第96話 篠崎勇羅編・最終話



―午後七時十分・篠崎家リビング。


「ただいまー」

「お帰り~」


駅前で鋼太朗と別れた直後。瑠奈は泪の様子を見に、事務所へ行くと言ってそのまま別れた。しばらく麗二と二人で書店など、月末の試験に向けた買い物などをしていたが、麗二が試験範囲を覚えていてくれていたので、参考書選びはすんなりと済んでしまった。


麗二と別れた時には、道周りはすっかり暗くなっていて、勇羅が自宅に着いた時は既に夜七時を回っていた。篠崎家の玄関を開けると同時に、姉・砂織の間延びした能天気な声が聞こえる。


「珍しく遅かったね。今日の晩ごはんは勇羅の好きなカレーだよ~。朝大学行く前に、和真ちゃんから連絡あってね。『たまには砂織の手料理が食べたい』って言ってくれたから、腕によりを掛けて作っちゃった」

「げ」


砂織の腕によりを掛けて作ったと聞き、勇羅は反射的に顔を引き吊らせる。最近レトルトやコンビニ弁当で済ませたり、自分で自炊して食事を作ったりしてたので、すっかり頭の記憶の隅へと放り投げていたが、今日の食事当番は砂織だった。しかも和真直々のリクエスト。以前より大分マシになったとは言え、砂織はまだ調味料の配分を間違えたりする事がある。


前に砂織が作ったビーフシチューは和真や泪、雪彦は脂汗をかきながらも、何をとち狂ったのか肉や野菜だけでなく、イチゴ大福や草大福までもが煮込まれた、狂気の産物とも言えるシチューを辛うじて完食していた。

ちなみに勇羅は···。食卓に出てくるシチューと思えない、異常な臭いを嗅いだだけで逃げた。


「······いい匂いだ」


恐る恐る身構えながら、既に夕飯が置かれているリビングへ入った勇羅の想像に反して、部屋からは香ばしいカレーのスパイスの香りが漂ってくる。テーブルにはレタスやミニトマトなどを、洗って適当に切ったり千切ったりして盛られたサラダボウル。サラダが置かれた真ん中の位置に、砂織が作ったカレーが入った大きな鍋が置かれており、勇羅が沢山食べる事を想定して多く作ったのだろう。


「今日スーパーで買い物して、丁度この日焼売と春巻が特売で安かったから、カレーに入れちゃった~」

「······姉ちゃん。毎回料理に余計なもん、いれんのやめてよ」


勇羅の嫌な予感は見事に当たった。やっぱり今回も余計な具材を料理に使ったようだ。下手だという自覚はある癖に、自分流のアレンジするのはどうにかならないのだろうか。


とは言え今回は幸いにも、スパイスの真っ当な匂いからまともに食事が食べられるのは救いだった。勇羅は食器棚から専用のカレー皿を取り出し、炊飯器からご飯を山盛りに盛り付け、躊躇うことなく鍋の中のカレーをよそう。既に砂織は弟が食べる分を想定していたのか、自分の分のカレーと白飯を並々によそっていた。


「いただきます」

「いっただっきまーす」


あらかさまに微妙な表情の勇羅と、いつもと変わらない笑顔で躊躇いなく颯爽とカレーを口に運ぶ砂織。砂織に続くように勇羅もカレーを口にすると、早速春巻の微妙な食感に顔をしかめる。匂いや味自体はまともなのに具材の食感が、絶妙に噛み合っていない。しかも煮込んでから結構時間が経っているのか、噛めば噛むほど焼売と春巻の皮と中の具の脂が、カレーの中へ徐々に染みだしているのか、なんとなく脂っぽさを感じる。


「う······。(さっさと食べきって、部屋へ行こう)」


終始微妙な顔で食べる勇羅に、砂織は怪訝な表情を浮かべつつもいつもと何も変わらない食事。つい数時間前まで鋼太朗達と、東皇寺事件の事で話し合いをしていたとは全く思えない、勇羅が当たり前のように感じている日常があった。



―午後八時半・篠崎家勇羅の部屋。



「今回は本当に大変だったなぁ···」


風呂に入った後。寝間着に着替えた勇羅は、自分の部屋へ直行しベッドへうつ伏せになりつつ寝っ転がる。ベッドで寝転がりながら、頭の中で今回の東皇寺事件を整理してみる。

異能力者の事。宇都宮一族の事。夕妬の周りの事。友江一家の事。どれもこれも普通の日常生活を送って来た勇羅にとって、付いていけない出来事ばかりだ。


訳ありの友人となると、中学からの付き合いである麗二がいるが、彼も自分の周りを勇羅に対して多くを語らない。和真や泪を始め勇羅の周りにいる異能力者達も、決して自分達の事を多く語ってはくれない。今回の件で『普通の一般人』である勇羅は、あくまで蚊帳の外だと言う事を思い知らされた。



―···よ···―······同志よ。



「な、何?」


突然、勇羅の頭の中から誰かの声が聞こえる。聞こえてくる声は、宇都宮夕妬と対峙した時とは全く異なる声だった。


―···同志よ。人類に虐げられし異能力者達よ。我が声が聞こえるのならば、我が声に耳を傾けよ。


同志とは一体なんなのだ? 声の主は異能力者と語っているから、異能力者を対象に語りかけているのは間違いないが。


―我らが同志よ···。我らと志(こころざし)を共にする者よ。我らは異能力者集団・ファントム。人類に虐げられし異能力者達の救済者。我が声が聞こえるならば私の声に傾けよ。


「?」


ファントム? 人類に虐げられた救済者? 勇羅に語りかけてくる男は何を言っている。


「何か全然、訳がわからない。ちょっとこの声、どうやって止めんの?」


頭の中に一方的に響いてくる男の声は、まだ収まる気配がない。明日も学校があるし早く眠りたいのに、頭の中の声が止まない限り勇羅は眠る事すら出来ないのだから。



―せろ···。失せろ···。今すぐこの場から失せなさい。


「え、えっ!?」


早く止まないかなと思った瞬間。今度は泪の声が勇羅の頭に流れ混んで来た。さっきの男の声と言い何故、勇羅の頭の中で泪の声が聞こえる。泪の口調からは勇羅ではなく、勇羅へ一方的に話しかけてくる男に語り掛けているようだ。二人の声は頭に語り掛ける勇羅の存在には、全く気が付いていないのか。



―···う―···なければ、今すぐ···失せなさい。彼は異能力者ではない。彼はまだ人間です!!



「!?」



泪の声に反応したと同時に、勇羅は反射的にベッドから上半身を起こす。ベッドから上半身を起こした途端、頭の中に響いていた声が全く聞こえなくなった。勇羅を同志と呼んでいた男の声も、泪の声も。一瞬で周辺が静まるように、勇羅の頭の中の声は何も聞こえなくなっていた。


「······な、何だったんだ?」


ゆっくりと周りを見渡しながら、最後に壁時計を見るといつの間にか九時を過ぎていた。



「早く寝よう···」



和真や泪。茉莉の話では勇羅に起きている体調不良は、あくまで一時的なものであると。それでも勇羅には自分の体調不良が、一時的なものだとはまるで思えなかった。体調不良が起これば起こる程、日に日に周りへの感覚が鋭くなっていくのだ。


ESP検査の結果は異常なしと告げられていた。もし本当に自分が異能力者だったのだとしたら。麗二や瑠奈を始めとした、勇羅の周りの人達だけでなく、勇羅の家族は一体どうなってしまうのだろう。



―午後九時・水海探偵事務所玄関前。



『瑠奈ちゃんの所にも連中が来たのか』

「はい。夕方に瑠奈が事務所に来てその帰りに···。幸い距離が近かったので、すぐに追い払いました」


事務所に戻った泪は和真と連絡を取り合っている。事が起きたのは夕方過ぎ。泪と話したい事があると、事務所を訪れた瑠奈。何だかんだで瑠奈の作った夕飯を食べながら、些細な日常会話だけで終わったが、その帰り際。瑠奈は【異能力者集団】の構成員に襲われ掛けた事。幸い瑠奈が構成員相手に念を使って抵抗した事と、二人の念を察知した泪が駆け付けた事で事なきを得た。


『勇羅の方は?』

「今の所、覚醒の兆候は見られません。ですが···。まさか『総帥』が、彼に接触を図るとは思いませんでした。あちらも未覚醒者に語り掛けているのを、理解しているのかすぐに退きました」

『···わかった。しばらく泪の所でも様子を見ててくれ』


今後の件で何度かやり取りをした後、泪は和真との通話を切った。原因不明の体調不良を起こし不安定な勇羅。まだ完全な覚醒へ至っていないが、先程『総帥』と接触してしまった以上、勇羅の異能力者への覚醒は秒読みに近付きつつある。



「·········遅かれ早かれ、篠崎勇羅は異能力者に覚醒する。だけど、『帰る場所』のあるあの子達には『救い』がある。もしかすれば彼らなら、本当の意味で異能力者達を導く鍵になるかもしれない。

それでも『彼ら一族』が、世界を己の手中に治めようと目論む以上······。僕達異能力者達に、決して希望などないでしょう」



夜の空を見つめる泪の目は、何も写していなかった。


―異能力者に未来は訪れない。泪が生まれた時からずっと教えられてきた言葉。奥底では未来を変えられると思い込んでいても、望んだ希望は全て奈落の底へと封じ込める。



彼ら異能力者に【安息の未来】が、訪れることは決して···―【ない。】



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TAME GATE psychic record ~篠崎勇羅の宝條学園事件簿~ 時扉 @tokitobira

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