招待状の謎・下巻



 はっきり聞こえる様に告げられたギレットの言葉、それを耳にしたドレイクの思考は一瞬停止し、開いた口はふさがらずにいた。


 ギレットの言葉が馬鹿らしくて呆れた、というわけではない。

 ギレットは冗談こそ言っても、謎解きに関して嘘や適当な言葉は言わないことを、ドレイクは知っていたのだ。

 そして、ギレットの推理は十割に近い確率で的中する。

 即ちギレットの言葉は、少なくともドレイクの認識の中ではその殆どが真実だと言えた。

 それでもギレットの予想通り、ドレイクはギレットの言葉を安易に受け入れることは出来なかった。


「……いや、いやいやいや」


 漸く思考が働く様になったドレイクは、何度も首を横に振った。


「ジョンは十二年前に死んだ。あの爆撃で、俺が殺したんだ。死亡者リストであいつの名前を確認した。あいつが生きているなんて、あり得ない」

「しかし、あなたはジョンの死を直接その目で見たわけではありませんよね? どちらにしても遺体は確認出来なかったでしょうが、あなたは葬式にも行かなかった。ただリストに書いてあった名前を見て、それを鵜呑みにし、誰かから聞いた部隊の話と爆撃時の状況に当てはまる共通項を見つけ、自分の爆撃指示の所為でジョンが死んだと、あなたは思い込んだ。そう僕は考えています」

「ジョンが死んだと、思い込んだ……? 俺の、思い込み……?」


 これまでの自分の認識が崩されて混乱気味のドレイクは、咄嗟に頭を抱えて思考と心を整えようとする。

 ふと目の前にあったチェイサーグラスを手に取り、一瞬で渇ききった口内を冷えた水で潤した。

 酔いが僅かに中和され、漸く落ち着きを取り戻したドレイクは、静かな声色でギレットに尋ね返す。


「仮にジョンが生きているとして、それなら死亡者リストの名前はなんなんだ? それに生きているなら、なぜ全く音沙汰が無いんだ。俺はあいつが使っていた番号に何度か電話したこともあったが、一度も出たことはない。遠目だが紛争地であいつの姿も見ている。これらはどう説明する?」

「そうですね。それでは、ジョンの立場になって考えてみましょうか」

「あいつの立場?」

「ジョンは非常に優秀な人物で、出世街道を最速で突き進んでいたエリート。また聡明で人望も厚く、そのまま出世を続けていれば海軍を率いる人物になったことは間違いないでしょう。しかし彼には敵もいて、軍上層部の者達が彼を排除しようと攻撃を仕掛けていた。けれどジョンは持ち前の聡明さでずっとこれを躱し続けていた。そうですね?」

「ああ、俺はあいつからそう聞いた」

「人の上に立つ者というのは、その立場が大きくなる程に身動きも取りにくくなるものです。体が大きくなれば重くなって動きが鈍くなるのと同じです。そうすると、今まで躱せた攻撃も徐々に躱せなくなってきます。対応の仕方はその都度違うのでしょうが、もしも命を狙われるとしたらそれを躱すのは難しいでしょう。そこで聡明なジョンは考えたはずです。確実に自分の身の安全を確保するにはどうすればいいのかを。セキュリティの強固な施設に引きこもったり、常に屈強なガードを雇ったりと色々手段はあると思いますが、僕は一番良い方法を知っています。彼もそれを思い付いたのでしょう。ドレイク、何だと思いますか?」

「……だめだ。さっぱり分からない」


 ドレイクは早々に諦めて、正解を求める。

 それに対して、ギレットが噛んで含める様に答えた。


「正解は『死人になること』そして『別人になること』ですよ。ジョンは軍上層部に自分が死んだと思わせることで、執拗な攻撃から永久に逃れたのです。死人を殺そうとする者はいませんから、命を狙われる事もなくなります。しかし、死んだ人間がこれまでの様に生きていては意味がありません。ですから、ジョンはジョンではない別の誰かになる必要がありました」

「そんな事が出来るのか?」

「どちらも可能です。もちろん協力者は必要ですが、人望の厚いジョンであれば難しい事ではなかったはずです。死亡者リストの改ざんだってお手の物でしょう。おそらく一番手間を掛けたのは親友のあなたを騙す事だったと思いますよ、ドレイク」

「俺? どういうことだ」

「派兵の一週間前に会ったジョンは、まるで別人の様だったとあなたは言いました。そしてジョンはその時『さすが我が親友。私の変装を見破るとは』と言ったらしいですね」

「そういう冗談をな」

「いいえ、それは冗談ではありません。ジョンは本当に変装していたのです」


「そんな馬鹿な」ドレイクは間髪入れずに言った。


「確かに雰囲気は随分と違っていたが、あれは確かにジョンだった。流石に分かるさ」

「いえ、恐らくあなただけが分かったのですよ、ドレイク。親友のあなただけがジョンの変装を見破った。しかしだからこそ、あなたは前線に行ったジョンが本物のジョンだと思い込んだ」

「ちょっと待ってくれ。その言い方だと、戦場に行ったのは、本物のジョンじゃないってことか? 本当にジョンは生きているのか? それなら、俺が見たジョンはいったいなんだったんだ。幻か?」

「前線に行ったのはジョンの変装元となった方です。恐らくその方もジョンの部下か、協力者の方でしょう。つまりあなたが前線で見かけたのは全くの別人です」

「俺が殺したのはジョンじゃなくて、別の人間だったってことなのか」

「それも違います。あなたは爆撃によってジョンと誤解した人物を殺してしまったと思い込んでいますが、あなたは実際にその人物が死ぬところを見ていませんし、ジョンの死は死亡者リストの名前と、どなたからか聞いた話を統合した結果そう結論付けたに過ぎません。つまり部隊はその爆撃範囲に居なかった。あなたはあの爆撃で、味方は誰一人殺していないのですよ」


 ギレットの言葉を受け止めたドレイクは、暫く放心状態に陥った。

 今まで心の奥底に抱えていたものが全て思い込みと偽りで形作られたものだったと知り、ドレイクはそれを粛々と受け止めながらも、脳内ではその事ばかりが渦巻いていた。

 ふと、ドレイクは赤犬のギムレットを一口飲んでから深く長い息を吐き、思考を切り替える。


「部隊の話を教えてくれたのは、別働隊に居た俺の友人だ。あいつもグルか?」

「ええ、おそらく協力者です。あなたにその話を聞かせることで、ジョンの死をあなたの中で確実にした」

「なぜそんなことを? それに、生きているのならジョンはなぜ俺に連絡一つ寄越さない?」

「死の偽装において重要なことは、最も親しい人間すらも騙さなければならないということです。なぜなら失踪者が接触を図ろうとするのは、家族か親しい友人のどちらかですから。親しい人間がその死を真実として受け止め、悲しみに暮れていれば信憑性が増します。効果は覿面。幼少期からの親友で職業も同じ、そんなあなたをジョンは最も親しい人間だと思ったのでしょう。故に、ジョンからあなたに連絡や接触をする事は出来なかった。なにせ彼は死人ですから」

「そういうことか……いや、待ってくれ。それなら俺に招待状を寄越し、俺を表彰したパークス准将は? 彼もジョンの協力者か?」

「いいえ。これも僕の推測ですが、そのパークス准将こそがジョンです」

「は?」


 ドレイクが素っ頓狂な声を上げた。

 構わずギレットは続ける。


「パークス准将の顔は覚えていないのですよね?」

「……ああ、まったく思い出せないな」

「恐らく、印象の薄い顔に変装していたのでしょう。そして本当のパークス准将は何らかの理由で既に亡くなっていて、ジョンがそれに成り代わっている可能性が高い。ジョンは顔も名前も変えて、完全に別人になったのです。恐らく彼が言った『私の葬式には来てくれよ』という言葉の通りにあなたがジョンの葬式に参列していれば、その時に彼はあなたに真実を明かしたかもしれません。ですがあなたは葬式に参列しなかった。これはジョンにとって誤算だったはずです。それ故にジョンは仕方なく招待状を使い、あなたを式典へと招待することにしました。

「ドレイクは一度変装を見破っていますから、実際に会えば気付いてくれるのではないかとジョンは期待し、あなたと顔を合わせました。しかしそこでも誤算がありました。その時のあなたの精神状態では、死んだ人間が目の前に現れることなんてとても想像出来なかった。だから目の前に変装したジョンが現れても、あなたが彼に気付くことはありませんでした。

「ジョンは次の策として、あなたを墓地へと招待しました。その墓地を彼が指定したのは、恐らく本当のパークス准将が眠っている墓があるからだと思います。しかしあなたはパークス准将の顔を覚えていませんし、探していたのはジョンの墓。見つかるはずがありませんね」

「最初の招待状と二通目以降の招待状で、差出人の名前が違うのはどうしてだ?」

「それはヒントですよ。最初の招待状と式典であなたはジョンのことが分からなかったから、今度は差出人の名前で暗に『自分は生きている』と示した。そしてあなたが向かった墓地でパークス准将を見つけたとすれば、その時に漸くジョンは真実を話すはずです。だからジョンは毎年、招待状で指定した日にあなたを待った。そして今年も、彼はあなたが来るのを待っていることでしょう。

「ただ先程も言った通り、もしもパークス准将の墓を見つけることが出来ずジョンとも会うことが出来なければ、その時は僕の話は全部忘れてください。ここまでの話が全て中年の妄想になりますから」


 ギレットがほくそ笑む。

 つられてドレイクも自嘲気味に口元を歪めるが、未だに信じられないといった困惑気味の表情を浮かべている。

 ギレットの推理が正解だと信じて疑っていないからこそ、彼から語られた話が衝撃的だったのだ。


 カクテルにも口を付けず、ドレイクはじっと虚空を見つめて、思考を繰り返していた。

 そんなドレイクを見かねて、ギレットが言った。


「もしもジョンに会えたとしたら、あなたがまずはじめに聞くのは、再会を祝う言葉でも謝罪の言葉でもなく、ジョンの悲鳴でしょうね」

「どうしてだ?」

「あなたはきっと、出会い頭に彼を一発殴るでしょうから。少なくとも、私ならそうします」


 ほどなくして、ドレイクの大きな笑い声が店内に響き渡った。






 赤犬のギムレット 完

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赤犬のギムレット 天野維人 @herbert_a3

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