別に秘書が優秀すぎても構わないのでしょう?
西木 草成
社長、傘はお持ちでしょうか?
社交界というのは、案外肩身がせまいものだ。特に新しい会社。いわゆるベンチャー企業なんていうのはより多くの関係を持つことが浮かんでは消えてゆく、この世知辛い世の中に生き残るための重要なキーなのだ。たとえ、それが苦手分野なことであったとしても、一度は多くの社員を引きゆくという立場になった以上、避けては通れない道だろう。
「どうもこんにちは、君は....」
「どうも、私。アプリゲーム制作会社の社長をしております『ファインゲームズ』の川野 康太と申します」
名刺を差し出す。差し出した名刺は、この交流会のために数週間かけて作り上げた自信作だ。よりシンプルに、そしてゲーム制作会社の社長として遊び心を加えた一品となっている。それを受け取った初老の男性は一瞬眉間にしわを寄せた後、再び柔らかな微笑みで目の前の青年をみる。
「ホォ、交流会に参加されるのは初めてかな?」
「え、はい。そうです」
「そうか....なら、ここでいろんな人の社長としてのあり方を見てゆくといい。そこで、君が成功するか、失敗するかが大きくわかることだろう」
「あ、ありがとうございます」
「これは私の名刺だ。持っておきたまえ、応援してるよ」
肩を大きく叩かれ、去り際に渡された一枚の名刺。そこにはシンプルに名前と企業名が書かれているのみだ。なんの小細工はない、だがそこに書かれている会社名は一般人も一度は耳にしたことはあるであろうITの大企業が記されていた。
改めて思う、大きい人物はやはり度量も大きいものなのだと。
ファインゲームズ社長の川野 康太は普通の高校を選び普通の大学を卒業した。特に何か特出した点があるわけでもなく、何かにおいて優秀な成績を納めたという経験はない。だが、そんな彼が唯一得意としていることは、ゲームだった。後に、大学を卒業後プログラミングを学び、大学仲間で作ったサークルコミュニティーで販売したゲームがヒット。それを基盤に、仲間内で会社の設営を行ったという経緯を持つ。
そして、現在いる場所はとあるホテルのパーティー会場。ここではITから携帯ゲームアプリの開発、そしてプログラマーに至るまで、その様々な第3次産業を支える企業の権威を持つ人々の集まる、立食会を兼ねた交流会である。そこでは、名の知れ渡った大企業から川野のようなベンチャー企業として新しく会社を立ち上げたものなど、ピンからキリまで、本当に様々な人間がここに集まっている。
「このような場所にお呼びいただけるなんて。光栄ですね、社長」
「....佐藤くん、その両手に抱えているものは何かな?」
「社長も食べられます? この蟹、とても美味しいですよ?」
「遠慮しておく、脂っこいものは苦手なんだ」
「勿体無い....社長はベジタリアンでしたものね」
そう言いつつ、両手に持った蟹を次々と口に頬張ってゆく長身の女性。頭をお団子でまとめ上げ、その長身に見合うショートスカートから見える黒タイツを履いた長い足は周りの多くの男性社長の目を引いている。
佐藤 理華。川野が会社設立の時からの付き合いであり『ファインゲームズ』のブレインとして、様々なアイディアの立案、そして様々な人脈を掌握している。言うなれば『ファインゲームズ』の裏社長とも言えるべき存在である。
「女の子なんだから両手に料理を持つなんて行儀が悪いだろ? ほら、僕の皿を貸してあげるから」
「ありがとうございまふ。しゃひょう」
器用に皿を受け取り、右手に持った蟹を皿の上に乗せて周囲をキョロキョロ見渡している。とても見てくれはいいはずなのに、この食い意地はどこから出てくるのだろうか。佐藤の持つ北京ダックがみるみるうちに消えてゆき
「それにしても、ものすごいパーティーですね。さすが大企業主催の交流会」
「あぁ、本当だ」
「社長もすごいですね。いきなり主催者とお話しをされるなんて」
「そうだな、他にも色々と声をかけたい人はいるんだけど....隙がないなぁ....」
周りを見渡せば、事前に調べておいた企業の社長やら責任者がチラホラ見えるわけだが流石にそういった人間にはいろんな人が集まる。ポッと出の会社の社長が付け入る隙などはないのだ。
「はぁ....今日はもうダメか....」
「まぁ元気を出してくださいよ。このできたてのエビチリ、とても美味しいですよ?」
「だから僕は脂っこいものは食べれないって....」
次の瞬間、パーティー会場に大きな音が響き渡る。一瞬、全員の動きが一旦止まり、ざわめきと共に周囲をキョロキョロと見渡すが、パーティー会場の窓から見える納得のいく光景を見て会場の空気が再び元に戻る。
外は、すでに夜。しかし、大きい雨雲が暗く空を覆い尽くしており雷が遠くの方で走っているのがうかがえる。そして、それを合図にするかのようにしてザァーという音が人々の会話の間を縫って聞こえ始めた。
「降ってきましたね。傘を持ってきて正解でした」
「さすが」
「えぇ。私は優秀ですから」
優秀と自負するのならば、皿にがっついてチャーハンを口に押し込めるのはやめていただきたい。すると、パーティー会場の方で何やら人だかりが出来ている。何かと思い見てみれば、パーティー会場に新しい人間が入ってきたようだ、人の集まり方から見て有名な人物なのだろうか、だとしたら少しでも御眼鏡にかなっておかなくなくてはなるまい。そのために、大切な経費から出張費を削ってここまできているのだから。
スーツを整え、パーティー会場の入り口へと向かう。すでに多くの人が出迎えているように見える。川野は深く息を整えワイングラスを片手に、そして佐藤は片手に先ほど出されたばかりのエビチリの盛り合わせを持って川野の後ろについて歩く。
入口を取り囲んでいるのは、どこかで見たことのある大企業から子会社の社長やら責任者まで。そして、それらの中心にいる人物は少し背伸びをして見てみると、長い黒のロングコートに白のスーツ。雨が降ってからきたのか、綺麗に染め上げた金髪の髪の毛がぐっしょりと濡れた犬みたいに萎れている。だが、どこかで焼いたのかその黒い肌に雨水が滴っているその姿は、東京の街を歩いていれば多くの女性を振り向かせることができそうだろう。
そして、そんな彼の横についている黒いドレスを着た女性。隣で並んでいる男と同年代くらいに見えるが、どこか線の細そうで彼女だけは雨に濡れていなかった。仕事仲間だろうか。それとも、恋人なのか。何れにしても親密な関係に見える二人の距離感がとても印象に残る光景だった。
「あれは主催者の息子さんですね」
「そうなのか? 道理で見たことないと思ったら」
「お父様の子会社の一つを受け持っているそうですよ。なんでも、次期社長候補だとか」
「フゥン。まぁ、コネを売っておいても悪くはないか....な?」
大企業の子会社を受け持っているのだからそれなりに大きい器の人間なのだろう。そして、周りを取り囲んでいる人間の出迎え方から見てやはり考える事は皆同じかと川野は思った。だが、そんな彼らの後ろにもさらに人がついてくる。彼らの後ろから付いてきたのは、首から一眼レフを下げ丸メガネをかけ、ヨレヨレのスーツを着た太った男性。見た所、記者だろうか彼は目の前の主催者の息子同様、雨に濡れて肩までびっしょりである。
「記者の方もパーティーに招待されてたんですね、知りませんでした」
「このパーティーのことを記事にするのかな?」
「さぁ....」
スプーンを片手に首をかしげる佐藤だが、しばらく様子を見ているとさらに続々と人間がパーティー会場に入り込んでくる。外は相当な雨なのか、全員が濡れた格好で入ってくるがしばらくすれば、一旦休憩ということで解散になるから全員そのタイミングで着替えるのだろう。
『皆様、どうぞステージの方にご注目ください。本日の交流パーティーの主催者である大泉 藤二郎の挨拶です』
司会の音声がスピーカーを通じて会場に響き渡り全員が動きを止め、顔の向きがパーティー会場の前方にあるステージへと向けられる。会場の照明が消え、ステージにスポットライトが当てられる。そして、スポットライトの当てられているその中央には先ほど名刺交換を行った男性がマイクを手に持ち晴れ晴れとした表情で立っていた。
『どうも皆様、敢えて名乗るのは止しましょう。このパーティーの主役は、ここに集まった皆様なのですからね。私は、その代表として言葉を紡がせていただきます』
深々と礼をした大泉の姿には威厳とした態度と、人としての度量の大きさを感じる悠々とした人間性を感じ取ることができる。たったこの一言で、会場にいる全員の心をつかんだろう。
『バブル崩壊から十数年。日本は不景気というドン底から僅かに顔を出し、今息を吹き返そうとしています。ここに集う未来の日本を担う皆様、どうぞこれからこの国を大きくするために、結束し、助け合い、繋がり合い、世界という大きな波に立ち向かうために大きく帆を張ってください。皆さんならできます、明るい未来を見せてください』
バックのスクリーンには、高度経済成長を続ける日本の姿を捉えた過去の映像資料集をつなげて流し、そして現在の日本の姿を持ってくるといった視覚的にも聴覚的にも大きく魅せる挨拶だ。
『未来は明日から始まるのではない。今日から、今から始まるんです』
大きく手を広げ、スクリーンの映像が一際輝く、同時にスポットライトの明かりが消え、再び暗い空間へと戻った。その瞬間、会場全体を大きく揺らす歓声と拍手が起こる、川野も負けじと大きく手を叩く。さすがは大企業を持ち上げる社長の挨拶だと思った、いずれあのように素晴らしいスピーチをできるような日が来るのだろうか。
「....息子さん、大泉社長のこと嫌いなんですかね?」
「ん? なに?」
「ほら、あそこ。ずっと腕を組んでムスッとしてて」
「ん、あぁ。本当だ」
暗がりに目が慣れた川野が斜め向かい側の丸テーブルの方を覗き込むと、暗い中でもよく目立つ白いスーツを着た男が腕を組んでステージ上を睨みつけているのが見える。少なからず、尊敬の眼差しとは程遠いと思った。
『これより、休憩に入ります。続きは一時間後です。予定している内容としては....』
突如、パーティー会場が明転。一気に明るくなった会場に目がチカチカする。司会のアナウンスにより、休憩の合図が入ると参加者はそれぞれ手に持ったシャンパングラスや、料理の乗った皿をそれぞれテーブルの上に置き会場を後にし始める。この後予定しているのは、各企業の二分にも満たないプレゼンテーションだ。川野はこれのために来たと言っても過言ではない。
「はぁ....胃が痛い」
「社長、杏仁豆腐食べます?」
「うん....ちょっともらおうかな....」
佐藤の食い意地は相変わらずだった。彼女から、杏仁豆腐の入った器を受け取り、スプーンですくい上げ口に運ぶと程よい甘さが疲れた胃に染み込むようだった。出口に向かうまで杏仁豆腐を口に運びながら今後のことを佐藤と確認し合う、話す内容はスクリーンでスライドを動かしながら会社の概要を話すだけなのだが、原稿が未だに完成していない。部屋に戻ったら即刻取りかかろうという話だ。
「やっぱり三枚目のスライドで.....」
「ごめん、ちょっといいか?」
「....え?」
突如、背後から声をかけられる。振り返れば、肌の黒く焼けた好青年がこちらの肩を掴んで引き止めていた。ニッコリと微笑むその口からは白い歯が覗き、どうしたらこんなにも白い歯にできるのだろうと不思議に思う。
「えっと....大泉さん....ですよね?」
「はい、そうなんだけど....その彼女さんは、お兄さんの秘書?」
「お兄さん.....まぁ、はいそうですけど。何か....?」
「うん、ちょっと失礼....っ」
「うお....っ」
肩に乗せられた手が思いっきり後ろへと引っ張られバランスを崩し思わず背中から地面に倒れそうになる。青年の向かった先は、杏仁豆腐を頬張っている佐藤のところだった。
「ねぇ、君。この後空いてる?」
「....いいえ、私は社長と一緒にこの後のプレゼンの原稿を....」
「まぁまぁ、少しこの屋上のバーで一杯。付き合ってくれないかな?」
佐藤の肩に優しく手を置き、甘い言葉で佐藤に言い寄るその姿はナンパだ。確かに、佐藤はスタイル良し、器量好し、顔も良しと三拍子揃っており、秘書にしておくには全くもって惜しい存在なのだが、川野はまさか他の会社の社長から言い寄られるとは思いもしなかっただろう。そして、こんな公衆の面前で堂々とナンパを行えるその勇気に川野は違った意味で感心していた。
しかし、自分の会社の大切な秘書が目の前でナンパされているのだ。みすみす見逃すわけにもいかないだろう。
「ちょっとすみません。いいですか? すみません、うちの佐藤とはこの後プレゼンの原稿を....」
「へぇ、何か奢ってくれるんですか? お酒は全然ダメですけど、なんだか食べ足りない感じですし。お食事なら付き合いますよ?」
「な....っ」
目の前で杏仁豆腐を頬張りながら、堂々と職務放棄を宣言した自分の秘書に空いた口が塞がらない。その返答を聞いた青年の顔がニタリと微笑む。
「でしたら、うちの部屋でルームサービスを取ろう。それでいいかな?」
このままではうちの秘書が大企業の御曹司にお持ち帰りされてしまう。それだけは防がなくては。だが、川野が手を出す前にこちらに近づいてくる一人の男性がいる。その男性は、御曹司の肩を掴み上げ佐藤から彼を引き剥がした。
「大泉 賢治社長。何をなさっておいでですか?」
「っ....別に、ただ声をかけていただけだろ」
「なら結構。ですが、その暇はないと思われますが? 社長も、休憩後のプレゼンの準備に取り掛かるべきかと」
「....あぁ、わかったよ。俺の部屋に書類一式置いておいてくれ」
「わかりました....」
一気に表情が変わった大泉は軽くこちらを睨みつけた後パーティー会場を後にした。そしてそんな大泉の行為を止めた男は軽くため息をついた後、川野の方に向き直った後深々と一礼をした。
「社長がそちらの秘書様に飛んだ失礼を。私は、大泉クリエイターの社長秘書兼広報を担当しております。高井 義昭と申します」
「ファインゲームズ社長の川野 康太と申します」
名刺交換を行いながら川野は恐る恐るパーティー会場を出て行った御曹司の背中を追うが、こちらを振り返ることなくそのまま会場を後にしたのが見えた。高井と名乗る男はタキシードに身を包み、秘書というよりかは執事という印象を受ける。見た所50代くらいだろうか、何処と無く優しい面持ちとぴっちりと固めてある髪を見て失礼とは思うが、こちらが社長なのではないかと疑ってしまう。
「改めてお詫びをさせていただきます。社長は少々気の多い方でして、このようにそばで見張っておかないとすぐ女性に手を出してしまうのです」
「主催者様の息子さん....ですよね? 確か、一緒に女性といらっしゃいませんでしたか?」
「....はぁ、えぇそうです。彼女は社長の縁談相手でございまして。良いお家柄の方なのですが、どうにも社長と気が合わなく.....」
気の毒な話だと思った。せっかくこういった会場で付き添えることになったのに、当の本人は目の前で違う女性をナンパしているのだから。そして、後ろの方を振り返ると、どこか幸薄そうな女性がこちらに軽くお辞儀をし、会場を後にした。その女性は、確かにあの御曹司の縁談相手だという女性だった。
「そちらもそちらで大変そうですね。どうぞ、頑張ってください」
「いえいえこちらこそ。大変なご迷惑を、お若いのにしっかりしていらっしゃる。それではこの後のプレゼンテーション頑張ってください」
握手をしたのち、佐藤に向けてまたひとつ深く礼をした彼は、御曹司の後を追いかけるようにして足早に会場を去って行った。
「誠意のある方でしたねぇ」
「佐藤くん、君ももう少し誠意を持って欲しいんだけど?」
「私はご飯とお金が貰えるんだったら誠意を持って働きますよ」
「....ルームサービスで何か頼んであげるから....」
「誠心誠意働かせていただきます」
軽いため息とともに、会場を後にする。
だが、この時。川野たちは知る余地もなかったのだ、この交流会の裏に蠢く黒い泥のようなもの思惑が渦巻いていたことに。
外でひとつ、大きな雷が鳴り響く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます