おやすみなさい、よい夢を

いろは紅葉

おやすみなさい、よい夢を

 サラは目を開けた。

 明かりを消した夜中の部屋は真っ暗だ。

 だけど、ずっと目を閉じていたから家具の輪郭くらいはわかる。

 ママはきちんと寝かしつけてくれたけれど、お昼寝をし過ぎたサラの目はぱっちりと開く。

 そっとベッドから下りてストールを羽織り、足音をたてないようにゆっくり歩いて、静かにカーテンを開けた。


 夜の空には星がいっぱいきらきらと輝いていて、細い三日月のまわりを飾っている。


「サラ、眠れないの?」


 振り返ると、窓から入る月の光に照らされた、大きなクマのぬいぐるみが立っていた。

 ぬいぐるみのマルク。サラの四歳の誕生日プレゼントにパパとママがくれた、サラの友達だ。

 マルクがおしゃべりしたり動いたりできるのは、サラとマルクだけの楽しい秘密。


「おひるねしすぎたの。ねむくないの」

「横になっていれば眠れるよ」

「ねーむーれーなーいー!」


 サラはいやいやと首を振る。


「じゃあ、ちょっと散歩しに行こうか」

「おさんぽ?」

「そうだよ。おいで、サラ」


 マルクはサラの隣まで歩いて窓を開け、ぴょいと窓枠に飛び乗って振り返る。


「行こう、サラ」

「うん!」


 夜空を背にして伸ばされた手を取って、サラは窓から外に出た。



「さむくないね」

「もう春も終わるからね」


 マルクと手をつなぎながらサラは歩く。

 夜の空気が涼しくて心地よい。ストールを羽織っているからだけでなく、季節が夏に変わりつつあるからだ。


「あ、お花」


 サラは足を止める。見つめる先には、サラの小さなてのひらに乗りそうなほど小さい、白い花が咲いていた。

 ふっくらと膨らんだ、かわいらしい花。


「妖精のドレスだよ。ひっくり返して、ふんわりしたスカートにして着るんだ」

「ようせいさんが?」

「そうだよ。ほら、見てごらん」


 マルクがぬいぐるみの丸い手で指さす。そこには、ほんわかした光が、ふわふわと浮いていた。

 サラは、よくよく目をこらして見る。色とりどりの『妖精のドレス』を身につけた、小さな影たちが遊んでいた。

 夜色のからだに、優しく光る花のドレスがよく似合っている。


「きれーい」

「夜の妖精たちだね。ああして毎晩、おしゃれして踊るんだよ」

「へー、いいなあ」


 サラのからだが妖精くらい小さかったら、同じようにドレスを着られるのに。

 妖精になって、素敵なドレスで遊ぶ姿を想像して、サラは自然と笑顔になった。


「おっと、月が少し満ちたね。次へ行こう」


 マルクは空を見上げて、サラの手を引いた。

 夜空に浮かぶ三日月は、部屋にいたときよりも太く、笑った口のような形になっていた。



 サラたちが次に着いたのは、枝葉を広げる樹の下だった。


「ベルと明かりの実だよ」


 マルクと一緒に見上げてみる。枝には、柔らかい色合いの光が実っていた。

 透明なガラスのベルが、光をおおっている。

 夜風が吹くたび、チリリと澄んだ音が鳴る。


「暗い夜は、このベルを目印にするんだよ」

「へえー」


 サラは光のベルに手を伸ばす。けれど、サラの背丈では、枝にまで手が届かない。


「ねえマルク、ひとつとってくれない?」

「月が明るいからいらないよ」

「でも持ってみたいの!」


 サラは頬をふくらませて口を尖らせる。

 マルクはそんなサラをじっと見つめたあと、


「……わかった。これでいいかな」


 マルクは背伸びをし、淡いピンク色の光のベルをもぎ取って、サラに渡す。

 サラのてのひらに置かれたベルは気泡が入っていて、ほんのりあたたかい。


「ありがとう!」

「帰るときには戻すんだよ。持って帰れないからね」

「そうなの?」

「そうさ。夜のものだもの」


 言いながら、マルクは月を見上げる。


「行こうか。時間もあまりないし、次が最後だよ」


 左手に光のベルを持ち、右手はぬいぐるみの手とつないで、サラはマルクについていく。

 月は、猫目のようなアーモンド形に満ちていた。



「ここが最後。星の河だよ」

「わあ……!」


 サラは歓声を上げる。

 真っ暗な河の水に、星空と月、サラの持つベルの光がきらきらと浮かび、揺れる。

 サラは水辺にかけ寄って、ぱしゃぱしゃと星空の水面を乱す。


「サラ、危ないよ」

「だいじょうぶだよ」

「だめだよ。暗いと足元がよく見えないんだから」


 マルクに手を引かれ、サラは渋々水辺から離れる。

 そして名残惜しそうに河を見渡し、岸に舟が停めてあるのを見つけた。


「ねえマルク、舟がある!」

「あ、だめだよ走ったら! 危ないよ!」


 サラはマルクの手をふりほどいて舟にかけ寄った。

 船の舳先へさきには立てた棒が取り付けてあって、先端に何かを引っかけられそうな金具がある。

 ふと思いついて、サラはそこに光のベルをかけてみた。

 ベルは、ここが自分の場所だとばかりに、ぴったりと収まった。


「みて、マルク。このベルは舟のあかりにぴったり! これなら、くらくないよ!」


 はしゃぎながら舟に乗り込もうとするサラの手を、マルクがしっかりつかまえて引き止める。


「最後だって言ったよね? もう時間がないんだ。帰ろう」

「あとすこしだけ! ね、おねがい!」


 マルクのふかふかした手を逆に引いて、サラはだだっ子のようにおねだりをする。

 マルクは光のベルの時よりももっと長くサラを見つめてから、ため息をついた。


「……これが本当に最後だからね」

「マルク、だいすき!」


 サラはマルクのもふもふとした体に抱きついた。

 マルクはまた諦めたようなため息をついただけで、何も言わない。


 月はもう、ほとんど満月だった。



 光のベルを舳先に吊るして、ふたりの乗った舟はゆっくりと進む。

 長い棒で水の底を突いて、マルクが舟を進めている。

 空と水面の星の明かりにはさまれた舟は、まるで星空に浮いているようだ。

 サラは舟縁から片手を伸ばし、指先を水につけて、小さな波紋が広がるのを楽しんでいた。


「ここが終わりだよ」


 マルクが不意に舟を止める。

 いつの間にか、河の行き止まりにきていた。


「そっか。じゃあかえろう、マルク」

「無理だよ」


 マルクは振り返らない。


「最後だって言ったよね。もう、間に合わないんだ」


 ぬいぐるみの頭が、サラに背を向けたまま空を見上げる。

 マルクの言葉の意味がわからないまま、つられてサラも満月を見上げた。


 違う。あれは月じゃない。


 サラは思い出した。

 今夜はそもそも土砂降りの雨だった。空なんて、月なんて見えるはずがない。


 三日月は細長い。そこからだんだん、何日もかけて太くなって、満月になる。

 なのに何で、この月はこんなに横長なんだろう。すぐに満ちていくんだろう。


 月の影は輪郭につく。月の真ん中にできるものじゃない。

 じゃああれは、真ん中にある真っ黒な丸は、あれは、



 まるで大きな瞳じゃないか。



 満月のように丸くて大きな目は、サラたちを、……サラを見つめている。


「帰してあげられなかったね。だって、サラがわがままを言うから」


 ゆっくりと振り向いたマルクの目は、あの空にある大きな目とそっくりで、

 目が、

 目、



 め、





 アイナは目を覚ました。

 おかしな時間に起きてしまったようで、あたりは暗い。

 寝る前の空は厚い雲に隠されて、今でも月を隠しているようだ。


「目がさめちゃったの?」


 声とともに、アイナのにぎりこぶしにおさまるくらいの光が、ふよふよと寄ってくる。

 ほんのりと光る花のドレスを身につけた、夜色の妖精サラだ。いつの間にかアイナの部屋にあった人形だ。

 サラが動いたり話したりすることは、アイナは誰にも話していない。


「ねむれないなら、おさんぽでもする?」


 サラが窓の方へ飛んでいく。雲間でもできたのか、カーテンごしに月の光がよぎる。


「ううん、よけいに目が覚めちゃうから。横になればすぐ眠れるわ」

「そう? ざんねん」


 アイナは布団をかけ直して目を閉じる。


「おやすみ、サラ」

「おやすみなさい、よい夢を」


 カーテンの向こうの光は、ゆっくりと夜に溶けていった。

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