余談2

 電話を切った西末が、こちらを向いて申し訳なさそうな顔をする。

「ごめん透夏ちゃん、明日は遅くなりそう。晩ご飯、待たなくていいから」

 相手の言葉に一度頷きかけて、透夏は小さな違和感に気付く。そして、らしくもなく動揺してしまった。

 相手はきっと無自覚だ。顔色一つ変わっていないから。

 別に、どうということはない些末事。取り立てて気にするようなことではない。けれども、こちらばかりがそわそわと振り回されるのは面白くなかった。

 だから、ささやかな意趣返しを。

「分かった。おかずだけ残しとくね、『悠くん』」

 静止した彼が、目を見開き、その後でかっと頬を染めた。ここまで動揺してくれるとは予想外だった。

「え、ちょっと待って。待って。さっき僕、何て言った?」

「『透夏ちゃん』」

「うわあ、ごめん……つい、呼び方がうつっただけだから。ごめん、江波さん」

 西末は、いつも通りの呼び方に戻しても尚、気まずそうに顔を背けている。

 先程の電話は職場からだったのだろう。彼の仕事の上司は、透夏のことを『透夏ちゃん』と呼ぶので、うっかり口走ったのも不思議ではない。

「そんなに謝らなくても」

 顔を覆って項垂れている彼の顔を覗き込む。そもそも、そこまで反省すべきことなのだろうか。

 突然で驚きはしたが、彼の口から名前を呼ばれるのは、決して悪い気分ではなかったのに。

 それに、透夏自身も、先程自分で呼んだ『悠くん』という呼び方を気に入ってしまった。『はるか』という名前の、空気を含んだ優しさが、口に出して心地よかったので、元の呼び方に戻してしまうのを惜しく感じる。

「悠くん」

 もう一度、声にする。今度は、意地の悪い意図なんてかけらもなく、ただ純粋に呼びたくて。

 彼は、しばらく視線を彷徨わせていたが

「……なに、透夏さん」

と少し照れた柔らかい声を返してくれた。

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嘘つきの再会は夜の檻で 土佐岡マキ @t_osa_oca

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