第9部

「やっぱりキミは馬鹿だよ」

彼女はそっと僕の方を見ていった。

「キミはさ、すこし考えすぎなんだよ」

そっと僕の口に人差し指をあてて、彼女は微笑む。


「それは誰のせいなんかじゃない。きっと、こう言うと陳腐だけどさ、運命だったんだよ」

彼女はそっと僕を見つめ、言葉をつないでゆく。

「仕方なかったことなんだよ。ただ、偶然こんなことが起こってしまっただけで。誰も悪くはないんだよ。

……それにさ」

「それに?」

「ここは悪くない場所だと思うよ」

彼女はそっと窓の向こうに見える景色を見つめていた。


「いちばん幸せだった瞬間と、いちばん不幸な時間が一緒になって回り続けている、この世界は」

観覧車は頂点を過ぎ、ゆっくりと下の世界へと近づいてゆく。

「私は、死んだからここに来たんだと思うんだけどさ」

彼女はぽつりぽつりと言葉を続ける。

「それならここは、天国なのかな。それとも……地獄なのかな。私は天国じゃないかなって思ってるけど」


彼女はじっと窓の向こうを見つめていた。

いくつもの光の点をたたえた街の姿を、彼女はじっと見つめていた。

「不本意とはいえ、ここにいるのは決して悪い気はしてないよ」

 彼女は僕の方は見ないまま、どこか不敵な笑みを浮かべていた。


けれど突然、僕の方をきっと見つめて。

「それでも私は納得いかないことがある」

そう言い放った。それは、僕を糾弾するようなそんな口調だった。

「キミがここにいることには不満しかない。その理由が何にせよ」

その目には、涙をいっぱいにためて。


「キミまでここに来たら、私の奪われた青春はどこに行っちゃうのさ?」

観覧車は、ゆっくりと地上へと近づいてゆく。

「さあ、もうすぐゴンドラが地上に着いて、扉が開くから」

僕は何も言えずに、ただ彼女だけを見つめていた。

「今ならまだ、間に合う。これが、キミがもとの世界に帰る最期の手段。

キミはこんな場所に、まだ来るべきじゃない」

ゴンドラの扉が音を立てて開く。


「楽しかったよ、キミと最期にデートができてよかった」

彼女はそう言って手を振る。

涙を、目にいっぱいにためて。僕は押し出されるようにして外へと飛び出す。

「……また、いつか」

僕も手を振り返す。あの日できなかったこと。

それが今、ようやくできた気がした。眼の前の鉄の扉がゆっくりと閉まり、ゴンドラは再び空へと上っていく。

僕はそれをじっと見上げていた。


***


僕はそっと目を覚ました。

薬品の清潔な香りが、つんと鼻をつく。

病室の一室。僕以外誰もおらず、ただ機械の無機質な音だけが部屋に響いていた。

空虚な空間の片隅に、僕は一人取り残されていた。


──夢を、見ていたんだろうか。


ふと、外の景色に目をやる。

窓の向こうには雪が舞う鈍色の街と、そこでひときわ輝く大きな観覧車。

今も彼女はあそこにいるんだろうか。

彼女はあの場所で、あの日を永遠に何度も何度も繰り返しているのだろうか。


──私はそれでもさ、ここは悪くない場所だと思うよ。


彼女の言葉が、ふと頭をよぎる。

もしそれが本当にあるというのなら、天国とはそういう場所なんだろうか。

彼女は、あの日の思いをのせて今日も回り続ける。これからも、永遠に。


いつかまた、会える日が来るのだろうか。

そんなことを、ふと思った。

雪はまだ、降り続いている。

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春に降る雪、今夜限り 八須田さん @yasuda-san

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