ドリーム・イン・ドリーミング

キジノメ

ドリーム・イン・ドリーミング

 床に宝石が転がっている。赤い宝石なのに、蛍光灯のせいで一面だけ安っぽく光っている。掴みあげると、手で握りこめないくらいの大きさをしていた。少しごつごつしていて痛い。とても赤くて、赤くて、まるで……そこでどうでもよくなって、宝石を投げ捨てる。カンッとガラスの様な音が鳴った。

 後ろを振り返ると、椅子に座った女がこちらに顔を向けていた。

「ああ、ごめんね。なんでもないんだよ」

慌てて駆け寄る。途中、足が痛かったからなんだと思ったら、宝石を踏みつけていた。蹴っ飛ばして退かす。綺麗だけど、でも、今はどうでもいい。

「宝石に浮気なんてしてないよ。君の方がずっと綺麗だよ、特にその足が。だから心配しないで」

目が隠れるほどに長い前髪を撫でて、身体を抱きしめる。

「どうしたの? そんなに僕の今のが、嫌だった?」

女は何も言わない。僕は身体を少し離して、彼女に微笑む。両腕の無い肩をゆるく撫でると、彼女は嫌そうに首を振ったから撫でるのをやめた。代わりにゆるゆると座り込んで、腰に抱き着く。そのまま手を下へ動かし、ふとももへ。ああ、温かい。ここだけ血が通っている様に温かい。僕は頬ずりをした。

「君は足が綺麗だよ。本当に綺麗だ。まるで姉さんの足みたい。姉さんは、足が速かったんだ。まるでカモシカのように筋肉が均等に付いていて、ふくらはぎなんて背伸びすると綺麗に筋肉が浮き出るんだよ。特にかかと、足首にかけての腱が浮き出ている様子なんて、彫られたように綺麗でさ。撫でるとしっかりとした形をしてるんだ。それにね、膝が美しくて。ほら、女の膝って跡がついて汚いの、多いよね? でもそんなことなくて、まっさらでさ。ふとももなんてすごくすっきりしていて、こうやって抱き着くと肌がしっとりとまとわりつくようでさ、まるで君の足そのものだったんだよ。ああ、綺麗だ。まるで姉さんみたいに綺麗。僕、君を愛しているよ。だってこんなにも足が姉さんのように綺麗だから」

女を見上げると、髪の下から覗く頬が少し赤かった。照れてる。なんて可愛いんだろう。

 そう思っていると、机が、ばん、と強く叩かれた。驚いて後ろを向くと、向かいの女が拳を握りしめている。顔は髪のせいで見えないけれど、これは大変だ。僕は慌てて彼女の傍に寄った。

「ごめんね、別に君に両足が無いから嫌いってわけではないんだよ。君には両腕があるもの。美しい、両腕がさ」

あんまり怒るとバランスを崩して椅子から落ちてしまう。僕は腰辺りを抱き上げて、もう一度椅子に座り直させた。留め具が欲しいな。もし僕が見ていない時に椅子から落ちてしまったら大変だもの。

 彼女の手が僕の頬を撫でる。僕はうっとりとそれにキスをした。

「君の手は綺麗だね。まるで姉さんの手みたいに綺麗だ。まず指先はほっそりしていて、ささくれひとつないんだもの。君にマニキュアはいらないよ、そのままの、ほんのりピンクに色づいた爪はツヤツヤしていて美しいもの。指の関節も小さくてさ、指輪が似合う手だね。手の甲なんて血管が浮き出るほどほっそりしていて、まるで神話の世界の人の手みたいだ。姉さんもそうだった。姉さんが僕を撫でる手は、いつもすらりとしていた。手汗なんてひとつもなくてさ。僕を抱きしめる腕は柔らかくて、二の腕なんてずっと触れていたいほど柔らかくてさ。姉さんに洗い物なんてさせなかったよ。せっかくの手が荒れたら大変だもの。だから君もこうやって、ただ、いてね。姉さんみたいに美しい手で、ずっと、僕に触れていてよ」

一度抱きしめて、離れる。もう食事の時間だもの。みんな、食べよう。机の上に並んているのは、一枚一枚が大きいローストビーフと、真っ赤なミネストローネだ。真ん中に置かれている大きな花瓶の中ではいくつものバラが咲き乱れていて、これとないほど良い雰囲気の夕飯だ。

 けれど、唐突に耳障りな音がした。汚い。ざらついた音。探せば、部屋の片隅でラジオが鳴っている。僕はそれを蹴り飛ばした。ラジオの音はすぐに止まった。

 そうだ、誰も入ってこないように入口に鎖を巻かないと。机の上にあった予想より柔らかい鎖を握って、入口に向かう。ドアと近くの取っ手に巻き付けて、開かないようにする。うん、柔らかいけど、千切れることはなさそう。僕は安心して頷いて、もう一度食卓に向かった。

 これでこの部屋にいるのは、2人の女と、1匹の猫だけだ。

 2人の女がこちらを見ている。そんなに見ないでよ。分かったから。食べさせてあげる。腕のある君は、ちゃんとマナーを守って食べてよ。足だけの君にはどうやって食べさせようかな。ちょっと下品だけどさ、口移しなんて最高じゃない? あの赤いミネストローネ、君に口移しして飲ませたらどうだろう。口の端から真っ赤なそれが零れる様を見て、僕は君の首も舐めるんだ。君は首だって美しいのだから。まるで姉さんの様に、白くて、簡単に跡がついて僕ですらも食い破れそうな、薄い皮膚をしていて、そのすぐ下に血管が通っていると思うと、すごく興奮する。美しいよ。腕のある子はわざと手を縛ってもいいな。抵抗できない状態にして、僕に抱かれてもきっと君は、抵抗しないもの。だって君は姉さんにそっくりだもんね。だからまずは、食事をしないと。してから2人をたっぷり楽しめばいい。

 猫が、僕の足元に寄ってくる。抱き上げて、その丸く開かれた瞳を見つめる。

 君だって、まるで姉さんみたいな目をしているんだよね。なんて綺麗なんだろう。底まで透き通って、何もないかのように透き通っていてさ、うっすら膜を張った目で僕を見てくる。うっとりしてしまう。美しい。美しいな。美しいからさ。


「えぐりとってしまいたい」






 そこは、ひどく腐敗した部屋だった。入口の取っ手には人間の腸が巻き付いていて、まるで鎖のように近くの戸棚の取っ手と結びつけている。しかし色はほぼ黒く、中心部分がだらりと垂れ下がっており、今にも腐り、溶け落ちそうな様子をしていた。

 床にはガラスが散乱している。中には元々は皿だったものもあるようだ。確かに戸棚はほぼ空っぽで、皿もコップもなかった。ほとんどが細かく割れて床に散らばっているが、ひとつだけ手の平ほどあるような大きいものがある。それには血だろうか、赤黒い液体が付着していて、半分以上がそれで染まっていた。

 床の隅には、肉の塊が投げ捨てられている。分かりづらいが、あれは舌だろうか。

 進むと食卓がある。机の上、明らかな生肉が目につく。包丁を使うのは下手な者が切り裂いたかのように、肉の大きさはひどく不均等で、厚さもばらばらだ。ほとんどが血で赤く、更に蠅がたかっているものの、一部分には肌色が見える。また、スープのようによそられた血もあった。浮いている白いものは、歯だろうか。

 そして食卓の中心には、人間の頭部があった。元は美しい女性だったのだろう。しかし眼窩に収まるはずの目玉は無いためにそこはくぼみ、半開きになった口には血がこびりついていた。まるで舌が無理やり抜かれたかのように。

 食卓には向き合うように2つの椅子が置かれているが、まず片方には足2本が置いてあった。根元はなまくらで切られたように、汚い断面図をしていた。しかし今やほとんどが腐りかけていて、どことなくぎざぎざしているのが分かるだけだ。ふとももの肉はずるりと落ちかけていて、白い骨が覗いている。こちらにも蠅がたかっている。

 反対側の椅子には、腕が2本置いてあった。こちらは肘の少し上あたりで切り取られている。皮膚全てが黒ずみ始めていて、手先の爪はもうボロボロだ。人差し指なんて肉が完全に落ちて、白骨化している。

 そして、食卓近くの床に、座り込んでいる男がいる。男は何かを呟きながら、人間の目玉を両手に持ち、交互に舐めていた。舐めては笑い、恍惚な表情をする。何かを呟き、また舐める。


「あんまりにきれいなんだもの! とっちゃったよ!」


 ついには噛み砕いて、大きな声で笑った。床をばんばんと叩き、それに驚いたのか蠅が舞う。何かで振動が伝わったのだろう、片方の足のふとももから、肉が腐り落ちた。

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ドリーム・イン・ドリーミング キジノメ @kizinome

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