四パーセントのメトロノーム
五月一日は休日出勤して、社内システムの日付の欄が、新しい元号で表示されることを確認した。きれいで使いやすい画面を見ていると気分がいい。
テレビを見ていると、改元と新紙幣のどさくさに紛れて、廃案になったはずのサマータイム導入が復活し、六月一日から始まることになった、アナウンサーが言っている。
僕の勤め先は、農家から野菜を集めて、夜の間に地域のコンビニや商店に配達する、小さな商売をしている。僕は日々の野菜の紹介や、ブログをもつウェブサイトの作成するために雇われた。けど、たかだか数十人の会社だ。社内のちょっとした自動化なんかもやっている。
サマータイム導入が大変だということを、社長に相談したら、時計を一時間進めるだけだろうと、面倒臭そうに言われた。
夜中に時計を一時間進めるということは、配達に使える時間が一時間短くなるということだ。それから、三時間ごとの売上レポートが、そのときだけ二時間の集計になって、おかしくなるということだ。それらすべての変更を一ヶ月で解決できるとは思えない。
「大変だろうけど、やってくれよ。残業代だすからさ」
「僕にはできないですよ。バックエンドのプログラマーが要りますよ」
「バックエンドって何だよ」
やれやれ、またこの説明をするのか。
この間、何月何日ににんじんを仕入れて、それがいくつ売れた、みたいな情報を登録して、グラフ表示する画面を僕が作った。そういう人間が見る画面の部分をフロントエンドという。視覚的なデザインと、パソコンやスマホでプログラムを動かす技術が必要とされる領域だ。
一方で、画面で登録した情報をデータベースに登録したり、検索したり、集計したりする分野をバックエンドと呼ぶ。データ構造や、大型のコンピュータでプログラムを動かす技術が必要とされる領域になる。
フロントエンドは目に見えるけど、バックエンドは目に見えない。僕はフロントエンドが専門で、この分野にこそ価値があると思っている。目に見えないものなんて、結局のところ、雑用なんだから。それに最近は、バックエンドをいちから作るのではなくて、できあいのバックエンドをレンタルすることだってできる。完全にコモディティ化しているのだ。フロントエンドのエンジニア ― 僕のことだ ― だけで、この会社のシステムが回るのも、そのおかげだ。
「じゃあサマータイムも、それでいいじゃないか」
「それがですね。サマータイム対応なんて、会社ごとに違うから、自前でバックエンドを作らないといけないんです」
「で、それはお前にはできない、ってことか」
サマータイムの対応は一時的な仕事だから、フルタイムのバックエンド・エンジニアを雇うことを、社長は躊躇した。けれど対応は必要だから、短期のバイトを雇うことにした。僕がバイトでもできるだろうと言ったからだ。
エンジニアの先輩として僕も面接に参加した。応募してくるのは、いかにもプログラマーという、垢抜けない連中ばかりだった。たいていメガネ、ネルシャツ、だぼだぼのジーンズだ。バックエンドの細かい技術のことばっかり話してて、彼らがサマータイム対応ができるのか分からなかった。それでも早いところ採用しないといけない。
「御社のシステムは、社外のどんなシステムとつながっていますか?」
と、気の弱そうな応募者が質問した。
「つながってないよ」
「メール配信はどうしてますか?」
「あー、それはグーグルのメールサービスとつなげている」
「他には?」
細かいことで面倒だったけれど、これくらいなら僕にも答えられる。いくつか使っている外部サービスを挙げた。
「では、他社の、たとえば顧客や取引先のシステムと通信したりしないんですね?」
「そんなのはないよ」
「分かりました。では、対応できると思います」
そいつはバイトのくせに、初日にわざわざスーツを着て出社してきた。めったに着ない上に、実家の押し入れにでも保管してあったのか、いまどき樟脳の匂いがしみついていた。
バイト君はコンピューターに向かって、毎日、何かやっている。でも僕にはバックエンドのプログラミングというのが、どういうものか、よく分からない。データが更新されたり、処理が動いているだけで具体的に何が起こっているのか、ぱっと見て分からないのだ。しかも、サマータイムが実施されるまで、確認もできない。でも、分からないと白状するのはかっこ悪いので、僕は分かったふりをしていた。
しばらくすると、バイト君は頼まれもしないのに、勤怠管理用のタイムカードアプリをいじっていた。おかげで、仕事を取られたと思った人事の同期が、僕に文句を言った。さらに、配送管理システムに変更を加えて、トラックの運転手に出発時刻通知をするようにしていた。
従業員やドライバーの労働時間が正確に記録され、かれらの残業代に未払いがあることが分かった。社長は怒って、僕に詰め寄ってきた。バイト君が勝手にやりましたと伝えると、社長はバイト君をクビにした。
バックエンドのエンジニアは、変な奴が多いのかも知れない。バイト君はコンピューターを使って、余計なことをしているだけだった。サマータイムに関しては、人の手で、丁寧にやっていくしかないのだ。僕は起こりそうなトラブルをリストアップして、対応マニュアルを作り始めた。
サマータイム開始の前日、タイムカードがずれているという報告があった。始業前に出勤したのに、遅刻扱いになったらしい。気づかなった社員は慌てて仕事に取り掛かったり、部署によっては朝礼を省いたりしていた。人事に対しては、とりあえず手作業で修正対応するように伝えた。
それから、ドライバーへの出発通知がいつもより早かったため、たくさんのトラックが集荷所に早めに到着してしまった。おかげで、現場は、あわてて荷物を用意することになった。現場は文句を言いながらも対処してくれたけれど、僕は明日までに報告書と対策を書かされることになった。
そうやって、この日は細かいトラブル対応に追われた。仮眠をとってから、午前二時の時刻変更に待機する予定だったのに、寝不足のまま夜を迎えた。仕方なく、濃いコーヒーを淹れて、デスクに座る。
午前二時、国内で一斉に時計が一時間進んで、午前三時になった。ソーシャル・ネットワークを見ていると、あちこちでトラブルが起きていることが分かる。夜が短くなったことが原因で、遅配が発生していた。数時間おきに動くしくみも、ペースが狂っていた。たとえば二時間ごとに給水する水槽から、水があふれていた。
ところが、世の中が混乱している中、僕の会社では大したトラブルがなかった。ドライバーへの通知がずれていたため、いつもより早くコンビニへの配達トラックが出ていた。そのため、サマータイム初日の午前五時に配達が間に合っていたのだ。三時間ごとのレポートも、ちょっとの誤差で集計されて出ていた。
もう一度バイト君の変更履歴を見直す。インターネットで検索したり、会社の本棚の本を読みながら、プログラムを読み解いていく。どうやら五月三十一日だけ、時計の進みがちょっとだけ早くなっているようだ。四パーセントくらい。だからタイムカードや通知がずれていたのだ。
なぜ四パーセントなのか? 四パーセント速い時計の二十三時間は、およそ二十四時間になる。世間では午前二時の瞬間にで、時計の針を一時間進めた。けれど、うちの会社のシステムは、前日からちょっとずつ時刻を早めに進めていって、二十三時間かけてゆっくりとサマータイム開始のプラス一時間の帳尻を合わせた。だから小さなトラブルがいくつか起きたけれど、大きなトラブルを避けられたのだ。
僕が作った対応マニュアルの出番はなかった。バイト君がバックエンドで問題を解決していた。タイムカードや通知は、人間を四パーセント速く行動させるための、メトロノームだったのだ。
それ以来、僕は毎日、通勤電車でバックエンドの勉強をするようになった。最新の技術や、現場のノウハウを学ぶために、勉強会にも参加するようになった。今夜はサマータイムのセミナーに来た。十月には時計を一時間遅らせる対応する必要がある。前回とは逆に時計を遅らせるので、対応は簡単だろう。それでもバックエンドで対処するべきことはある。
懇親会ではビールを片手に、エンジニアがあちこちで雑談している。六月の成功談や失敗談の情報交換をするのだ。生々しい話をするのが、いちばん勉強になる。
後ろのほうから、サマータイムを乗り切るために、あちこちの会社で時計を四パーセント速く進めるプログラムを書いて回った、という話で盛り上がっている。聞き覚えのある声だ。声のほうに寄っていくと、樟脳の匂いがした。
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