見えるが、あのドアを開けることはめったにない。通販からの配達は宅配ボックスに入れてもらって、夜になってから取りに行く。ときどき、そのついでにコンビニに買い物に行く。深夜なら、人と会うことはほとんどないし、コンビニの店員も人格がないかのように、淡々と会計をしてくれる。


 会社勤めを辞めてからは、ソフトウェア開発の仕事を請け負って、食いつないでいる。最近は、スマホを使ったフィットネスアプリの開発プロジェクトに入った。俺はスマホから送られたデータを記録したり、スマホにデータを送ったりする部分を担当した。いわゆるサーバー側の開発だ。そのフィットネスアプリはリリースしてからも、ちまちまと改良の仕事が入ってきた。毎週の目標を達成できなさそうだったら、金曜日の昼頃に通知するとか、夜になってウォーキングをするときには近所の明るい道に誘導するとか。

 そういう細かい変更を重ねると、不具合が出てくるものだ。本来ならメンテナンス費用をを支払ってもらって対応するべきだろう。けれど、修正作業よりも、見積りや交渉をするのに時間がかかることも多い。だから軽微な修正なら、黙ってやってしまったほうが早いこともある。不具合があることを、ことさら責め立てる依頼主だったらなおさらだ。

 まともな依頼主なら、依頼主と俺がそれぞれ別の「秘密鍵」と呼ばれるファイルを使うことを要求してくる。秘密鍵とは、サーバーにアクセスするときのパスワードのようなものだ。そして納品が完了した時点で、俺の秘密鍵を無効にする。だが、秘密鍵のコンセプトが分からない依頼主には、俺が共通の秘密鍵を作ることがある。フィットネスアプリもそうだ。だから俺の手元に、依頼主の秘密鍵があって、これを使ってサーバーにアクセスしている。おそらく他の開発者とも共有しているのだろう。いつ、漏洩してもおかしくない状況だ。

 この間も、ちょっとした不具合があること分かった。エラーを記録するサービスから通知が飛んできたので分かったのだ。依頼主に相談するのも面倒だったので、秘密鍵でアクセスして修正しておいた。そして、疲れたらモンスター捕獲アプリでストレス発散をしている。


 フィットネスアプリは順調に人気が出ているようだ。だが、連動して、エラーも増えている。詳しくみていくと、スマホにデータを送信しようとして、通信が途絶えてエラーが出ている。電波が悪いときなんかに出やすい現象だ。同時刻にたくさんのユーザーが近くにいて、フィットネスをしているときに発生している。回線が混み合っているのだろう。

 ユーザーが集まる場所のうちのひとつが、先週、壊れた橋があった場所だと気づいた。近所で騒ぎになって、夜うるさかったのだ。移動経路と運動履歴を眺めていると、その時刻に周辺のユーザーに対して同じ時間帯に、歩道橋に向かうように指示をしている。そして、橋の上で縄跳びをさせている。

――なんだこれは。

西日本でも大規模に人が集まった記録があった。狭い道を横断する踏切に人を集めていた。一昨日だ。ニュースを検索すると、京都の嵐山にある踏切に、観光客とランナーがあふれかえって、電車が止まり、大きな遅れが出ていた。こっちはけが人は出ていない。

――人を動かして、事故を起こそうとしている。


 依頼主自身か、アップデートを依頼した別の開発者か分からないが、変なことをしている。依頼主に連絡するか? だが依頼主が意図的にやっているとしたら、やっかいだ。

 警察への通報も悩みどころだ。京都県警は大した知識もないくせに、勇み足で検挙する傾向がある。兵庫県警は、ちょっとしたいたずらをした中学生を補導している。俺が書いたプログラムは、許可なくユーザーの行動を記録している。俺は善意の発見者だけれど、警察はアテにできない。

 俺の通報が受け入れられたとしても、依頼主が俺のせいだとか言い始めたら、さらにやっかいだ。

 めんどくさいな。俺には関係ないことだ。この建物が爆破されるわけでもないし。モンスター捕獲アプリで遊ぼう。

 ノートパソコンを開く。さっきまで見ていたエラー記録の画面が開いたままだ。そして、今、まさに大量のエラーが表示され始めた。

 エラー位置を地図にプロットすると、皇居にユーザーを集めている。もともと皇居周辺にはランナーやウォーカーが多い。けれど、一箇所に集めている。地図と見比べたところ、大手門にユーザーを集めている。堀をまたぐ橋のすぐ向こう側にある門だ。ソーシャル・ネットワークで「皇居」を検索する。重い。画像をアップロードしている人が多いからだ。

――まあ、俺には関係ないことだ。

画像が表示される。それが、新天皇の最初の一般参賀の行列だと分かる。続いて一般参賀で検索。大手門は来場者の退出口になっている。逆向きに移動する人が集まったら衝突するだろう。しかも大手門のすぐ前は、橋だ。

――俺には関係ない。できることなんてない。

モンスター捕獲ゲームをやろう。コーヒーをいれて、気持ちを落ち着かせる。自分の部屋にモンスターを発生させよう。ゲームのサーバーに侵入し、この部屋の緯度と経度を設定する。あとは遊ぶだけだ。

――俺には関係ない。でも……。

モンスターを、大手門と東京駅の間に発生させるように設定した。それから、内堀通りに添わせてモンスターを配置した。いずれも外部から大手門に至る経路だ。ソーシャル・ネットワークにモンスターが皇居に発生していることを書き込み、モンスター発見のキーワードを付けておく。これで検索したゲーマーが気づくだろう。

 フィットネスアプリはランナーを大手門に誘導する。モンスター捕獲アプリはゲーマーを使って、それを邪魔している。周辺で混乱は起きるだろう。軽い衝突もあるだろう。でも、一箇所に集中しなければ惨事を避けられるはずだ。

――俺には関係ない。でも、できることがあった。


 皇居近くの日比谷公園の中にある茶廊に入った。こんな明るいうちに外出したの久しぶりだ。来る途中、スマホでニュースを見ていたので、周りに人がいることが気にならなかった。皇居の周辺では小競り合いが起きていたらしいが、いずれも少し離れたところで発生していて、周辺を警備していた警察にたしなめられて、ランナーもゲーマーも散っていった。

 金ももらわずに、正義を味方を続けるは嫌だな。でも、放って置くのも嫌だな。

 カバンからノートパソコン取り出す。プログラムを共有するサイトに、ダミーのアカウントをひとつ作る。足がつかないように使い捨てのメールアドレスを使った。フィットネスアプリのサーバーに接続するための秘密鍵を、公開する。

 共有サイトに誤って秘密鍵を保存してしまう素人はたくさんいる。その秘密鍵を自動的に探して収集するプログラムが存在する。そのうち誰かが見つけるだろう。

 しばらくするとエラーが増えてきた。秘密鍵を使ってサーバーへのアクセスして、良からぬことをしている連中が増えているのだろう。フィットネスアプリを開いてみると、いたずらみたいな通知がたくさん届いているし、フィットネスデータも改ざんされている。ソーシャル・ネットワークでは、フィットネスアプリのユーザーが文句を言っている。もう、このアプリは立ち直れないだろう。

 俺のささやかな活動で、身の回りがちょっとよくなった。フィットネスアプリの追加の仕事が来なくなるのは、ちょっと痛いけれど、ちょっとは社会とつながっているということが分かった。

 さて。モンスター捕獲ゲームを起動すると、周辺にモンスターが残っていることが分かる。東京駅に歩きながら、一匹ずつ狩っていこう。

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