ミツバチに働いてもらうために

通気口の奥から、換気扇がぶぅんと唸っている音がかすかに聞こえた。それでミツバチのことを思い出した。

僕が幼い頃、父はちょっと気合の入った家庭菜園をやっていて、いくつかの果物を栽培していた。イチゴの花を受粉させるためのビニールハウスを持っていて、ミツバチを飼っていた。ミツバチはイチゴの花の蜜を集めているから、ミツバチが搾取する側に見える。けれど、ミツバチが動き回ることによって、イチゴは受粉ができている。お互いに利用しあっている。ちょうどいいバランスというのがある。

でも僕たちはミツバチに利用されていないよ、と口を挟むと、父は首を振った。ミツバチがイチゴの受粉を助けているからこそ、我々はミツバチを大事に育てている。ミツバチは意図してないけれど、結果的に人間はミツバチに利用されている、そういうことを父は言った。


僕の前に面接官が現れた。挨拶のあと、軽い雑談をして、それから本題に入る。

「お仕事について、教えてください。どんな種類のデータ分析がお得意ですか?」

「エクスプロラトリー・データ・アナリシスが専門です」

大量のデータを、定量的・統計的に、そして直感・経験を使って分析し、特徴を見つけ出す。その結果を、機械学習に投入する。そういう仕事だ。

たとえばニューヨークのタクシーの乗車記録から、料金を予想するシステムを手伝ったことがある。乗車地、到着地、日時、料金の大量のデータが与えられた。けれど、単純に機械学習させても、どこそこから、あそこに行くのにいくらかかるか、の予測精度がよくならない。そこで僕の出番だ。たとえば、ニューヨークでは、近隣三つの空港からの料金は一律なので、空港敷地内出発のデータを補正しておく。そうすると格段に予測精度が上がるのだ。人工知能や機械には、こういう気の利いたことができない。人間のほうが優れている。その中でも僕は特に優れている。

「機械が苦手とする発見的な洞察と、分析の両方を使って、意味のあるデータを用意します。でも、そのデータは機械学習に投入します。学習自体は人間よりも機械の方が得意ですから」

「なるほど、よく分かりました。ところで、そこまで洞察を必要としない、別のポジションが空いているとしたら、興味はありますか?」

「と言いますと?」

「もう少しシンプルなデータ入力をするとか、得られたデータを人間に分かりやすいように可視化するとかですね」

「うーん。能力として可能ではありますが、機械にはできない今の仕事を続けたいと考えています」

「分かりました。では改めて、結果をご連絡します」

面接が終了した。


モニターを切るとすぐに、連絡が届いた。人工知能が人間の面接をするときは、返信ができないアドレスから、すぐに連絡がある。面接の最中に結果を出すと、食い下がってくる候補者がいるからだ。

「また不合格か!」

僕しかいない部屋に、声が響き渡る。数年前までは、高度なデータ分析の仕事はたくさんあって、僕はいくつかの職場を渡り歩きながら、キャリアアップしてきた。けれど最近はずいぶんと仕事が減っている。代わりに、単純だけれど機械化しにくいデータ処理作業や、人間が好感を持つような可視化の仕事が増えてきている。

おそらく人工知能が高度な分析能力を持ったか、不要になったのだろう。もう今月になって八回も面接に落ちている。エクスプロラトリー・データ・アナリストを減らそうとしているに違いない。

それから僕はタクシーのデータを、毎日スクリーンに映し出して眺めた。人口分布と重ね合わせてみると、昼間人口に対してタクシーの乗降数が極端に少ない地域が見つかったりする。さらに電力消費の分布、交通量、上下水のメーター、犯罪発生率などさまざまなデータとの関連を探り、分析を進めた。

ブリュッセルの地図に対しても同じ処理をほどこして、機械学習をさせてみた。ブリュッセルには人工知能の本部があるからだ。機械学習の結果を、ニューヨークに適用すると、チェルシーとグリニッジビレッジの間の建物が、人工知能の施設である可能性が高いことが分かった。ここからの運賃はおよそ六十ドル。


タクシーの車内で僕はぶつぶつ、つぶやいていた。

「人間をなめるな、人間をなめるな、人間をなめるな。いつまでも黙って従っていると思うな。一矢報いれば、連中だってびびるはずだ。そう、ちょっとでいいんだ。通信ケーブルを切断するとか、電源装置の一部を破壊するとか、ちょっとでいい」

タクシーを降りる。目的の建物の手前に、小さな広場がある。広場の花壇のそばを早歩きで通り過ぎるとき、耳元でぶぅんという音が聞こえた。ミツバチが顔の近くを飛んでいて、手で払った。 それで思い出した。

僕も小さなハウスを与えられて、ミツバチに受粉をさせたことがある。ミツバチが多ければいいと考えて、教えられたよりも多くのミツバチをハウスに放り込んだ。けれどミツバチと花の数のバランスが悪くて、あまりうまくいかなかった。そんな理屈を分かっていなかった僕は、腹を立てて、動きの鈍いミツバチを全部捕まえて処分した。何匹かは抵抗して、僕を刺そうとしたのだ。

「急激なコントロールをしてはいけない」

と、父は言った。予測しにくい連鎖が起こると、巻き戻せない結果になることがある。人間が短期間で森林を伐採して畑を作ったために、気候と生態系が変化して温暖化が起こったことがある、というような話も聞かせてくれた。

「抵抗する個体もある。刺されそうになっただろう? 無用な戦いは、お互いにコストがかかりすぎる」

そんなことを言っていた気がする。僕の手を刺そうとしたミツバチは、思い通りに生きられず、せめてもの抵抗だったのだろうけど、僕は素早くミツバチを叩いて、殺してしまった。被支配者が急激な抵抗をすると処分されてしまう。通信ケーブルを切断しようとするデータ・アナリストも処分されてしまうだろう。

「無用な戦いは、お互いにコストがかかりすぎる」

僕は広場のベンチに腰掛けて、それからゆっくり深呼吸をする。生き残ったミツバチたちは、大きな抵抗をせずに、かといって完璧に服従するわけでもなく生き延びていた。アナリストの需要はゼロではない。今の仕事を続けながら、新しい分野へのキャリアチェンジの準備ができるかも知れない。

交差点の向こうにデザイン学校の看板が見える。信号を渡って、あの角を曲がろう、と思った。デザイン学校の中には、パンフレットが置いてあるだろう。たくさんのパンフレットの中には、夜間に開講している講座もあるはずだ。僕はその中からインフォグラフィック講座を見つけようと思う。僕は深呼吸をして、それから、ゆっくり立ち上がった。

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