社長、鍵はお持ちになりましたか?

「よし、原稿は完成っと....」


「お疲れ様です。お時間まで後二十分ほど余裕がありますね」


「そうだな、案外早く終わってよかった」


「なのでルームサービスを頼んでもよろしいでしょうか? サンドウィッチが食べたいです」


「まだ食い足りないのかよ....」


 佐藤の食い意地にも困ったが、確かに部屋の中で作業をしていたせいか小腹が空いている感じがする。佐藤からメニューを受け取り、注文する料理を決めようかと思ったら、メニューを覗き込んで愕然とする。大抵の料理は二千円越え、サンドウィッチですら千円を超えるのだ。


「私はこのBLTサンドというのが食べたいです」


「....1200円か....」


「今日の社長。ものすごく決まってますよ」


「このネクタイ緩めて第一ボタン開けっ放しの格好を見てそういうんだたら、有給休暇使って眼医者に行ってこい」


「では頼みますね。普段社長のことなんか褒めないんですから、当然の報酬としていただきます」


「え、いや待てっ! せめて割り勘とかっ!」


 いつの間にか奪われていたルームサービスのメニュー。そして、今まさに部屋に備え付けてある電話の受話器に佐藤が手を掛けようとした、その時だった。


 大きな爆発音が部屋に鳴り響き、次の瞬間部屋の全体がいきなり真っ暗になる。どうやら停電のようだった、真っ暗闇の中で備え付けの懐中電灯を探してつけようと思いベットから立ち上がると、突如明るい光が目に刺さる。


「大丈夫ですか、社長?」


「あ、あぁ。大丈夫だ、よく見つけたな」


「暗くてもわかるように、こういったライトは蛍光シールが貼られてるんですよ。それにしても、電話が使えなくなってしまいましたね」


「そ、そうだな」


 内心、川野は高いサンドウィッチに手を出さなく済んでよかったと思っていた。その後、佐藤の照らしてくれるライトでノートパソコンを探り当て起動させる、オープン画面のブルーライトが部屋を照らすが、肝心のスライドなどを確認するとしっかりと残っているようで安心した。


「どうしたんだろ。停電だよな」


「おそらく雷が落ちたのではないかと。外はひどい雨と雷ですし、このホテルも高所に建てられていますから」


 確かに、部屋の窓に叩きつける大粒の雨に時折聞こえてくる雷の音から考えて佐藤の言うことはおそらく正しいだろうと思った。すると、部屋の扉をノックする音が聞こえてくる。佐藤の照らすライトを頼りに、扉の前まで向かい鍵を開けると、そこにはここのホテルのボーイらしき人物が一礼をして立っていた。


「川野様ですか?」


「はい。そうですが」


「大変ご迷惑しております。先ほど、ホテルに落雷があり全設備で停電になっております。大変足元が暗いので、電気が復旧するまで部屋でお待ちいただけるよう、ご協力お願いします」


「わかりました、ありがとうございます」


 そしてボーイは再び一礼すると、手に持った懐中電灯でそのまま違う部屋のところへと向かって行った。


「早い対応ですね」


「そうだな。まだ停電になって二分も立ってないだろ」


 振り返ると佐藤は自分の顔を下から照らし感心した面持ちで見ていたが、それに関しては川野も同感だった。さすがは、大泉グループの経営するホテルである。主催者の度量もさることながら、会社のあり方やサービス精神まで見せつけられた気分だった。


「さて、言われた通り。中で待つか」


「サンドウィッチは?」


「こんな状況でまだ食う気か....」


 部屋の扉を閉め、中で待機する。電気が復旧したのは10分後だった。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『ファインゲームズ株式会社 川野 康太社長でした。続きまして....』


「社長、しっかり」


「....吐きそう」


「大丈夫ですか? 白湯スープ飲みます?」


「席に戻ったらね....」


 今頃こみ上げる吐き気に口元を押さえながら席に戻る川野。それもそのはずだった、その前後で待ち構えているのはこれまた有名な企業のプレゼンテーション、もはやその並びに悪意を感じざるを得なかった。しかし、川野自身ベストを尽くしたと思っていたし、はたから見ても新会社にしては良い印象を与えることのできたプレゼンテーションだった。


 席に戻り、佐藤から渡された白湯スープを口に運び込むと優しい口当たりとさっぱりした味のスープに頭をスッキリさせることができた。そして、先ほど川野自身が立っていたステージに顔を向けると、そこには御曹司の大泉 賢治が白いスーツから黒のスーツに着替えてステージの上に立っていた。アナウンスからの紹介に一礼をして立つその姿は、プレイボーイとしての一面ではなく一つの会社を引っ張ってゆく社長の顔をしている。


『紹介ありがとう。父の真似をするわけではないけど、もう一度名乗る必要はないかな』


 まずはじめに、会場の全員を笑いに誘った彼は冗談を交えた人を惹きつけるトークで会社の概要と今後目指す未来像を話している。とてもではないが、先ほどまで秘書にナンパを働いていたとは思えない姿だ。


 辺りを見渡せば、他の会社の年の行った社長たちも目の前で話している若い青年の話に釘付けになっている。それだけ、歴戦の社長たちの心を鷲掴みにしていると言うことだ。そして、川野自身も例外ではなかった。


『では、最後に。父は厳格なクリスチャンでしたが何分、無宗教な私でして。代わりと言ってはこの言葉で締めさせていただきます。「為せば成る、為さねばならぬ。何事も」』


 大勢の拍手に包まれて大泉 賢治はステージから降りて行った。この後にプレゼンテーションを行う会社は気の毒だろうなぁ、と思いながらスープの中に入った鳥を齧る。隣で座っている佐藤はワインを片手にステージを降りて行った彼を眺めていた。


「そういえば、お酒飲めるのになんで嘘をついたんだい? 佐藤くん」


「私、プレイボーイって感じな人苦手なんです。カマかけても、ああ言う人はやっぱりダメですね。嫌いです」


「なぁ、本当にカマだったのか? 飯につられただけなんじゃないのか?」


「ほら、社長もワインどうぞ。辛口ですけど飲みやすいですよ」


 完全に無視した佐藤がこちらにワイングラスを差し出してくる。口に含めば、確かに佐藤の言った通り辛口でも飲みやすい赤ワインだった。ワイングラスを佐藤の方に返し、ステージの方をみるとそこでは先ほどの発表の影響か緊張して声が震えている川野と同じ境遇の新社長がプレゼンテーションをしている。だが、その状況をあえて利用した明るいスピーチでなんとか場の空気は保っているようだ。おそらく元は性格の明るい男だったりしたのだろう、こういう場に出てそう言った性格の明るさは顕著になる。自分もこういう性格だったならば、などと苦笑いしながら川野はステージを眺めているところだった。


「あれ? お酒飲めたんだ」


「あ....」


 突如、かけられた声に振り返った川野と佐藤。そこにいたのはニタリと口元を歪めた大泉 賢治の姿だった。先ほどプレゼンを行っていた人物とは思えないようなネクタイを外し、だらしなく第一ボタンを開けているその姿はどこぞのチンピラにしか見えない。


「ねぇ、今抜けてさ。上のバーで飲み直さない? こんな交流会、暇でしょ?」


「え、それは....」


 またしても、完全に川野のことを無視して佐藤に対して執拗に迫ってくる大泉。その目は弱みに漬け込もうとしている人間の目にしか見えなかった。そして大企業の会社グループの社長がこんな人間なのかと、呆れを通り越して怒りが川野には湧いていた。何もそれは佐藤に手を出されたからではない、この新しい企業にとって生き残るかどうかの瀬戸際の交流会のことを『こんな』と蔑んだ彼が許せなかったのだ。


「ちょっと、その言い方は失礼ではないですか?」


「ん? いま彼女と話ししてんだけど、口挟まないでくれます?」


「えぇ。ですが、それ以前に彼女は僕の秘書です。たとえ、立食会や、あなたのいうであったとしても。彼女は今勤務中なのです、どうかお引き取りいただけませんか」


「....へぇ。ヘタレだと思ったけど。言うところは言うんだ」


 席から立ち上がった川野は大泉を睨みつける。が、涼しげな表情で大泉は背広のポケットに手を入れ徐々に近づいてくる。そんな大泉に川野は身構えるがゆっくりとこちらの肩にぶつかって来た彼は耳元で囁いた。


「....来年も、ここに来れたらいいね」


 その一言で、川野の堪忍袋の尾が切れた。大きく振りかぶった右手はそのまま大泉の顔へと吸い込まれるように伸びてゆく。しかし、次の瞬間。相手の胸ぐらを掴み振りかぶった右腕は大泉の顔に届く寸前のところで止められた。


 止めたのは何者でもない、佐藤だった。


「社長。周りを見てください」


「っ....」


 ふと辺りを見渡せば、川野の振り上げた拳に周りのテーブルの席にいる人はもちろん。プレゼンテーションをしているステージの人間も話を止めてこちらを見ている。分が悪いのは明らかに川野だ、相手の胸から手を離し上げた腕を降ろす。そして、その腕を握っているのは佐藤だった。


「大泉社長。今までの非礼を謝罪致します、ですのでこの場では勘弁いただけないでしょうか?」


「ま、いいけどさ。君、新人の社長でしょ? こう言う場では、キャリアとコネが物を言うって言うことを覚えておいたほうがいいんじゃないかな? 少なからず、ここに俺の敵はいない」


 勝ち誇った表情で背広についたシワを直す大泉。終始にらみ合いが続き、一触即発の空気が辺りを包み込み始める。だが、その空気を割って入ったかのように大泉の背後から近づいて来た人物がいた。


「社長....っ、少々お耳を」


「あ、なんだ高井....」


 神妙な面持ちで近づいて来た高井は大泉の顔のそばで耳打ちをする。しかし大抵耳打ちというのはこちらにもある程度聞こえてくるものだ。


『お父様がお時間になっても部屋から出られないのです』


「....なんだ、別に気にしなくていいだろ。もう寝ちまったのと違うか?」


『ですが、もしや病気が....』


「ちゃんと薬だって飲ましてある。まだ心配だって言うんだったら、お前がマスターキーを持って部屋に行けばいい」


 話の内容から察すると、どうやらこの御曹司の父親が部屋から出て来ないのだそうだ。確かに、この会場で彼の姿を見ていない。主催者と書かれた札の置いてあるテーブルにも彼の姿なかった。


 しかし、彼が病気だということは川野は初めて知った。とてもそのようなそぶりは見せてはいなかったのと、比較的彼と同年代人間には思えないくらい血色は良さげだった印象が強かったためだ。


「とにかく放っておけ。俺は知らん」


『ですが....』


 困った様子の高井だが、当の本人は知らん顔である。


「なら、自分が行きましょうか?」


「え? いや。それは....」


「佐藤はこう見えて応急処置等の医療行為がある程度できます。一応資格もありますので、万が一....と考えてどうでしょうか?」


 隣で静かに頭を下げる佐藤。しばらく、悩んだように顎に手をやった高井は一度大泉の方に向き合うと、こちらを見直し頭を下げた。


「申し訳ありません。お願いいたします」


「えぇ、こちらこそ。いいか、佐藤くん?」


「もちろんです。では、お部屋に案内していただけますか?」


 高井が会場の出口まで案内をする。佐藤が大泉の横を通るとき、確かに足を踏んで行ったのを川野は見逃さなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「ホォ、通信教育で看護師の資格を」


「えぇ、秘書にしては勿体無い資格を持ってましてね」


 ホテルの廊下を高井と川野が並んで歩く。川野自身、これはチャンスだと思っていた。なにせ大企業の秘書とこうやって会話をすることができるのだこれで新しい繋がりができたとするのならば大泉の一件は軽いものに見えてしまう。そして、そんな二人の様子を後ろから軽いハイヒールの音を鳴らし近づいてくる佐藤の姿があった。


「ここです」


 エレベーターに乗り、着いた場所はホテルの最上階部分にある廊下だ。窓から見える景色は今だに雨が降り続いていて、窓を打ち付ける雨の音が明るく彩られた廊下をどこか物々しい雰囲気を感じさせる。そして、その一番奥の部屋が主催者の大泉 藤二郎が泊まっている部屋だ。


「そういえば、病気とか話されていましたけど....」


「あぁ....このことはぜひご内密にしていただきたいのですが....」

 

 高井の言うことには、大泉 藤二郎はガンを患っており闘病生活に苦しんでいるのだとか。詳しい話は聞くことはできなかったが、高井の表情を見る限りではおそらく相当病状が進んでいるのだろうと思われた。


 廊下への道は一直線で、等間隔に並んだ部屋の扉の中で主催者が止まっている部屋は一番角部屋だった。その扉の前に高井が立つと、扉の横に備え付けられているインターホンのチャイムを押す。


「もしもし、お休みのところ失礼いたします。藤二郎様、聞こえてらっしゃいますか?」


 数秒待ったが、応答なし。すでに高井は何度かここに足を運びインターホンを鳴らしているのだそうだが、一向に中にいる人物が応答することはなかったのだという。確かに、高井が心配するのも頷ける話だった。


「高井さん、マスターキーは?」


「えぇ、ここに」


 背広の胸ポケットから、一枚のカードを取り出す。ここのホテルは全てカードキーでの施錠だ。そして、オートロック式で鍵を持たないで外に出たら、中に入るためにはマスターキーが必要になる。


「高井さん。おそらく、開けて入ったほうがいいでしょう。もし中で何か事がおきてたらでは遅いですし」


「....そうですね、そうしましょう」


 高井が頷き、マスターキーをドアにかざす。軽い電子音が鳴った後、ドアのロックが解除する音が鳴った。


「すみません失礼しま....っ!」


 高井がドアを開けようとした瞬間、ガキリとドアガードでドアが開かないように固定されている音がした。となると必然的に、内側から完全に施錠されているということである。他ならない、大泉 藤二郎に。


「社長、失礼します」


「え、佐藤くん?」


「このタイプのドアガードでしたらすぐに開けられるので」


 背後で様子を黙って見ていた佐藤が、手に持った先ほど行ったプレゼンの資料の入ったクリアファイルを手にして扉の前に立つ。彼女は空いた扉のドアガードの部分にクリアファイルを挟み込み、そしてそのまま扉を閉じる。すると、扉の向こう側からガタリと音がなり、再び扉を開けると見事ドアガードが外れ扉をあけることができた。


「中に入りましょう」


「う、うん」


 扉を押し開け部屋の中に入る。さすがはスイートルームと言うべきか、しっかりと玄関まで備わっており、そこには一足分の靴が並べられている。靴を脱ぎ部屋に上がると小さなマンションの一室のようにリビングへと続く廊下が見える。高井の頼みで佐藤と川野は玄関先で待つことになり、待機することになり、あたりを見渡すが所々に大泉 藤二郎の持ち物と思しき荷物が置かれており、キャリーバックの置き方や、服のかけ方などやはりどこか気品のあるもの感じる。


 だが、そんなことに感心しながらぼんやりとしていると次の瞬間。廊下の奥で軽い悲鳴の上がる声が廊下に響いた。そこ声は確かに、高井のものだ。


「っ、どうかしましたか!」


「はっ....ぁっ!」


 ひどくおびえたような息遣い。佐藤と川野は廊下を駆け抜け、奥のリビングへと駆け込むとそこには尻餅をつき壁に背中を押し付けながらひどくおびえた表情で床を指差している高井の姿があった。


 そして、そんな彼の指差すその先には。地面に倒れこむスーツ姿の何か。


 それは、明らかに人間の姿をしているがどこか感じる無機質なもの。まるで何かが抜け落ちたかのように夏のひとときの道に転がるセミの亡骸のように感じるそれに川野は目を離すことはできなかった。


 しかし、それを佐藤はまるで物珍しげなものを見るような子供の目線で屈み込みながら顔を覗き込む。


「大泉 藤二郎さんです」


 佐藤は一言、そして続けざまに首元に手をかざししばらく目をつむった後なにか確信を得たかのように一つ軽く頷くと目を開いて、壁に持たれて正気を失った目でその様子を眺めている高井にとどめを刺した。


「亡くなっています」

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