線香花火

遠山李衣

線香花火

「ねえ、線香花火やろうよ」

 『今すぐ来て』という呼び出しのメールを受けて、息を切らして駆けつけた僕に対する第一声だった。

「手持ち噴出花火でも、ロケット花火でも、ナイヤガラ花火でも、パラシュートでもなくて、線香花火?」

「花火の種類に詳しいね。そうだよ、線香花火」

 君は、にこりと頷いて、大量の線香花火を袋から覗かせた。

「なんでまた線香花火?」

 今のご時世、豊富な種類の玩具花火が、大抵のスーパーで安価で買える。なぜ線香花火一種なのか。

「線香花火が好きなの」

 なんとも単純明快な答えだ。どっちにしろ、僕に拒否権はない。出逢ったときからずっと、君の思うままだった。僕は小さくため息をつくと、バケツのセッティングを始める。

「君、今が何月か分かってるのか?」

 9月も末、夜風の寒さが身にしみる時期だ。


 人気の無い公園で、ほのかに輝くふたつの光。

 5つ目の光が落ちたところで、早くも僕は飽き始めていた。

 僕は線香花火が嫌いなんだ。

「なあ、まだやるのか?」

「うん、やるよ。はい、あなたの分」

 だのに、君は飽きもせず次々に線香花火を渡してくる。口元に弧を描いて、咲いては儚く散っていく小さな光の花を見続けていた。


「私ね、ここを出て行こうと思うの」

 『明日の朝はトーストにしようと思うの』というような軽さで言ったものだから、一瞬『ふうん』と言いかけて、それから慌てて君を見た。その勢いにオレンジ色の花はポトリと地面に落ちる。

「どうして急に…」

「ごめんね、でも、私にとっては急なんかじゃない。ずっと考えてたことだったの」

 僕は呆然とした。急に君が遠くに行ってしまったような、別の人になったような錯覚に襲われる。

「やりたいことを見つけたの。ここではできないようなことを」

 だからね…

 続く言葉を聞きたくなくて、手のひらで耳を覆う。ついでに目も閉じた。それでも、シンとした夜の空気は、大きくはない君の声を、クリアに僕の耳へと運んでくる。

「だからね、あなたはもう責任を感じなくていいんだよ」

 ああ、僕は線香花火が嫌いだ。

 君はこっちを見て、という。僕は幼子のようにいやいやと首を振ったけれど、君の言葉には抗えない。ゆっくりと目を開くと、すぐにそこから目を離せなくなった。

 あの日以来1度も見せたことのない白い腕がそこにあった。だが、あるはずのものが、僕の目に焼き付いたまま10年以上離れなかったものがなかった。

 君は言い聞かせるように、静かに言葉を乗せる。

「そう、もうないの。あの日は今みたいにふたりで線香花火やっていて、あなたはふざけて何本も一気に火をつけて遊んでいたよね。」

 僕は線香花火が嫌いだった。小さくて地味なくせに君の心を奪うから。君に凄いものを見せたくて、束になった線香花火を掴んで火をつけた。驚いたように僕を見た君の顔はすぐに苦痛に歪んだ。火の花が一気に落ちたから。落ちた先には、君の太陽に焼かれた小麦色の肌があったから。それから君の腕はどんなに暑くても、長袖に覆われるようになった。

 その痛々しい火傷の跡が、今の君の腕からは綺麗に消えていた。

「この傷があなたを縛っていたんだよね。もう大丈夫だよ、ずっと付いてなくても」

 君は最後のひとつに火をつけた。蕾、牡丹、松葉、柳、散り菊…。手元で様々に形を変えていく。僕は、美しくも儚い燦めきを、ただ見つめることしかできなかった。

「さようなら」

 その言葉を残して君は去った。君の家はすっかりもぬけの殻だ。バケツの中の命を燃やしきった残骸だけが、君といた時間を表していた。


 僕は、線香花火が嫌いだ。

 思い出だけを残して、僕の大切な人を奪っていくから。

 僕の恋は散り菊のように散った。

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線香花火 遠山李衣 @Toyamarii

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