【karma】蛇

 ミコトは蛇が嫌いだ。

 から、今も、これからも、蛇が嫌いだ。

 蛇嫌いの少年の話は、二週間たった今でも信じていない。あの白昼夢のような心象風景も、今では本当に見たのかどうかもわからない。



 ミコトの部屋に押しかけてきたサクラは、缶チューハイを飲み干すと不満を撒き散らした。


「本当にサイアクだったんだからぁ。ケンちゃんとセックスできると思ったら、風邪引いてお預けでさぁあ」

「だから、風邪引くぞって言ったろ」


 ベッドに腰を下ろしたミコトは、呆れながらサクラが持ってきたコンビニ袋をあさる。


「そんなの知らなぁい。でさ、一晩寝たら、すっかり治ったと思ったら、今度は生理。もうサイアクでサイアクでさぁ」


 呆れて口を挟むの諦めたミコトは、コンビニ袋の中身がアルコールばかりだと知って、そっと脇に置いた。この調子では、酔いつぶれたサクラを家まで送らなくてはいけなくなりそうだと考えたからだ。


「セックスしたくてしかたないのに、ケンちゃんまた出張行っちゃって、もう、もう、もぉおおおおおおおおおおおおお」


 カーペットの上であぐらをかいたサクラのスカートの奥に見えた下着は、この前のベビードールよりもどキツいデザインだった。


「昨日帰ってきたんだろ。すればいいじゃないか、セックス」

「やだ」

「なんで?」

「ケンちゃんが迎えに来るまで、ミコトとイチャイチャしてやるのぉ。見せつけてやるのぉ」

「どうしてそうなるんだよ」


 アルコールが入ると、サクラはめんどくさくなる。


「んふぅ、決まっているじゃない。ケンちゃんにムラムラしてもらいたからよぉ」


 勢いよく押し倒されたミコトは、どうしたものかと服を脱ぎ捨てていくサクラを見上げる。サクラの夫が迎えに来る可能性は、限りなく低い。ミコトといるならと、心配すらしていないだろう。結局、朝まで付き合って、サクラを家まで送っていくことになる。


「やっぱり、帰れ、サクラ」

「やだぁ」


 子どものように頬を膨らませたサクラは、ミコトのシャツを脱がそうとボタンに手をかける。だが、二つボタンを外した彼女は、軽く目を見張る。


「あれ、ミコト、このタトゥー、どうしたの?」

「ああ、これか……」


 左の鎖骨の上には、新しいタトゥーがあった。そのタトゥーは蛇嫌いのミコトにふさわしくない。サクラはあっけにとられて性欲よりも、タトゥーに対する好奇心が勝った。

 誰がどう見ても、蛇をかたどっている。首に向かって体を波打たたせている蛇の体には、『karmaカルマ』と書かれていた。

 サクラを押し返して上体を起こしたミコトは、蛇のタトゥーを軽くなでた。


「前世の記憶って、信じるか?」

「なにそれ?」

「シシッ。秘密だ」


 サクラの不満の声を聞き流しながらミコトは、ベッドを抜け出した。折りたたみ式テーブルの上のスマホを手に取った。


「あー、ケンジ? 今すぐ、あんたの嫁を迎えに来てくれ。……ああ、そうそう、あたしンちにいる。…………そ、よろしく。あ、あと、今夜はちゃんとサクラの相手してやれよ。じゃあな」


 通話を終えたミコトは、コンビニ袋から缶チューハイを取り出す。


「ケンジが迎えに来るってよ。さっさと服着な」

「はぁい」


 ベッドで脱ぎ捨てたばかりの服を着るサクラは、それほど残念そうではない。むしろ、夫の迎えが楽しみだった。

 いそいそと身支度するサクラを眺めながら、ミコトは缶チューハイのプルタブに手をかけた。


「なぁ、サクラ。あたしって蛇に似てるか?」

「ミコト、大丈夫? 変なもの食べてない?」

「食べてないって」


 ミコトはひらひら手を振って否定する。


「ならいいけど、どうしたのよ、急に。私はミコトはミコトだと思ってるけど、ケンちゃんは蛇に見えるって。笑い方とか、雰囲気が」

「そうか」

「で、そのタトゥーと関係あるの?」

「シシッ。だから、秘密、な」


 不満の声を上げるサクラに、ミコトは言えるわけがなかった。前世の記憶だとか、曖昧な白昼夢とか、彼女自身にとっても荒唐無稽な話を、友人のサクラにも打ち明けられるわけがなかった。

 適当に笑ってごまかすミコトは、ベッドの上のサクラに白昼夢の少女の面影を見いだそうとしたが、無理だった。タケルにしかわからなかったように、サクラがあの少女だったとしても、ミコトにはわからないかもしれない。

 蛇のタトゥーとともに刻んだ『karmaカルマ』は、タケルと別れたあと、ネットで前世に関する言葉を検索した時に見つけた単語だった。

 ミコトは、あの日、蛇に自分を投影していることを受け入れた。あいかわらず、蛇は嫌いだが、同族嫌悪と理由を与えてしまえば、以前ほど憎くない。前世の話が本当かどうかはわからないが、現世にも来世にも影響を与える『karmaカルマ』という単語は、タトゥーにふさわしいと、彼女は考えた。


 カルマを自分の体に刻んだのは、タケルが自分を見つけたように、あの少女を見つけられる気がしたからだ。それも今となっては、曖昧な気持ちになっているが、タケルのように魂に突き動かされたのかもしれない。


「惜しいことしたかもな。シシッ」

「え? なに、何か言った?」

「何も言ってないさ」

「やっぱり、ミコト変よ」


 心配してくれるサクラに、ミコトはシシッと笑った。


 カルマいだいて生きる。

 それは、とてもミコトらしい生き方だ。


 ―了―

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蛇を抱いて生きる 笛吹ヒサコ @rosemary_h

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