行方不明だった兄弟は、異世界でよろしくやっていたようです

イプシロン

1 帰ってきてくれたのは嬉しいけど、なんで鎧……?

 私のお兄ちゃんとお姉ちゃんが死んでから、今日で三年目になる。

 私が物心ついたとき、既にお父さんとお母さんは死んでいて、家族といえば二人のお兄ちゃんと一人のお姉ちゃんのことだった。

 一番年上の一樹お兄ちゃんは、私達が不自由なく暮らしていけるように毎日遅くまで働いて、それでいてその苦労を一切顔に出さない優しい人だった。

 二番目に年上の双葉お姉ちゃんはしっかり者で、時々厳しく私のことを叱るけれど、その後に優しく抱きしめてくれる、とても素敵な人だった。

 そして三番目の三郎お兄ちゃんはとても明るくて、いつも私と一緒に遊んでくれた。


 お兄ちゃんもお姉ちゃんも、私のことをこれ以上ないくらいに可愛がってくれたし、私も三人のことが世界で一番大好きだった。

 両親がいないなんて可哀想だって、周りの大人によく言われたけど、私はそんな風には思わなかった。

 大切な家族に愛されているという点では、私も他の子供達も何も変わらないからだ。

 三人の素敵な兄姉に囲まれて、私はあのとき、とても幸せだった。


 ――――だからある日、三人が別々の場所で同じ日に死んだという話を聞いたとき、私は思わず耳を疑った。

 詳しい経緯を聞かされた後も、私はしばらくその事実を受け入れられなかった。

 あまりに酷すぎる不運によって家族を丸ごと奪われたショックは、当時中学生だった私にはあまりに辛い試練だったのだ。


 □■□■□


 そして三年が経ち、私は家族の死を受け入れて、新しい人生を歩み出していた。

 三人がいなくなったのは今でも悲しいし、会えるならもう一度会いたいと思うけれど……でも、いつまでもそんなことを言って立ち止まっていたら、きっと一番悲しむのは三人だと思ったから。

 だから辛くても歩き出さなければいけないと思って、私は前へと歩き出した。


 今私は、かつて私達が暮らしていた家があった場所の前に立っている。

 三年のうちに、かつての家は取り壊すことになって、今ではその場所には空まで届きそうなほどの高層マンションがそびえ立っている。

 昔の面影は、何一つ残っていない。

 でも、その場所が私にとって懐かしい場所であることに変わりはないわけで、忙しい日々の隙間を縫っては、私はたびたびここに足を運んでいる。

 ノスタルジックに浸りすぎたら、未来が見えなくなってしまうけれど――――このくらいなら、お兄ちゃん達もきっと許してくれるはずだ。


 「……それじゃ、行こう」


 およそ五分ほど、地上からマンションを見上げ、周囲の景色を眺めた後、私はその場を後にしようとした。

 その時である。


 「……四四乃……なのか?」


 「……!」


 私の耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。

 あまりにも聞き慣れた、懐かしい響き。それでいて遥かに遠く、もう二度と聞けないと思っていた奏で。

 忘れるはずもない、この声は、一樹お兄ちゃんの声だ。


 でも、どうして?

 一樹お兄ちゃんは死んだはずなのに、どうして一樹お兄ちゃんの声がするのだろう。

 他人のそら似? それとも、兄姉を恋しがったあまりに私が聞いた幻聴?


 でも、どっちだって別に構わなかった。

 たとえ幻覚だとしても、お兄ちゃんに会えるならそれでいい。

 たとえ他人のそら似だったとしても、お兄ちゃんの声が聞けるならそれでいい。

 私は何の躊躇いもなく振り向いて、そして背後に立っていた人影を視認する。


 「お兄…‥ちゃ……お兄ちゃん?」


 「会えて良かった……随分と長い間、一人にさせたみたいで悪かったな」


 「……お兄ちゃん……? だよね……?」


 「ああ、そうだ。もう何年も会えなかったから、雰囲気変わってるかも知れないけど。四四乃も大きくなったな。立派になった」


 「ふ、雰囲気っていうか、その……」


 そこに立っていたのは、間違いなく一樹お兄ちゃんだった。

 確かに以前より更に頬がこけて、肌も少し浅黒くなっていたけれど、妹の私にはそれが一樹お兄ちゃんであることは

 にも関わらず、私がお兄ちゃんの姿を認めて、思わず固まったのには理由がある。


 「……その格好は、何?」


 「これ? ああ、これか。勇者の鎧だ」


 「……?」


 何千万円もしそうな豪奢な装飾が施された、金色に輝く美しい鎧。

 それと同系のあしらいが施された兜に、大の男の背丈を優に超す巨大な剣。

 そして、額に輝く巨大なオーブのついた髪飾り。


 「急いできたので、こちらの服がなかったんだ。なにぶん魔王を倒した足でそのままやってきてるから、こんな格好で許してくれ」


 「……はい?」


 三年ぶりに現れた一樹お兄ちゃんの格好は、かつての真面目なお兄ちゃんの印象を悉く破壊するほどに強烈なものだったのだ。


 「しかし、三年という月日でこうも変わるものなんだな。俺たちが暮らした襤褸屋はなくなってしまったか。残念だ」


 お兄ちゃんのしゃべり方、声色、表情、その他殆どは、三年前と何も変わっていなかった。

 ただ、服装だけが明らかに狂っていた。


 「もっと頑張って、急いで魔王を倒せば間に合ったのかな」


 厳密には、会話の端々も狂っていた。

 だが、それ以外は紛れもなく確かに純然たる一樹お兄ちゃんに間違いなかった。

 しかし、そうなってみた際に私の脳裏を激しく支配したのは、何故お兄ちゃんが生きていたのかという疑問ではなく――――


 「……だが、黄金の聖剣は慎重に扱わなければ世界を滅ぼしてしまうかも知れない危険な秘宝だった。それを安全といえる領域まで『乗りこなす』には、これだけの時間が必要だったんだ。四四乃、許してくれ」


 どうしてこうなった、という呆然とした感情だった。

 どういうことなのだろう。

 一樹お兄ちゃんはバイクに乗って仕事場に向かっている途中にダンプにはねられ崖下の海に落下して死んだと聞いていた。

 死体が回収できなかったということも。

 だから、撥ねられたと思ったら実は撥ねられてなくて一命をとりとめたということなのだろう。

 そしてきっと、その時に頭を強く打ってしまったとすれば、この奇行にも説明がつくし、今まで出てこられなかった理由もなんとなく分かる。


 「積もる話もあるだろうし、どこかで腰を落ち着けて話をしたいんだけど……家がなくなっているとしたら困ったな。どこか喫茶店でも……」


 「喫茶店より先に行くべき所があると思うんだ。病院行こう? ついていってあげるから」


 「……ん? まさかと思うが人違いだったか?」


 「ううん、ちゃんと四四乃だよ? 私、お兄ちゃんに会えて嬉しい。本当に嬉しい。ずっとずっと、会いたかったんだから……」


 私は、目尻に潤んだ涙を指で拭う。


 「だからさ、病院行こう?」


 この涙は感動したせいなのか、それとも困惑と落胆のせいなのか――――自分でも良く分からない。


 「ちょっと待ってくれ! 四四乃お前、何か勘違いしてるだろ!? 俺がまるで頭おかしくなったとかそういう風に……」


 「かかりつけのお医者さんの名前を教えて?」


 「待て! そういう体で話を進めるな! 俺は別に、ふざけてそんなことを言ってるわけじゃない!」


 「うん知ってる。一樹お兄ちゃんは、いつだって真面目で、冗談なんてあまり言わないタイプだったもんね。

 ……だからまずいんだよ。三郎お兄ちゃんみたいに年がら年中冗談言ってるようなタイプならここまでマジにならないよ。

 だからさ、正直に主治医の人の名前を教えて?」


 「待て! 冷静に考えろ! 仮に俺がただの頭のおかしい奴だとして、頭のおかしい奴が本物の鎧を調達できると思うか?」


 「……!」


 言われてみれば、お兄ちゃんが身につけている鎧からは、レプリカとかコスプレ衣装とかからは感じられない本物の重厚さのようなものを感じ取れる。

 頭が正常な時ですら、お兄ちゃんがあんな高そうなプレートメイルを手に入れられたとは思えない。

 とすれば、まさか――――


 「……本当なの、一樹お兄ちゃん?」


 「だからそう言ってるだろ……俺は本当に勇者になって、ついさっき魔王を倒してきたんだ。それで押っ取り刀で、今この世界に戻ってきたんだよ」


 真面目な一樹お兄ちゃんだからこそ、こんなふざけたことでも真面目な顔で言えるんだろうけど……変に真面目なせいで、一層頭がおかしくなったようにしか見えないし、これが頭がおかしくなった結果でないと考えると私の頭がおかしくなりそうになる。


 「とりあえず、ちゃんと話をさせてくれ。本当に色々あって、順番に話していかないと困惑するのはその通りだと思うんだ」


 ここまできたら、私としても詳しい事情が聞きたい。

 一樹お兄ちゃんを取り巻く環境に一体何があったのか、このままではさっぱり検討がつかないからだ。

 もっとも深く知ったら知ったで、それはそれで困惑の渦に巻き込まれて溺死しそうな気もするが。


 「……じゃあ、あそこの喫茶店で。頼んだら、個室を用意してくれると思うから」


 私は、マンションの一階に併設された喫茶店を指さした。

 あそこは私もよく利用している喫茶店であり、何より顔が利く。

 マスターはきっと、私が鎧甲冑を身につけた不審者を連れ込んだとしても、何も言わずにいてくれるだろう。


 「そうか、分かった」


 一樹お兄ちゃんは軽く頭を下げると、それから喫茶店に歩いて行く私の後をついてきた。


 「……悪かったな。ずっと一人にさせて」


 道中、一樹お兄ちゃんのそんな呟きが耳に飛び込んできた。


 そんな、謝らないでよ。帰ってきてくれただけで嬉しいのは本当だし、何よりきっと、一番謝らないといけないのは私だと思うから……。

 思わずそう言ってしまいそうになったが、まだ言えることじゃない。私は言葉を無理やり飲み込んだ。

 何しろまだ、お兄ちゃんがこの三年をどんな風に生きてきたかを知らないから――――それによっては、答えが変わるかもしれないから。

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