社長、食後は口周りにお気をつけて
「警察は呼べないそうです」
「そんな、どうして」
「このホテルをつなぐ山道で土砂崩れが起きたそうです。復旧までには最低1日かかると」
「.....わかった。ありがとう」
川野は深くため息をつき、ロビーのソファーに腰を下ろす。その目の前では、スマートフォンで警察を呼んだ佐藤がポケットにスマートフォンをしまい、いつにない真剣な表情でフロントで話をしている高井を見ている。
「それで、どうでしたか?」
「はぁ.....どうも、土砂崩れが起きているそうで....警察とかの到着は明日以降になるとか....」
「そんな....」
フロントから戻ってきた高井はひどく青ざめた表情で川野に声をかけるも、川野からの回答を聞き、その顔は青ざめるを通り越して蒼白になりロビーの床に膝を落とした。
それもそのはずだ。大企業グループの元締めとも言える人物がホテルで亡くなったのだ。おそらく、今後とても大きな変わり目になることだろう。
「ということは川野、僕たちも帰れないということだよな」
「そういうことになりますね。残業代出ますよね?」
「出すから少し黙ってろ」
ソファーから立ち上がり、川野は高井に向かって深く一礼をし「お悔やみ申し上げます」と一言声をかけた。大泉 藤二郎が亡くなった原因はわかっていない。だが、先ほどまでホテルの会場で挨拶を交わし名刺を交換した間柄だったのだ。できればもっと色々と話を聞きたいと思っていたのにこのようなことになって内心残念でたまらないのである。
それに対し、高井もまた深く頭を下げ先ほどまでの交流会の雰囲気とは違いロビーはお通夜のような雰囲気が漂い始めた。
「この後の行事は、一旦全てキャンセルにするつもりです。藤二郎社長のご遺体も丁寧に整えさせていただいて....」
「あ、それはダメです」
「....は?」
突如、神妙な面持ちで話していた高井に入り込んできたのは紛れもなく佐藤だった。その手にはスマートフォンを持っており、電話をする様子もなくただ画面をスクロールしている。若干ではあるが、あまりにも自由奔放な部下に対して川野は多少の苛立ちを感じていた。
「どういうことだ。説明しろ」
「....わかりました」
川野の少し低めの声がロビーで唸る。だが、それに対し佐藤はいたって冷静にスマートフォンから一枚の画像を選択し、それを二人の前に突きつけた。画面に向けて覗き込む二人、そこに映し出されたのは紛れもない。ホテルの部屋で倒れている大泉 藤二郎の写真だった。
「これは、事故でも病死でもありません」
殺人です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「元捜査一課刑事?」
「はい。すでに退職していますが、警視庁には知り合いが多いです」
「川野さん、説明していただけますか?」
頭が追いつかないといった様子で頭を降りながら答える高井に対し、軽くため息をついた川野は廊下を歩く足を止め背後に立つ佐藤と高井に向かう形で頭を下げた。
「うちの秘書、佐藤 理華は元警視庁捜査一課刑事です。ある縁でうちの秘書として働いてもらってますが以前までは殺人などの現場で実際に捜査を行った実績があります」
「....私はてっきり元看護師なのかと」
それはそうだ。なにせ川野は佐藤のことを秘書兼医療ライセンスを持っている人間であるということしか紹介していないのだからそのような考えに行き着くのも無理はなかった。
「一応、医療系ライセンスは持っていたという程度らしく。そちらでの職務経験は彼女にありません。改めてお願いします、どうか彼女の言うことに耳を傾けてはいただけませんでしょうか?」
頭を下げ、川野と同様に高井に向けて佐藤も頭を下げる。それに対し、高井は多少混乱していた様子だが彼もそのようなことを問いただしている状態ではないとわかっているのだろう。
「わかりました。元刑事の手が借りれるのであればありがたい。こちらこそ、お願いします」
高井は懇切丁寧に頭を下げ佐藤の手を握る。佐藤もそれに応じ、足早に大泉 藤二郎の遺体がある部屋へと向かうために、エレベーターのボタンを押した。現在、大泉 藤二郎が泊まっていた部屋のある階は全面封鎖。そして、土砂崩れによって帰れないなどといった連絡はすでに回しており、降りてきたエレベーターからは説明を受けて不満げな今回の参加者がぞろぞろと川野たちの横を通り過ぎてゆく。
その中には、先ほど川野に食ってかかっていた大泉 賢治の姿とその縁談相手と思しき女性が隣で並んで歩いている姿が見えた。ちなみに、大泉 藤二郎が死んだと言う事実については未だに誰にも知られていない。
全員が降りるのを待ってエレベーターの横で待機をしている川野たち。だが、その目の前を通り過ぎた中で一人だけ異質な人物がいた。全員がノリの効いた背広をきているにも関わらず、その中でヨレヨレのスーツを着て降り無精髭を生やし片手にデジタルカメラを持った男がこちらに気づき、会釈をした後にそのまま通り過ぎていった。
「今の人は?」
「あぁ....どこかの雑誌記者だと思われるのですが....何しろ今回の交流会では記者等の出入りは許可していないのにもかかわらず、誰かが招待状を送ったらしく」
高井の言うことには、誰かが勝手に記者をここに呼び込んだと言うことらしい。しかし、来てしまっていることにはどうしようもないだろう。今回の事件について大事にならないことを祈るばかりである。
「川野さん。どうか、この件は警察が来るまではご内密にお願いします」
「こうも、秘密ごとが多くなると厄介ですね。お互いに」
高井は今回の一件を内密に納めたいようだった。そのため、大泉 藤二郎が死んだことについては川野以外には広めていない、部屋の管理のためホテルの人間には伝えてはいるようだが、今回の交流会の参加者には誰一人として伝わっていない。だが、この段階でこの一件が伝わってしまったらさらに混乱が起こるのは明白な事実ではあった。
エレベーターに乗り込み、向かうは大泉 藤二郎の泊まっていた部屋のある階。最上階のスイートフロアだ。もし、仮に大泉 藤二郎が殺されたと言うのが事実であるとするのならば、犯人はこのホテルの何処かにいるという事になる。
「ここの廊下には監視カメラが二台。犯人が写ってある可能性もあるので、後で確認するべきでしょう」
前を歩く佐藤が天井に嵌っている、黒い半球体の監視カメラを指差しながらどんどん部屋に向かってゆく。その後ろでついて来ている高井と川野はそれらを眺めながら足早について来ている。途中の廊下ではホテルの従業員が現場保存のために立ち入り禁止のロープを張っている。だが、佐藤はそれを慣れた手つきで潜ってゆき、たどり着いたのは未だに大泉 藤二郎が倒れているスイートルームの角部屋だ。
高井が手に持ったマスターキーを持って、扉の鍵を開けると電子音とともに扉がの向こう側でガチりと鍵が開く音がした。前回は、ここにドアロックがかかっていたため開くことはなかったが今ではちゃんと開くことができる。
「あの、すみません。素人目で申し訳ないのですが....」
「何でしょうか?」
後ろで佐藤の後をついていた高井がもしわけ程度で手をあげて発言をする。だが、彼が質問をしようとしていることはすでに川野にもわかっていた。
「もし、これが殺人事件であるとするのなら。部屋でドアロックがかかっていたというのはおかしくないですか? 部屋の外を出た後ではドアロックは掛けられないかと」
「そうですね。確かに、ですがまずは遺体を確認してから説明します」
靴を脱ぎ、部屋の中へと進んでゆく。佐藤はその際になるべく廊下の端の方を歩くようにと指示して来た。現場保存のために必要なことらしい。一人が過ごすにはあまりに広すぎるスイートルームの一室。リビングを訪れるとそこには先ほどと寸分違わない姿でうつ伏せに倒れた状態の大泉 藤二郎、やはりその姿はどこか異質な雰囲気を放っている。そして、川野の横で高井は悲しげな表情でその遺体を見下ろしていた。
その遺体に向けて、佐藤は一度合掌をするとどこからか取り出したのかゴム手袋を取り出し手にはめる。佐藤はこのホテルのキッチンから手袋を拝借したということを嵌めながら川野達の向けて話していた。
「まずは、この状態そのものがおかしいんです」
「状態が?」
「はい」
佐藤が指差す先には大泉 藤二郎の履いたスリッパがある。綺麗に両足にすっぽりと嵌っており、どこをどう見ても違和感を感じることはない。だが、元捜査一課刑事である佐藤の目には何かが映っている。
「もし、大泉 藤二郎様が何かの発作で亡くなられたのだとしたらこの状態はありえないんです」
「なぜ?」
「大泉 藤二郎様が亡くなった原因が仮に病死だとしましょう。おそらく藤二郎様はとても苦しい思いをしたはずです、であるにも関わらずポケットから携帯を取り出した様子もない。そして、部屋の備え付けの電話の方向にも向かっていません。これだけでわかることは、大泉 藤二郎様の死因が病死ではないということがわかります」
確かにそうだった。もし、急病で仮に心臓発作を起こしたとか、病状が悪化しとなったら普通は助けを呼ぼうとするだろう。しかし、目の前で倒れている大泉 藤二郎は全身を地面に投げたしたかのように倒れている。
そう、もしポケットから携帯などを取り出そうとして倒れたのだったら、手は体の下にあるはずなのだから。
「そして、二つ目です。一見、外傷が無いように見えますが、この部分を」
佐藤が指差すその先、川野と高井が揃って覗き込んだ先は大泉 藤二郎の頭のちょうど右側。綺麗にしっかりとワックスで綺麗にまとめ上げ固められている髪の毛だ。
「少しわかりづらいのですけど、ここの部分。ワックスがまだ乾いていないんです」
そして、と続け佐藤が大泉 藤二郎の髪の毛を両手でかき分けるようにして頭皮が見えるまでかき分けてゆく。すると、そこにはまだ真新しい裂傷と深く赤黒い血が地面に小さく広がってゆく。高井は座り込んでいた腰を軽く持ち上げ、小さく悲鳴をあげる。川野も同様、軽く腰を浮かし仰け反ったがその様子をただ、まじまじと見ている。
「今は司法解剖などの結果はありませんが、周りの家具に血痕が無いことからみて少なからず誰かに負わされた傷があったということですね。そして、これが死因と断定してもいいでしょう」
裂傷の深さ、そして一から考えておそらく殴られたのだろうか。素人の目ではどう判断していいかわからない川野は、混乱した目で佐藤のことをみるが彼女は手先を動かし、ゆっくりと大泉 藤二郎の頭の傷を隠していた髪の毛をもとに戻しているようだった。
「では、凶器なんですが。それもだいたいわかっています」
「え....凶器がある?」
腰を抜かし、ぼんやりとしていた高井が顔をあげて真っ青になったその顔を砂糖に向ける。そこにはもう、大泉大企業の秘書たる尊厳は微塵も感じなかった。
「はい、残念ながらもうこの部屋には無いようですが。おそらく灰皿を使ったのかと」
佐藤の言葉に川野と高井がハッとしたように辺りを見渡す。確かに、ホテルの部屋には必ずといってあるはずの灰皿がどこにも見当たらない。そして、灰皿で思いっきり頭を殴られたらタダではすまないだろうということもすぐに想像がついた。
「おそらく、犯人が持ち帰った。もしくはどこかに捨てたと思うのですが処分された可能性が高いでしょう」
「わ、わかりました。では、なんで社長が殺されたんですか。動機は?」
頭の中で理解をしようと苦しんでいる様子の高井だが、気になる部分ではあるだろう。人望が厚く、小さな企業を大きく成長させたカリスマ性まで備えた人間がなぜ殺されなければいけないのか。川野はたった十数秒しか話していない彼との記憶を掘り起こすが、殺されるような筋合いのないような人間に思える。
そして、それ以上にそう思っているのは高井であったのだ。しかし、佐藤はどこか悲しい表情をすることもなく、同情の気遣いもすることのない表情でただ「わかりません」と口にする。
「どんな人間でも、必ず誰かから恨みを買うことだってあるでしょう。それは、私もそうですし、川野社長もそうです。このホテルの中にいる人間の誰がそう思っているかわかりませんよ」
手袋を外しながら淡々と佐藤は答えた。その言葉の意味こそは佐藤自身がよくわかっていることであり、その言葉の重みを川野は誰よりも理解していた。続けて、彼女はU字型のドアロックは外からでも中からでも紐さえあれば簡単に開け閉めすることが可能だということを説明した、それはネットでも簡単に調べることができ、犯人もおそらくそれを利用したのだろうと説明をする。
「さて。これで大泉 藤二郎様が殺されたという証明を行いました。高井秘書、改めてお悔やみ申し上げます」
「は、はい。でも、犯人は?」
「このように、私は今ただの秘書です。警察官系の仕事は今しておりませんので、私にはどうすることも....」
「あ....そうですよね。すみません、変なことを....」
佐藤の言う事はもっともだ、今回は現場保存をした方がいいという助言のために大泉 藤二郎が殺されたという事実証明をするために元捜査一課刑事という手腕を振るったのだ。だが、それは過去の話、今は川野の秘書という仕事を行なっている。
佐藤の言う事はもっともだった。
「高井秘書、現場保存をホテルのスタッフに手配してください。あとはこの件を明日の朝に報告することを進めます」
「それは....」
「犯人が逃げられないようにするためです。おそらく犯人はこの遺体を病死や事故死に見せかけたくて髪に細工をしたり床にうつ伏せで寝かせるようなことをしたのでしょう。バレているということがわかれば、犯人は動揺するはずです。それでもし犯人がわかったらラッキーですけど、早く見つかれば早く見つかるほどいいですから」
確かに、殺人犯がいるような場所にはあまり長居はしたく無いというのが本音だろう。それに、今は土砂崩れが起こってこのホテルは事実上陸の孤島となってしまっている。こんな雨の中犯人だって逃げたいとは思わないだろう。
「すみません、こんなことに首を突っ込んでしまい。では、失礼させていただきます」
「いえ、こちらこそ。警察が来るまでは誰も入れさせませんので、どうぞ川野社長も部屋でお休みになってください。大変ご迷惑をおかけしました」
「はぁ....では、失礼いたします」
こうして、大泉 藤二郎のいる部屋を後にした。廊下に出ると、窓の外ではいまだに雨が降っており時折雷が鳴っているようだった。エレベーターに乗り、その中では無言の空気が張り詰めている。
大泉 藤二郎はなぜ殺されたか。そんなことが頭の中では浮かんでは消えてゆく。犯人は、おそらく社長と一緒に部屋で過ごしたのだろう。だが、社長は相手から何か恨みを買っていたのか、灰皿で殴られそのまま亡くなった。犯人は、その後、遺体に細工をして殺されたという事実を隠蔽し、そして密室を演出するためにドアロックまでかけた。一連の流れを見て、計画的な犯行とみて間違いないだろう。となると、犯人はおそらく廊下の監視カメラに写っているはずだ。
案外、犯人は簡単に見つかるかもしれない。
「川野社長? 川野社長、着きましたよ?」
「え、あ。あぁ、すまない佐藤くん」
ハッとし、前を見るとすでにエレベーターのドアは開かれており佐藤が心配した表情で顔を覗かしていた。エレベーターでパネルの操作をしていた高井に一礼して就寝の挨拶をし、ドアが閉まろうとしたその時だった。
突如、ドアの間に佐藤の足が挟まる。
「え、どうかなさいましたか?」
「すみません。質問なんですけど、大泉 藤二郎様は、あの立食の時にエビチリを食べられていましたか?」
「え....いや。社長は病気を患ってから、あまり油物は口にしておりませんので。あの場にはいなかったのですが、おそらく口にはしていないかと....」
「....そうですか。すみません、ありがとうございます。おやすみなさい」
「はぁ、おやすみなさい」
エレベーターのドアが閉まり、高井を乗せたエレベータは下へと向かってゆく。あとは各自、部屋に向かうのみだ。
「どうしたんだ、腹でも減ったか?」
「えぇ。でも気になることがあって」
時刻は午後11時を回る頃だ。すでに廊下に人影はなく歩いているのは佐藤と川野の二人だけである。
「....ルームサービス頼んでやるよ」
「え、いいですかっ」
「あぁ。俺のおごりだ」
「わぁ、ありがとうございます。まだディナーって大丈夫ですかね」
「調子にのるな。夜食だぞ、サンドイッチで我慢しろ」
佐藤の明るい表情を見た川野は心のうちでは安心していた。痛いのあった部屋で見ていた彼女の顔は、川野の知らないまた別な顔でそれは彼女が秘書として働いていたものとは全く別なものに見えていたからだ。知らず知らずのうちに、ポケットに手を入れ少し頬を緩ませながら、川野は自室の部屋を開けた。
「あ」
「どうした?」
「....すみません。部屋の鍵、おいてきちゃいました....」
隣で同じように、ポケットをまさぐっていた佐藤が素っ頓狂な声で川野のことを困った表情で眺めている。
「フロントに行けば開けてもらえるぞ」
「....めんどくさいんで、今日は社長の部屋に泊まっていいですか?」
佐藤の腕が川野の腕に絡まる。二人の身長は、佐藤がハイヒールを履いているからという理由もあってか、同じ頭の高さで二人の顔が重なる。
「それに、今日は奢ってもらえるんですよね? 社長?」
「....わかった。ほら、入れ」
「えぇ、ありがとうございます」
朝まで、お食事しましょう?
別に秘書が優秀すぎても構わないのでしょう? 西木 草成 @nisikisousei
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